🍀シンクロ世界一を目指して🍀①
シンクロナイズドスイミング
日本代表ヘッドコーチ、井村雅代さんのインタビューより
(リオ五輪ではデュエット、団体とも見事に銅メダルを獲得。おめでとうございます)
ありがとうございます。
何とかメダルを取る国に返り咲くことができました。
頑張ればメダリストになれることを形として示せたことは、日本のシンクロ界にとって、すごく大きかったと思います。
(選手のみなさんの演技は本当に素晴らしかったですね)
いやー、もう無理やりにメダルに漕ぎ着けたというのが、正直なところで(笑)。
あの子たちは、勝つためにどんな覚悟で臨むべきかとか、
どこまで自分を追い込まなければならないのかとか、
そういうこと、あまりにも知らなさすぎました。
あの中には、私が日本から離れていた間に日本代表になって、ロンドン五輪に出場した子が5人いるんですけど、
彼女たちはその間に、勝つ喜びも、負ける悔しさもほとんど経験していない。
日の丸を背負う選手としての醍醐味を味わったことがなかったんですよ。
「ロンドン五輪でどんなことを覚えている?」
って聞いたら、
「五位だったから、試合が早く終わって暇だったことだけ覚えています」と。
なんやそれ、それはないよって(笑)。
もちろん、ずっと選手を続けているわけだから、
シンクロが好きだし、強くなりたいとも思っている。
だけど、日の丸を背負う辛さとか、あの心臓が口から飛び出すほどの緊張感とか、
それをギリギリのところで乗り越えたときの喜びや開放感とか、
そういうものを何も味わってきていない。
だからジャパンのユニホームを着ているけど何か背筋が伸びない。
この子ら本当にかわいそうやなぁと思いました。
(強豪の日本選手が、なぜそうなってしまったのでしょうか)
それは何かっていうと、負けても
「精一杯やったから、それでいいじゃないの」
っていう言葉に、ごまかされてきたんです。
今日本に充満してる言葉ですけどね。
そう言われると一瞬は救われますよ。
でも五倫の舞台で一所懸命戦うのは当たり前だし、
そこで負けて悔しくなかったら嘘ですよ。
私には、負け損はない、負けたら何かを得て帰らなければならないという考えがあるんですけど、
そのためには負けた原因をぴしっと抑えること。
痛いことに触れないとダメです。
それが次の道標になるんです。
ところが、あの子たちは、痛いところに触れない大人に囲まれてきたため、
選手としての醍醐味を味わえずにきたんだと思います。
大人がそうさせたんですよ。
(確かに、そういう風潮はあるかもしれません)
よく引退した選手が復帰することがあるけど、
あれは普通の社会人では味わえないような達成感が忘れられないからなんです。
日の丸を背負う選手の重圧はとてつもないけど、
それをはね除けた時の喜びも大きい。
ギリギリまで追い詰められて自分を知る素晴らしさもある。
だから私は、日の丸を背負う選手にしか味わえない醍醐味を、
この子らに味わわせてやりたいと思ったんですよ。
彼女たち自身も
「オリンピックのメダルが欲しい」
と言いました。
でも、やっていることは、とてもメダルが取れるような練習じゃない。
足らんとこだらけですよ。
私は
「本当にメダルが欲しいの?」
って、何回繰り返したか分かりませんけど、
あの子たち、それだけはハッキリ「はい!」って言うんです。
そしたら分かったと。
あいにく私は金メダルを取ったことはないけど、銀メダルまでならどんな演技をしたら取れるかは見えている。
そこまで言うなら、連れてってやろうと。
そして本気で向き合い始めたら、まぁ彼女らの言うところの "地獄の練習" になってしまったらしいんですけど(笑)。
(2014年にコーチに復帰し、実際に選手たちの指導を始めての印象はいかがでしたか)
とにかく、何もできていませんでした。
シンクロをやってくるのに、
泳がせたら遅い、テクニックは下手。
あなたたち、何を練習していたのって。
練習に取り組む姿勢、日常の生活の仕方、考え方、
とにかく、全部がおかしいんですよ。
それ以前に、彼女たちの様子が何か変なんです。
(とおっしゃいますと?)
私は2004年に日本を離れて、ずっと中国やイギリスで指導していましたから、
かつて指導した日本選手の後輩を教えるという気持ちで臨んだんです。
ところが会ってみると、全然違う。
もう変や、あれは。
国籍まで違うのかと思うくらい。
日本語すらまともに通じへんもの。
あの子たちは最初、私に何を叱られているのかも分からなかったって言ってます。
とにかくプールサイドに出た途端に、
私に文句を言われるわけですよ。
「そんな暗い格好をして現れるな!」って。
だって朝一番から下を向いて背中を丸くして入ってくるんですから。
何かもう、自分で自分の心にスイッチを入れて、
さぁ頑張ろう!
とか、そんなのは全然ないんです。
(それでも、厳しい指導指導に皆さん素直についていかれたのですね)
少しは反発しろよ、と思いましたよ。
私に言われっぱなしで腹が立たないの?って。
2004年までの子は違いましたね。
気に入らなかったらブスッとする。
あの子たちは、私に3回同じことを言わせたら、自分の負けだと思っていた。
絶対に同じことを3回も言わせないぞって。
だけど今回の子は、何を言われてもへっちゃら。
一方通行。
何か返してこいよって。
とにかく変。
宇宙人やと思いましたわ(笑)。
(それでもメダルを取りたいと言う気持ちはあるわけですね)
取りたいんです。
そう思ってやり続けてきたけど取れなかった。
裏切られっぱなしで心の半分は
「とうせ無理だよ」って思ってた。
それが私がコーチに復帰して半年後、2014年のワールドカップでウクライナに勝ってメダルを取った。
彼女たち、ほんとに喜びましてね、
あれが全てのスタートでしたよ。
(時間もない中でどのように指導なさったのですか)
時間のない中で結果を出すためには、全部に手を入れたらダメ。
一個だけ手を入れるんです。
あまりにも下手すぎるこの子らを、なんとか表彰台に立たせようと思って1つだけ教えたのが、
動きをシャープにすることでした。
泳ぐスピード、脚を動かすスピード、
それだけを教えて動きをシャープにすることに集中したんです。
ですから本番でも元気だけはすごかった。
それでなんとかメダルを取ったんです。
(復帰早々、見事に結果を出されたのですね)
私は外国に行ってよかったのは、期限付きで成果を出すということを学べたことです。
「次の試合でこうしてくれ」ってオファーをいただいて行くから、
必ず結果を出さなければいけないんです。
中国のコーチに就任したのは2006年の12月25日でしたけど、
翌年の3月にはメルボルンの世界選手権。
準備期間は正味2ヶ月半しかありませんでした。
中国の選手って皆モデルみたいにスタイルが良くて、
きっと素晴らしい選手だろうと思って行ってみたら、
全然筋肉がなくてびっくりしたんです。
中国はシンクロをダイエット種目と勘違いして、選手たちにろくに物を食べさせてなかったんですよ。
すぐに腹筋と背筋が40回ずつできるようにさせたんですけど、
私の本気で鍛えたらきっとこの子らは潰れると思いましたね。
(それでどうなさったのですか)
その時に彼女にやらせたことは、
挨拶をすること、ありがとうを言うこと、
それから、お愛想笑を教えたんです。
中国人を見ると感じますけど、
あの人たち実に愛想がないでしょ。
それを直そうと思って、
私は彼女たちに会うたびに
「ニーハオ」とか「おはよう」って言い続けたんです。
朝、バスで練習に行く時なんかぼーっと背中を丸くして乗ってくるから、
私はいつも先に乗って待ち伏せをして「おはよう!」って、にこっと笑う。
毎朝バスに乗るなり「おはよう!」の言葉が飛んでくるから、
彼女たちも条件反射で、「おはようございます」って、背筋をしゃんと伸ばして乗ってくるようになりました。
挨拶、ありがとう、お愛想笑い
の三つができるようになったら、
その集団は明るくて元気な集団になるんです。
すぐに、日本のコーチが中国のチームを明るくした、
次の北京オリンピックで何かやってくれそうだって評判になりました。
実際、メルボルンの世界選手権で中国は過去最高の4位になって、
1年5ヶ月後の北京オリンピックでは銅メダルを取ったんです。
(つづく)
(「致知」2016.12月号より)
シンクロナイズドスイミング
日本代表ヘッドコーチ、井村雅代さんのインタビューより
(リオ五輪ではデュエット、団体とも見事に銅メダルを獲得。おめでとうございます)
ありがとうございます。
何とかメダルを取る国に返り咲くことができました。
頑張ればメダリストになれることを形として示せたことは、日本のシンクロ界にとって、すごく大きかったと思います。
(選手のみなさんの演技は本当に素晴らしかったですね)
いやー、もう無理やりにメダルに漕ぎ着けたというのが、正直なところで(笑)。
あの子たちは、勝つためにどんな覚悟で臨むべきかとか、
どこまで自分を追い込まなければならないのかとか、
そういうこと、あまりにも知らなさすぎました。
あの中には、私が日本から離れていた間に日本代表になって、ロンドン五輪に出場した子が5人いるんですけど、
彼女たちはその間に、勝つ喜びも、負ける悔しさもほとんど経験していない。
日の丸を背負う選手としての醍醐味を味わったことがなかったんですよ。
「ロンドン五輪でどんなことを覚えている?」
って聞いたら、
「五位だったから、試合が早く終わって暇だったことだけ覚えています」と。
なんやそれ、それはないよって(笑)。
もちろん、ずっと選手を続けているわけだから、
シンクロが好きだし、強くなりたいとも思っている。
だけど、日の丸を背負う辛さとか、あの心臓が口から飛び出すほどの緊張感とか、
それをギリギリのところで乗り越えたときの喜びや開放感とか、
そういうものを何も味わってきていない。
だからジャパンのユニホームを着ているけど何か背筋が伸びない。
この子ら本当にかわいそうやなぁと思いました。
(強豪の日本選手が、なぜそうなってしまったのでしょうか)
それは何かっていうと、負けても
「精一杯やったから、それでいいじゃないの」
っていう言葉に、ごまかされてきたんです。
今日本に充満してる言葉ですけどね。
そう言われると一瞬は救われますよ。
でも五倫の舞台で一所懸命戦うのは当たり前だし、
そこで負けて悔しくなかったら嘘ですよ。
私には、負け損はない、負けたら何かを得て帰らなければならないという考えがあるんですけど、
そのためには負けた原因をぴしっと抑えること。
痛いことに触れないとダメです。
それが次の道標になるんです。
ところが、あの子たちは、痛いところに触れない大人に囲まれてきたため、
選手としての醍醐味を味わえずにきたんだと思います。
大人がそうさせたんですよ。
(確かに、そういう風潮はあるかもしれません)
よく引退した選手が復帰することがあるけど、
あれは普通の社会人では味わえないような達成感が忘れられないからなんです。
日の丸を背負う選手の重圧はとてつもないけど、
それをはね除けた時の喜びも大きい。
ギリギリまで追い詰められて自分を知る素晴らしさもある。
だから私は、日の丸を背負う選手にしか味わえない醍醐味を、
この子らに味わわせてやりたいと思ったんですよ。
彼女たち自身も
「オリンピックのメダルが欲しい」
と言いました。
でも、やっていることは、とてもメダルが取れるような練習じゃない。
足らんとこだらけですよ。
私は
「本当にメダルが欲しいの?」
って、何回繰り返したか分かりませんけど、
あの子たち、それだけはハッキリ「はい!」って言うんです。
そしたら分かったと。
あいにく私は金メダルを取ったことはないけど、銀メダルまでならどんな演技をしたら取れるかは見えている。
そこまで言うなら、連れてってやろうと。
そして本気で向き合い始めたら、まぁ彼女らの言うところの "地獄の練習" になってしまったらしいんですけど(笑)。
(2014年にコーチに復帰し、実際に選手たちの指導を始めての印象はいかがでしたか)
とにかく、何もできていませんでした。
シンクロをやってくるのに、
泳がせたら遅い、テクニックは下手。
あなたたち、何を練習していたのって。
練習に取り組む姿勢、日常の生活の仕方、考え方、
とにかく、全部がおかしいんですよ。
それ以前に、彼女たちの様子が何か変なんです。
(とおっしゃいますと?)
私は2004年に日本を離れて、ずっと中国やイギリスで指導していましたから、
かつて指導した日本選手の後輩を教えるという気持ちで臨んだんです。
ところが会ってみると、全然違う。
もう変や、あれは。
国籍まで違うのかと思うくらい。
日本語すらまともに通じへんもの。
あの子たちは最初、私に何を叱られているのかも分からなかったって言ってます。
とにかくプールサイドに出た途端に、
私に文句を言われるわけですよ。
「そんな暗い格好をして現れるな!」って。
だって朝一番から下を向いて背中を丸くして入ってくるんですから。
何かもう、自分で自分の心にスイッチを入れて、
さぁ頑張ろう!
とか、そんなのは全然ないんです。
(それでも、厳しい指導指導に皆さん素直についていかれたのですね)
少しは反発しろよ、と思いましたよ。
私に言われっぱなしで腹が立たないの?って。
2004年までの子は違いましたね。
気に入らなかったらブスッとする。
あの子たちは、私に3回同じことを言わせたら、自分の負けだと思っていた。
絶対に同じことを3回も言わせないぞって。
だけど今回の子は、何を言われてもへっちゃら。
一方通行。
何か返してこいよって。
とにかく変。
宇宙人やと思いましたわ(笑)。
(それでもメダルを取りたいと言う気持ちはあるわけですね)
取りたいんです。
そう思ってやり続けてきたけど取れなかった。
裏切られっぱなしで心の半分は
「とうせ無理だよ」って思ってた。
それが私がコーチに復帰して半年後、2014年のワールドカップでウクライナに勝ってメダルを取った。
彼女たち、ほんとに喜びましてね、
あれが全てのスタートでしたよ。
(時間もない中でどのように指導なさったのですか)
時間のない中で結果を出すためには、全部に手を入れたらダメ。
一個だけ手を入れるんです。
あまりにも下手すぎるこの子らを、なんとか表彰台に立たせようと思って1つだけ教えたのが、
動きをシャープにすることでした。
泳ぐスピード、脚を動かすスピード、
それだけを教えて動きをシャープにすることに集中したんです。
ですから本番でも元気だけはすごかった。
それでなんとかメダルを取ったんです。
(復帰早々、見事に結果を出されたのですね)
私は外国に行ってよかったのは、期限付きで成果を出すということを学べたことです。
「次の試合でこうしてくれ」ってオファーをいただいて行くから、
必ず結果を出さなければいけないんです。
中国のコーチに就任したのは2006年の12月25日でしたけど、
翌年の3月にはメルボルンの世界選手権。
準備期間は正味2ヶ月半しかありませんでした。
中国の選手って皆モデルみたいにスタイルが良くて、
きっと素晴らしい選手だろうと思って行ってみたら、
全然筋肉がなくてびっくりしたんです。
中国はシンクロをダイエット種目と勘違いして、選手たちにろくに物を食べさせてなかったんですよ。
すぐに腹筋と背筋が40回ずつできるようにさせたんですけど、
私の本気で鍛えたらきっとこの子らは潰れると思いましたね。
(それでどうなさったのですか)
その時に彼女にやらせたことは、
挨拶をすること、ありがとうを言うこと、
それから、お愛想笑を教えたんです。
中国人を見ると感じますけど、
あの人たち実に愛想がないでしょ。
それを直そうと思って、
私は彼女たちに会うたびに
「ニーハオ」とか「おはよう」って言い続けたんです。
朝、バスで練習に行く時なんかぼーっと背中を丸くして乗ってくるから、
私はいつも先に乗って待ち伏せをして「おはよう!」って、にこっと笑う。
毎朝バスに乗るなり「おはよう!」の言葉が飛んでくるから、
彼女たちも条件反射で、「おはようございます」って、背筋をしゃんと伸ばして乗ってくるようになりました。
挨拶、ありがとう、お愛想笑い
の三つができるようになったら、
その集団は明るくて元気な集団になるんです。
すぐに、日本のコーチが中国のチームを明るくした、
次の北京オリンピックで何かやってくれそうだって評判になりました。
実際、メルボルンの世界選手権で中国は過去最高の4位になって、
1年5ヶ月後の北京オリンピックでは銅メダルを取ったんです。
(つづく)
(「致知」2016.12月号より)