🌸🌸心をつくるもの🌸🌸②
「私たちの心は、これまでの自分が体験・経験したことでできている」
というお話をしました。
そこで皆さんに
「心はどこにありますか?」
と質問すると、
ある人は頭を指したり、胸を指したりするんですね。
実は心というのは、そういう体の一部にあるわけではありません。
「自分という存在そのもの」
が心なのです。
だから今日の四つ目のキーワードは「自分」です。
心は自分全部なのです。
ある老人ホームの職員の方から、こんな話を聞きました。
1人のおばあちゃんが夜になると、トイレにあるトイレットペーパーをガシャガシャして、
全部引っ張り出してしまうというんです。
そんなことされたら困るので、
そのおばあちゃんが、それを始めると職員の方が押さえつけるわけです。
すると、おばあちゃんが狂ったように暴れるんだそうです。
それが毎晩続くので、精神科医の先生に相談しました。
先生は
「おばあちゃんの過去を調べてください」
と言いました。
調べてみると、そのおばあちゃんは東北の貧しい漁村でワカメ採りを生業としていた人でした。
終戦直後は貧しく、自分が必死で働かないと家族を養いきれなかったそうです。
おばあちゃんは脳に軽い障がいがあって、
夜になるとトイレットペーパーがワカメに見えてしまうらしいのです。
体の中に
「一生懸命働かないと、生きていけない」
ということが経験上染み付いているので、
頭ではなく、体が勝手に動くんです。
それで、一生懸命「働いちゃう」わけです。
そのことがわかってから職員は、
おばあちゃんがトイレットペーパーをガシャガシャ出し始めると、こう言うようにしました。
「〇〇さん、今日も一生懸命働いたね。
今日は、大漁だから安心してね」
と。
すると、おとなしくなって部屋に帰って寝るそうです。
人間は、頭で考えているように思いますが、
頭はあまり大したことないみたいです。
それまでの経験で身についているものが、その人の心をつくり、その人自身をつくっているのです。
また別の話です。
ある老人ホームで講演した時、熱心に私の話を聞いてくださる車いすのおじいちゃんがいました。
そのおじいちゃんがいるすぐ横に、出入り口がありました。
1人の看護師さんが入ってきた時、
おじいちゃんの体は前を向いているのに、
右手がにゅーっと動いて、
看護師さんのお尻を触ったんです(笑)。
講演の後、お尻を触られたあの看護師さんがいたので、
「看護師さんも大変ですね」
と言ったら、
彼女はニコニコしながら一言こう言いました。
「あのおじちゃんね、この町の教育長だったんですよ」
と(笑)。
なるほど、現役の頃は
「自分は教育者である」
ということで、自分を律して生きていた。
しかし、脳に少し障がいが出てきた途端、
今までずっと抑えつけてきた
「もう1人の自分」
が顔を出してきたんですね。
皆さんも、気をつけたほうが、いいですよ(笑)。
(「みやざき中央新聞」H29.6.26 大谷徹奘さんより)
「私たちの心は、これまでの自分が体験・経験したことでできている」
というお話をしました。
そこで皆さんに
「心はどこにありますか?」
と質問すると、
ある人は頭を指したり、胸を指したりするんですね。
実は心というのは、そういう体の一部にあるわけではありません。
「自分という存在そのもの」
が心なのです。
だから今日の四つ目のキーワードは「自分」です。
心は自分全部なのです。
ある老人ホームの職員の方から、こんな話を聞きました。
1人のおばあちゃんが夜になると、トイレにあるトイレットペーパーをガシャガシャして、
全部引っ張り出してしまうというんです。
そんなことされたら困るので、
そのおばあちゃんが、それを始めると職員の方が押さえつけるわけです。
すると、おばあちゃんが狂ったように暴れるんだそうです。
それが毎晩続くので、精神科医の先生に相談しました。
先生は
「おばあちゃんの過去を調べてください」
と言いました。
調べてみると、そのおばあちゃんは東北の貧しい漁村でワカメ採りを生業としていた人でした。
終戦直後は貧しく、自分が必死で働かないと家族を養いきれなかったそうです。
おばあちゃんは脳に軽い障がいがあって、
夜になるとトイレットペーパーがワカメに見えてしまうらしいのです。
体の中に
「一生懸命働かないと、生きていけない」
ということが経験上染み付いているので、
頭ではなく、体が勝手に動くんです。
それで、一生懸命「働いちゃう」わけです。
そのことがわかってから職員は、
おばあちゃんがトイレットペーパーをガシャガシャ出し始めると、こう言うようにしました。
「〇〇さん、今日も一生懸命働いたね。
今日は、大漁だから安心してね」
と。
すると、おとなしくなって部屋に帰って寝るそうです。
人間は、頭で考えているように思いますが、
頭はあまり大したことないみたいです。
それまでの経験で身についているものが、その人の心をつくり、その人自身をつくっているのです。
また別の話です。
ある老人ホームで講演した時、熱心に私の話を聞いてくださる車いすのおじいちゃんがいました。
そのおじいちゃんがいるすぐ横に、出入り口がありました。
1人の看護師さんが入ってきた時、
おじいちゃんの体は前を向いているのに、
右手がにゅーっと動いて、
看護師さんのお尻を触ったんです(笑)。
講演の後、お尻を触られたあの看護師さんがいたので、
「看護師さんも大変ですね」
と言ったら、
彼女はニコニコしながら一言こう言いました。
「あのおじちゃんね、この町の教育長だったんですよ」
と(笑)。
なるほど、現役の頃は
「自分は教育者である」
ということで、自分を律して生きていた。
しかし、脳に少し障がいが出てきた途端、
今までずっと抑えつけてきた
「もう1人の自分」
が顔を出してきたんですね。
皆さんも、気をつけたほうが、いいですよ(笑)。
(「みやざき中央新聞」H29.6.26 大谷徹奘さんより)