hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

般若心経の解説51(終)、"般若心経"

2016-06-04 17:14:19 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀51(終)


🌸🌸「般若心経(はんにゃしんぎょう)」🌸🌸


最後に、私たちの「般若心経」の説くところを簡単🌸にまとめることにしましょう。

わたしは、ひとまず次の3点が「般若心経」の中心思想☀️であると考えます。

(1)観世音(観自在)菩薩への信仰☀️

(2)「色即是空・空即是色」という空の思想🌸

(3)般若波羅蜜多(さとり)への崇拝と、それに至ろうとする実践🍀


まず、第(1)ですが、

インドでは紀元前後ころから民衆のあいだで「観音信仰」が、とみに盛んとなり、

わが国でもよく読まれます「観音経」というお経🎵も作られました。

観世音(観自在)菩薩が本経に登場する理由には、そのような歴史的背景☁️☁️があると思います。


第(2)の「空の思想」が、「般若心経」の中心思想でありますことは、誰もが認めるところでありましょう。💕

さて、空の思想
(専門用語では空観(くうがん)といいます)は、

仏教🌸の重要な、そして根本的な哲学説といわれますが、

これだけでは、わたしたちにとって難解😵にすぎます。

それで「般若心経」には、

第(3)に挙げられるところの、

般若波羅蜜多、

つまり「さとり☀️」への崇拝と、それに至ろうとする実践🍀とが説かれているわけです。

このお経のタイトルが、「空心経」ではなく「般若心経」であることも、

そのことを示しているものと思われます。😄☀️


それゆえに、わたしたちの「般若心経」は、

空☁️という深遠なる哲理にうらうちされた

般若波羅蜜多🌸、つまりさとり☀️への崇拝と、

その大いなるさとり(彼岸)に至ろうとする希い🎵がこめられた

お経🎵と見ることができましょう。

お釈迦さまの智慧☀️とおさとり☀️が凝縮されている、

この「般若心経」の読誦と写経とを

皆さまが続けられますことをお祈りして、

筆をおくことにいたします。🎵


合掌🙏

(おしまい)


(「あなただけの般若心経」より)

般若心経の解説50、"菩提薩婆訶"

2016-06-03 14:30:32 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀50


🌸🌸「菩提薩婆訶(ぼじそわか)」🌸🌸


中村大博士は、この五文字を

「さとりよ、幸あれ💕」

と訳されます。

そのうち、「菩提」とは、サンスクリット語の「ボーディ」の音を写した語ですが、
「ぼたい」と読むのが一般的です。

皆様のなかには、亡きご先祖の菩提のために、

あるいは先立たれたご両親🌸やお子さまの菩提のために、

お寺の屋根の瓦を寄付されたり、本堂のお飾り(荘厳具)をお寺に寄進されたかたもおありでしょう。🎵

その場合の「菩提」とは、「成仏」ほどの意味です。

「成仏」と「さとり」とは、本質的には同じことです。🌸

この「さとり」(菩提)は、2,500年前、インドのブッダガヤーで、

菩提樹のもとでのお釈迦さまの「おさとり」にさかのぼることができます。

6年間のはげしい苦行をされ、

さまざまな外的な妨害や内なる心💓の葛藤と闘われながら、

瞑想を続けられたのち、

お釈迦さまは大いなるさとり☀️(大悟)をひらかれました。

大悟☀️のときの歓喜はいかばかりであったでしょう。

眼に映るもの、耳で聞くもの、
手で触れるもの、すべてが心地よく、

ことごとく光明😄☀️に包まれています。

身体は軽やかで、それでいて充実しています。☀️🌟💓

心💓には一点のくもりもありません。

そのお釈迦さまの「おさとり」が、仏教の原点🌸ともなりました。

そして、その「おさとり」が、インドから中国を経て、日本🇯🇵に伝えられ、

今日わが国に仏教🌸が生きているわけです。

お釈迦さまの「おさとり」讃仰し、寿いで、

各寺々では12月8日に「成道会(じょうどうえ)」という法会が営まれます。

さて、
「薩婆訶」とは同じく「スヴァーハー」の音写語🎵ですが、

願いの成就を祈って、呪文の最後に唱える秘密の言葉🍀であるとされます。

「弥栄🎵」と訳されることもあります。


随筆家の幸田あやさんが、父の露伴から「後見よ、ソワカ」といわれ、立居振舞の反省をうながされたという一文を思いうかべます。

私たちも「ボージー、ソワカ」と唱えて、

大いなるものに心を運ぶことにしましょう。😄☀️


(「あなただけの般若心経」より)

般若心経の解説49、"波羅僧羯諦"

2016-06-02 12:57:46 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀49


🌸🌸「波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)」🌸🌸


私たちは、ことがすこぶる順調🍀に運び、

ときには他の人たちに抜きんでて注目👀✨されるようになりますと、

「自分ほど偉いものはいない」と思い、

とかく慢心😏が生ずるものです。

また、若さのまっただなかにいるときや、身体の調子🌸がよいときには、

年老いた人👴👵や病気で苦しんでいる人への心くばりを欠きがちになります。🙀

さらに、私たちは生身の人間でもありますから、

自分の立場をよくするためにときにはウソ😈をいってみたり、

お酒を飲みすぎてつい大言壮語🎵をすることもあります。

ささいなことに腹をたてて😠、荒々しい言葉⚡️☔️を発することもあります。

自分を偉く👑みせることをいい、また他人をけなす👎こともあります。

しかし、ひとたび逆境に陥ったとき、

あるいは身の老いを感じるようになり、健康🍀が損なわれはじめますと、

私たちは、誰しも心が沈み☁️☁️、苦悩が頭をもたげてきます。⛅️

思いわずらうことが重なりますと、

正常な判断🌸ができなくなり、ついに迷い🌀がちになります。

迷いは、この世は「もちつもたれつ」なのに、

自分中心⭐️に考えようとすることに起因するといわれています。


このような自分中心⭐️の迷いの生存を、

仏教🌸では「生死(しょうじ)」といいます。

生死を離れて☁️☁️、心💓の安らぎ(成仏)を得るにはどうすれば良いか。


道元禅師は、

「正法眼蔵」の「生死」の巻でこのように説かれています。🎵

心をもてはかることなかれ。

ことばをもていうことなかれ。

ただわが身をも心をも、

はなちわすれて、

仏のいえになげいれて、

仏のかたよりおこなわれて、

これにしたがいもてゆくとき、

ちからをもいれず、

こころをもついやさずして、

生死をはなれて仏となる。

と。

大いなるもの☀️、つまり、ほとけ🌸に、身も心もすべてまかせてしまうことだといわれるのです。😄☀️

「波羅僧羯諦」
(彼岸に全く往ける者よ)

は、苦悩し😵、まよう🌀、わたしたち凡夫の、大いなるほとけ🌸に対する、

身心(しんじん)のはからいを捨てた
呼びかけ🎵であると見ることができるでしょう。😄💓


(「あなただけの般若心経」より)

般若心経の解説48、"波羅羯諦"

2016-06-01 19:36:49 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀48


🌸🌸「波羅羯諦(はらぎゃてい)」🌸🌸


この「波羅羯諦」という真言は、

サンスクリット語「パーラガテー」の音を写したものです。

中村元博士は、

「彼岸に往ける者よ」

また

「彼岸に往けるときに」

という訳を示しておられます。


ともに、
「波羅蜜多」の原語である「パーラミター」(到彼岸、彼岸に到ること)という言葉の

通俗的語源解釈にしたがっていると、
博士はいわれます。


ここでは、

「彼岸」という言葉がキーワードと考えられますので、

以下「彼岸とは何か」について、学ぶことにしましょう。

「彼岸」といいますと、「暑さ寒さも彼岸まで」とよく言われますように、

春(三月)と秋(九月)の1週間にわたって行われます、お彼岸の仏事を思いおこされることでしょう。

この「彼岸会(ひがんえ)」は、
遠く奈良時代から始まるとされていますが、

お盆の行事とともに、私たち日本人にとって、

ひごろの忙しさをしばし休めて、心のふるさとにかえる日です。

また、その原点に触れて、自らを宗教的に育ててゆくよき日でもあります。

純粋清浄にして、理想のさとりの世界を「彼岸☀️」というのに対して、

「此岸(しがん)」という言葉🍀があります。

私たちのこの現実の世界は、苦しみ悩みが多く、とかく迷うことの多い世界です。

これを「此岸🌸」といいます。

「法句経🎵」には次のように説かれています。

かず多き人々のうち、彼岸に達するは、まことかず少なし。

ほかの多くの人々は、
こなたの岸(此岸)の上でさまよう。☁️☁️

と。

仏教🌸では、お釈迦様の原始仏教の時代から、

まよいの「此岸🌸」から、

さとりの「彼岸☀️」へ赴くことを説いています。😄

さまざまな功徳🌸を積み、自らも修行⚡️することによって、

彼岸☀️の世界に渡ることを「到彼岸🌟」というのです。

これは、また「涅槃🌸」ともいいます。

心💓が平安寂静となった安らぎの状態です。

「波羅羯諦」の真言には、

彼岸、つまりさとりを体現した者への崇拝と、

自らも彼岸(さとり)に到ろうという希い✊がこめられていると思われます。😄💕


(「あなただけの般若心経」より)

般若心経の解説47、"羯諦"

2016-05-31 19:12:40 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀47


🌸🌸「羯諦(ぎゃてい)」🌸🌸


昭和63年の夏のことでした。

ご法事の席でわたしは、ある年配の方からこんな話を伺いました。

「太平洋戦争💣🔫のとき、羯諦、羯諦…の真言🍀を書いて、その書きつけを出征兵士にもたせたものでした。

敵の弾💣にあたらないように。
弾がよけて飛んでいくように。

さらに、無事祖国に帰還できますようにと祈りをこめて☀️」と。

初耳👂でした。

そんなこともあったのか、とそのとき思いました。

読者の皆さまのなかにも、戦地に赴く夫や息子や知人に「心経」の真言🌸を書かれたかたもおあわりでしょうか。

さて、この「羯諦、羯諦」とはどんな意味なのでしょうか。

真言は、お経の内容を総括的にそして神秘的にあらわすもので、

古来から翻訳しないこと、

つまり意味をせんさくしないことが一般的ですが、

あえて、その意味🍀をさぐることにしましょう。


中村元博士は、

「往ける者よ、往ける者よ」

という訳を揚げておられます。

「羯諦」の原語は、ガテー(gate)で、

これは、ガター(gata 往ける者)という女性形の名詞🌸の呼びかけの語形です。

それで「往ける者🎵」と訳されます。

「さとりの世界に往ける者よ」

また

「さとりを体現している者よ」

という意味🍀です。

博士はつづけていわれます。

「完全な智慧(プラジュニャーパーラミター prajnaparamita)を

女性的原理とみなして、呼びかけたのであろうと解せられる」と。

しからば、

「羯諦🍀」とは

「完全なる智慧よ☀️」、

つまり
「般若波羅蜜多よ🌸」と同じ意味🍀になります。

ここにも、般若波羅蜜多への崇拝☀️がうかがわれます。

中村博士は、第二義として

「往けるときに、往けるときに」

という訳も示しておられます。

この場合は、

「さとりの世界に往けるときに」

つまり

「般若波羅蜜多というさとりを体現したときに」

という意味🍀に解せられるでしょう。😄🎵


(「あなただけの般若心経」より)