「人は迷惑をかけずにいられない」
「人に迷惑をかけてはいけない」
と、よく言われます。
これをやってる人は、ちょっと厳しいですね。
「自分は人に迷惑をかけていない」
という人は、
「自分の力だけで、ちゃんと生きてます」
って思ってます。
でも、本当でしょうか?
人は、たくさんの生き物、植物、動物に、
迷惑をかけながら生きているのでは?
生きていくために、
米を毎年、何百万粒と食べ、
パン食の人パスタの人は、小麦を何百万粒食べ、
キャベツ、ネギ、人参、ジャガイモ、大根、ゴボウ、レンコン、サツマイモ、玉ねぎ、ほうれん草、小松菜、ブロッコリー、ピーマン、大豆、椎茸、舞茸、えのき茸、、、などを食べ、
ワカメ、海苔、納豆、豆腐、油揚げ、を食べ、
オリーブオイル、ヒマワリ油、菜種油、ごま油、亜麻仁油、、などを使い、
醤油、味噌、ソース、ケチャップ、塩、を使い、
魚や貝、イカ、タコ、カニを、何百匹と食べ、
卵を何百個と食べ、
鶏、豚、牛を、何頭も食べているはずです。
最後に、
チョコレート(これはカカオ豆)、あんこ(これは小豆)、クリーム(これは動物性か植物性から造られ)、も食べ、
コーヒー、紅茶、緑茶を飲みます。
小蝿はハエ取り器でとり、
道ばたの草を踏みつけ、
夏に蚊を殺す。
「私」が快適に生きていくために。
全て「生き物」ですよね。
(「塩」だけは、生き物ではないんですが、自分で採りに行ったり、造ることは出来ないので、
人の力を借り得ているので、大きな意味で、「他の生きた人のおかげて手にできるもの」で「生きた人のおかげの物」です)
私たちは、
どんなに、他の生き物にいろいろ迷惑をかけてきたか、わかりません。
「人に迷惑をかけないで生きる」
という考え方は、
道徳的に正しいかもしれません。
しかし、
もう一歩進んで、もっと広く考え、
「人間は、他の存在に対して迷惑をかけていない、ということはありえないんだ」
と、いうことに気づくことが大事です。
「迷惑をかけながらでなければ、
生きていけない存在である」
というのが、「人」なのです。
「迷惑をかけないで生きるぞ!」
と考えるよりも、
「迷惑をかけなければ生きていけないのだから、
自分を支えてくれている他の存在物に、
感謝しながら生きよう!」
と、いう方が、ずっと素敵です。
生きているということは、
いろんな物の「おかげ様」なんですよね。
「人に迷惑をかけてはいけない」
と、よく言われます。
これをやってる人は、ちょっと厳しいですね。
「自分は人に迷惑をかけていない」
という人は、
「自分の力だけで、ちゃんと生きてます」
って思ってます。
でも、本当でしょうか?
人は、たくさんの生き物、植物、動物に、
迷惑をかけながら生きているのでは?
生きていくために、
米を毎年、何百万粒と食べ、
パン食の人パスタの人は、小麦を何百万粒食べ、
キャベツ、ネギ、人参、ジャガイモ、大根、ゴボウ、レンコン、サツマイモ、玉ねぎ、ほうれん草、小松菜、ブロッコリー、ピーマン、大豆、椎茸、舞茸、えのき茸、、、などを食べ、
ワカメ、海苔、納豆、豆腐、油揚げ、を食べ、
オリーブオイル、ヒマワリ油、菜種油、ごま油、亜麻仁油、、などを使い、
醤油、味噌、ソース、ケチャップ、塩、を使い、
魚や貝、イカ、タコ、カニを、何百匹と食べ、
卵を何百個と食べ、
鶏、豚、牛を、何頭も食べているはずです。
最後に、
チョコレート(これはカカオ豆)、あんこ(これは小豆)、クリーム(これは動物性か植物性から造られ)、も食べ、
コーヒー、紅茶、緑茶を飲みます。
小蝿はハエ取り器でとり、
道ばたの草を踏みつけ、
夏に蚊を殺す。
「私」が快適に生きていくために。
全て「生き物」ですよね。
(「塩」だけは、生き物ではないんですが、自分で採りに行ったり、造ることは出来ないので、
人の力を借り得ているので、大きな意味で、「他の生きた人のおかげて手にできるもの」で「生きた人のおかげの物」です)
私たちは、
どんなに、他の生き物にいろいろ迷惑をかけてきたか、わかりません。
「人に迷惑をかけないで生きる」
という考え方は、
道徳的に正しいかもしれません。
しかし、
もう一歩進んで、もっと広く考え、
「人間は、他の存在に対して迷惑をかけていない、ということはありえないんだ」
と、いうことに気づくことが大事です。
「迷惑をかけながらでなければ、
生きていけない存在である」
というのが、「人」なのです。
「迷惑をかけないで生きるぞ!」
と考えるよりも、
「迷惑をかけなければ生きていけないのだから、
自分を支えてくれている他の存在物に、
感謝しながら生きよう!」
と、いう方が、ずっと素敵です。
生きているということは、
いろんな物の「おかげ様」なんですよね。