「最善観🌸」と「楽天知命🌸」
物事にはすべて裏🌚と表🌝があるのです。
言い換えれば、日向☀️と日陰🌘とがあるわけです。
ところが人間🍀というものは、
とかく自分の好きな方💕、
欲っする方💓に執着✊して、
他の半面は忘れやすいのです。😄
諸君たちは、
今は日向☀️が良いと思うでしょうが、
夏になると日向はごめんだ😵と言うに相違ない。💕
そこで不幸😨と言うものは、
なるほど自分も不幸😨と感じ、
人もまたそれを気の毒😵、哀れ😢と同情する以上、
一応確かに不幸😨であり、
損失であるには違いないでしょう。☀️
しかしながら、
同時にまたよく考えて☁️☁️みれば、
かつては自分は不幸😨と考えた事柄の中にも、
そこには、
この人の世の深い教訓🌸のこもっていたことが
次第にわかってくるという場合も、少なくないでしょう。😄☀️
ところが我々人間🍀は、自分が順調🌸に日を送っている間は、
とかく調子🌸に乗って🏄、
人の情とか、他人の苦しみなどというようなことは、
気づきにくいのです。😵
そこで人間🍀は、順調🌸ということは、
表面上からは、
いかにも結構なようですが、
実はそれだけ人間🍀が、おめでたくなりつつあるわけです。😵
すると表面🌸のプラス☀️に対して、
裏面🍀にはちゃんとマイナス🌚がくっついているという始末💓です。
同時にまた、
表面🌸がマイナス🌚であれば、
裏面🍀には必ずプラス🌞がついているはずです。😄
ただ悲しい😢ことに、
われわれは、自分🍀でそうとはなかなか気がつかないで、😵
表面🌸のマイナス🌚ばかりに気を取られ😵がちなものです。
そして裏面🍀に秘められているプラス🌞の意味🍀が分からないのです。
そこでいよいよ嘆き悲しんで😢、
ついには自暴自棄😱にもなるわけです。
ですから、
要は、人生🍀のことをすべてプラス🌞があれば必ず裏にはマイナス🌚があり、
表🌸にマイナス🌚が出れば、
裏🍀にはプラス🌞があるというわけです。😄
実際、神☀️は公平そのものですが、
ただわれわれ人間🍀がそうと気づかないために、
表面、事なきものは得意🌸になって、自ら失いつつあることに気づかず、
表面🌸不幸😨なものは、
その底🎵に深き真実☀️を与えられつつあることに気づかないで、😵
ひたすらに嘆き悲しみ、😵
果ては自暴自棄😱にもなるのです。
この道理🌸を考えると、
我が身に起こる事柄🌸は、
そのすべて☀️が、
この私にとって絶対🍀必然🌸であるとともに、
またこの私にとっては、最善🌸のはずだと、思うとがよいと言うわけです。
それは、
「最善観🌸」という言葉🍀で表せます。
ドイツのライプニッツという哲学者が唱えた「オプティミズム」というのがこれに相当します。🎵
つまり、
神☀️は、この世界🌏を最善🌸につくり給うたというのです。
すなわち神☀️は、
その考え得るあらゆる世界🌏のうちで、
最上のプラン🌸によって作られたのがこの世界🌏だというわけです。😄
したがって、
この世🌸における色々のよからぬのことも、😵
また思わしからざることも、😵
畢竟するに、神☀️の全知🌸の眼からすれば、
それぞれ、そこに意味🍀があると言えるわけです。😄☀️
それ故、我々は、
それに対して一切これを拒まず、😄
一切これを却けず、💕
素直🍀にその一切を受け入れ、💓
それに隠されている神☀️の意思🌸を読み取らねばならぬわけです。😄
したがって、
それはまた、
自己🌸に与えられた全運命🍀を感謝💕して受け取って、
天☀️を恨まず、人🌸をとがめず、
否、
恨んだり咎めないばかりか、
「楽天知命🌸」すなわち、
天命☀️を信ずる🍀がゆえに、天命☀️を楽しむ💕と言う境涯🌸です。
私には人間🍀の真の生活態度🌸は、
どうしても、
この外には無いように思われるのです。😄☀️
(*「楽天知命、故不憂」、天☀️を楽しみ💕命💓を知る、故(ゆえ)に憂えず。(易経)
天☀️の理法🌸を楽しみ、自分🍀の運命💓を生きる喜び💕を知るならば、人は憂いが無い😄)
(「修身教授録」森信三さんより)
「楽天知命🌸」のこころで、生活すれば、憂いはなくなりますよ。☀️😄💕