🌸🌸妻の反乱✊🌸🌸
平岩弓枝の小説『女の休暇』は、昭和42年の日本は背景に、農家の嫁のちょっとした「反乱」を描いた物語である。
おそらく戦前から昭和30年代までは、日本の女性は皆「かくあるべし」と、判で押ししたような生き方をしていたのではないだろうか。
それが幸せだったのか、そうでなかったのかは、人それぞれだろうが、
日本の女性たちがその因習から抜け出し、目に見えるカタチで変貌を遂げていくのが昭和40年代ではないかと思う。
いい意味での変貌は主人公・香久子の「反乱」であり、
悪い意味でのそれは東京に嫁いだ彼女の夫の妹・つる子である。
香久子は農家の主婦である。
夜明けと共に起き、義父母と畑でひと仕事。
しばらくすると自分だけ家に戻って朝飯を作る。
それから夜まで「嫁」「妻」「母」の三役を使い分けながらせわしく一日が過ぎて行く。
夏休み前のことだった。
「今年もつる子が子供たちを連れて帰ってくるそうだ」と舅がつぶやく。
7歳と4歳の孫の帰省に舅と姑は歓迎ムードだ。
しかし香久子は面白くない。
前の年もつる子は一ヶ月間も滞在し、
その間、上げ膳・下げ膳で、畑仕事も家事も一切手伝うことはなかった。
「来年は嫌ですよ」と夫に釘を刺しておいたのに、また今年も来るという。
夫は「東京に亭主1人残して一ヶ月もこっちにいるなんて…」と精一杯の反対をしてくれたが、
「たまさかのことだから」と言う両親に押し切られた。
夏休みに入り、つる子が子供たちを連れて帰省してきた。
その夜、香久子はとんでよないことを言い出す。
「私、有紀を連れてしばらく東京に行きます。
普通は家のことが心配でどこにも行けませんでしたが、
つる子さんが来ているので安心して出掛けられます」
つる子は毎年子どもに田舎の生活を体験させてあげたいとやってくる。
自分は娘の有紀に東京を見せてあげたい。
泊まるのはつる子の家だから宿代はかからない。
東京見物をしたがっている親戚の婆さんを連れていくので問題は起こらない、と主張。
さらに「有紀のため」を前面に出したので舅も姑も反対できなくなった。
「してやったり」である。
香久子は随分前から一人でこの計画を立てていた。
しぶしぶ承知したつる子は東京に残してきた夫・均平に電話をする。
「私は少しでも食費を節約するために実家に帰ってきてるんだから、
義姉さんと食事なんかしないでね。
あなた食事を済ませてから帰宅してくださいね」
さて、均平は最初の2日間は、よそよそしくしていたが、家の中がきれいになり、お風呂の黒ずんだタイルも真っ白になり、朝食もすべて手作り。
ゆきとどいた香久子の主婦ぶりに感動し、3日目からは6時に帰宅して香久子の手料理を堪能するようになった。
姪の有紀が母親の手伝いをしているのにも感心した。
「うちの子らはずっとテレビなんですよ」
「朝はフレークだし、夜はスーパーの惣菜ばかりで」。
だんだんつる子への愚痴が多くなる均平だった。
一週間も過ぎた頃、香久子の夫が迎えにきた。
「家が大変なんだ。
つる子は何もしないし、母さんはイライラしている。
それに父さんが
『これからは香久子さんに休暇を与えなきゃな』
と言っている」
かくして、香久子の「反乱」は成功した。
「自分がいなくなったことで家の中が大変なことになっている」
という言葉に充実感を覚え、すっかり気を良くした香久子だった。
この作品が世に出てから40年が過ぎた。
その間、男女の関係も意識も随分様変わりした。
「つる子」のようにしたたかに強くなっただけの女性もいるが、
「香久子」のように一歩踏み出して周囲の意識を変えてきた女性たちも増えた。
男女に関わるいろんな法律や制度もできた。
それでもなお男女の関係がギクシャクしているとしたら、気持ちの問題が大きいと思う。
充実感を与え、気を良くする言葉が足りないのだ。
毎年6月23日から29日は、男女がそれぞれの価値を認め合う社会をつくろうという
「男女共同参画週間」である。
人ごとではない。皆わが家の問題だ。
(「みやざき中央新聞」水谷さん社説より)
平岩弓枝の小説『女の休暇』は、昭和42年の日本は背景に、農家の嫁のちょっとした「反乱」を描いた物語である。
おそらく戦前から昭和30年代までは、日本の女性は皆「かくあるべし」と、判で押ししたような生き方をしていたのではないだろうか。
それが幸せだったのか、そうでなかったのかは、人それぞれだろうが、
日本の女性たちがその因習から抜け出し、目に見えるカタチで変貌を遂げていくのが昭和40年代ではないかと思う。
いい意味での変貌は主人公・香久子の「反乱」であり、
悪い意味でのそれは東京に嫁いだ彼女の夫の妹・つる子である。
香久子は農家の主婦である。
夜明けと共に起き、義父母と畑でひと仕事。
しばらくすると自分だけ家に戻って朝飯を作る。
それから夜まで「嫁」「妻」「母」の三役を使い分けながらせわしく一日が過ぎて行く。
夏休み前のことだった。
「今年もつる子が子供たちを連れて帰ってくるそうだ」と舅がつぶやく。
7歳と4歳の孫の帰省に舅と姑は歓迎ムードだ。
しかし香久子は面白くない。
前の年もつる子は一ヶ月間も滞在し、
その間、上げ膳・下げ膳で、畑仕事も家事も一切手伝うことはなかった。
「来年は嫌ですよ」と夫に釘を刺しておいたのに、また今年も来るという。
夫は「東京に亭主1人残して一ヶ月もこっちにいるなんて…」と精一杯の反対をしてくれたが、
「たまさかのことだから」と言う両親に押し切られた。
夏休みに入り、つる子が子供たちを連れて帰省してきた。
その夜、香久子はとんでよないことを言い出す。
「私、有紀を連れてしばらく東京に行きます。
普通は家のことが心配でどこにも行けませんでしたが、
つる子さんが来ているので安心して出掛けられます」
つる子は毎年子どもに田舎の生活を体験させてあげたいとやってくる。
自分は娘の有紀に東京を見せてあげたい。
泊まるのはつる子の家だから宿代はかからない。
東京見物をしたがっている親戚の婆さんを連れていくので問題は起こらない、と主張。
さらに「有紀のため」を前面に出したので舅も姑も反対できなくなった。
「してやったり」である。
香久子は随分前から一人でこの計画を立てていた。
しぶしぶ承知したつる子は東京に残してきた夫・均平に電話をする。
「私は少しでも食費を節約するために実家に帰ってきてるんだから、
義姉さんと食事なんかしないでね。
あなた食事を済ませてから帰宅してくださいね」
さて、均平は最初の2日間は、よそよそしくしていたが、家の中がきれいになり、お風呂の黒ずんだタイルも真っ白になり、朝食もすべて手作り。
ゆきとどいた香久子の主婦ぶりに感動し、3日目からは6時に帰宅して香久子の手料理を堪能するようになった。
姪の有紀が母親の手伝いをしているのにも感心した。
「うちの子らはずっとテレビなんですよ」
「朝はフレークだし、夜はスーパーの惣菜ばかりで」。
だんだんつる子への愚痴が多くなる均平だった。
一週間も過ぎた頃、香久子の夫が迎えにきた。
「家が大変なんだ。
つる子は何もしないし、母さんはイライラしている。
それに父さんが
『これからは香久子さんに休暇を与えなきゃな』
と言っている」
かくして、香久子の「反乱」は成功した。
「自分がいなくなったことで家の中が大変なことになっている」
という言葉に充実感を覚え、すっかり気を良くした香久子だった。
この作品が世に出てから40年が過ぎた。
その間、男女の関係も意識も随分様変わりした。
「つる子」のようにしたたかに強くなっただけの女性もいるが、
「香久子」のように一歩踏み出して周囲の意識を変えてきた女性たちも増えた。
男女に関わるいろんな法律や制度もできた。
それでもなお男女の関係がギクシャクしているとしたら、気持ちの問題が大きいと思う。
充実感を与え、気を良くする言葉が足りないのだ。
毎年6月23日から29日は、男女がそれぞれの価値を認め合う社会をつくろうという
「男女共同参画週間」である。
人ごとではない。皆わが家の問題だ。
(「みやざき中央新聞」水谷さん社説より)