hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
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(^_^)私はとっても普通の人です。

「武家のお嬢様」②

2016-03-06 11:29:45 | 伝統的考え方
「武家のお嬢様」②


松平家では、そういう躾をお屋敷の中で教育されるわけです。

例えば、
祖母には「陳情の日」というのがあって、

その日は、たくさんの方がお越しになって、
控えの間でお待ちになるんです。

私は、そういう時、
お茶をお出しする女中の横で、

お差し替えをするお役目を仰せ付かるんですけど、

そのタイミングを、厳しく教え込まれました。

お飲みになる時、角度が上に上がった時に、お茶がなくなるんですけど、

それを直接見てはいけなくて、心眼で察するのです、と。

そして、

なくなったのが分かっても、すぐにお差し替えに行ってはなりません。

丹田で十数えて、肩の力をスーッと抜いてから

「お差し替えはいかがですか?」

と伺うと、

「あぁ、ちょうど飲みたかったのよ」

と喜んでいただける。

その
「ちょうど飲みたかったのよ」
って

思っていただける間(ま)も
心眼で感じられるようになりなさい、って言われるんです。

まさに、"おもてなし"ですけれども、
そういう事を教わるのは、一番初めは、三歳の時からです。

松平の主は、大門っていう大きなものから帰ってきて、

みんなでお迎えするんですけれども、

そこに三歳からデビューするんです。

畳に手をついてお辞儀をするんですけど、
子供は頭が重たくてカクンと前のめりになるでしょう。

そんなみっともない子は出しちゃダメってなるので、

三つ指をお膝の上につくように教えられました。

そうするとを背筋がピッとなって頭も落っこちなくて、

子供でもきれいにお辞儀ができるんです。

そういうふうに、

お辞儀一つをとっても、

ただ頭を下げればいいと言うのではなくて、

美しい所作でなければならないのです。

祖母の言葉で一番印象に残っているのも、

挨拶で、、、

「ご挨拶というのは、

頭を下げることではないのよ。

頭をふっと上げて、

懐でお迎えする、

というのが、ご挨拶よ」

というのは小さい頃から、よく聞かされていました。


松平家の挨拶というのは、
状況に応じて、頭を下げる深さが決まるんですけれども、

それも自分の心眼で感じ取らなければいけないんです。

これはとても大切な基本ですので、大概どこへ行ってもお話させていただきます。


それから歩き方についても、

ただ歩き方を正しくするのではなくて、

常に、美しく見えるよう、心がけなさいと躾けられます。

けれども、

あまりにそれにとらわれ過ぎると、

体に力が入って、

ロボットのような、ぎこちない歩き方になってしまいます。

ですから、

「天からの贈り物」って、

自分の体が天と繋がっているようなイメージを持つんです。

そうすると、

体の力が抜けて、

美しい姿勢で歩くことができるんです。


大切なことは、

美しい所作は、相手のために行うということ。

美しい所作は、

場の空気を浄化して、気持ちのよい場をつくり出す

ということです。


おしまい。(^_^)

(「致知4月号」葵パール社長 松平洋史子さんより)

「武家のお嬢様」①

2016-03-05 14:11:11 | 伝統的考え方
「武家のお嬢様」①


私の曾祖父(そうそふ)は、水戸徳川家の流れをくむ、讃岐(さぬき)国、高松藩松平家の末裔・頼聡(よりさと)で、

そこに嫁いだ曾祖母・千代子は、
井伊直弼の次女でした。

婚礼には、街道を埋め尽くすくらいお嫁入り道具を伴ってきたんですが、

桜田門外の変が起きて、
井伊直弼が水戸藩士に襲われてしまいました。

親が敵同士になりましたから、

普通だったら、
そこで離縁状を渡して終わりますけど、

2人は互いに想い合っていて、
明治になってから結ばれました。

二人の子である祖父の松平 胖(ゆたか)に嫁いだ祖母の俊子は、

鍋島の侯爵家だった鍋島直大(なおひろ)の、六女でした。

西洋の文化を重視していた鍋島家から、
武家の精神がしっかりと息づいてる松平家に移ってきたわけです。

娘の頃はとても活発で、学習院時代のお授業の終わりになる頃に、

「一番後ろで、お廊下に一歩足を出すぐらいの気持ちでいたのよ」

と、おっしゃっていました。

終わった途端に、真っ先に駆けて
テニスコートを取りに行ったんですって(笑)。


けれども、ただ好奇心が旺盛なだけではなくて、

17歳で結婚した後も、
立ち居振る舞いを厳しく躾けられてきました。

鍋島家の娘として身につけた、お琴とか、鼓とか、能とかも、ずっと続けられていました。

社会的にもずいぶん活躍した人で、

関東大震災の時には、

怪我をして避難してきた人たちを、

お屋敷のカーテンを包帯代わりにして手当てをして差し上げ、

炊き出しをして、皆さんに振る舞ったそうで、

それがきっかけで日本赤十字の活動に関わるようになりました。

その時の、祖母の話が印象的でしてね。

松平家では、"一汁一菜"で、

「二分は、人様のために」

という、
「腹八分」の精神が貫かれていてるんです。

そして、祖母は、

あの震災の時に、家にあったお米を皆さんに振る舞いながら、

「あぁ、これが"二分の精神"なんだなぁ」

と深く納得したそうなんです。


そして、家族と生き別れになった子供たちのために

「子供の家」というものをつくって支援もしました。

今もそれはあるんですけど、

昔のお嬢様っていうのは、

"奉仕"というか、

"人のために何かする"っていう覚悟を、常に持っていらしたんですね。

それから、"これからは女子の教育が必要だ"と考えて、

昭和女子大学の前身だった日本女子高等学院の創立の時に、

世田谷に土地を払い受けて支援しているんです。

創立者の人見東明(ひとみとうめい)先生に請われて校長を務めましたが、

その時に、松平の作法を女子教育に取り入れて、

女性は、「美しく、逞(たくま)しく生きていく」ことを伝え続けました。


私がお嫁に行ってからも元気にしておりましたから、
随分長く一緒でした。

1番の思い出は、私が大学生の時のこたでした。

ドライブ好きだった祖母を
月に1回連れて行くことを条件に、

車を買ってもらったのですが、

夏の暑い時に、
お蕎麦屋さんに入って「ざるそば」を頼んだら、

祖母は、ざるそばに、おつゆをザーッとかけてしまって、

「あら大変、

このお皿、おつゆが漏れている」

って(笑)。

祖母は、何しろ、まだお毒味がいるような時代に育ったものですからね(笑)。

でも、ありがたかったのは、

お店の娘さんが、

「すみません」

ってスッと下げて、

すぐに深いお皿に入れ替えて持ってきてくれたのです。

普通でしたら、

「そうではなくて、こうやって食べるんですよ」

って説明するんでしょうけど、

彼女はそうしなかった。

おそらく社員教育など受けていないでしょうけれども、

自分の気持ちに従って咄嗟(とっさ)にそういう対応ができるというのは素敵でしょ。

私は販売をやっていますから、

本当のサービスって、これだなあって、
いま振り返って、つくづく思うんです。


つづく…

(「致知4月号」葵パール社長 松平洋史子さんより)


昔のお嬢様って、すごいですね。(^_^)

よい友

2016-02-20 14:03:04 | 伝統的考え方
「よい友」


論語に、

「益者三友、損者三友、

直(なお)きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞(たもん)を友とするは、益なり。

便辟(べんぺき)を友とし、善柔(ぜんじゅう)を友とし、便侫(べんねい)を友とするは、損なり」

孔子は本当の友は、三種類あると説いています。


①素直で正直な人

正直者の友は、仮に自分が間違った道を歩んでも、必ず間違いを指摘し、正してくれる。

②誠実な人

誠実な人と接すれば、その真摯な心に影響を受け、自ずと誠実な行動を取ることができるようになる。

③知識の豊かな人

時流に明るく見識のある友ならば、情報によって正しい決断を下すことができるようになる。

一方、「損者三友」として、

体裁ばかりを気にする人、

媚びへつらう人、

口先ばかりで調子のよい人、

は、友としてふさわしくないとも説いています。

単に相手に求めるのではなく、互いに高めあえる存在こそ真の友です。

堕落するのを悪友といいます。

良き友であるよう、
日々努力を怠らず、自分を磨いていきましょう。

そして、
「誠実」と、いえば、

「誠実に生きる」というのは、

言葉通りに生きて、実を結ぶことをいいます。

「誠」は、「言(葉)」が「成る」と書く。

「言」葉の通りに「成る」ことが、「誠」です。

それが、「実る」と、「誠実」という言葉になる。

誠実に生きるって、

言った言葉通りに成って、そして、実ること。

嘘では、絶対達成できないですね。

ウソは実らない。

真実に生きることが大事です。

真実に生きると、万物が応援してくれます。

万物は真実から産まれたのですから。

真実は曲げられない。

「真」が「実」っているのだから。

ウソは、幻、まやかし、です。

これを知ってると知らないとでは大きな差が出ます。

馬鹿をじっと見るくらい、誠実に生きる。

こちらの方が、真実に生きることになります。

ちょっと昔の婦人の道

2016-02-10 13:56:35 | 伝統的考え方
「ちょっと昔の婦人の道」


「三従四徳(さんじゅうしとく)」といいます。

昔の中国の教えの中で、婦人のものです。

現代みたいに女性の社会的地位が確立れていなかった時のもので、

その当時は絶対的なものとして教えられていたようです。

しかし、
現在では、絶対的なものとすると、それだけで、しんどいです。

話半分ぐらいでいいのでは?(^◇^;)と思いますが、、、

でも、
何かに迷ったときの基本的な判断基準になるのではないかと思います。

参考にと思い、皆様に贈るものです。


🌸「三従四徳」🌸

「三従」とは、

家にありては父に従い、
嫁に出れば夫に従い、
夫を亡くせば子に従う。

「四徳」とは、

「純婦徳」、「謹婦言」、「正婦容」、「精婦工」

の四徳です。


これは女性が日常、奉公すべきこと。

進んで道を修めんとする者は、
一層完全に備えようと努力します。

以下に、ちょっと詳しく説明します。


🍀「三従」🍀

1「在家従父」――女の子が未だ嫁いで出ていかない内は、父母の教訓に聴き従う。

毎日お茶を差し上げ、ご飯を差し上げ、お母さんの奉公して他人からの恥を免れる。

各種の家事を学習する。

お茶、ご飯を怠慢してはならない。

兄嫁を恭しく敬い、父母に従順なことが必要である。


2「出嫁従夫」――女性は嫁に出て、夫の教訓に聴き従う。

礼を以って夫を敬い、当に婦道を尽くすべです。

事の大小を論ずることはなく、
夫を主とし自己の優れることを顕わしてはいけません。

家事を操を以って勤め、
夫の母に孝をもって従い、夫の叔父叔母を尊敬し、和気を貴いとなし、

夫がもし酒色・タバコ・賭博に貪欲で、喧嘩が好きで、正道を歩まざれば、

すべからず夫に勧めて過ちを改めさせなければなりません。

夫唱婦随、是が嫁に出て夫に従うことです。


3「夫亡従子」――もし夫が先に死別すれば、あらゆる事情につき子供と相談する必要がある。

決して自分だけで妄りに行動してはいけない。

子供の年が若ければ、
礼を以って教訓とし、溺愛してもいけないし、責めてもいけません。

もし亡父に子供がいなければ、
苦節を名目として、総て夫婦の情愛を思い起こすことが必要です。


これを、「三従」といいます。


🌸「四徳」🌸

第一徳「純婦徳」

「純婦徳」婦女は、清い心で慾が少ないこと、との教えです。

雑念を除き尽くし、心に智慧を生み、是非を明白にし、道を性命と知れば真である。

世情の俗縁は仮(偽)であり、古人に法を学び、道を訪ねて修行する。

輪廻の苦を脱し、良心で事を行い、衆と和し、己に克ち、人を助け善を成し、諸悪をなさず,多くの善を奉公する。

これが「純婦徳」です。


第二徳「謹婦言」

この教えは婦女の話し方についてです。

心を細心にして謹慎し、話す時には総て話す前後を考える必要がある。

でたらめな事を話してはならない。

俗に「病は口から入りて、禍は口より出ず」と言います。

故に益があるなら口を開き、
無益なら言わず、言葉を和らげ、顔は悦びを示し、話のあとは微笑んでいる。

このような人が始めて賢婦なのです。


第三徳「正婦容」

「正婦容」は婦女に行住坐臥、話し方、挙止、行動を問わず、全てについて、品行端正、穏当を根本とすることを教えます。

夫婦は和し善良であり、楽しみて淫を貪らず、各々は人の守るべき道を守る。

もし身ごもれば、胎教の法が必要です。

婦女は規則を守り、姿勢・態度がきちんとした人物にさせる。

これが「正婦容」です。


第四徳「精婦工」

「精婦工」とは、すなわち婦女にいろいろな仕事を全て学ぶことを教えるものです。

家事の処し方は勤倹を根本とします。

家の内外を掃除し、
乾かし浄らかにし、決して怠惰を習慣としてはいけない。

これが「精婦工」です。


以上が、

婦人の徳「三従四徳」です。

昔の女性の姿が目に浮かびます。

この考えは、今の人の中にも受け継がれているのでは、ないでしょうか。

知っておくだけで、以前より品性のある女性になることができますね。


若気の至りと親の恩

2016-02-07 14:32:01 | 伝統的考え方
「若気の至りと親の恩」


若気の至りで、親に反発することは、誰にでもあります。

それが、独立した大人への第一歩。

これがなければ、精神的独立は果たせません。

しかし、
いままでのご恩は、忘れてはいけない。

ご恩を忘れることは、恥ずかしいこと。

ー・ー・ー・ー

「仏説父母恩重経(ぶっせつぶもおんじゅきょう)」というお経があります。

中国で撰述され、江戸時代に我が国に伝えられたものです。

ここには、
親の十の恩が説かれています。

1、懐胎守護の恩
懐妊すれば、ただひたすらお腹の中の子の無事を思う。

2、臨生受苦の恩
母は陣痛の苦しみに耐え、父は安産を祈る。

3、生子忘憂の恩
ひとたび産まれれば父母は限りない喜びに浸る。

4、哺乳養育の恩
母は自ら体力の消耗は顧ずに乳を与え続ける。

5、廻乾就湿の恩
常に子供には快適な環境を与えようと願う。

6、洗濯不浄の恩
どんなに臭う糞尿も子供のためなら厭わずに洗いすすぐ。

7、嚥苦吐甘の恩
自分はどれだけ粗食に耐えても、子供には満足な食を与える。

8、為造悪業の恩
子供のためになるならば止むを得ず罪を犯し、自分が地獄に堕ちることもよしとする。

9、遠行憶念の恩
子供が遠くに行けば、無事帰宅するまで心配し続ける。

10、究竟憐民の恩
生きている間はもちろん、死んでからも子供を護ろうとする。

お経で説かれているということは、このことに気が付かない人が、いかに多いかということ。

「子を持って知る親の恩」とよく言われます。

たまには、

遠い先祖からの「先祖の恩」、

私たちが暮している平和な「国土の恩」、

教えを導いてくださる尊い「師の恩」、

そして、

何より慈しみ育ててくださった
「父母の恩」に思いを致し、

心から感謝してみましょう。


(「仏教生活 27年お盆号」竹内英真さんより)


知らずの恩は、たくさんあるもの。

先人のご恩に心から感謝してます。(^_^)