🍀仕事を早く終わらせる🍀
ラッセル・セージ財団の客員研究員としてニューヨークに滞在していたとき、
コリン・キャメラとよく一緒にタクシーに乗った。
寒い日や大きな会議がある日などは、空車を見つけるのに苦労することがあった。
そんなときは運転手に話しかけ、
その日その日に何時間働くかをどうやって決めるのか質問したもんだ。
タクシー運転手のほとんどは、大量の車両を保有しているタクシー会社に所属している。
タクシー会社から1日12時間、車を借りて営業するのが一般で、
時間は通常は5時5時、
つまり、午前5時から午後5時までか、
午後5時から午前5時までとなっている。
車両の借り賃は定額で、返却時にはガソリンを満タンにしておかなければならない。
メーター制運賃とチップは、すべて運転手の稼ぎになる。
私たちはまず、運転手にこう質問した。
「その日の仕事をいつあがるのか、どうやって決めているのですか?」。
ニューヨーク市の街中を、それもお客さん探しながら12時間も走ることは大変なことだ。
運転手の中には、目標所得戦略をとっているという人もいた。
車の借り賃とガソリン代を差し引き後でこれだけ稼ぎたいという目標決めて、
その目標に達したら、そこで終わりにするというのである。
人はどれくらい一生懸命に働くのかという疑問は、
私がコリン、ジョージ・ローウェンスタインと取り組んでいた研究プロジェクトと関連があった。
私たちはこれを「努力」(effort)プロジェクトと呼んでいた。
しばらく前からこのアイデアについて考え、
ラボ実験を何度か行っていたが、これだという切り口を見いだせないでいた。
タクシー運転手が実際にしている意思決定を調べれば、突破口が見つかるかもしれないと、私たちは考えた。
運転手は全員、1日の営業内容を業務記録に記入していた。
業務記録には、乗客が乗車した時間、降車場所、運賃のほか、車を返却した時間も記載されていた。
コリンはこれらの業務記録の山をコピーさせてもいいというタクシー会社の経営者を、どこからか見つけ出してきた。
さらに、ニューヨーク市のタクシー・リムジン協会会長からも業務記録データを2セット入手した。
データ分析が複雑になったため、労働経済学者のリンダ・バブコックに協力を頼んだ。
リンダはラッセル・セージ・サマーキャンプの卒業生で、計量経済学のスキルに長けていた。
論文の中心的な疑問は、
実効賃金が高い日ほど、運転手は長い時間働くかどうか、
というものだった。
議論の第一段階では、
高賃金の日と、低賃金の日が発生すること、
そして、1日の前半の売り上げで、後半の売り上げが予測できることを示した。
これは、ほんとうである。
忙しい日は、時間当たりの売り上げが多く、
労働時間を1時間増やせば、売り上げが増えると期待できる。
ここから中心的な疑問へ進むと、
経済学者にとってはショッキングな結論にたどり着いた。
賃金が高ければ高いほど、運転手は働かなくなるのだ。
経済学の基本原理では、需要曲線は右下がりになり、供給曲線は右上がりになる。
つまり、賃金が高くなればなるほど、
供給される労働力が増えるということだ。
私たちが発見したことは、
それと正反対だったのである。
この結果から何がわかり、何がわからないのかを、ここではっきりさせておく必要がある。
私たちは他の経済学者と同じように、
タクシー運転手の賃金が2倍になれば、
タクシー運転手になりたい人は増えるだろうと考えていた。
それに、1日単位で考えても、今日は忙しくなるだろうと考える理由があれば、
その日に休みをとって海に遊びに行く人は少なくなるだろう。
行動経済学者でさえ、価格が上がれば購買量が減り、
賃金が高くなれば労働の供給量は増えると考えている。
しかし、運転手が働こうと決めた日に、どれだけ長く働くかを決める際には、
稼ぎを1日単位で考えるという狭い思考にとらわれていて、
悪い日よりもいい日のほうが働かないという判断ミスをすることになったのである。
もっとも、運転手はみんなこの間違いをしたわけではない。
タクシーの運転は、毎日同じことが繰り返される映画「恋男はデジャ・ブ」のように、
学習経験を積み重ねていくものであり、
タクシー運転手は学習して、このバイアスを克服するようになるようだ。
各サンプルをタクシー運転手歴の長いグループと、短いグループの2つに分けると、
どのケースでも、運転手の経験が長いほど、賢明な振る舞いをすることがわかった。
賃金が高いときは、運転時間が短くならず、長くなる人がほとんどだった。
しかし裏を返せば、経験の浅い運転手ではこのバイアスが平均以上に強く作用する、ということになる。
経験の浅い運転手は、目標所得を決めて、それに届くと仕事を切り上げる傾向がはっきりと認められる。
この結果を狭いフレーミングと結びつけるために、
タクシー運転手は売り上げを1日単位ではなく、1ヶ月単位で記録するとしよう。
運転手は毎日同じ時間働くことにすると、
売り上げは私たちのサンプルの売り上げよりも5%増える。
そして、
いい日には運転時間を長くし、悪い日には短くすると、
同じ運転時間でも売り上げは10%増える。
とくに経験の浅い運転手については、1日の所得目標がセルフコントロール装置として働くのではないかと、私たちはにらんだ。
「売り上げ目標を達成するか、車の返却期限である12時間に達するまで運転を続ける」
というルールは守りやすい。
それに何といっても、自分自身や家で待っている妻や夫に、この行動を正当化できる。
もしその日の稼ぎがよくなくて、今日は仕事を切り上げたと説明しなければならないとしたら、どうなってしまうのか。
あなたの妻や夫が、経済の専門家でない限り、
話し合いは、長引くだろう。
(「行動経済学の逆襲」リチャード・セイラー著 遠藤真美 訳)
ラッセル・セージ財団の客員研究員としてニューヨークに滞在していたとき、
コリン・キャメラとよく一緒にタクシーに乗った。
寒い日や大きな会議がある日などは、空車を見つけるのに苦労することがあった。
そんなときは運転手に話しかけ、
その日その日に何時間働くかをどうやって決めるのか質問したもんだ。
タクシー運転手のほとんどは、大量の車両を保有しているタクシー会社に所属している。
タクシー会社から1日12時間、車を借りて営業するのが一般で、
時間は通常は5時5時、
つまり、午前5時から午後5時までか、
午後5時から午前5時までとなっている。
車両の借り賃は定額で、返却時にはガソリンを満タンにしておかなければならない。
メーター制運賃とチップは、すべて運転手の稼ぎになる。
私たちはまず、運転手にこう質問した。
「その日の仕事をいつあがるのか、どうやって決めているのですか?」。
ニューヨーク市の街中を、それもお客さん探しながら12時間も走ることは大変なことだ。
運転手の中には、目標所得戦略をとっているという人もいた。
車の借り賃とガソリン代を差し引き後でこれだけ稼ぎたいという目標決めて、
その目標に達したら、そこで終わりにするというのである。
人はどれくらい一生懸命に働くのかという疑問は、
私がコリン、ジョージ・ローウェンスタインと取り組んでいた研究プロジェクトと関連があった。
私たちはこれを「努力」(effort)プロジェクトと呼んでいた。
しばらく前からこのアイデアについて考え、
ラボ実験を何度か行っていたが、これだという切り口を見いだせないでいた。
タクシー運転手が実際にしている意思決定を調べれば、突破口が見つかるかもしれないと、私たちは考えた。
運転手は全員、1日の営業内容を業務記録に記入していた。
業務記録には、乗客が乗車した時間、降車場所、運賃のほか、車を返却した時間も記載されていた。
コリンはこれらの業務記録の山をコピーさせてもいいというタクシー会社の経営者を、どこからか見つけ出してきた。
さらに、ニューヨーク市のタクシー・リムジン協会会長からも業務記録データを2セット入手した。
データ分析が複雑になったため、労働経済学者のリンダ・バブコックに協力を頼んだ。
リンダはラッセル・セージ・サマーキャンプの卒業生で、計量経済学のスキルに長けていた。
論文の中心的な疑問は、
実効賃金が高い日ほど、運転手は長い時間働くかどうか、
というものだった。
議論の第一段階では、
高賃金の日と、低賃金の日が発生すること、
そして、1日の前半の売り上げで、後半の売り上げが予測できることを示した。
これは、ほんとうである。
忙しい日は、時間当たりの売り上げが多く、
労働時間を1時間増やせば、売り上げが増えると期待できる。
ここから中心的な疑問へ進むと、
経済学者にとってはショッキングな結論にたどり着いた。
賃金が高ければ高いほど、運転手は働かなくなるのだ。
経済学の基本原理では、需要曲線は右下がりになり、供給曲線は右上がりになる。
つまり、賃金が高くなればなるほど、
供給される労働力が増えるということだ。
私たちが発見したことは、
それと正反対だったのである。
この結果から何がわかり、何がわからないのかを、ここではっきりさせておく必要がある。
私たちは他の経済学者と同じように、
タクシー運転手の賃金が2倍になれば、
タクシー運転手になりたい人は増えるだろうと考えていた。
それに、1日単位で考えても、今日は忙しくなるだろうと考える理由があれば、
その日に休みをとって海に遊びに行く人は少なくなるだろう。
行動経済学者でさえ、価格が上がれば購買量が減り、
賃金が高くなれば労働の供給量は増えると考えている。
しかし、運転手が働こうと決めた日に、どれだけ長く働くかを決める際には、
稼ぎを1日単位で考えるという狭い思考にとらわれていて、
悪い日よりもいい日のほうが働かないという判断ミスをすることになったのである。
もっとも、運転手はみんなこの間違いをしたわけではない。
タクシーの運転は、毎日同じことが繰り返される映画「恋男はデジャ・ブ」のように、
学習経験を積み重ねていくものであり、
タクシー運転手は学習して、このバイアスを克服するようになるようだ。
各サンプルをタクシー運転手歴の長いグループと、短いグループの2つに分けると、
どのケースでも、運転手の経験が長いほど、賢明な振る舞いをすることがわかった。
賃金が高いときは、運転時間が短くならず、長くなる人がほとんどだった。
しかし裏を返せば、経験の浅い運転手ではこのバイアスが平均以上に強く作用する、ということになる。
経験の浅い運転手は、目標所得を決めて、それに届くと仕事を切り上げる傾向がはっきりと認められる。
この結果を狭いフレーミングと結びつけるために、
タクシー運転手は売り上げを1日単位ではなく、1ヶ月単位で記録するとしよう。
運転手は毎日同じ時間働くことにすると、
売り上げは私たちのサンプルの売り上げよりも5%増える。
そして、
いい日には運転時間を長くし、悪い日には短くすると、
同じ運転時間でも売り上げは10%増える。
とくに経験の浅い運転手については、1日の所得目標がセルフコントロール装置として働くのではないかと、私たちはにらんだ。
「売り上げ目標を達成するか、車の返却期限である12時間に達するまで運転を続ける」
というルールは守りやすい。
それに何といっても、自分自身や家で待っている妻や夫に、この行動を正当化できる。
もしその日の稼ぎがよくなくて、今日は仕事を切り上げたと説明しなければならないとしたら、どうなってしまうのか。
あなたの妻や夫が、経済の専門家でない限り、
話し合いは、長引くだろう。
(「行動経済学の逆襲」リチャード・セイラー著 遠藤真美 訳)