有田町は細長く、泉山から本町へと山に挟まれた谷に街並みがあります。
葉の茂りもなく虫・昆虫・爬虫類等の心配もいらないこの時期に歩いてみたくなりました。
しかし、岩稜につながる道はあるのかないのかわかりません。
赤い線で岩稜のおおよその印を付けてみました。
昔の記憶、聞きつてに登山口を定めて登ってみることにしました。
まず最初に選んだのは、佐賀県立有田工業高校と佐賀県立九州陶磁文化会館の間の山の岩稜 ① です。
ここは、友人から昔聞いたことがある話をもとに登山口の目星をつけて出発しました。
登山口は有田工業高校の敷地を少し通らせてもらいます。
この岩稜の話は昔、友人が有田工業卒業生で、当時運動部の体力付けにグラウンドから頂上まで走らされていたと聞いたことがあったからです。
しかし、登り口は分からず、ちょうど出会った先生に話を聞いてみました。
この先生、34年間この学校に勤務なさっているらしく、ご存知でした。
生徒に聞いたら、そんなとこ危なくて登りませんよ。登れるんですか? と言われてしまいました。
先生は、登り口まで丁寧に案内すると言っていただけ、ここからですと教えていただけました。
ちょうど、グラウンドの真向かい、山側です。 階段がありました。
でも、階段はこの数段だけです。階段の先はこんな感じです。
でも、何だか人が歩いた跡があります。
少し行くとこんな物もありました。
踏み跡を追っかけて、どんどん進みました。
約20分で頂上に到着です。
この角度からの風景は初めてです。
祠があり、何かを祭ってあります。
月天子 と書いてあります。
月天子とは、もとバラモン教で、月を神格化したもの。月輪の月宮殿に住して世界を照らす。のちに仏教にも取り入れられた。と 調べたらありました。 こう言う信仰を昔の人はされていたんでしょう。
新たな情報が入りましたので、追記しておきます。(2月9日)
ここは、当時 本町区の方々が夏にお参りをされていたようです。場所の名を《三夜山》と呼んでいたよと聞きました。
話では、韓国の方々が昔、故郷をしのんで山の上から故郷の方を向いてお参りされていた場所だとかとも聞きました。
そう言えば、この碑の向こう側、方向には韓国が位置しているようです。
台風にもめげず、立派に建てられているようです。
有田駅の方向です。
蓮花石山、英山 方面です。
この岩稜からもう少し、南へ行けそうなんで進んでみました。
行けそうです。どこへ出るのかな・・・
またまた 岩稜です。
戸杓地区方面です。
でも、どこに出るのか ちょっと下る気配もなく、稜線を藪の中ですが進めますが 今日はやめて戻ることにしました。
静かな グラウンドです。時間も 14:00 、まだ授業時間でしょう。放課後になると活発ないろんな練習が行われるんでしょう。
春の使者、シロモジ がつぼみを付け始めています。
今度は、この ② 岩稜を目指します。
今回の 岩稜歩きを 僕の中学校時代の 中島忠 先生に話したら、是非 同行したいと言われ、② 山行は 中島先生と 今度の日曜日に行くことになりました。
楽しみです。
ホームページも 作りました。 緒方鍼灸院 脉泉堂
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