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般若心経の解説7、"受想行識"

2016-04-12 18:41:06 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀7


🌸🌸「受想行識(じゃそうぎょうしき)」🌸🌸


仏教では、物質と精神とを5つに分類して「五蘊(ごうん)」と総称します。

この「五蘊」については、先に触れました。

ふたたび、おさらいをしますと、

私たちの存在を含めて、

あらゆる存在を、
(1)色、(2)受、(3)想、(4)行、(5)識、の5つの集まり(五蘊)と、とらえます。

(1)色が物質に、
(2)から(5)が精神に相当します。

私たち私たちにとっては、
(1)が肉体に、
(2)から(5)が心にあたります。

ここでは、私たちの心に相当する「受想行識」について学ぶことにしましょう。

まず、「受」とは、感受作用のことです。

苦しいだとか、楽しいだとか、痛い、かゆいなどの感受作用一般を示します。

これには、
肉体で感覚的に受ける、快不快の感じと、

精神(心)で知覚的に感じる、苦楽などの感情があります。

ただし、人間によって、また時や場合によって、その程度が異なりますので、
多分に主観的であるといえましょう。

次に、「想」とは、心に浮かぶ像で、表象作用のことです。

概念や表象を作る作用、
また作られた概念や表象そのものも指します。

例えば、「赤い花」を見たときにおこる、「赤い」とか「花」という概念、

または、その概念を作るはたらきを「想」といいます。

また、心の中に思い浮かべられる、愛おしいとか、憎いという「想(おもい)」でもあります。

「行」とは、いろいろな意味を持っている言葉ですが、

ここでは、精神的なはたらきが一定の方向にはたらいてゆく面を指し、

意志、あるいは意志的形成力のこととされます。

最後に、「識」とは、認識作用のことです。

ふつう、眼耳鼻舌身意の6種の認識作用が、

それぞれの対象を認識するはたらきの総称をいいますが、

ここでは、知識と見てもよいでしょう。

説明がややかたくなってしまいましたが、

要するに「受想行識」とは、

私たちの精神作用、

つまり、心の働きを4種に分けた言葉であると解してよいでしょう。


(「あなただけの般若心経」より)

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