hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

人は迷惑をかけずにいられない

2016-02-29 12:50:34 | 基本的な考え方
「人は迷惑をかけずにいられない」


「人に迷惑をかけてはいけない」
と、よく言われます。

これをやってる人は、ちょっと厳しいですね。

「自分は人に迷惑をかけていない」

という人は、

「自分の力だけで、ちゃんと生きてます」

って思ってます。


でも、本当でしょうか?

人は、たくさんの生き物、植物、動物に、

迷惑をかけながら生きているのでは?


生きていくために、

米を毎年、何百万粒と食べ、

パン食の人パスタの人は、小麦を何百万粒食べ、

キャベツ、ネギ、人参、ジャガイモ、大根、ゴボウ、レンコン、サツマイモ、玉ねぎ、ほうれん草、小松菜、ブロッコリー、ピーマン、大豆、椎茸、舞茸、えのき茸、、、などを食べ、

ワカメ、海苔、納豆、豆腐、油揚げ、を食べ、

オリーブオイル、ヒマワリ油、菜種油、ごま油、亜麻仁油、、などを使い、

醤油、味噌、ソース、ケチャップ、塩、を使い、

魚や貝、イカ、タコ、カニを、何百匹と食べ、

卵を何百個と食べ、

鶏、豚、牛を、何頭も食べているはずです。

最後に、

チョコレート(これはカカオ豆)、あんこ(これは小豆)、クリーム(これは動物性か植物性から造られ)、も食べ、

コーヒー、紅茶、緑茶を飲みます。


小蝿はハエ取り器でとり、

道ばたの草を踏みつけ、

夏に蚊を殺す。


「私」が快適に生きていくために。


全て「生き物」ですよね。


(「塩」だけは、生き物ではないんですが、自分で採りに行ったり、造ることは出来ないので、

人の力を借り得ているので、大きな意味で、「他の生きた人のおかげて手にできるもの」で「生きた人のおかげの物」です)


私たちは、

どんなに、他の生き物にいろいろ迷惑をかけてきたか、わかりません。


「人に迷惑をかけないで生きる」

という考え方は、

道徳的に正しいかもしれません。


しかし、

もう一歩進んで、もっと広く考え、

「人間は、他の存在に対して迷惑をかけていない、ということはありえないんだ」

と、いうことに気づくことが大事です。

「迷惑をかけながらでなければ、
生きていけない存在である」

というのが、「人」なのです。


「迷惑をかけないで生きるぞ!」

と考えるよりも、

「迷惑をかけなければ生きていけないのだから、

自分を支えてくれている他の存在物に、

感謝しながら生きよう!」

と、いう方が、ずっと素敵です。


生きているということは、

いろんな物の「おかげ様」なんですよね。

笑み字(^_^)神尾:…、もん@原町…、mutsu、Rizzla-TV、mou-ushi777

2016-02-28 13:58:19 | 笑み字
神尾:神様といわれるけど全然違うけど野望はある僕の人生さん 生まれてきてくれてありがとう

もん@原町のおじさん 生まれてきてくれてありがとう

mutsuさん 生まれてきてくれてありがとう

Rizzla-TVさん 生まれてきてくれてありがとう

mou-ushi777さん 生まれてきてくれてありがとう


判断に迷ったら、

2016-02-27 19:48:54 | 基本的な考え方
「判断に迷ったら、」


「今、どっちを選んだら、一歩成長できるか?」

で選ぶと、間違いないです。

人生は旅です。
成長の旅です。

成長しない人生って、最大の失敗なんです。

時間がない!
お金がない!

それは、やらない言い訳です。

やる気になれば、何でもできます。

時間がないなら、
どうやって時間を作ろうか。

お金がないなら、
どうやってお金を貯めようか。

そう考えるのが、前向きです。

一歩成長を目指す。

人間は、一歩、一歩しか、歩むことはできません。

一歩前へ、一歩前への繰り返し。


実は、

止まっているより、歩いているほうが疲れないのですよ。

歩きながら、貧血にはならないんですね。(≧∇≦)


だから、歩きましょう。

一歩、一歩、歩きましょう。

そしたら、景色が変わりますよ。


人生は、「今、ここ」の繰り返しです。

「線」に見える人生も、ルーペで拡大して見ると、
「点」の連続なんです。

ですから、
「点」の「今、ここ」が大事なんです。

「点」「点」「点」が、ずーっと続いて、線になるんです。

(数学でも習いましたよね)

ホントは、「線」の人生があるのではなく、

「そのとき」、「そのとき」の「点」を生きているんですね。

だから、
「今、ここ」が大事なんです。

最も大事なのは、「今、ここ」なんです。

「今、ここ」にしか、人生はないんです。

いかに「今、ここ」を充実させるか。

それが、人生の全てです。

「今、ここ」「今、ここ」「今、ここ」

「今、ここ」こそ、人生。

過去も関係ない!
未来も関係ない!

過去、未来は「今、ここ」の姿を変えたものなんです。

今までの「今、ここ」が過去を作り、

今の「今、ここ」が未来を創る。

「今、ここ」でやることをハッキリさせる。

それがわかると、ラクになる。


明日やろう、は、バカ野郎!
(「明日やろう」として先延ばしにすること)

昨日やろう、は、グズ野郎!
(「昨日やっときゃよかった」と後悔すること)

です。


迷わず「今、ここ」をやってください。

今から、「ここ」を生きてください。

それが、あなたの人生です。


迷わず行けよ!行けばわかるさ!
(byアントニオえのき)




湯は外へ

2016-02-26 18:50:04 | お話
「湯は外へ」


母は7年前の平成20年に亡くなった。

直腸がんをわずらい、人工肛門をつけていたが、元気に暮らしていた。

ある日、急に腹痛を起こし入院した。

その時、実家を切り盛りしてくれている甥に「もう、あかん」と言ったそうだ。

腸が癒着し、破裂したのだ。

私は、連絡を受け、東京から飛んで帰った。

幸い母はまだ意識があった。

私の手を握ってわずかにまぶたをを動かしたが、

安心したのか、まもなく静かに息をひきとった。

83歳だった。


母の人生は決して平坦ではなかった。

裕福な家で育ったが、母が嫁ぐ頃には没落していた。

舅は政治に財産を注ぎ込み、多額の借金を作った。

父と2人でそれを返済しようと体が曲がるほど働きに働いた。

最大の不幸は、逆縁という運命だ。

3人の子供に恵まれたが、
長女を39歳、長男を49歳の若さで、共にがんでなくしたのだ。

残ったのは私だけだ。

長男には子供がいなかったので、長女が残した2人の男子を

自分の手で育てあげ、今、そのうちの1人が家を継いでいる。

私の記憶では、母はどんな時も泣いたことがない。

本当に強い人だった。

どんなことも「運命」として受け入れた。

それは市井(しせい)の日本人の強さだった。


私は、判断に迷うと、今でも母の言葉を思い出す。

それは幼い頃、母とお風呂に入った時に言われた言葉だ。

昔は風呂が寒かった。

私は、早く温まろうと必死で手を動かし、

湯を自分のほうに取り込もうとした。

それを見て母は、

「湯は外へ、外へとかくもんだ」

と諭した。

自分だけ温まろうと湯を取り込むと、

脇の間から抜けてしまい、かえって温まらない。

反対に、

相手にも温まってもらおうと、湯を外へ外へとかけば、

湯が循環して、結果として自分が温まる。


「人生も同じで、

欲張って、自分だけ得をしようとしたら損をするぞ。

何事も、相手に得をしてもらおうとした方が良いぞ」

と母は言った。

この風呂での教えは、私の生き方に大きく影響している。

私は、母の言葉通り自分の利益を図るよりも、
他人の利益を図ることを原則にしてきた。

銀行員の時も、まず取引先の利益を優先した。

上司から「たまには銀行の利益を考えろ」と叱られたことがある。

しかし私は間違ってなかったと思っている。

金融も商売も人生も、自分だけ利益をえようと考えたら、うまくいくはずがない。

母は、決して学問をした女性ではなかったが、

地に足のついた本物の知恵を持っていた。

そして、これを私に与えてくれた。

ありがとう、母さん。


(「潮・母への感謝」江上剛さんより)


お風呂も地球も同じ。
外へ外へと、、

台湾で神様になった日本人

2016-02-25 14:15:56 | お話
「台湾で神様になった日本人」


台湾を深く知ってもらおうと、

一昨年の4月に「日本精神の学び」と「求め合うよりも与え合う」を合言葉として、

日本全国から集まってきた60名の方々と台湾ツアーを敢行しました。

よくある「グルメツアー」ではなく、

日本統治時代の薫りが残る足跡や建物、

日本人が祀られている場所を巡ったり、

台湾の日本語世代の方々のお話を聞いたり、

そんな日本の先人たちの心に触れる「スペシャルツアー」として企画をされました。


「飛虎(ひこ)将軍」と呼ばれて慕われ敬われいる日本人の
「神様」の廟(びょう)にも行きました。

なぜ、この日本人が台湾で「神様」として祀られているのか、

皆さんはご存知ですか?


それは太平洋戦争末期の、1944年10月12日のことです。

日本本土と同じように、台湾にも米軍が大規模な爆撃を開始しました。

台湾南部の台南のことです。

おびただしい数の米軍機が襲来し、それを迎え撃つために日本のゼロ戦が飛び立ちました。

激しい空中戦の中、米軍の戦闘機を数機撃墜した日本の戦闘機がありました。

しかし、その戦闘機もやがって尾翼に被弾しました。

すぐに脱出し、落下傘を使用すれば、その飛行隊員は助かっていたはずです。

しかし、

その隊員は、戦闘機を操縦し、郊外へ向かって飛び続けました。

眼下の町は、藁葺き屋根の家だらけでした。

炎上する機体が落ちれば、
あっという間に火は燃え広がり、

多くの人たちが間違いなく焼け死んでいたことでしょう。

民家のないところまで飛び続けた戦闘機は、

やがて空中で爆発し、

そこでようやく飛行隊員は脱出しました。

しかし、
その落下傘を米軍が攻撃したのです。

落下傘は破れ、隊員は激しく地面に叩きつけられました。

地元の人たちが発見したときには、すでに息絶えていたそうです。

その飛行隊員は、彼の遺品から
茨城県出身の杉浦茂峰(しげみね)少尉と確認されました。

享年21歳でした。


戦闘機が落ちて火の海になっていたら、
きっと焼け死んでいたであろう町の人たちは、

空を見上げながら、杉浦少尉に感謝しました。

自分の命以上に、他国の住民たちの命を優先したその行いは、

台湾の人たちの心を動かしました。

地元の人たちは杉浦少尉に対する最高の謝恩を表すために祠(ほこら)を建て、

永久にその恩徳を継承したいと考えました。

こうして

彼は、軍人であるにもかかわらず「神様」として祀られるようになったのです。


1993年、多くの地域住民の協力で、この祠は敷地50坪のきらびやかな廟に建て替えられました。

正面には「鎮安堂 飛虎将軍」と書かれた額が掲げられています。

「鎮安」は「邪気を鎮め、民を安心させる」という意味で、

「飛虎」は戦闘機、

「将軍」は台湾では神として祀られる勇士の意味です。

廟にかけられた横断幕には、日本語で

「歓迎日本国の皆々様、ようこそ参詣にいらっしゃいました」

と書かれてあり、廟の中には日本国旗が掲げられています。

朝夕2回、火のついたタバコが今は3本ずつ捧げられ、

朝は「君が代」、
午後には「海ゆかば」が流れ、

日本からの参詣者もたくさん訪れています。


冒頭に述べた台湾ツアーに参加した日本人とその廟を参拝したところ、
地元のお祭りの話になりました。

台湾にもお神輿があるのですが、

「日本人の飛虎将軍には日本製のお神輿に乗せてあげたい」

と切望されていることがわかりました。

その思いを感じ取ったツアーの主催者で、クロフネカンパニー代表の中村文昭さんが中心となり、

「お神輿奉納プロジェクト」が始まりました。


中村文昭さんと、

「博多の博多」の歴女として全国で日本の歴史の話をされている
白駒妃登美さん、

そして在台日本人として台湾と日本に関連した著書を多数執筆されている
片倉佳史さん

の3人がリレー講演会を行い、

お神輿奉納のための募金活動を
日本全国各地で行ってくださいました。

おかげで、お神輿制作と日本から運ぶ運賃に十分な寄付金が集まり、

2015年3月10日、中村さんを代表とする日本からの有志グループによって、

総ヒノキで作られたお神輿が奉納されました。

頭頂後には金メッキを施されたゼロ戦の模型がありました。


このプロジェクトがこんなに早く実現するとは、僕は全く予想していませんでした。

ツアーの3分の2くらい人たちは初めて台湾に来た日本人ばかりで、

台湾はどんな国かもよく知らないし、

「台湾には親日家が多い」

程度の情報しか知らない人たちでした。

でも台湾に来て、みんな変わりました。

現地の人たちと交流し、日本人の兵士が地元で神様として祀られていることに、皆さんとても驚いていました。

このプロジェクトが昨年実現できたことが、
僕はとても意義のあることだったと思っています。

終戦70周年の記念の年でしたから。

戦争の事はもう既に忘れられていることも多いですが、
これ以上風化させてはいけないと思います。

どれだけ多くの人たちが、
「行きたくない」と言う思いを抱きながら、
あの戦争に行ったことでしょう。

でも、みんな命を懸けて戦いました。

それは、

後の世の我々のためであり、

気持ちは等しく

「誰かを守るために」

という思いだったはずです。

さらに日本の人々のその思いは、

自国民の範ちゅうにとどまらず、

台湾人に対しても同様の心を示したのです。

そのことに国を越えて台湾の人々が感動し、

飛虎将軍が「神様」として祀られるようになったわけです。


(「みやざき中央新聞」H28.2.15号李久惟(ジョー・リー)さんより)


日本魂の立派な生き方ですね。

私は、他人を思いやる人がたくさんいる日本を誇りに思います。