🏉🏉ラグビーワールドカップ🏉🏉
4年に1度、ラグビー🏉世界一🌏を決める第9回ワールドカップ(W杯)日本大会は、南アフリカ🌸の優勝👑で幕を閉じました。
南アフリカ🌸は2007年以来3大会ぶり3度目の優勝👑でした。
W杯ロスを味わっているいま、改めてラグビー🏉と今大会について考えてみました。😊🎵
1823年、ラグビー(正式名称はラグビーフットボール)は、
名門パブリックスクール🏫のラグビー校🏫で生まれたといわれます。🌸
パブリックスクール🏫は、イギリス🇬🇧では私立校🌸に当たります。
地主階級🌸「ジェントリ」が、やがて貴族も合わせて
「ジェントルマン=紳士🌸」と呼ばれるようになり、
彼らを養成🍀する学校🏫として発展🌟しました。
その中でもさらに名門とされるのが、ラグビー校を含む「ザ・ナイン」と呼ばれる九校🏫で、
イギリスの指導層の大半は、その出身者🌸で占められています。
ラグビー校の卒業生🍀たちが進学先のケンブリッジ大学🏫でラグビー🏉を広めたことで、
当時の上流階級⛪️を中心💓に一般化💚したといいます。
パブリックスクール🏫においてラグビー🏉は重要⚠️なスポーツ🎵です。
ラグビー🏉をすることで、フィジカル💪(肉体)もメンタル⚡️(精神)も鍛えられるからです。
そして、何より、自分のためではなくチーム🌸のためにプレーすることの大切さ🍀に気づき🌟、
フェアプレイ🍀の精神を学べるからです。
その精神⚡️はイギリスの指導層における
「ノブレス・オブリージュ」
(恵まれた才能と環境🍀に生まれた真のエリートは率先⚡️して社会の責任🌸を果たす義務がある)
という伝統🌸とも繋がっていると言えるでしょう。😊🎵
ラグビー🏉では他の競技で見られるような、選手がレフリーに詰め寄って文句💢を言っている姿がめったに見られません。
レフェリーという存在✨が選手からリスペクト🌸(尊敬)されていて、
レフェリーの判断⚡️が非常に重い意味🍀を持つのです。
ラグビー🏉は、屈強な選手たちが体をぶつけ合う競技でありながら、
「紳士のスポーツ」と言われ、
規律(ディシプリン)が重んじられます。
レフェリーへの接し方も、その一つと言いますが、
そうした姿勢🌸はプレイヤーだけでなく観客者🍀の側にも共通🌟しています。
W杯👑日本🇯🇵大会は、9月24日から11月2日まで44日間、日本各地で熱戦💓😍が繰り広げられました。
日本代表は強豪✊ぞろいの一次リーグを4戦全勝🌸で終え、史上初の8強入りと、
決勝トーナメント進出🌟を果たし世界を驚かせ😵ました。
その戦いぶりは4年前よりずっと進化⚡️し、
すべての試合🍀は私たちに興奮😍と感動😭を与えてくれました。
私は、1964年の東京五輪🌈で、
「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボール🏐日本チームが、
体格において遥かに勝るソ連チームを打ち負かし、
金メダル🥇に輝いた時のことを思い出しました。😊🎵
当時、私はアメリカ🇺🇸に滞在していましたが、
「東洋の魔女」の活躍は遠くアメリカまでも伝わって🎵きました。
当時のことを彷佛とさせるほど、
今回のW杯👑における日本人の熱狂ぶり🔥はものすごい😍ものがありました。
私は今大会をテレビで残らず観戦🌸しましたが、
日本にいながら世界の一流🌟選手のゲームを観戦できることの幸せ💕を感じました。
印象的🌸だったのは、大会2日目に南アフリカ代表との大一番を制したニュージーランド代表を皮切りに、
アイルランド🇮🇪、イタリア🇮🇹、サモア、ナミビア、ウェールズ🏴といったチームが、
勝敗にこだわらず、試合後は1列に並んで日本式のお辞儀⤵️して観客に感謝🌸の気持ち💓を伝える姿でした。
試合後に感謝🌸の気持ち💓をお辞儀で表す。
これが今大会だけで終わらず、今後も世界のラグビー界🏉で続くようになれば、
W杯日本🇯🇵開催の思いがけないレガシ(遺産)になるはずです。
また、試合後、「ノーサイド」(敵味方なく)で選手🍀がだがいを抱き合い、
お互いの健闘をたたえ会う💕姿は実に清々しい✨ものでした。
そしてノーサイドは選手🍀だけのものではなく、
スタンドでは両チームのサポーターが笑顔😊で記念写真📷に収まっていました。
実は本場の英語圏で今は使われない「ノーサイド」(試合終了)というラグビー🏉用語が、
ラグビーの精神⚡️を表すものとして、今回改めて日本🇯🇵から発信🌟されたといってよいでしょう。😊🎵
それぞれのサポーター💕が交ざり合って、座るW杯式の観客席というのは、日本の試合ではあまり見られないものでした。
この「ノーサイドの精神」がさらに日本🇯🇵で広まってほしいものだと思います。😊🍀
日本🇯🇵代表チームの選手の国籍🌎は様々で、代表31人中15人が外国籍🌏でした。
これも他のスポーツではあまり見られない光景🌸です。
日本代表チームに外国籍選手が多いことに関しては当初、批判的💢な意見もあったようです。
しかし、その戦いぶり✊を見ている中で、そのような声🎵はいつの間にか鳴りをひそめました。
選手たちのW杯までの道のりがメディア📺で紹介されて、彼らが血のにじむ努力🌸の上に、日本代表🇯🇵として、
日本人の精神⚡️を自らのものとして戦ってくれたことに、
多くの日本人は驚き😵と感動💓を抱いたのです。
彼らは並々ならぬ思い💓で日本🇯🇵の代表🍀を務めています。
なぜなら、
「一度でもどこかの国での代表歴🌸があると、
別の国で代表選手となることはできない🚫」
というルール📖が存在🌸するからです。
一度日本代表になってしまうと、
自国の代表🍀になることはできないのです。
ラグビー日本🇯🇵代表は国外出身の選手やジェイミー・ジョセフヘッドコーチら外国人スタッフも含めて、
全員🌸が日本の国歌🎵「君が代」を覚え、歌っています。
それだけの覚悟🌟を持って日本代表に選ばれているからこそ、
私たちも国を挙げて応援🌸できたのだと思います。
日本代表チーム🎵のメンタルコーチ荒木香織さんは
「日本代表チームの選手🍀たちに何か共通点🌟はありますか」
との問いに、
「高校🏫や大学🏫で日本一🇯🇵を経験していない人が多いですね。😊
すごくラグビー🏉が好き💕でみんな優しかった。
黙々とチームのためにプレー🌸し、他人に共感💓できる選手が残っている気がしました。
わがままな選手🍀は一人もいなかったです」
と答えています。
日本ラグビー🏉の歴史を変えた男たちは、
ラグビーが好き💕で優しくて思いやりの心を持っていた。
ラグビーを愛する💕人は、それを知っただけでも嬉しく😊なります。
また、前回のW杯👑で一躍有名🌸となった五郎丸歩氏は
「ラグビーが注目👀されている今だからこそ日本🇯🇵代表にいる外国人選手🌸にもスポットを当ててほしい。😊
彼らは母国🌸の代表より日本🇯🇵を選び、
日本🇯🇵のために戦っている最高の仲間🍀であり、
国籍は違うが日本を背負っている😊」
とツイッターで発信しました。
元駐中国大使の宮本雄二氏は、2015年W杯での日本代表🌸の活躍を受け、
同年10月の日本経済新聞📰のコラム『明日への話題』での中で、
「欧州🌍の国家はDNAより、文化🌸を重視した区分けである」
と説明🍀しました。
「DNAの研究が進み日本人自身、縄文時代から多様なルーツ🎵を持っていたことがわかってきた。🌟
そうなると、そろそろ血統💕だけではなく文化🌸を重視した日本人論が出てもいい。
ラグビー日本🇯🇵代表の選考基準🍀は、我々にそのことを考えさせる重要⚠️なきっかけを作ってくれたのではないだろうか」
と書き、日本代表🌸が今後の日本社会🌆のあり方のモデルの1つとなりうるという考えを示したのは実に興味🌸深いことです。
今回のW杯👑を制した南アフリカにとってのラグビー🏉は、この国を象徴🌸する特別なスポーツです。
1995年第3回ワールドカップ👑はその南アフリカが初出場🌸でホスト国を務めた特別な大会でした。
アパルトヘイト(人種隔離政策)が廃止🚫され、
ネルソン・マンデラが黒人初の大統領👑に就任したのは1994年。
マンデラは黒人⚫️と白人⚪️の融和🌸を成し遂げたいと願い、
報復を恐れる白人の不安を緩和させるため、
白人中心💓のスポーツでアパルトヘイトの象徴🌸と言われ、不人気であったラグビー🏉の代表チームを、11年ぶりに編成しました。
そして、異なる人種🍀が協力する✊必要性を訴え、
白人への敵対心が拭えない人々に対して、
「(ナショナルチームの)スプリングボクスを応援🌸してほしい」
と説いて回り、スプリングボクスを
「マイ・ボーイズ🎵」と呼んで応援🌸してしたのです。
アパルトヘイト政策をとっていた南アは
制裁により1985年から91年まで国際🌍試合をしてもらえませんでした。
だからこそW杯には南アの国際社会復帰🌸をアピール🎵する狙いが込められていました。
その時、南アのラグビー史上初、
そしてただ1人の "黒人" 代表選手が、「黒い真珠」と呼ばれた
"快速" チェスター・ウィリアムスです。
残りの25人は全員白人⚪️でした。
迎えた開会式。
マンデルは前日のチーム激励⚡️の際にもらった緑(スプリングボックスのチームから)のキャップ🧢をかぶってグラウンドに登場🌸し、大歓声🎵を浴びました。
最大の理解者🌟に守られた選手🍀たちは、
国全体のために戦うことを誓い✊、
新しい国歌🎵を誇り高く歌いました。
国民和解🍀の象徴🌸として、黒人運動で盛んに歌われた
「神よ、アフリカに祝福🌸を」
(コサ語、ズールー語、ソト語)
と旧国歌
「南アフリカの叫び」
(アフリカーンス語、英語)
を1つに編曲🎵した新しい国家
「虹色🌈国歌」が5つの言語🍀で歌われました。
すべての国民を代表🌸する新国家を建設すると宣言🎵したマンデラの願いが新しい国歌🎵には込められていたのです。
マンデラが投獄されていた当時の囚人番号「46664」をジャージに縫い付けた南ア代表は、
「ワン・チーム、ワン・カントリー」
のスローガン🎵のもと快進撃💢を続け、決勝進出を遂げました。😊🌸
6月24日、マンデラの長年にわたる努力🌸と苦労が実を結びます。
黒人も白人も、あらゆる肌の色を持つ国民がスプリングボックスを応援🌸し、
ニュージーランド🇳🇿代表との激闘💢の末、
南アフリカは優勝👑🎊を遂げたのです。
会場は「ネルソン!ネルソン!」の大合唱🎵でした。
主将🌸のフランソワ・ピナールがカップを高々と掲げ、
マンデラは笑顔😊で手を何度も突き上げました。⤴️⤴️✊
マンデラがピナール主将🌸に優勝杯を渡した場面は、
ラグビー🏉史上最も印象的💓なシーンの1つといわれます。
まさにスタジアムの観客🌸だけでなく、南アは国民4300万人の願い✊と祈り🙏がもたらした勝利👑でした。
2007年のW杯、南アにとって2度目の優勝👑は、いまの多くの代表選手の心💓に刻まれました。
2019年のW杯主将🌸を務めたシヤ・コリシもその1人です。
「家にテレビがなかったので居酒屋で見た」
というコリシは
「優勝👑が国に何をもたらしたのか覚えている。
今回も同じことをしたい😊」
と語り、主将🌸という大役を務め切りました。
そして試合後、
「一丸となって困難に立ち向かいは国として何を成し遂げられるかを示せた勝利👑になった」
と話ました。😊🎵
黒人選手⚫️として初めて南ア代表の主将🌸になったコリシは、
ウェブ・エリス・カップ(W杯👑の優勝トロフィー)を母国の国民に捧げました。
感極まった😭様子で、
「私たちの国には本当に多くの問題⚠️がある。
今回も異なるバックグラウンド、人種🍀が集まったチームだったが、
1つの目標を持ってまとまり、優勝👑したいと思っていた」
と語りました。😊🎵
コリシによれば、南アを率いるラシー・エラスムスヘッドコーチもまた、
「チームのためだけでなく国民のために戦おう」
と励ましたといいます。😊🎵
母国からたくさんのメッセージ🎵をもらったコリシは、
「生まれてから、こんな南アフリカ🌸を見たことはなかった」
「本当にありがとうございました。
南アフリカが大好き💕。
一つになれば何だって成し遂げられる✊」
とつけ加えました。😂
1995年はチェスター1人だった南ア代表の非白人選手は、今大会では11人まで増え⤴️ました。
南アではラグビーはもはや白人のスポーツではなくなったのです。😊🍀
私はいま、日本🇯🇵においてW杯が行われたことの意味🍀は大きいと感じています。
興奮🌸と熱狂😍に沸き上がった日本人(私もその1人でしたが)の姿を眺めて、
スポーツには一瞬⚡️にして空気☁️を変え、
流れを変える大きな力✊があることを改めて感じたからです。😊
おそらく多くの国民の強い思いが、うねりとなって現状🌸を変える大きなエネルギー⚡️を生むのでしょう。
今大会の日本VSスコットランド戦は、台風19号🌀の影響で開催が危ぶまれました。
その一部始終を目の当たりにした英国🇬🇧ガーディアン紙の記者は、
日本人の「おもてなし」に感銘し記事📰にしています。
「ラグビー協会🏉は、当日の開催の有無を日本の組織委員🌸に委ねた。
堤防が壊れ、川は溢れ、会場の近くで100万人が避難し、
多数の方が行方不明、その時点では犠牲者の数さえ把握できない状況🌸だった。
にもかかわらず、彼らは開催🌟を決定した。
組織委員🌸は、スタジアムに泊まり込んで、
更衣室から水💧を吸い出し、
ピッチに流れ込んだ泥やゴミを一掃し💨、
政府🏛や交通機関🚄と協力し、開催に向け困難な課題🌸に取り組んだ。
まさに開催国としてのおもてなしの心💓で動いた。
W杯開催にあたって日本🇯🇵では、
『おもてなし』とは何かを問う議論が活発になされてきた。
日本で過ごした記者は、日本人の『おもてなし』とは、客人を喜ばせる💕ために全力✊を尽くすことで、
その姿は他国の予想☁️をはるかに上回るものだった」。
国際統括団体ワールドラクビー🏉のボーモント会長は、
すべてのレベルで際立った成功👑を収めた日本🇯🇵開催を高く評価💕し、
「将来W杯が日本で再び開催🌸されることに躊躇(ちゅうちょ)はない」
と話しています。
惜しくも3年前に他界した「ミスターラグビー」平尾誠二氏は10年後、20年後に日本がW杯で優勝🎊するという夢🌈を抱いていました。
それが「夢」ではなくなる日が来る。
いま私はそう強く思えるのです。😊🎵
(「致知」1月号 村上和雄さんより)
4年に1度、ラグビー🏉世界一🌏を決める第9回ワールドカップ(W杯)日本大会は、南アフリカ🌸の優勝👑で幕を閉じました。
南アフリカ🌸は2007年以来3大会ぶり3度目の優勝👑でした。
W杯ロスを味わっているいま、改めてラグビー🏉と今大会について考えてみました。😊🎵
1823年、ラグビー(正式名称はラグビーフットボール)は、
名門パブリックスクール🏫のラグビー校🏫で生まれたといわれます。🌸
パブリックスクール🏫は、イギリス🇬🇧では私立校🌸に当たります。
地主階級🌸「ジェントリ」が、やがて貴族も合わせて
「ジェントルマン=紳士🌸」と呼ばれるようになり、
彼らを養成🍀する学校🏫として発展🌟しました。
その中でもさらに名門とされるのが、ラグビー校を含む「ザ・ナイン」と呼ばれる九校🏫で、
イギリスの指導層の大半は、その出身者🌸で占められています。
ラグビー校の卒業生🍀たちが進学先のケンブリッジ大学🏫でラグビー🏉を広めたことで、
当時の上流階級⛪️を中心💓に一般化💚したといいます。
パブリックスクール🏫においてラグビー🏉は重要⚠️なスポーツ🎵です。
ラグビー🏉をすることで、フィジカル💪(肉体)もメンタル⚡️(精神)も鍛えられるからです。
そして、何より、自分のためではなくチーム🌸のためにプレーすることの大切さ🍀に気づき🌟、
フェアプレイ🍀の精神を学べるからです。
その精神⚡️はイギリスの指導層における
「ノブレス・オブリージュ」
(恵まれた才能と環境🍀に生まれた真のエリートは率先⚡️して社会の責任🌸を果たす義務がある)
という伝統🌸とも繋がっていると言えるでしょう。😊🎵
ラグビー🏉では他の競技で見られるような、選手がレフリーに詰め寄って文句💢を言っている姿がめったに見られません。
レフェリーという存在✨が選手からリスペクト🌸(尊敬)されていて、
レフェリーの判断⚡️が非常に重い意味🍀を持つのです。
ラグビー🏉は、屈強な選手たちが体をぶつけ合う競技でありながら、
「紳士のスポーツ」と言われ、
規律(ディシプリン)が重んじられます。
レフェリーへの接し方も、その一つと言いますが、
そうした姿勢🌸はプレイヤーだけでなく観客者🍀の側にも共通🌟しています。
W杯👑日本🇯🇵大会は、9月24日から11月2日まで44日間、日本各地で熱戦💓😍が繰り広げられました。
日本代表は強豪✊ぞろいの一次リーグを4戦全勝🌸で終え、史上初の8強入りと、
決勝トーナメント進出🌟を果たし世界を驚かせ😵ました。
その戦いぶりは4年前よりずっと進化⚡️し、
すべての試合🍀は私たちに興奮😍と感動😭を与えてくれました。
私は、1964年の東京五輪🌈で、
「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボール🏐日本チームが、
体格において遥かに勝るソ連チームを打ち負かし、
金メダル🥇に輝いた時のことを思い出しました。😊🎵
当時、私はアメリカ🇺🇸に滞在していましたが、
「東洋の魔女」の活躍は遠くアメリカまでも伝わって🎵きました。
当時のことを彷佛とさせるほど、
今回のW杯👑における日本人の熱狂ぶり🔥はものすごい😍ものがありました。
私は今大会をテレビで残らず観戦🌸しましたが、
日本にいながら世界の一流🌟選手のゲームを観戦できることの幸せ💕を感じました。
印象的🌸だったのは、大会2日目に南アフリカ代表との大一番を制したニュージーランド代表を皮切りに、
アイルランド🇮🇪、イタリア🇮🇹、サモア、ナミビア、ウェールズ🏴といったチームが、
勝敗にこだわらず、試合後は1列に並んで日本式のお辞儀⤵️して観客に感謝🌸の気持ち💓を伝える姿でした。
試合後に感謝🌸の気持ち💓をお辞儀で表す。
これが今大会だけで終わらず、今後も世界のラグビー界🏉で続くようになれば、
W杯日本🇯🇵開催の思いがけないレガシ(遺産)になるはずです。
また、試合後、「ノーサイド」(敵味方なく)で選手🍀がだがいを抱き合い、
お互いの健闘をたたえ会う💕姿は実に清々しい✨ものでした。
そしてノーサイドは選手🍀だけのものではなく、
スタンドでは両チームのサポーターが笑顔😊で記念写真📷に収まっていました。
実は本場の英語圏で今は使われない「ノーサイド」(試合終了)というラグビー🏉用語が、
ラグビーの精神⚡️を表すものとして、今回改めて日本🇯🇵から発信🌟されたといってよいでしょう。😊🎵
それぞれのサポーター💕が交ざり合って、座るW杯式の観客席というのは、日本の試合ではあまり見られないものでした。
この「ノーサイドの精神」がさらに日本🇯🇵で広まってほしいものだと思います。😊🍀
日本🇯🇵代表チームの選手の国籍🌎は様々で、代表31人中15人が外国籍🌏でした。
これも他のスポーツではあまり見られない光景🌸です。
日本代表チームに外国籍選手が多いことに関しては当初、批判的💢な意見もあったようです。
しかし、その戦いぶり✊を見ている中で、そのような声🎵はいつの間にか鳴りをひそめました。
選手たちのW杯までの道のりがメディア📺で紹介されて、彼らが血のにじむ努力🌸の上に、日本代表🇯🇵として、
日本人の精神⚡️を自らのものとして戦ってくれたことに、
多くの日本人は驚き😵と感動💓を抱いたのです。
彼らは並々ならぬ思い💓で日本🇯🇵の代表🍀を務めています。
なぜなら、
「一度でもどこかの国での代表歴🌸があると、
別の国で代表選手となることはできない🚫」
というルール📖が存在🌸するからです。
一度日本代表になってしまうと、
自国の代表🍀になることはできないのです。
ラグビー日本🇯🇵代表は国外出身の選手やジェイミー・ジョセフヘッドコーチら外国人スタッフも含めて、
全員🌸が日本の国歌🎵「君が代」を覚え、歌っています。
それだけの覚悟🌟を持って日本代表に選ばれているからこそ、
私たちも国を挙げて応援🌸できたのだと思います。
日本代表チーム🎵のメンタルコーチ荒木香織さんは
「日本代表チームの選手🍀たちに何か共通点🌟はありますか」
との問いに、
「高校🏫や大学🏫で日本一🇯🇵を経験していない人が多いですね。😊
すごくラグビー🏉が好き💕でみんな優しかった。
黙々とチームのためにプレー🌸し、他人に共感💓できる選手が残っている気がしました。
わがままな選手🍀は一人もいなかったです」
と答えています。
日本ラグビー🏉の歴史を変えた男たちは、
ラグビーが好き💕で優しくて思いやりの心を持っていた。
ラグビーを愛する💕人は、それを知っただけでも嬉しく😊なります。
また、前回のW杯👑で一躍有名🌸となった五郎丸歩氏は
「ラグビーが注目👀されている今だからこそ日本🇯🇵代表にいる外国人選手🌸にもスポットを当ててほしい。😊
彼らは母国🌸の代表より日本🇯🇵を選び、
日本🇯🇵のために戦っている最高の仲間🍀であり、
国籍は違うが日本を背負っている😊」
とツイッターで発信しました。
元駐中国大使の宮本雄二氏は、2015年W杯での日本代表🌸の活躍を受け、
同年10月の日本経済新聞📰のコラム『明日への話題』での中で、
「欧州🌍の国家はDNAより、文化🌸を重視した区分けである」
と説明🍀しました。
「DNAの研究が進み日本人自身、縄文時代から多様なルーツ🎵を持っていたことがわかってきた。🌟
そうなると、そろそろ血統💕だけではなく文化🌸を重視した日本人論が出てもいい。
ラグビー日本🇯🇵代表の選考基準🍀は、我々にそのことを考えさせる重要⚠️なきっかけを作ってくれたのではないだろうか」
と書き、日本代表🌸が今後の日本社会🌆のあり方のモデルの1つとなりうるという考えを示したのは実に興味🌸深いことです。
今回のW杯👑を制した南アフリカにとってのラグビー🏉は、この国を象徴🌸する特別なスポーツです。
1995年第3回ワールドカップ👑はその南アフリカが初出場🌸でホスト国を務めた特別な大会でした。
アパルトヘイト(人種隔離政策)が廃止🚫され、
ネルソン・マンデラが黒人初の大統領👑に就任したのは1994年。
マンデラは黒人⚫️と白人⚪️の融和🌸を成し遂げたいと願い、
報復を恐れる白人の不安を緩和させるため、
白人中心💓のスポーツでアパルトヘイトの象徴🌸と言われ、不人気であったラグビー🏉の代表チームを、11年ぶりに編成しました。
そして、異なる人種🍀が協力する✊必要性を訴え、
白人への敵対心が拭えない人々に対して、
「(ナショナルチームの)スプリングボクスを応援🌸してほしい」
と説いて回り、スプリングボクスを
「マイ・ボーイズ🎵」と呼んで応援🌸してしたのです。
アパルトヘイト政策をとっていた南アは
制裁により1985年から91年まで国際🌍試合をしてもらえませんでした。
だからこそW杯には南アの国際社会復帰🌸をアピール🎵する狙いが込められていました。
その時、南アのラグビー史上初、
そしてただ1人の "黒人" 代表選手が、「黒い真珠」と呼ばれた
"快速" チェスター・ウィリアムスです。
残りの25人は全員白人⚪️でした。
迎えた開会式。
マンデルは前日のチーム激励⚡️の際にもらった緑(スプリングボックスのチームから)のキャップ🧢をかぶってグラウンドに登場🌸し、大歓声🎵を浴びました。
最大の理解者🌟に守られた選手🍀たちは、
国全体のために戦うことを誓い✊、
新しい国歌🎵を誇り高く歌いました。
国民和解🍀の象徴🌸として、黒人運動で盛んに歌われた
「神よ、アフリカに祝福🌸を」
(コサ語、ズールー語、ソト語)
と旧国歌
「南アフリカの叫び」
(アフリカーンス語、英語)
を1つに編曲🎵した新しい国家
「虹色🌈国歌」が5つの言語🍀で歌われました。
すべての国民を代表🌸する新国家を建設すると宣言🎵したマンデラの願いが新しい国歌🎵には込められていたのです。
マンデラが投獄されていた当時の囚人番号「46664」をジャージに縫い付けた南ア代表は、
「ワン・チーム、ワン・カントリー」
のスローガン🎵のもと快進撃💢を続け、決勝進出を遂げました。😊🌸
6月24日、マンデラの長年にわたる努力🌸と苦労が実を結びます。
黒人も白人も、あらゆる肌の色を持つ国民がスプリングボックスを応援🌸し、
ニュージーランド🇳🇿代表との激闘💢の末、
南アフリカは優勝👑🎊を遂げたのです。
会場は「ネルソン!ネルソン!」の大合唱🎵でした。
主将🌸のフランソワ・ピナールがカップを高々と掲げ、
マンデラは笑顔😊で手を何度も突き上げました。⤴️⤴️✊
マンデラがピナール主将🌸に優勝杯を渡した場面は、
ラグビー🏉史上最も印象的💓なシーンの1つといわれます。
まさにスタジアムの観客🌸だけでなく、南アは国民4300万人の願い✊と祈り🙏がもたらした勝利👑でした。
2007年のW杯、南アにとって2度目の優勝👑は、いまの多くの代表選手の心💓に刻まれました。
2019年のW杯主将🌸を務めたシヤ・コリシもその1人です。
「家にテレビがなかったので居酒屋で見た」
というコリシは
「優勝👑が国に何をもたらしたのか覚えている。
今回も同じことをしたい😊」
と語り、主将🌸という大役を務め切りました。
そして試合後、
「一丸となって困難に立ち向かいは国として何を成し遂げられるかを示せた勝利👑になった」
と話ました。😊🎵
黒人選手⚫️として初めて南ア代表の主将🌸になったコリシは、
ウェブ・エリス・カップ(W杯👑の優勝トロフィー)を母国の国民に捧げました。
感極まった😭様子で、
「私たちの国には本当に多くの問題⚠️がある。
今回も異なるバックグラウンド、人種🍀が集まったチームだったが、
1つの目標を持ってまとまり、優勝👑したいと思っていた」
と語りました。😊🎵
コリシによれば、南アを率いるラシー・エラスムスヘッドコーチもまた、
「チームのためだけでなく国民のために戦おう」
と励ましたといいます。😊🎵
母国からたくさんのメッセージ🎵をもらったコリシは、
「生まれてから、こんな南アフリカ🌸を見たことはなかった」
「本当にありがとうございました。
南アフリカが大好き💕。
一つになれば何だって成し遂げられる✊」
とつけ加えました。😂
1995年はチェスター1人だった南ア代表の非白人選手は、今大会では11人まで増え⤴️ました。
南アではラグビーはもはや白人のスポーツではなくなったのです。😊🍀
私はいま、日本🇯🇵においてW杯が行われたことの意味🍀は大きいと感じています。
興奮🌸と熱狂😍に沸き上がった日本人(私もその1人でしたが)の姿を眺めて、
スポーツには一瞬⚡️にして空気☁️を変え、
流れを変える大きな力✊があることを改めて感じたからです。😊
おそらく多くの国民の強い思いが、うねりとなって現状🌸を変える大きなエネルギー⚡️を生むのでしょう。
今大会の日本VSスコットランド戦は、台風19号🌀の影響で開催が危ぶまれました。
その一部始終を目の当たりにした英国🇬🇧ガーディアン紙の記者は、
日本人の「おもてなし」に感銘し記事📰にしています。
「ラグビー協会🏉は、当日の開催の有無を日本の組織委員🌸に委ねた。
堤防が壊れ、川は溢れ、会場の近くで100万人が避難し、
多数の方が行方不明、その時点では犠牲者の数さえ把握できない状況🌸だった。
にもかかわらず、彼らは開催🌟を決定した。
組織委員🌸は、スタジアムに泊まり込んで、
更衣室から水💧を吸い出し、
ピッチに流れ込んだ泥やゴミを一掃し💨、
政府🏛や交通機関🚄と協力し、開催に向け困難な課題🌸に取り組んだ。
まさに開催国としてのおもてなしの心💓で動いた。
W杯開催にあたって日本🇯🇵では、
『おもてなし』とは何かを問う議論が活発になされてきた。
日本で過ごした記者は、日本人の『おもてなし』とは、客人を喜ばせる💕ために全力✊を尽くすことで、
その姿は他国の予想☁️をはるかに上回るものだった」。
国際統括団体ワールドラクビー🏉のボーモント会長は、
すべてのレベルで際立った成功👑を収めた日本🇯🇵開催を高く評価💕し、
「将来W杯が日本で再び開催🌸されることに躊躇(ちゅうちょ)はない」
と話しています。
惜しくも3年前に他界した「ミスターラグビー」平尾誠二氏は10年後、20年後に日本がW杯で優勝🎊するという夢🌈を抱いていました。
それが「夢」ではなくなる日が来る。
いま私はそう強く思えるのです。😊🎵
(「致知」1月号 村上和雄さんより)
🍀🍀協生農法🍀🍀③
(様々な先生、分野から影響☁️を受けていく中で、どのように協生農法🍀を確立していかれたのか)
🔹船橋、先にお話ししたように、大学🏫で生物学📗や物理学📓をいくら学んでも、
子供の頃に見ていた生物の輝き✨、生命観✨のようなものからどんどん遠ざかって😵しまう、
生命の本質🌟に至ることはできない、
環境問題🏭や健康問題🍀も解決できないという思いがずっとありました。
そういう中で、高橋先生や榊原先生の方法論🌸から多くの学び✊を得ながら、
桜自然塾の大塚隆さんとの出会い🌟を経て辿り着いたのが協生農法🍀でした。
詳細は専門的になるので割愛⚡️しますが、
農学的な生産法🍀と、草ぼうぼうの自然状態🌲における生態系の生産量を説明🍀する理論🌸を接続することを思いつき、
実際にその仕事🍀をやりました。
紙📄と鉛筆✏️、計算機🔢をちょっと使って。
ただ、理論を確立すること自体は思ったより簡単🌸で、
大学院を卒業して2010年にソニーコンピューターサイエンス研究所🏢に来てから、
大体2年〜3年ほどで本質的な部分は確立🌟できたと思います。
(理論は簡単🌸にできても実践は大変だったのではないですか)
🔹船橋、そうですね。
まずは地元の神奈川で、耕作放棄地を借りて実験🌸を開始しました。
ただ、その土地での実験はソニーコンピューターサイエンス研究所🏢に入る前から個人的に始めていたことでした。
具体的には、土地に400種類くらいの有用植物🍀を入れて、
無耕起、無施肥、無農薬の環境🍀で育つかどうか、
どうすれば最も生態系本来の強さ✊を引き出せるか、データ💻を採っていきました。😊
そして、収穫できたら、食べたり、成分分析📊もして生育具合を確かめる。✊
その繰り返し🔄です。
(どのぐらいで納得🌸できる成果を得ることができたのですか)
🔹船橋、目指す成果🌸、理論と現実🌟とは今も一致してはいません。😊
それは、協生農法🍀では、
300年後、少なくとも50年後の生態系🌸がどうなっているかを、イメージ☁️して、マネジメント🎵しているからです。
時に意図した結果🌸が出ることもあるのですが、
常に理論と現実🌟という2つの軸を行ったり➡️来たり⬅️しながら、
ここまで取り組んで来たというのが実際のところです。😊
ただ、その中でも、先に触れた桜自然塾の協生農園🍀や、西アフリカ🌍のブルキナファソなどでは大きな成果🌸を得ることができています。
(西アフリカでも協生農法🍀を?)
🔹船橋、きっかけは2015年1月にアフリカ🌍の国々が集まるネットワーキングフォーラムで協生農法🍀についてプレゼンテーション💻したことでした。
そこでブルキナファソのNGO団体が協生農法🍀に注目👀してくれて、
彼らの協力🌸のもとに、現地で実証実験🌸をすることになったのです。
土地の気象条件☁️を調べたり、現地で使える有用植物🍀について調査📝したり、
顧みられなくなっていた伝統的な植物🍀を復活🌸させたりしながら、
3ヶ月後に、実験を開始🌟しました。
最初は500平方メートルほどの規模から始めました。😊
ただ、現地の土地は伝統的農業🍀によって砂漠化🐫していて、
別の場所から種が飛んできても発芽しない😵ような環境だったんですね。
(植物が育たない環境だった)
🔹船橋、それでも、他の農法と比較しながら、実験に取り組んでいた結果🌸、
協生農法🍀では早くも6ヶ月で収穫が上がり⤴️始めて、
1年半ほどで、売り上げにして伝統農法の約40倍から150倍の生産性🌸が上がり、😊
1年間で現地の平均国民所得💰の約20倍😊もの売り上げが上がったんです。😊
(それはすごい😵)
🔹船橋、さらに協生農法🍀では、砂漠状態から植生遷移を経て、
最終的に小さな苔から草、光を好む陽樹🌲、
その陽樹の陰で育つ陰樹🌲といった、
すべての植生🍀を1年で定着🌸させることに成功👑しました。😊
農業生産🌸と同時に砂漠の緑化🍀もできるというのは、
少なくとも乾燥地帯の農業🍀では、これまでないことでした。😊🎵
要は、資源があるとか、ないとかいう問題ではなくて、
その地域の生態系🌸を、どううまく使っていけるかが大事🍀なのです。
その他にもいろんなプラス面があって、
例えば、貧しくて治安が悪い国や地域で、
農業🍀、肉体労働✊によって国民の平均の20倍の所得💰が得られることは、
貧困問題😵と、それに起因する健康問題🍀や治安の問題に根本的な解決策🌟を提示しています。
その社会的な意義は非常に大きいと思います。😊🎵
(お話を伺ってきて、協生農法🍀の確立は誰に言われたわけでもない、まさに船橋さんの内から発する強い思い、すなわち内発力🌸により実現してきたのだと感じました😊)
🔹船橋、僕が子供の頃に感じていたのは、
極端に言えば、
この世界に生きていないものはいないんじゃないかと思うくら、
生命💓に満ち溢れて✨いた世界だったんです。
それが、大人になるに従い、機械論的な学問、生命を脅かす😵環境問題🏭や健康問題🍀といった、
いろいろなネガティブな😵ものを経験していくようになって疑問が生じていった。
ただ、そういった経験🌸を総合的に取り込んで、
さらに自分が持っている個性🌸を突き詰めて、
一番社会や自然に対して貢献✊できる活動は何かと考えていた時に気づいたのが協生農法🍀だったんですね。😊🎵
ただ、僕は内発力を高めて技術的に新しいことを実現🌸するためには、
命💓に関わる危機感⚠️のようなものも必要だと思ってきました。
(命💓にかかわる危機感ですか)
🔹船橋、特に技術的に意義のあることを持続していくためには、
あらかじめそれが持つよい面と悪い面を考えておかないと危ないんですね。😊
リスクを考えないで内発力だけを高めても行き詰まると思うのです。
例えば、原子力発電⚡️というのは物理学から見て非常に魅力的な発電方法なのですが、
現実に長期間稼働させるには環境的・社会的リスク😵の方が高くつくことは皆さんご存知🌟の通りです。
ですから、内発力といっても、命💓に対する危機感⚠️・繊細さと、意志の強さを両立させ、
覚悟✊をもって目標実現へと至るトレーニングが構築できるかが大切🍀なんですね。
(繊細さ✨と意志の強さ✊の両方持つことが必要だと)
🔹船橋、それと、僕は物事には
「具体力🌸」と「本質力🌟」があると考えてきました。
「具体力🌸」は実際に目に見える👀成果が挙がることを意味🍀しますが、
協生農法🍀でも、なかなか周囲に理解されないなど、
現実🌸は、3歩進んで、2歩下がる、ということの連続なんですね。😊🎵
それでも、努力した分だけ
「本質力🌟」では、5歩進んでいるんですよ。😊
3歩進んだのに2歩下がってしまっても、
本質力🌟は5歩進んでいる。😊✊
そう捉えれば、困難があっても乗り越えていけるんですね。😊☀️
(具体力と本質力、とても勇気🍀が出るお話です。
最後にこれからの活動の抱負をお願いします)
🔹船橋、一つ知っておいてほしいことは、
経済発展🎵と、多様な生物が持続していきられる健全な文化🌸とは、全く関係ない✊ということです。
いま世間で評価されている商品やサービスというのは、
経済💰を活性化する、豊かに👑するというインセンティブのもとでつくられていますが、
そういうものは、価値観👑が変わった🔄その数百年後には、ほとんど残っていない😵と思います。
現代人が中世の神学者📓の名前をほとんど知らない😵ことと同じです。
ですから、
本当にいま必要なものは何か、
人間が他の生物とともに持続的に生きていくために、何が本当に大事なのかを、ぜひ考えてほしいですね。😊🎵
(何が本当に大事かを考える)
🔹船橋、特に、現在、人間活動🍀によって地球史上6回目の大絶滅😵が起きていると言われています。
いまのレベルの人間活動🌸が数百年続けば、
75%の生物種が絶滅する😵と予測されています。
これは地球史上🌏かつてなかった絶滅速度⚡️です。
農業生産🍀と環境問題🏭・健康問題🍀の相克を根本的に解決する💰ことで、
文明🌸の持続可能性を高め、
結果🌸として、
人間🍀や動植物🌲を含めた全ての生物の最大多数の苦しみを減らして⤵️いくのが協生農法🍀だと考えています。
そのために、これからも協生農法🍀の研究と普及に力✊を尽くし、
自分が子供の頃に見た生き物、生命💓の輝き✨を地球🌏に取り戻し、
皆が生き生きと幸せ💕に協生していける社会🌆を実現🌟していきたいですね。😊🎵
(お・わ・り)
(「致知」9月号 ソニーコンピュータサイエンス研究所 船橋真俊さんより)
(様々な先生、分野から影響☁️を受けていく中で、どのように協生農法🍀を確立していかれたのか)
🔹船橋、先にお話ししたように、大学🏫で生物学📗や物理学📓をいくら学んでも、
子供の頃に見ていた生物の輝き✨、生命観✨のようなものからどんどん遠ざかって😵しまう、
生命の本質🌟に至ることはできない、
環境問題🏭や健康問題🍀も解決できないという思いがずっとありました。
そういう中で、高橋先生や榊原先生の方法論🌸から多くの学び✊を得ながら、
桜自然塾の大塚隆さんとの出会い🌟を経て辿り着いたのが協生農法🍀でした。
詳細は専門的になるので割愛⚡️しますが、
農学的な生産法🍀と、草ぼうぼうの自然状態🌲における生態系の生産量を説明🍀する理論🌸を接続することを思いつき、
実際にその仕事🍀をやりました。
紙📄と鉛筆✏️、計算機🔢をちょっと使って。
ただ、理論を確立すること自体は思ったより簡単🌸で、
大学院を卒業して2010年にソニーコンピューターサイエンス研究所🏢に来てから、
大体2年〜3年ほどで本質的な部分は確立🌟できたと思います。
(理論は簡単🌸にできても実践は大変だったのではないですか)
🔹船橋、そうですね。
まずは地元の神奈川で、耕作放棄地を借りて実験🌸を開始しました。
ただ、その土地での実験はソニーコンピューターサイエンス研究所🏢に入る前から個人的に始めていたことでした。
具体的には、土地に400種類くらいの有用植物🍀を入れて、
無耕起、無施肥、無農薬の環境🍀で育つかどうか、
どうすれば最も生態系本来の強さ✊を引き出せるか、データ💻を採っていきました。😊
そして、収穫できたら、食べたり、成分分析📊もして生育具合を確かめる。✊
その繰り返し🔄です。
(どのぐらいで納得🌸できる成果を得ることができたのですか)
🔹船橋、目指す成果🌸、理論と現実🌟とは今も一致してはいません。😊
それは、協生農法🍀では、
300年後、少なくとも50年後の生態系🌸がどうなっているかを、イメージ☁️して、マネジメント🎵しているからです。
時に意図した結果🌸が出ることもあるのですが、
常に理論と現実🌟という2つの軸を行ったり➡️来たり⬅️しながら、
ここまで取り組んで来たというのが実際のところです。😊
ただ、その中でも、先に触れた桜自然塾の協生農園🍀や、西アフリカ🌍のブルキナファソなどでは大きな成果🌸を得ることができています。
(西アフリカでも協生農法🍀を?)
🔹船橋、きっかけは2015年1月にアフリカ🌍の国々が集まるネットワーキングフォーラムで協生農法🍀についてプレゼンテーション💻したことでした。
そこでブルキナファソのNGO団体が協生農法🍀に注目👀してくれて、
彼らの協力🌸のもとに、現地で実証実験🌸をすることになったのです。
土地の気象条件☁️を調べたり、現地で使える有用植物🍀について調査📝したり、
顧みられなくなっていた伝統的な植物🍀を復活🌸させたりしながら、
3ヶ月後に、実験を開始🌟しました。
最初は500平方メートルほどの規模から始めました。😊
ただ、現地の土地は伝統的農業🍀によって砂漠化🐫していて、
別の場所から種が飛んできても発芽しない😵ような環境だったんですね。
(植物が育たない環境だった)
🔹船橋、それでも、他の農法と比較しながら、実験に取り組んでいた結果🌸、
協生農法🍀では早くも6ヶ月で収穫が上がり⤴️始めて、
1年半ほどで、売り上げにして伝統農法の約40倍から150倍の生産性🌸が上がり、😊
1年間で現地の平均国民所得💰の約20倍😊もの売り上げが上がったんです。😊
(それはすごい😵)
🔹船橋、さらに協生農法🍀では、砂漠状態から植生遷移を経て、
最終的に小さな苔から草、光を好む陽樹🌲、
その陽樹の陰で育つ陰樹🌲といった、
すべての植生🍀を1年で定着🌸させることに成功👑しました。😊
農業生産🌸と同時に砂漠の緑化🍀もできるというのは、
少なくとも乾燥地帯の農業🍀では、これまでないことでした。😊🎵
要は、資源があるとか、ないとかいう問題ではなくて、
その地域の生態系🌸を、どううまく使っていけるかが大事🍀なのです。
その他にもいろんなプラス面があって、
例えば、貧しくて治安が悪い国や地域で、
農業🍀、肉体労働✊によって国民の平均の20倍の所得💰が得られることは、
貧困問題😵と、それに起因する健康問題🍀や治安の問題に根本的な解決策🌟を提示しています。
その社会的な意義は非常に大きいと思います。😊🎵
(お話を伺ってきて、協生農法🍀の確立は誰に言われたわけでもない、まさに船橋さんの内から発する強い思い、すなわち内発力🌸により実現してきたのだと感じました😊)
🔹船橋、僕が子供の頃に感じていたのは、
極端に言えば、
この世界に生きていないものはいないんじゃないかと思うくら、
生命💓に満ち溢れて✨いた世界だったんです。
それが、大人になるに従い、機械論的な学問、生命を脅かす😵環境問題🏭や健康問題🍀といった、
いろいろなネガティブな😵ものを経験していくようになって疑問が生じていった。
ただ、そういった経験🌸を総合的に取り込んで、
さらに自分が持っている個性🌸を突き詰めて、
一番社会や自然に対して貢献✊できる活動は何かと考えていた時に気づいたのが協生農法🍀だったんですね。😊🎵
ただ、僕は内発力を高めて技術的に新しいことを実現🌸するためには、
命💓に関わる危機感⚠️のようなものも必要だと思ってきました。
(命💓にかかわる危機感ですか)
🔹船橋、特に技術的に意義のあることを持続していくためには、
あらかじめそれが持つよい面と悪い面を考えておかないと危ないんですね。😊
リスクを考えないで内発力だけを高めても行き詰まると思うのです。
例えば、原子力発電⚡️というのは物理学から見て非常に魅力的な発電方法なのですが、
現実に長期間稼働させるには環境的・社会的リスク😵の方が高くつくことは皆さんご存知🌟の通りです。
ですから、内発力といっても、命💓に対する危機感⚠️・繊細さと、意志の強さを両立させ、
覚悟✊をもって目標実現へと至るトレーニングが構築できるかが大切🍀なんですね。
(繊細さ✨と意志の強さ✊の両方持つことが必要だと)
🔹船橋、それと、僕は物事には
「具体力🌸」と「本質力🌟」があると考えてきました。
「具体力🌸」は実際に目に見える👀成果が挙がることを意味🍀しますが、
協生農法🍀でも、なかなか周囲に理解されないなど、
現実🌸は、3歩進んで、2歩下がる、ということの連続なんですね。😊🎵
それでも、努力した分だけ
「本質力🌟」では、5歩進んでいるんですよ。😊
3歩進んだのに2歩下がってしまっても、
本質力🌟は5歩進んでいる。😊✊
そう捉えれば、困難があっても乗り越えていけるんですね。😊☀️
(具体力と本質力、とても勇気🍀が出るお話です。
最後にこれからの活動の抱負をお願いします)
🔹船橋、一つ知っておいてほしいことは、
経済発展🎵と、多様な生物が持続していきられる健全な文化🌸とは、全く関係ない✊ということです。
いま世間で評価されている商品やサービスというのは、
経済💰を活性化する、豊かに👑するというインセンティブのもとでつくられていますが、
そういうものは、価値観👑が変わった🔄その数百年後には、ほとんど残っていない😵と思います。
現代人が中世の神学者📓の名前をほとんど知らない😵ことと同じです。
ですから、
本当にいま必要なものは何か、
人間が他の生物とともに持続的に生きていくために、何が本当に大事なのかを、ぜひ考えてほしいですね。😊🎵
(何が本当に大事かを考える)
🔹船橋、特に、現在、人間活動🍀によって地球史上6回目の大絶滅😵が起きていると言われています。
いまのレベルの人間活動🌸が数百年続けば、
75%の生物種が絶滅する😵と予測されています。
これは地球史上🌏かつてなかった絶滅速度⚡️です。
農業生産🍀と環境問題🏭・健康問題🍀の相克を根本的に解決する💰ことで、
文明🌸の持続可能性を高め、
結果🌸として、
人間🍀や動植物🌲を含めた全ての生物の最大多数の苦しみを減らして⤵️いくのが協生農法🍀だと考えています。
そのために、これからも協生農法🍀の研究と普及に力✊を尽くし、
自分が子供の頃に見た生き物、生命💓の輝き✨を地球🌏に取り戻し、
皆が生き生きと幸せ💕に協生していける社会🌆を実現🌟していきたいですね。😊🎵
(お・わ・り)
(「致知」9月号 ソニーコンピュータサイエンス研究所 船橋真俊さんより)
🍀🍀協生農法🍀🍀②
(現在の活動🌸に携わるようになったきっかけを教えてください)
🔹船橋、私は豊かな原生林🌲が残る神奈川県に生まれたのですが、
小さい頃から草むらで遊ぶのがすごく好き💕で、1日何時間でも遊んでいたんですよ。
すばしこいトカゲ🐉を捕まえたりすると、籠(かご)に入れて飼うんですが、😊
トカゲは生きているものしか認識🌟せず食べない性質があるので、
毎日、虫取り網で、蝶🎀やバッタを捕まえて餌にしていました。
また、両親は社会学の研究者📖で忙しく、家の庭は草ぼうぼうの状態で放置され、
私もほったらかしにされていました(笑)。😁
ですから、それこそ協生農法🍀の農園のように、生き物が豊かな庭で一人で遊んで🎵いる時間も長かったんですね。😊
(小さい頃から自然🍀に囲まれて育ったのですね)
🔹船橋、そして遊んでいると、いつの頃からか、自然状態🌸で生きている植物や生物と、
籠などで人間が飼っている状態のものでは、
艶✨というか、
輝き🌟が違うということに気づいた😵んですよ。😊
特に草むらの生物は輝いて✨いるように感じ💓、
私はその自然💚の中で見られる命💓の輝き✨が非常に好き💕だったんです。
(自然の中にいる植物や生物が輝いて✨見えた)
🔹船橋、子供ながらにそれは当然のことだろうと思っていたのですが、
後に周囲の大人🍀に話しても、あまり理解されませんでしたね。😵
また、近くの川が全部どぶ川になっていって、
自分が将来🌸、臭いヘドロ💀の中で生きていくしかないのだろうなと、
暗澹(あんたん)たる気持ち😞で小学校🏫に通っていたのを覚えています。
それも後に環境問題🍀や健康問題🍀を解決したいというバックグラウンドの一つ🌟になりました。
そういう経験🌸から、生物や生命に興味🌸を持ち、
将来は生物学者🔬になろうと思って大学🏫に進んだのです。
ところが、大学で学んだ生物学📗に全く満足できません😵でした。😊
(それはどうしてですか)
🔹船橋、例えば、生命科学🔬といっても、生物、生命を実験室内🚪でモデル化して、
人間が理解できる範囲内に押し込めているだけで、
なぜ生物は生きて🍀いるのか、なぜ自然治癒力🌸を持っているのか、
それこそ、なぜ自然状態のバッタと籠の中にいるバッタとでは輝き✨が違うかなど、
生命の本質的🌟なところは全く解けなかった😵んですね。😊
(大学🏫の勉強では生命💓の本質✨まで迫れなかったのですね)
🔹船橋、フランス🇫🇷の大学🏫にも留学して物理学📓を学び、後に獣医師🐯の資格まで取ったのですが、
生命の本質✨に切り込めないもどかしさが非常にあり、
学生時代の私は知的には、かなり荒れて🌀いましたね。
それに大学🏫の先生と議論💢をしても、特定の種類のウィルスに関してはかなりの専門家だ🔬けど、
それを物理学的なモデルで解釈するのは全く知らないとか、
その先生の弱点😵がすぐわかるんです。
それでも研究室🚪では専門分野だけをやれと言われるので、
先生と喧嘩💢して退学寸前までいきました。
ただ、その中でも決定的🌟な影響☁️受けた人は何人かいて、
その1人が運動科学✨を確立した運動科学研究所の高岡英夫先生🍀です。
高岡先生🍀の運動科学は、人間や動物のあらゆる運動は主観的🌸なもの、客観的☁️なもの含め総合的に説明🍀しようとする学問体系で、
私は19歳のときに本屋🏠で高岡先生の本📖と出会い、全部立ち読みしたにも関わらず、
さらに買って👛帰るほど、非常に衝撃💢を受けました。
(まさに運命の1冊ですね)
🔹船橋、そう言ってもよいかもしれません。
何が衝撃💢だったかというと、単に解剖学💉やバイオメカニクス、生理学といった細分化🍀された知識ではなく、
人間から野生動物に至るまで、
およそ生きて動いている状態の運動現象を総じて扱う、非常に精密✨な理論が展開されていて、
ある種の超越的✨な美しさ🌈を感じ、
こんなにも美しい理論が真実🌟でないはずがない✊と思ったんですね。
高岡先生の理論は、生物学に感じていた物足りなさのかなりの部分を満たして💕くれて、
生物学も運動科学のような広い体型で考えるべきで、それが未だ成されていないことに気づかされました。😊
もし、何十年後かに高岡先生の運動科学と協生農法🍀の両方を学ぶがいたら、
その理論🌸の対応関係に驚愕する😵はずです。
僕は運動科学的なものの考え方を協生農法🍀にかなり活用🌸していますから。
それからもう1人、大きな影響☁️受けたのが、
2016年にお亡くなり😇になった言語交流研究所🏢の創設者である榊原陽先生🍀です。
(榊原先生からは、どのようなことを学ばれましたか)
🔹船橋、榊原先生は、生まれた国の言葉🍀を自然に話せるようになる言語の「自然習得✊」について、
そのプロセス🌸の全体性、そして人間性を突き詰めていった方です。
外国語🔠として学んだ言語はどうしてもたどたどしく、
ネイティブのように生き生き💕と話すことができませんが、
榊原先生はその問題を解決🌟するために独特なアプローチ🎵をとられました。
それは多言語が飛び交っている環境の中で、
耳👂で音🎵を拾いながら言葉🍀のキャッチボール⚾️をするとすることで自然に言語を習得✊していくという方法です。
この方法🌸はいま社会実験として研究されています。
まさに榊原先生の、生き生き💕とした言語とそうでない不自然な言語という考え方は、
僕が子供の頃に感じた生命観💓の一部と繋がっていますし、
榊原先生が常々おっしゃっていた、「言葉と人間を自然科学する」
という方法論にも非常に影響☁️受けました。
普通、言葉🍀と人間を科学しようとすると人文科学🔬になるんですが、
それをいかに自然科学🍀としてやるか。
独特で魅力✨のある方法論🌸をお持ちでした。😊🎵
(つづく)
(現在の活動🌸に携わるようになったきっかけを教えてください)
🔹船橋、私は豊かな原生林🌲が残る神奈川県に生まれたのですが、
小さい頃から草むらで遊ぶのがすごく好き💕で、1日何時間でも遊んでいたんですよ。
すばしこいトカゲ🐉を捕まえたりすると、籠(かご)に入れて飼うんですが、😊
トカゲは生きているものしか認識🌟せず食べない性質があるので、
毎日、虫取り網で、蝶🎀やバッタを捕まえて餌にしていました。
また、両親は社会学の研究者📖で忙しく、家の庭は草ぼうぼうの状態で放置され、
私もほったらかしにされていました(笑)。😁
ですから、それこそ協生農法🍀の農園のように、生き物が豊かな庭で一人で遊んで🎵いる時間も長かったんですね。😊
(小さい頃から自然🍀に囲まれて育ったのですね)
🔹船橋、そして遊んでいると、いつの頃からか、自然状態🌸で生きている植物や生物と、
籠などで人間が飼っている状態のものでは、
艶✨というか、
輝き🌟が違うということに気づいた😵んですよ。😊
特に草むらの生物は輝いて✨いるように感じ💓、
私はその自然💚の中で見られる命💓の輝き✨が非常に好き💕だったんです。
(自然の中にいる植物や生物が輝いて✨見えた)
🔹船橋、子供ながらにそれは当然のことだろうと思っていたのですが、
後に周囲の大人🍀に話しても、あまり理解されませんでしたね。😵
また、近くの川が全部どぶ川になっていって、
自分が将来🌸、臭いヘドロ💀の中で生きていくしかないのだろうなと、
暗澹(あんたん)たる気持ち😞で小学校🏫に通っていたのを覚えています。
それも後に環境問題🍀や健康問題🍀を解決したいというバックグラウンドの一つ🌟になりました。
そういう経験🌸から、生物や生命に興味🌸を持ち、
将来は生物学者🔬になろうと思って大学🏫に進んだのです。
ところが、大学で学んだ生物学📗に全く満足できません😵でした。😊
(それはどうしてですか)
🔹船橋、例えば、生命科学🔬といっても、生物、生命を実験室内🚪でモデル化して、
人間が理解できる範囲内に押し込めているだけで、
なぜ生物は生きて🍀いるのか、なぜ自然治癒力🌸を持っているのか、
それこそ、なぜ自然状態のバッタと籠の中にいるバッタとでは輝き✨が違うかなど、
生命の本質的🌟なところは全く解けなかった😵んですね。😊
(大学🏫の勉強では生命💓の本質✨まで迫れなかったのですね)
🔹船橋、フランス🇫🇷の大学🏫にも留学して物理学📓を学び、後に獣医師🐯の資格まで取ったのですが、
生命の本質✨に切り込めないもどかしさが非常にあり、
学生時代の私は知的には、かなり荒れて🌀いましたね。
それに大学🏫の先生と議論💢をしても、特定の種類のウィルスに関してはかなりの専門家だ🔬けど、
それを物理学的なモデルで解釈するのは全く知らないとか、
その先生の弱点😵がすぐわかるんです。
それでも研究室🚪では専門分野だけをやれと言われるので、
先生と喧嘩💢して退学寸前までいきました。
ただ、その中でも決定的🌟な影響☁️受けた人は何人かいて、
その1人が運動科学✨を確立した運動科学研究所の高岡英夫先生🍀です。
高岡先生🍀の運動科学は、人間や動物のあらゆる運動は主観的🌸なもの、客観的☁️なもの含め総合的に説明🍀しようとする学問体系で、
私は19歳のときに本屋🏠で高岡先生の本📖と出会い、全部立ち読みしたにも関わらず、
さらに買って👛帰るほど、非常に衝撃💢を受けました。
(まさに運命の1冊ですね)
🔹船橋、そう言ってもよいかもしれません。
何が衝撃💢だったかというと、単に解剖学💉やバイオメカニクス、生理学といった細分化🍀された知識ではなく、
人間から野生動物に至るまで、
およそ生きて動いている状態の運動現象を総じて扱う、非常に精密✨な理論が展開されていて、
ある種の超越的✨な美しさ🌈を感じ、
こんなにも美しい理論が真実🌟でないはずがない✊と思ったんですね。
高岡先生の理論は、生物学に感じていた物足りなさのかなりの部分を満たして💕くれて、
生物学も運動科学のような広い体型で考えるべきで、それが未だ成されていないことに気づかされました。😊
もし、何十年後かに高岡先生の運動科学と協生農法🍀の両方を学ぶがいたら、
その理論🌸の対応関係に驚愕する😵はずです。
僕は運動科学的なものの考え方を協生農法🍀にかなり活用🌸していますから。
それからもう1人、大きな影響☁️受けたのが、
2016年にお亡くなり😇になった言語交流研究所🏢の創設者である榊原陽先生🍀です。
(榊原先生からは、どのようなことを学ばれましたか)
🔹船橋、榊原先生は、生まれた国の言葉🍀を自然に話せるようになる言語の「自然習得✊」について、
そのプロセス🌸の全体性、そして人間性を突き詰めていった方です。
外国語🔠として学んだ言語はどうしてもたどたどしく、
ネイティブのように生き生き💕と話すことができませんが、
榊原先生はその問題を解決🌟するために独特なアプローチ🎵をとられました。
それは多言語が飛び交っている環境の中で、
耳👂で音🎵を拾いながら言葉🍀のキャッチボール⚾️をするとすることで自然に言語を習得✊していくという方法です。
この方法🌸はいま社会実験として研究されています。
まさに榊原先生の、生き生き💕とした言語とそうでない不自然な言語という考え方は、
僕が子供の頃に感じた生命観💓の一部と繋がっていますし、
榊原先生が常々おっしゃっていた、「言葉と人間を自然科学する」
という方法論にも非常に影響☁️受けました。
普通、言葉🍀と人間を科学しようとすると人文科学🔬になるんですが、
それをいかに自然科学🍀としてやるか。
独特で魅力✨のある方法論🌸をお持ちでした。😊🎵
(つづく)
🍀🍀協生農法🍀🍀①
(船橋さんが確立した新しい農法である「協生農法」が、国内外で大注目👀を集めていますね)
🔹船橋、農業🍀と聞くと、まず土を耕して、肥料やって…、
というような先入観から入る人が多いんですが、
人間🍀が食料🍚を生産🌸する方法っていろいろあるんですよ。😊
海🌊に潜って魚🐟をとったり、罠を仕掛けて鹿や猪🐷など捕まえたり、
そもそも人間は自然から直接⚡️食べ物を獲ってくるという生活🍀を何十万年と続けてきたんです。
それで、骨格が現生人類、いわゆるホモ・サピエンス🌸といわれるようになったのは約30万年前で、
それから狩猟🌰採集🌸をずっとやってきて、
日本では、2000年前から稲作🍙がメジャーになりました。
要するに私たちが土地を耕し食糧をつくってきた期間は、
人類の歴史からすれば本当に僅(わず)か⚡️なんですね。
(確かにそうですね)
🔹船橋、ただ、当時は肥料🌸もありませんから、たびたび大凶作😵になるわけです。
そうした中で約400年前に、有機💩肥料が、
50年前にようやく農薬💀や化学肥料💉が出てきたと。
で、いま私たちが食べている食糧の多くが化学肥料💉や農薬💀、あるいは、養殖🌸によってつくられているわけですが、
それは人間が30万年の間、自然🍀から直接⚡️獲得してきたものとは、違う⚡️わけですよ。
(人間が30万年、自然から食糧を獲得してきた方法と、いまの方法では食糧の質✨が違うということが協生農法🍀の原点🌟ですか)
🔹船橋、ええ。
その食糧🌸の質✨の違い、農業🍀のあり方が、
私たちが直面⚡️している環境汚染🏭や健康問題🍀にも影響🌚しているのではないかという仮説、
そして、それを解決⭐️するにはどうすればよいかという問い❓から出発🌟したのが協生農法🍀なんですね。
事実、環境汚染でいえば、畑に肥料🌸や農薬💀を撒くと、
それが雨☔️などで川に流され、沿岸の海中が低酸素化⤵️し、
小さな貝類🐚などが、ほとんど死んで😇しまう状況🌸が出現しています。
海に潜ってみても抵抗力のある大きな貝しか残っていません。😵
また、草原や森林🌲🌲を伐採して農地にすれば、
それだけで多くの動物🐒🐸や植物🍀が生息地を奪われ⚡️絶滅😵する恐れがあるんですね。😊
確かに今の農法🍀は私たちの生活🍀を豊か👑にしてくれましたが、
半面、
人間活動🌸を続けるために環境問題🏭や健康問題🍀を引き起こしてしまうという状態🌸にあるんです。
(具体的には、協生農法🍀にはどのような特徴🌸があるのですか)
🔹船橋、協生農法🍀の大きな特徴🌟といえば、
まず、土地を耕さず、肥料🌸や農薬💉を使わないことですね。
それから植物🍀を密生・混生させる、
野菜🍆と果樹🍎を一緒に植えることも従来の農法🍀とは異なる⚡️特徴です。
また、それを支援するツールとして、
多様な植物🍀や昆虫🐛の名称や役割🌸、
それらをどう組み合わせて活用していったらよいか、などの情報⚡️を、コンピュータ💻でデータベース化💾しています。
本来ある人間の能力🌸を高める⤴️ためにコンピュータ💻で支援🌸することを目指しています。😊🎵
(土地を耕さず、肥料🌸も農薬💉も使わない。それでは害虫🐛がついたりして作物が育たないのでは?)
🔹船橋、世間では、初めから昆虫🐛を益虫🌸と害虫💀に分けてしまっていますが、
昆虫🐛にもいろいろ役割🌸があって、その時の状況で益虫🌸なも害虫💀にもなります。
ですから、本当は益虫も害虫もないんです。😊🎵
ある作物が持つ経済的💰な価値を毀損した場合に、昆虫🐛は害虫💀になると定義🍀されているのです。
ヨトウムシ🐛という害虫に分類されている昆虫💻がいますが、
ヨトウムシが畑で発生してナスを食べるだけでは害虫💀にはなりません。✋
農家🏡の売り上げが減って⤵️しまうなどの実害😵が出て初めて害虫💀になります。
実際、協生農法🍀を行っている農園でも、ヨトウムシがナスをむしゃむしゃ食べる👄ことはあります。
でも何の問題もないんですね。😊🎵
(それはどうしてですか)
🔹船橋、なぜなら、その協生農園🍀では、ナスを商品ではなく微生物を増やし⤴️て土壌を豊か👑にする、いわば肥料🌸の代替物として活用🍀し、
ヨトウムシも他の昆虫との関係で見ると有益な働き✊をしてくれているからです。
そして、ナス🍆が獲れない代わりに、
他の作物の収穫🌸をどんどん増やして⤴️いるわけです。😊🎵
従来の農業🍀では1種類の作物を大事に育て、
植えた苗をきちんと収穫🌸するために化学肥料💉や農薬💀を使って管理しますが、
協生農法🍀では、
雑草や木🌲、昆虫🐞、動物🐷などを総合的に活用🍀し、
生態系🌸全体の働き✊によって植物🍀を育て、収穫🌸する方法を採っているんです。😊
(なるほど。
協生農法🍀は生態系🌸の仕組みをうまく利用することにより、化学肥料💉や農薬💀を使わなくてよい環境🍀を実現していると)
🔹船橋、しかも化学肥料💉や農薬💀を使うより高い生産性🌸を実現🌟できるんです。
いま、桜自然塾という企業🏢の協力を得て、協生農法🍀の実質的なデータ💻を取得してもらっていますが、
4年間の初期実験が終了した段階で、化学肥料💉などを使った場合と比べ、
1000平方メートルあたりの売り上げで、
2〜4倍も生産性が高い✊という結果🌸が出ています。😊🎵
(船橋さんが確立した新しい農法である「協生農法」が、国内外で大注目👀を集めていますね)
🔹船橋、農業🍀と聞くと、まず土を耕して、肥料やって…、
というような先入観から入る人が多いんですが、
人間🍀が食料🍚を生産🌸する方法っていろいろあるんですよ。😊
海🌊に潜って魚🐟をとったり、罠を仕掛けて鹿や猪🐷など捕まえたり、
そもそも人間は自然から直接⚡️食べ物を獲ってくるという生活🍀を何十万年と続けてきたんです。
それで、骨格が現生人類、いわゆるホモ・サピエンス🌸といわれるようになったのは約30万年前で、
それから狩猟🌰採集🌸をずっとやってきて、
日本では、2000年前から稲作🍙がメジャーになりました。
要するに私たちが土地を耕し食糧をつくってきた期間は、
人類の歴史からすれば本当に僅(わず)か⚡️なんですね。
(確かにそうですね)
🔹船橋、ただ、当時は肥料🌸もありませんから、たびたび大凶作😵になるわけです。
そうした中で約400年前に、有機💩肥料が、
50年前にようやく農薬💀や化学肥料💉が出てきたと。
で、いま私たちが食べている食糧の多くが化学肥料💉や農薬💀、あるいは、養殖🌸によってつくられているわけですが、
それは人間が30万年の間、自然🍀から直接⚡️獲得してきたものとは、違う⚡️わけですよ。
(人間が30万年、自然から食糧を獲得してきた方法と、いまの方法では食糧の質✨が違うということが協生農法🍀の原点🌟ですか)
🔹船橋、ええ。
その食糧🌸の質✨の違い、農業🍀のあり方が、
私たちが直面⚡️している環境汚染🏭や健康問題🍀にも影響🌚しているのではないかという仮説、
そして、それを解決⭐️するにはどうすればよいかという問い❓から出発🌟したのが協生農法🍀なんですね。
事実、環境汚染でいえば、畑に肥料🌸や農薬💀を撒くと、
それが雨☔️などで川に流され、沿岸の海中が低酸素化⤵️し、
小さな貝類🐚などが、ほとんど死んで😇しまう状況🌸が出現しています。
海に潜ってみても抵抗力のある大きな貝しか残っていません。😵
また、草原や森林🌲🌲を伐採して農地にすれば、
それだけで多くの動物🐒🐸や植物🍀が生息地を奪われ⚡️絶滅😵する恐れがあるんですね。😊
確かに今の農法🍀は私たちの生活🍀を豊か👑にしてくれましたが、
半面、
人間活動🌸を続けるために環境問題🏭や健康問題🍀を引き起こしてしまうという状態🌸にあるんです。
(具体的には、協生農法🍀にはどのような特徴🌸があるのですか)
🔹船橋、協生農法🍀の大きな特徴🌟といえば、
まず、土地を耕さず、肥料🌸や農薬💉を使わないことですね。
それから植物🍀を密生・混生させる、
野菜🍆と果樹🍎を一緒に植えることも従来の農法🍀とは異なる⚡️特徴です。
また、それを支援するツールとして、
多様な植物🍀や昆虫🐛の名称や役割🌸、
それらをどう組み合わせて活用していったらよいか、などの情報⚡️を、コンピュータ💻でデータベース化💾しています。
本来ある人間の能力🌸を高める⤴️ためにコンピュータ💻で支援🌸することを目指しています。😊🎵
(土地を耕さず、肥料🌸も農薬💉も使わない。それでは害虫🐛がついたりして作物が育たないのでは?)
🔹船橋、世間では、初めから昆虫🐛を益虫🌸と害虫💀に分けてしまっていますが、
昆虫🐛にもいろいろ役割🌸があって、その時の状況で益虫🌸なも害虫💀にもなります。
ですから、本当は益虫も害虫もないんです。😊🎵
ある作物が持つ経済的💰な価値を毀損した場合に、昆虫🐛は害虫💀になると定義🍀されているのです。
ヨトウムシ🐛という害虫に分類されている昆虫💻がいますが、
ヨトウムシが畑で発生してナスを食べるだけでは害虫💀にはなりません。✋
農家🏡の売り上げが減って⤵️しまうなどの実害😵が出て初めて害虫💀になります。
実際、協生農法🍀を行っている農園でも、ヨトウムシがナスをむしゃむしゃ食べる👄ことはあります。
でも何の問題もないんですね。😊🎵
(それはどうしてですか)
🔹船橋、なぜなら、その協生農園🍀では、ナスを商品ではなく微生物を増やし⤴️て土壌を豊か👑にする、いわば肥料🌸の代替物として活用🍀し、
ヨトウムシも他の昆虫との関係で見ると有益な働き✊をしてくれているからです。
そして、ナス🍆が獲れない代わりに、
他の作物の収穫🌸をどんどん増やして⤴️いるわけです。😊🎵
従来の農業🍀では1種類の作物を大事に育て、
植えた苗をきちんと収穫🌸するために化学肥料💉や農薬💀を使って管理しますが、
協生農法🍀では、
雑草や木🌲、昆虫🐞、動物🐷などを総合的に活用🍀し、
生態系🌸全体の働き✊によって植物🍀を育て、収穫🌸する方法を採っているんです。😊
(なるほど。
協生農法🍀は生態系🌸の仕組みをうまく利用することにより、化学肥料💉や農薬💀を使わなくてよい環境🍀を実現していると)
🔹船橋、しかも化学肥料💉や農薬💀を使うより高い生産性🌸を実現🌟できるんです。
いま、桜自然塾という企業🏢の協力を得て、協生農法🍀の実質的なデータ💻を取得してもらっていますが、
4年間の初期実験が終了した段階で、化学肥料💉などを使った場合と比べ、
1000平方メートルあたりの売り上げで、
2〜4倍も生産性が高い✊という結果🌸が出ています。😊🎵