🌸🌸母への思い🌸🌸
私の出身は秋田県🌸山本郡琴丘町(現・三種町)と言うところで、
電車🚞は2、3時間に一本、そしてバス🚌も通っていないような地域です。
私の両親は学校🏫の先生🍀でしたが、おふくろ👩は結婚💒後しばらくして教師をやめました。😊
しかし、6人の子供を学校🏫に通わせるために、いろんな仕事🍀をやりました。
その中でも1番長く勤めたのは生命保険🏢の外交員🌸でした。
午前中に朝、昼、晩ご飯の支度🌸をして、日中☀️は足を棒のようにして歩き👟👟回り🔄ます。
夜🌌は自宅でご飯🍚を食べた後、
日中会えなかった人に会いに🌟行っていました。😵
その時間は、もう交通機関🚋はありませんから、歩いて隣の町まで行くのです。
私たちも夜🌌遅く、おふくろ👩の帰りを今か今かと待つことがありました。
私はおふくろが布団で寝ている姿を一度も見たことがありません。😊
私たちの誰よりも早く起きて⤴️、誰よりも遅く寝て💤いました。
夜中にミシンの音🎵で目が覚める🌟こともありました。
また、父親は朝5時半に家🏠を出るのですが、
その頃には、すでに子供たち6人👦👧👦👧👦👧と父親👨の弁当🍱はできているのです。😵
おふくろがいったい何時に起きていたのか、私は今なお分かりません。😵
私が大学🏫を卒業🌸し社会人🌇になるにあたって、
おふくろ👩に三つのことを言われました。
一つ目は、
「何事にも手を抜いてはならない。✊
常に全力で当たれ🌟」
今、こうして皆さんにお話🎵をしている時も
「おまえは全力✊を出しているのか」
というおふくろ👩の声🎵が聞こえてきます。
二つ目は、
「傲慢になってはいけない。😊
仕事🍀に慣れてくると生意気⚡️になる。
上司の言うことを聞き👂ながら常に謙虚🌸であれ」
三つ目は、
「どんな人でも嫌いになることはない。😊
嫌いだなと思ったら、その人の中に自分よりも優れて🌸いるものがあるかどうかを見よ🌟」
です。
そうすると、自分より優れて🌸いるものがあることが分かって🌟、
その人のことが嫌いではなくなるのです。😊
この三つの教え🍀を聞いてから、
まもなく48年になろうとしていますが、
私は1日として忘れたとこはありません。😊🎵
叶うことならあの世😇に行った時に、おふくろに
「母さんに言われたことはちゃんと守ってきたよ🎵」
と胸を張って💢言えるような人生🍀を送らなければいけないと思っています。😊☀️
私はおふくろに感謝🌸していることがあります。
おふくろは毎日☀️保険の勧誘🌸で何十人もの人と会い🌸ます。
中には不愉快な😵ことも、嫌なこともいっぱいあったと思います。😵
でも、私はおふくろから人の悪口💢を聞いたことが1度もありません。😊
「今日はこんな立派✨な人がいたよ」
「今日はこんないい人🌟に会ったよ」
というようなことしか言いませんでした。😊
当時の私にとって、それはとてもありがたいことでした。🙏
「お天道様☀️が見ている」
という言葉🍀があります。
私にとっておふくろ👩はお天道様☀️です。
どこにいても、何をしていてもおふくろ👩から見られて👀いると思うと、恥ずかしいことはできません。
おふくろが亡くなって😇から23年以上経った今も、
私は毎日のようにおふくろと会話🎵をしています。
今日も帰ったら、おふくろの写真の前で、
「今日は、また母さん🌸の話をしてお金💰をいただいてきたよ」
と言うことにしているのです。😊
私は、ときに中学生🏫や高校生💰🏫に向けた講演🎤をすることがあります。
その際に
「お母さんを大切🌸にしてください。
『愛国心💓』という言葉🍀がありますが、
それは身近な人を愛する💓ことからどんどん広がって☁️いくものなのですよ」
と言う話をしています。
もし教育🍀の立て直しが必要だとするならば、
こういう身近なところから始めるべきではないかと思うんですね。😊🌟
おふくろは60歳の時に、
「老人の憩いの森🌲🌲」という場所をつくったのですが、
その時の手紙✉️を見つけ🌟ました。
それは私が読売新聞📰に入って3年目の春、5月2日の消印でした。
「今、母さんはあなたが送ってくれた浜松のお茶🍵を飲んでいるところです。
このお茶🍵を飲み終わると、桜の木🌲を植えに行こうと思っています。
『老人の憩いの森🌲🌲』をつくろうと思っているのです」
「道路に立っていると、誰かが車🚙を止めて乗せてくれる。
野菜🍆🍅がなくなると、誰かがうちに野菜🍆🍅を持ってきてくれる。
会う人、会うと、皆、友達🌸になってくれる。
こんなありがたいことはない。😊🙏
そのありがたさに応える🌸ために、自分は還暦🌸を期して何をすべきかということを考えました」
「持っている山を切り開いて、桜の木🌲を植えようと思っている。
そしてベンチ💺を置こうと思う。
遠くへ花見🌸に行けない年寄り👴👵たちのために、花見ができるようにしたいと思っている。😊
桜の木🌲の下には、たんぽぽ☀️、すみれを植えようと思う。
栗の木🌲も5、6本植えようと思っている」
「母さん🌸は一人暮らしだけども、
こんな楽しい計画📊📝で胸がいっぱい💕です。
あなたは何も心配しないで交通事故⚠️にはよく気をつけなさい。
偏食をしないようにしなさい。
よく体操🌸しなさい」
「どんな人の意見🍀も馬鹿にしないで、よく耳👂を傾けなさい。
今のうちにどんどん吸収して幅の広い人間🍀になってほしいと思う。
母さん🌸はそのことだけを念じています。
そして、あなたを信じて🍀います」
私は以前から、故郷🌸にお金💰ではなく何か形のあるものを贈りたいと考えていました。
この手紙✉️を読み返し、
「私が持っているのは本📖📚しかないのだから、
自分にできることは、所有する本📖の一部を寄贈🌸して、
廃校になった学校🏫に図書館をつくることだ」
と思いました。😊🎵
そして、その図書館を「老人の憩いの森🌲」のように、
いろんな人が集まることのできる場にしたいと痛切に感じたのです。😊☀️
(「みやざき中央新聞」H30.6.25 橋本五郎さんより)
私の出身は秋田県🌸山本郡琴丘町(現・三種町)と言うところで、
電車🚞は2、3時間に一本、そしてバス🚌も通っていないような地域です。
私の両親は学校🏫の先生🍀でしたが、おふくろ👩は結婚💒後しばらくして教師をやめました。😊
しかし、6人の子供を学校🏫に通わせるために、いろんな仕事🍀をやりました。
その中でも1番長く勤めたのは生命保険🏢の外交員🌸でした。
午前中に朝、昼、晩ご飯の支度🌸をして、日中☀️は足を棒のようにして歩き👟👟回り🔄ます。
夜🌌は自宅でご飯🍚を食べた後、
日中会えなかった人に会いに🌟行っていました。😵
その時間は、もう交通機関🚋はありませんから、歩いて隣の町まで行くのです。
私たちも夜🌌遅く、おふくろ👩の帰りを今か今かと待つことがありました。
私はおふくろが布団で寝ている姿を一度も見たことがありません。😊
私たちの誰よりも早く起きて⤴️、誰よりも遅く寝て💤いました。
夜中にミシンの音🎵で目が覚める🌟こともありました。
また、父親は朝5時半に家🏠を出るのですが、
その頃には、すでに子供たち6人👦👧👦👧👦👧と父親👨の弁当🍱はできているのです。😵
おふくろがいったい何時に起きていたのか、私は今なお分かりません。😵
私が大学🏫を卒業🌸し社会人🌇になるにあたって、
おふくろ👩に三つのことを言われました。
一つ目は、
「何事にも手を抜いてはならない。✊
常に全力で当たれ🌟」
今、こうして皆さんにお話🎵をしている時も
「おまえは全力✊を出しているのか」
というおふくろ👩の声🎵が聞こえてきます。
二つ目は、
「傲慢になってはいけない。😊
仕事🍀に慣れてくると生意気⚡️になる。
上司の言うことを聞き👂ながら常に謙虚🌸であれ」
三つ目は、
「どんな人でも嫌いになることはない。😊
嫌いだなと思ったら、その人の中に自分よりも優れて🌸いるものがあるかどうかを見よ🌟」
です。
そうすると、自分より優れて🌸いるものがあることが分かって🌟、
その人のことが嫌いではなくなるのです。😊
この三つの教え🍀を聞いてから、
まもなく48年になろうとしていますが、
私は1日として忘れたとこはありません。😊🎵
叶うことならあの世😇に行った時に、おふくろに
「母さんに言われたことはちゃんと守ってきたよ🎵」
と胸を張って💢言えるような人生🍀を送らなければいけないと思っています。😊☀️
私はおふくろに感謝🌸していることがあります。
おふくろは毎日☀️保険の勧誘🌸で何十人もの人と会い🌸ます。
中には不愉快な😵ことも、嫌なこともいっぱいあったと思います。😵
でも、私はおふくろから人の悪口💢を聞いたことが1度もありません。😊
「今日はこんな立派✨な人がいたよ」
「今日はこんないい人🌟に会ったよ」
というようなことしか言いませんでした。😊
当時の私にとって、それはとてもありがたいことでした。🙏
「お天道様☀️が見ている」
という言葉🍀があります。
私にとっておふくろ👩はお天道様☀️です。
どこにいても、何をしていてもおふくろ👩から見られて👀いると思うと、恥ずかしいことはできません。
おふくろが亡くなって😇から23年以上経った今も、
私は毎日のようにおふくろと会話🎵をしています。
今日も帰ったら、おふくろの写真の前で、
「今日は、また母さん🌸の話をしてお金💰をいただいてきたよ」
と言うことにしているのです。😊
私は、ときに中学生🏫や高校生💰🏫に向けた講演🎤をすることがあります。
その際に
「お母さんを大切🌸にしてください。
『愛国心💓』という言葉🍀がありますが、
それは身近な人を愛する💓ことからどんどん広がって☁️いくものなのですよ」
と言う話をしています。
もし教育🍀の立て直しが必要だとするならば、
こういう身近なところから始めるべきではないかと思うんですね。😊🌟
おふくろは60歳の時に、
「老人の憩いの森🌲🌲」という場所をつくったのですが、
その時の手紙✉️を見つけ🌟ました。
それは私が読売新聞📰に入って3年目の春、5月2日の消印でした。
「今、母さんはあなたが送ってくれた浜松のお茶🍵を飲んでいるところです。
このお茶🍵を飲み終わると、桜の木🌲を植えに行こうと思っています。
『老人の憩いの森🌲🌲』をつくろうと思っているのです」
「道路に立っていると、誰かが車🚙を止めて乗せてくれる。
野菜🍆🍅がなくなると、誰かがうちに野菜🍆🍅を持ってきてくれる。
会う人、会うと、皆、友達🌸になってくれる。
こんなありがたいことはない。😊🙏
そのありがたさに応える🌸ために、自分は還暦🌸を期して何をすべきかということを考えました」
「持っている山を切り開いて、桜の木🌲を植えようと思っている。
そしてベンチ💺を置こうと思う。
遠くへ花見🌸に行けない年寄り👴👵たちのために、花見ができるようにしたいと思っている。😊
桜の木🌲の下には、たんぽぽ☀️、すみれを植えようと思う。
栗の木🌲も5、6本植えようと思っている」
「母さん🌸は一人暮らしだけども、
こんな楽しい計画📊📝で胸がいっぱい💕です。
あなたは何も心配しないで交通事故⚠️にはよく気をつけなさい。
偏食をしないようにしなさい。
よく体操🌸しなさい」
「どんな人の意見🍀も馬鹿にしないで、よく耳👂を傾けなさい。
今のうちにどんどん吸収して幅の広い人間🍀になってほしいと思う。
母さん🌸はそのことだけを念じています。
そして、あなたを信じて🍀います」
私は以前から、故郷🌸にお金💰ではなく何か形のあるものを贈りたいと考えていました。
この手紙✉️を読み返し、
「私が持っているのは本📖📚しかないのだから、
自分にできることは、所有する本📖の一部を寄贈🌸して、
廃校になった学校🏫に図書館をつくることだ」
と思いました。😊🎵
そして、その図書館を「老人の憩いの森🌲」のように、
いろんな人が集まることのできる場にしたいと痛切に感じたのです。😊☀️
(「みやざき中央新聞」H30.6.25 橋本五郎さんより)