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般若心経の解説1、"観自在菩薩" "行深般若波羅蜜多時" "照見五蘊皆空"

2016-04-02 16:59:53 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀1


🌸🌸「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」🌸🌸

「観自在菩薩」は、観音さんと同じことです。

「観世音(かんぜおん)菩薩」ともいいます。

「観自在(かんじざい)」には、
世の中の多くの人々から観られつつ、

多くの人々を観て救う、はたらきが"自由自在"であるという意味が込められています。

この語は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の新しい訳語です。

これに対して、
「観世音(かんぜおん)」は、

それ以前の古い訳語です。

この「観世音」という語は、

この世の人々の、苦しみ悩む音声(おんじょう)を観察して、
彼らの苦悩を救いとる、という意味があるとされています。

「観音(かんのん)」は、
「観世音(かんぜおん)」を短くいったものです。

中国や韓国・日本では、
どちらかといいますと、
「観自在」より「観世音」あるいは「観音」の方が一般的に流布しています。

それは、なぜかといいますと、

後者の方が、
意味からも、語感からも、
私たちにより親しい懐かしい響きを持っているからでしょう。

その観音さんが、この「般若心経」の冒頭に、まず登場します。


🌸🌸「行深般若波羅蜜多時(ぎょうしんはんにゃはらみったじ)」🌸🌸

行は「修業する」「修業している」という意味、
深は「深い」という意味です。

「般若」といいますのは、
インドの古い言葉のサンスクリット語「プラジュニァー」
(パーリ語の「パンニャー」がより近いと思われますが)

の音を写した語です。

本来は「智慧」という意味です。

「波羅蜜多」も、サンスクリット語の「パーラミター」の音を写した語です。

「彼岸に至ること」とか
「完全に到達すること」を意味します。

したがいまして「般若波羅蜜多時」とは、
「智慧の完成」ほどの意味をもちます。

だだし、智慧といましても、小ざかしい智慧ではなく、

ものごとを正しく識別する能力、あるいはすべてを見通しと見識のことです。


🌸🌸「照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)」🌸🌸

ここでは、「五蘊(ごうん)」と「空(くう)」がキーワードです。

「照見」とは徹見(見通す)することです。

「空」は、普通は「そら」と読みますが、
仏教では、「くう」と読み、特有な意味を持たせています。

「五蘊」とは、「5つの集まり」ということです。

この世における物事、すべてを指します。

具体化には、

1)物質的構成要素(われわれの肉体をも含む)をあらわす「色(しき)」

2)われわれの感受作用の「受(じゅ)」

3)われわれが心に想うこと、すなわち表象作用の「想(そう)」

4)われわれの意志作用、つまりうちから作り出す力としての「行(ぎょう)」

5)さまざまなものやことを識別する作用の「識(しき)」

の5つのことです。

一方、

「空(くう)」といいますのは、あらゆる物事は、固定的な実体性を持っていないということです。

すべては変化し、流動的であるといいかえてもよいでしょう。

われわれは、土地や財産(お金や宝石)がなくならないように、

恋人が心変わりしないでほしい、

夫や子供と死に別れることがないように、

いつまでも、この若さと美しさを保ちたいなど、

と思っていても、ままなりません。

逆に、失恋してもそれ以上の素晴らしい恋人が現れることもあります。

失業しても、さらによい給料のよい職が見つかることもあります。

成績の芳しくなかった子供が、急に良い点を取るようになることもあります。

このように、

この世の現実は流動的であり、

いたずらに一喜一憂することなく、努力しなさいということが、

「五蘊皆空」のいわんとするところです。


(「あなただけの般若心経」より)

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