蜻蛉(トンボ)が飛んでました。
街中に糸トンボ。➰
私的に、街中🌆にトンボが飛ぶようになったら、
もう、秋🍁です。
季節🍃は、しっかり進みます。😊🍀
夕方からご来店のHさん。
Hさんも、朝、赤トンボを見かけたって言ってました。😊🎵
面倒くさい、、、
「面倒くさい」って、みなさん、よく言いますね。
これは、私が嫌いな言葉🍀の一つ🌟。
やりたくないのは、わかりますよ。😊
でも、面倒くさいから、やらないってことは、
自分を、大切にしてないことに、なるんですよ。🌸
これを、わかりましょう。💕
やらないなら、やらないで、いいんです。
言う言葉🍀が大切なんです。😊🌸
その時、なんと言うか?
それは、
「潔(いさぎよ)く」。
これです。😆🤣👍
こう言うと、自分を、大切🍀にしてることになるんです。🌸
わかりますか?😊
潔く、掃除💨しない!
潔く、料理🍳しない!
潔く、言うこと聞かない🚫!
こう言うと、どう感じます。
自分を大切🥰にしてる、って感じる💓でしょ。
この感じ、わかりますよね〜。🍀🍀🍀
だから、
その後の、行動が違って⚡️きます。😊🎵
その後の気持ち💓が違って⚡️きます。
面倒くさいから、料理しない!
って言うと、あと、何もしなくなる。😝
あと、言霊的にも、よくないよ。
これ、たくさん言ってると、
「めん(面)と、どう(胴)が、くさ(臭)く、なる」。😂😭😵
それに比べて、
潔く⚡️、料理しない!
って言うと、どうです?
それより大切🍀な、他の何かを、やりたくなるように感じ💓ませんか?😊💚
気持ち💓も、すっかり⚡️爽やか✨になしませんか?
つぎには、例えば、寝る💤、とか、風呂🛀に入る、とか、好きビデオ観る、とか、行動🍀するようになりますね。😆
この違い⚡️、わかりますか?🌟
イヤなことをやらないのは、自由🍀なんです。
でも、ずっと、そのまま何もしないってなると、ずっと、変化なくそのままですよね。🍀
経験🌸もしないし、新しい発見🌟もない。
ずっと、平坦な道が、続くだけ。
それは、おもしろくないね。😊🎵
人間🍀は、刺激⚡️がないと、生きていけないのです。
ですから、
潔く、やらない!って決めると、
目👀を向ける場所が変わって🔄きます。
やりたいことに集中🔎できるようになります。
だから、どんどん成長💚するし、どんどん楽しく💕なる。
こっちの方が、いいよね。💞💗💓
だから、「面倒くさい」より
「潔く💛」なんです。
使うと、あなたにもわかりますよ。💛
自分の波動⚡️が変わってゆくのを。
ちゃんと感じ💓ますから。
どうせやらないなら、こっちを使いましょうね。😊💕
とっても、楽しく💕なるよ。
そんな自分の価値観👑を、大切🍀にしましょう。😊🌟
そんな話🎵です。
🌸🌸尊厳の輪🌸🌸
1965年9月9日、アメリカ🇺🇸海軍のパイロット✈️、ジェームス・ストックデールは、
空母オリスカニーからジェット戦闘機✈️で北ベトナムに向けて飛び立った。
だが、共産主義陣営への攻撃💢に成功したところで、
彼の機体は図らずも対空ミサイル🚀の砲火💢を浴びてしまった。
緊急脱出用の射出座席を作動させたストックデールは、座席ごと機外へ勢いよく押し出された。💨
「私が脱出したのは、地上約300メートルの高さだった。
緊急用のパラシュート☂️で降下していたのはおよそ20秒くらいだったが、
下を見ると、着地点は小さな村の目抜き通りになるだろうと見当がついた。
兵士たちは私を狙って発砲し💢、
村人たちは私に向けて拳✊を振り上げていた」
ストックデールはすぐに捕らえられ、すでにほかのアメリカ人🇺🇸捕虜が収容されていた悪名高い収容所🏢、いわゆる「ハノイ・ヒルトン」に連行🍀された。
彼は尋問され、殴打💢され、拷問💢を受けた。
ストックデールは、ベトナム戦争💣終結まで戦争捕虜🌸として7年半囚われていたが、
そのうちの4年間は独房🚪に収容されていた。
拷問者におもねれば、ストックデールは虐待💢をまぬがれることもできたはずだ。
ときどき反米的な発言🎵を口にして見せるだけで、
拷問されずに済む普通の捕虜🌸としての扱いを受けることもできたのだ。
だが、そんな考えは彼の頭をよぎりもしなかった。
意識的🍀に拷問係のなすがままになっていた。
のちにストックである本人が語ったように、それが
「彼の自尊心💓を保つ唯一の方法🍀」だったからだ。
それは愛国心💓からの行為でも、戦争💣の敵方への抵抗💢を示すための行為でもなかった。
(ストックデールはもうずいぶん前からベトナム戦争💣の正当性を信じていなかった)
ストックデールはただ、自分の内面を突き崩されないように、
自分のために、そうしていたのだ。😊✊
一度、彼を別の収容所へ移す計画📝が持ち上がったことがあった。
市内を移送中、世界のメディア📺に対して清潔✨で栄養状態🌸もいいストックデールを披露するのが目的🌟だった。
しかし、収容所を出る前にストックデールは椅子💺をつかんで自らの顔に打ちつけた。💢
血💕がしたたり落ち、両目👀が腫れあがるまで打つのをやめなかった。
当然、その状態🌸では彼を世界の人々の目にさらすことができない。
「その夜、体を横たえると、私は涙😭を流した。
彼らに抵抗💢するだけの力✊が自分にあったことが嬉しくて💕ならなかったのだ」。
周りから見ると、彼の行為🌸は合理性を欠くように思える。
ストックデールの置かれた状況🌸を考えれば、拷問者の決めたことに素直🍀に従うほうが得策🉐だったはずだ。
求められたことに応じ、流れに身をまかせる。
目立つのは損だ。
そしてアメリカ🇺🇸の軍事💣介入を疑問視していると、彼らに表明🌟してみせるだけでよい。
解放された後、そうしなければ死ぬまで拷問💢されていたと釈明すれば十分説得力✊はある。
誰もが理解をしてくれて、ストックデールを非難するものなどいなかっただろう。
だが、もしそうしていたら、ストックデールは7年半もの捕虜生活🍀に耐えられるだけの気力✊を保てていただろうか?
たとえ長い捕虜生活🍀に耐えられていたとしても、
収容所で過ごした年月は
「はかりしれないほど貴重✨だった」
とのちに振り返ることができただろうか?
自分の中にある「信念🍀」を外に向かって発信📡しなければ、
あなたは次第に、操り人形🧸になっていく。
ほかの人々の目的に合わせて都合よく動かせられるようになり、
遅かれ早かれ自分は消えて☁️しまう。
そしてあなたは、闘う✊ことも肉体的な苦難を乗り越える⤴️こともできなくなり、意志💓の力も萎えて⤵️いく。
外面的に崩れ落ちてしまった人は、
そのうち内面まで崩壊💢してしまう。
収容所での経験🌸をもとに書かれた書籍📖はたくさんある。
ソルジェニーツィンの『収容所群島』、
エリ・ヴィーゼルの『死者の歌』、
プリーモ・レーヴィの『これが人間か』、
ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』などだ。
ところが、こうした作品🌸は、間違った読まれ方をされている場合🍀がほとんどだ。
本文から、想像絶するような状況🌸で生き延びるためのヒント🌟を読み取ろうとする人が多いのだ。
ただ、実際🌸に生き残れるかどうかは、ほとんどが「偶然の結果🌸」にすぎない。
アウシュビッツには生き残るための法則などなかった。
せいぜい、戦争末期に収容された人は、
1942年に収容された人よりも生きて収容所を出られる可能性🌸が高かったという程度だ。
収容所生活🍀について書けたのは、偶然、生き延びることができた幸運💕な人たちだ。
死者は本📖を書くことなどできない。
ストックデールが生きて地場に降り立つことができたのも、
パラシュート☂️に揺られながら敵方の村に降下している最中、
銃弾に当たらなかったという「偶然の結果🌸」なのである。
それなのに、人々はそれらの作品から次のようなことを読み取ろうとする。
「1日または1日と気力✊を奮い起こして乗り切っていけば、
生き残れる可能性🌸は少しずつ高くなる。
アウシュビッツにも、いくつかは解放の日が来て、戦争捕虜🌸の生活🍀もいつかは終わる日がくるからだ。
だから、それまでのあいだをどうにかして耐え抜かれはならない。✊
それができるのは、どんなに行動🍀の自由が制限⚡️されていようと、
内面的にも外面的にも崩壊せず、
けっして希望🌸を捨てず、強い意志💓を持ちつづけた者だけだ」
だが、すべて既に述べたとおり、
生き残れるかどうかは、すべて天✨の采配🌸によるものなのだ。
それでも、極端な状況下で書かれたこれらの記録📖は、
私たち一般市民にも関係がないわけではない。
幸運🌸にも私たちは、拷問や独房やひどい寒さに耐える必要はないが、
私たちの意志💓や、主義や、価値観は、彼らと同じように日々攻撃💢を受けている。
つまり私たちの「尊厳の輪🔗」への攻撃💢である。
これらの攻撃💢は拷問ほどわかりやすくはなく、
ほとんど気づかれないほど、ひっそりと行われている。🍀
広告📺や社会的圧力💢、ありとあらゆるところからの押しつけがましいアドバイス🎵、
間接的なプロパガンダ、時代の風潮☁️、マスコミの煽り、法律🏛など。
連日、何十本もの矢が「尊厳の輪🔗」に向けて放たれている。
どれも鋭く有毒な矢だ。
致命傷💢を与えるほど毒性が強いわけではないが、
一本一本があなたのその自尊心🌸を傷つけ、
感情の免疫システム🌸を弱めるのに十分な鋭さ⚡️を持っている。
それにしても、どうして社会🌆はあなたに向けて矢を放つのだろう?
なぜなら、社会とあなたとでは「利害」が違う⚡️からだ。
社会において重要⚠️なのは団結であり、
社会を構成する一人ひとりの個人的🌸な利益ではない。
個人が際立つ必要はなく、誰かが勝手に周囲とは違う主義🍀でも表明🌟しようものなら、
すぐに社会に対する危険分子⚠️と認識される。
社会が干渉🌸しないのは、周りに合わせて従順🌸にふるまう人間🍀に対してだけだ。
あなた自身の考えを社会🌆の放つ矢から守るために、
あなたの尊厳の輪🔗は強化しておく必要🍀がある。
「尊厳の輪🔗」は、あなたの誓約🌸を取り囲む壁だ。
だからあなたの誓約が外からの攻撃💢にさらされたときに、
あなたは初めて尊厳の輪🔗の効果を心💓から実感💓することになる。
高い理想🌈や、気高い主義🍀や、自分だけの優先事項はいくらでも打ち立てることができる。
だが、ストックデールのように自分の誓約🌸に関して
「喜びの涙😭」にくれれることができるのは、それらを守れたときだけだ。
あなたにも覚えがあると思うが、たいていの場合🍀、
もっと不快に感じる攻撃💢は肉体的なものではなく言葉🍀によるものだ。
今度言葉🍀で攻撃💢されることがあったら、
こんな対策🌸をとってみると良い。
ミーティングの場などで悪意💀のある言葉🍀であなたを攻撃💢する人がいたら、
その人に、その発言🍀をもう一度くり返してもらうのだ。
すると、ほとんどの人が負けを認める🌸はずである。
セルビアの大統領👑、アレクサンダル・ヴィッチは、あるジャーナリスト📰とのインタビュー🎤の最中、
そのジャーナリスト📰が自身のウェブサイト💻に書き込んだ、ヴィッチをひどく侮辱💢する記述を目の前で声🎵に出して読んで見せるよう求めた。
そのジャーナリスト📰は恥ずかしさのあまり、インタビューを中断⚡️したという。
「尊厳の輪🔗」が生死の問題⚠️にかかわることはほとんどない。
たいていは「尊厳の輪🔗」の中にあるものを守るための闘い💢であり、
重要なのはその闘いで優位🌸を保つこと。
攻撃💢してくる相手🍀をできるだけ手こずらせ、
問題⚠️になっているのがあなたにとって特に大事なことである場合🍀は、
できるだけ長く主導権🌸を握るようにしよう。😊🍀
そしてもしあなたの方が折れなければならなくなったら、
相手にできるだけ高い代償⚡️を払わせるようにすればいい。😊🍀
人間🍀の信念💓は途方もない力✊を秘めている。
その力✊こそが、よい人生🍀のカギ🗝である。
さまざまな攻撃💢からあなたの信念💓を守るためにも、「尊厳の輪🔗」は強化しておこう。
(「Think clearly(シンク・クリアリー)」(サンマーク出版)ロルフ・ベドリ著、安原実津訳より)
🍀🍀自由ならぬ人🍀🍀
わがまま放題🌸にするということは、
かえって自分が主🌟にならないで、
実は何かの枠に、はめられる、
我(が)というものの奴隷💀になっておるのです。😊☀️
だから、わがまま放題🌸にするというと、
人はいかにも自由🍀なように思うけれども、
その実は、何かほかのものにあやつられて😵、
あっちに動き➡️、こっちに動き⬅️しているのであって、
はなはだ自由ならぬ人と言ってよいと思います。😊
(中略)
わがまま🌸をやればやるほど、
ものに使われて奴隷💀になっているんである。😊🎵
(『東洋の心』鈴木大拙著(春秋社)/『全集』第20巻より)
🌟昨日の海苔巻きは、
かぼちゃ、山芋、鶏ムネ肉、きゅうりぬか漬け、にんじんぬか漬け、
と、
豆腐、オカラ、きゅうりぬか漬け、トマト。
今日は、Mさんから、オクラ、シシトウ、ナス、ツルムラサキ、いただきました。🌸
ありがとうございます。😊🙏💕🍀
夕食は、久しぶりに、サイゼリヤ🍽🍷。
賑わいが、少しもどってきてるみたい。😊🍀
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