感謝感謝のお金道④
最近、よく「今を生きていますか?」と聞かれます。
私はずっとこの質問の意味がわかりませんでした。
「今を生きているに決まっている」と思っていたからです。
でもある日、回転寿司を食べに行ってこんな体験をしたんです。
私は穴子が大好きです。
お皿に二貫乗っている穴子を取り、
「美味しいなぁ」と思いながら食べていました。
一貫目を食べ終え、二貫目に差し掛かった瞬間、私の前にエビが流れてきました。
その時、箸は穴子を掴んでいるのに、私の意識はエビに持っていかれたのです。
そこで気づきました。
「私は今を生きていなかった」と。
一貫目の穴子を食べた時は口の中に広がる旨味を存分に楽しました。
しかし二貫目に差し掛かった時はエビに意識を奪われた。
その瞬間、私は「今を生きている」状態から離れてしまったのです。
そこで得た気づきは「今を生きるということは、行動と意識が同時に存在し、一致していること」ということでした。
たとえば、週末の旅行だけを楽しみに、水曜日会社でイヤイヤ仕事をしているとしたら… 。
行動は「会社で仕事」でも、意識は「週末の旅行」に向いています。
意識と行動が一致していません。
これは「今を生きている」とは言えないのです。
こんな生活を送っていると、だんだん自分の本心から遠ざかって自分をごまかしていく人生になっちゃうんですね。
「金」と「今」は同じ「きん」と読みます。
日本語では音が同じものは同じ働きを持っています。
ということは、お金と仲良くなる秘訣の1つとして、
「今をちゃんと生きること」が大事だと考えられます。
それは、自分がやりたいこのとと実際の行動を一致させること。
思いと行動の一致です。
一瞬一瞬、過去を憂うことなく、未来に不安を抱くことなく、
今の喜びを味わい尽くすことが「今」を生きるってことなのです。
「今」「現在」という言葉を英語に訳すと「present」です。
つまり「今」を生きると決めることで、たくさんのプレゼントを受け取れるゾーンに入っていけるのだと思うのです。
私はそのゾーンを「お金道」と呼んでいます。
たくさんの福沢諭吉さんと出会える道、それこそが「お金道」です。
一人ひとりに必ず「お金道」があります。
それを見つけるのは簡単で、
「今」を生きると決めるだけです。
だからこそ、いろいろな人が「今を生きる」という言葉を大切にしているのだと私は考えています。
(「みやざき中央新聞」H30.1.15 北岡恵子さんより)
最近、よく「今を生きていますか?」と聞かれます。
私はずっとこの質問の意味がわかりませんでした。
「今を生きているに決まっている」と思っていたからです。
でもある日、回転寿司を食べに行ってこんな体験をしたんです。
私は穴子が大好きです。
お皿に二貫乗っている穴子を取り、
「美味しいなぁ」と思いながら食べていました。
一貫目を食べ終え、二貫目に差し掛かった瞬間、私の前にエビが流れてきました。
その時、箸は穴子を掴んでいるのに、私の意識はエビに持っていかれたのです。
そこで気づきました。
「私は今を生きていなかった」と。
一貫目の穴子を食べた時は口の中に広がる旨味を存分に楽しました。
しかし二貫目に差し掛かった時はエビに意識を奪われた。
その瞬間、私は「今を生きている」状態から離れてしまったのです。
そこで得た気づきは「今を生きるということは、行動と意識が同時に存在し、一致していること」ということでした。
たとえば、週末の旅行だけを楽しみに、水曜日会社でイヤイヤ仕事をしているとしたら… 。
行動は「会社で仕事」でも、意識は「週末の旅行」に向いています。
意識と行動が一致していません。
これは「今を生きている」とは言えないのです。
こんな生活を送っていると、だんだん自分の本心から遠ざかって自分をごまかしていく人生になっちゃうんですね。
「金」と「今」は同じ「きん」と読みます。
日本語では音が同じものは同じ働きを持っています。
ということは、お金と仲良くなる秘訣の1つとして、
「今をちゃんと生きること」が大事だと考えられます。
それは、自分がやりたいこのとと実際の行動を一致させること。
思いと行動の一致です。
一瞬一瞬、過去を憂うことなく、未来に不安を抱くことなく、
今の喜びを味わい尽くすことが「今」を生きるってことなのです。
「今」「現在」という言葉を英語に訳すと「present」です。
つまり「今」を生きると決めることで、たくさんのプレゼントを受け取れるゾーンに入っていけるのだと思うのです。
私はそのゾーンを「お金道」と呼んでいます。
たくさんの福沢諭吉さんと出会える道、それこそが「お金道」です。
一人ひとりに必ず「お金道」があります。
それを見つけるのは簡単で、
「今」を生きると決めるだけです。
だからこそ、いろいろな人が「今を生きる」という言葉を大切にしているのだと私は考えています。
(「みやざき中央新聞」H30.1.15 北岡恵子さんより)