大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

2017年2月5日主日礼拝説教 マタイによる福音書26章31~35節

2017-02-05 17:00:46 | マタイによる福音書

説教「恵みとしての試練」

<先にガリラヤへ>

 先週共にお読みしました最後の晩餐の後、主イエスはこうおっしゃいます。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」。

「つまずく」という言葉は今日においては、教会用語的に使われることが多い言葉です。牧師の言葉につまずいて教会を離れてしまった、とか、教会の人間関係でつまずいて教会に行くのがいやになってしまった、そういうように使われます。聖書の原語では、つまずくとは、端的に言って「信仰から離れる」という意味です。

 弟子たちがつまずくこと、つまり信仰から離反することを主イエスは知っておられました。そしてそれが、神のご計画の中で、すでに決められていることを、ゼカリア書13章7節を引用して語られました。「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう。」

 主イエスが逮捕され、十字架刑におかかりになるとき、主イエスに養われていた羊の群れである弟子たちは散ってしまうのです。

 今日においても、最初に申しましたように、あの牧師につまずいて、とか、あの人につまずかされて、ということは良く言うことです。つまずいたり、つまずかせたり、それはたしかに悲しく残念なことです。一方で、つまずくとかつまずかせられるということをあまりに意識すると、だんだんと何も言えなくなるところもあります。こういうことをいうとあの人はつまずいてしまうんではないか?先回りしていろいろ考えて、結局、何も言えなくなってしまう、そういうこともあります。

 聖書を読みますと、主イエスに対しても人々はつまずいたのです。今日の聖書箇所では他ならぬ弟子たちがつまずくと預言され、じっさい、そうなります。他の聖書箇所でも、多くの人々が主イエスにつまずきました。たとえばマタイによる福音書13章57節には主イエスの故郷であるナザレで多くの人が主イエスにつまずいたことが記されています。

 ところで、一年ほど前にお話したことがあるお話です。私たちの大阪東教会の元長老-若くして長老になられた方でしたが、その方がその原因が何であったのかは今となってはわかりませんが、かつて、つまずかれました。信仰から完全に離れられました。洗礼を受けたことは自分にとって生涯の悔いだとまでご家族におっしゃっていたそうです。奥さんも娘さんもクリスチャンでした。ですから教会に戻る機会はいくらでもありました。しかし、頑なに信仰を拒否されていました。その方が、最晩年、信仰を取り戻されました。実に50年ぶりのことです。わが生涯において洗礼を受けたことが最大の悔いとまでおっしゃっていた方が、80歳を過ぎて生死の境をさまよう体験をされ、そののち、信仰を取り戻されました。その体験の詳細は分りません。しかしそれは、単に自分の死が現実的に迫ってきて、なんとなく恐くなって、神様に頼りたくなったというようなことではなかったでしょう。明確に神の救いと恵みを、聖霊によって知らされた、神の招きがあったということでしょう。羊飼いの元から迷い出た羊をどこまでもどこまでも探しつづける羊飼いである神のなせる業であったと思います。

 主イエスの弟子たちもつまずきました。しかし、主イエスはこうおっしゃっています。「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」

 あなたがたより先に、ということは、あとから弟子たちもガリラヤにやってくるということです。つまずいた弟子たちがふたたび主イエスのもとに戻ってくるということです。弟子たちの新しい歩みに先立ってすでに主イエスが先にガリラヤにおられる、つまり備えていてくださる、ということです。

 さきほどの元長老だけではありません。つまずく、信仰から離れてしまう、それは本来わたしたちひとりひとりの切実な問題としてあります。しかしなお、主イエスは先にガリラヤに行って、つまずいた者をむかえてくださいます。

 

<死ではなく命へ>

 そうおっしゃる主イエスに対して、ペトロはこう言います。「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません。」こういったペトロは結局、主イエスのおっしゃったとおりつまずくのですが、けっしてこの時点で心にもないことを言ったわけではないでしょう。このときのペトロの言葉には嘘偽りはなかったでしょう。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うだろう。」この主イエスの言葉はとても悲しい言葉です。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」なおもペトロは言います。実際、彼は、鶏が鳴く前に三度、自分は主イエスなど知らないというのです。だからといって、ペトロが愚かな言葉を言っているとは言えません。むしろこれは人間に言える精一杯の誠意ある言葉です。他の福音書ではエルサレムに向かう前にトマスという弟子が「一緒に死のうではないか」と言っています。弟子たちは皆心からそう思っていたのです。すべてを捨てて主イエスについてきた。多くの人々がつまずいても自分たちはつまずかなかった。主イエスがもしお亡くなりになることがあったら我々も死のう、本気でそう考えていたでしょう。しかし、現実に弟子たちはつまずきました。その弟子たちの弱さやいくじのなさを主イエスはお責めにはなりません。ただ、「わたしはあなたがたより先にガリラヤへ行く。」そうおっしゃいます。

 そもそも弟子たちが勇敢で、最後の最後まで主イエスを守るため戦って討ち死にすることを主イエスは願っておられません。人間の歴史においては、そのような勇敢な悲劇のヒーローやヒロインは語り継がれ、称賛されます。しかし、主イエスは、人間に称賛されるような自己犠牲的な最期であったとしても、そのような死で終わる物語を望んではおられません。キリストは命を与えに来られたお方です。御一緒に死なねばならなくなっても、とペトロは言いました。しかし、違うのです、先にガリラヤに向かわれる方は、一緒に死ぬのではなく、一緒に、新しく生きようと招いてくださる方です。私たちの信仰は華々しいかっこいい劇的な死ではなく、とこしえの命へ向かうものなのです。

 弟子たちはつまずいてよいのです。つまずいて、しかしなお生き延びれば良いのです。そしてガリラヤで復活の主イエスと出会い、新しくされるのです。命へと向かうのです。イスカリオテのユダは主イエスにつまずき、裏切り、自殺しました。ある意味、自分で自分の罪の責任を取って死んだのです。裏切りは称賛されることではありませんが、命をもって償った、そのことにおいて、人間的には理解できる態度です。

 一方で、他の弟子は、主イエスを捨てたその責任を自分たちではとっていません。人間的な考え方をすると、弟子たちは女々しくて、情けない存在です。でも、この世界で、本当に責任を取ってくださるのは神なのです。神ご自身が十字架にかかり、華々しい劇的な死ではなく、とてもみじめな形で死んでくださいました。キリストは悲劇のヒーローとして死んだのではありません。人々からさげずまれ、罵られて死なれました。死を、つまり人間の罪の裁きのしての死を、ご自身で引き受けてくださいました。死を引き受け、そのかわり、新しい命へと人間を導いてくださいました。

<最初の教会>

 今日は大阪東教会の創立135周年の記念日です。この教会に長く集っておられる方はご存じでしょう。この教会は、アメリカのカンバーランド長老教会から派遣されたA.D.ヘール宣教師の宣教によって立てられました。ヘール宣教師、ヘールご兄弟で宣教されていたわけですが、ヘール兄弟は、大阪のみならず、この関西地区全体、和歌山などにも宣教されました。教会だけでなく、大阪女学院などの教育施設も立てられました。ちなみに2月19日の牧師就任式で司式いただく清藤牧師が仕えておられる和歌山教会もヘール宣教師の宣教によってこの大阪東教会とほぼ同時期に創立された教会です。ヘール宣教師兄弟の宣教はたいへん広範囲にわたっています。もちろんいまのように交通の便利な時代ではありません。当時の先進国アメリカからやってきたアメリカ人の宣教師はわらじをはいて、大阪や和歌山を歩き廻り宣教をされたと記録に残っています。住宅の環境も今とは違います。古い日本家屋で、たくさんの虫が出て困って蚊帳をつって寝た、というような記録も残っています。全く未知の環境で、慣れない文化の中でずいぶんと苦労されたことだと思います。

 ヘール兄弟ののちも、100周年の記念誌などを読みますと、それぞれの時代に教会を支えられた人々のご苦労が良くわかります。その長い歴史の中で、大阪東教会には明るい時代も暗い時代もあったことがわかります。100年から後のその時代についてはここにおられる皆様の方が私より良くご存知かと思います。良くご存じの、多くの苦労があったかと思います。ご苦労なさった方々の中には、すでにこの場におられない方もおられます。

5世紀の神学者アウグスティヌスは「すべての地上の教会にはしみもしわもある」そう語っていました。アウグスティヌスは今から1500年も前の人ですから、その当時からそれぞれの教会は問題を孕んでいたということでしょう。教会が傾いたり、もめたり、分裂したり、そういうことは多くあったのでしょう。でも別にこれは驚くことでもありません。

 なぜなら、今日の聖書箇所について、ある方はこうおっしゃっています。「これは最初の教会が崩壊した場面だ」と。主イエスのもとに立った、最初の教会の教会員が全員つまずいて、その最初の教会が崩れ去ったのだとおっしゃるのです。主イエスがお建てになった最初の教会が崩壊するのですから、そののちに人間が立てた教会が様々な問題で揺れ動くのは、ある意味、当然のことです。

 しかし、このいったんは崩れ去ったかに見えたこの教会は、ふたたび立ち上がるのです。主イエスがガリラヤに先にいって、既に備えておられたからです。弟子たちが反省して奮起して教会を再建したわけではありません。もちろん、ペンテコステののち、弟子たちは奮起して宣教に励みました。しかし、その働きは、先にガリラヤに向かわれた主イエスの備えのうちにありました。

<さあガリラヤに行こう>

 教会は、しみもしわもあり、時に崩れ落ちそうになる時もあります。しかしなお、その教会を支えてくださる方があります。先にガリラヤに向かわれる方が支えられるのです。この大阪東教会もそうでした。これからもそうです。

 そして、本当の勇気は、裏切らない人間になることではありません。逃げない人間になることではありません。自分の弱さも欠点もすべて抱えて、ガリラヤへ、キリストの元へいって、弱さや欠点を差し出すこと、それが勇気です。そして教会は、悲壮な覚悟をして死ぬまで頑張って守るものではありません。人間の弱さも欠点もすべて引き受けてくださる方が守ってくださるのです。教会はキリストの体であると言います。教会が傷つくとき、もっとも痛みを覚えられるのはどなたでしょうか。その体の主であるキリストです。キリストはご自身の体を痛めながら、しかしなお、そこにつながる者へ命への道をさし示されます。

 わたしたちは悲壮な覚悟をして死ぬまで頑張るのではありません。すべてのことを担ってくださる神に信頼して神から新しいとこしえの命をいただいて歩みます。教会もまたキリストの命をいただき、希望に向かって歩んでいきます。

 


2017年1月29日主日礼拝説教 マタイによる福音書26章17~30節

2017-02-05 16:47:19 | マタイによる福音書

説教「最後の晩餐」

<裏切り者はだれか>

 今の若い人はご存じないと思いますが、昔、「刑事コロンボ」という人気テレビドラマがありました。ピーターフォークという俳優が演じる味わいの深い、しかしちょっととぼけたコロンボ刑事が事件を解決していくという刑事ドラマでした。通常の刑事もののドラマやサスペンスドラマでは、事件が起こって、その犯人が分っていない状態から、だんだんと犯人が絞られていく、あるいはどんでん返しのように突然犯人が分るというストーリーが多いですが、この「刑事コロンボ」は最初から視聴者には犯人はわかっている流れになっていました。刑事コロンボも早い時期に犯人の目星をつけていて、その犯人を巧みに追い詰めていくドラマでした。刑事コロンボと、たいていは社会的に高い地位にある犯人とのスリリングなやり取りを楽しむストーリーとなっていました。

さて、私たちは今日、主イエスと弟子たちの最後の食事の場面を読んでいます。「最後の晩餐」としてたいへん有名な箇所です。その席上で主イエスはあろうことか、「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」とおっしゃいます。いま聖書を読んでいる私たちは、その裏切り者がイスカリオテのユダであることを、その前の聖書の場面で、すでに知っています。主イエスもご存じです。しかし、主イエスは刑事コロンボが犯人を追いつめていくようには、ユダを追いつめることはなさいません。さらにいえば、裏切り者は、ユダであるのに、他の弟子たちの反応も不可思議です。通常のサスペンス物語とは全く違う展開がこの食事の場面にはあります。そんな食事の場面から御言葉を共に聞いていきたいと思います。

<重苦しい食事>

最後の晩餐は先生と弟子たちの食事です。それも過越しの祭りの食事、特別な食事です。以前、大阪クリスチャンセンターで過越し祭の食事を食べる会というものがあって、それに出席したことがあります。ちゃんとイスラエル人の教師から食事のメニュー一つ一つの解説をうけながら過ぎ越しの食事を体験する会でした。過越し祭自体が、前にも説明しましたように、出エジプトの出来事を記念したお祭りです。奴隷であったイスラエルの民がエジプトを脱出するその出来事を思い起こす祭りです。前にも申しましたように神の災いが過ぎ越すように小羊の血を戸口に塗り、小羊を食べた出エジプトの出来事を記念し、過越しの祭りでは小羊を食べます。もっとも現代の過越し祭は紀元60年代のエルサレム神殿の崩壊以降、動物の犠牲を捧げられなくなったので小羊は食べないそうです。その過越し祭の食事体験の日も子羊の骨だけが置かれていました。また出エジプトのときは、いそいでエジプトを脱出しないといけないために、ゆっくり発酵させたパンを食べる時間がなかったので、醗酵させていない種無しパンを食べたことを覚えて過ぎ越しの祭りでも種無しパンをたべます。これはパンというより硬めのワッフルみたいなものです。このパンの由来から過越し祭を除酵祭ともいいます。過越しの食事ではそれ以外のメニュー一つ一つにも意味がありました。たとえば、イスラエルの民を解放しないかたくななファラオの率いるエジプトに対して神がくだされた10の災いを表す10滴のワインを皿に落としたりしていただきます。主イエスもそのような過越し祭の食事を召し上がられたのでしょう。それは、かつてイスラエルが神によって解放されたことを感謝する喜ばしい祭りの食事です。しかし、主イエスと弟子たちの食事には最初から重苦しい雰囲気が満ちていました。主イエスご自身が、祭りの前に、祭りの間に捕えられ殺されると話されていました。ですから、この場で誰も口に出さずとも、ある種の緊迫感が漂っていたことでしょう。しかも、主イエスは食事の席上、先ほど申し上げたように、とんでもないことを口走られます。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

主イエスの逮捕、死刑ということですら、とてつもなく重苦しいことである上に、裏切り者がここにいるのだと知らされ、さらに弟子たちのなかに混乱が生じさせました。それも不思議なことですが、ユダ以外の弟子たちが「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めたと言うのです。通常のサスペンスドラマならば、もちろんそれは事件が明確に起こってから後のことですから、犯人でない人物は自分が犯人ではないことを基本的にはっきり知っているわけです。ですから刑事や探偵が「この中に犯人がいる!」といったとき、犯人以外の人物は自分が犯人とは思いません。それに対し、この晩餐の場面は、実際には事が起こる前ですから、だれもが裏切り者になる可能性はあるといえばいえないくもありません。でも、それであったとしても「まさかわたしのことでは?」と皆が言いだしたというのは異様なことです。それは「イエス様、まさか私を疑っておられるわけではないですよね?」という確認の意味だったのでしょうか?そうかもしれません。でもここではなにかが明確に崩れていっているのです。教師と弟子の間の信頼関係もそうですし、弟子自身の心の中の確信も壊れているのです。まさかわたしでは?誰もが主イエスを裏切る可能性がある、そのことを弟子たちは主イエスの言葉によって知らされたのです。弟子たちの心にすでに主イエスへのいくばくかの疑い、失望というものがあったのかもしれません、だから、ひょっとしたら自分は裏切るのかもしれない、そのような思いが浮かび上がってきたということでしょう。それまで意識していなかった弟子たちの心の中の思いが浮かび上がってきたといえるでしょう。実際、弟子たちは裏切るのです。この食事の後、逮捕された主イエスを捨てて逃げ去ってしまうのです。

これはとても重苦しく悲しい場面です。人間は通常であれば、好んでだれかを裏切ろうとは思いません。私はあの人を裏切ってやろうと最初から計画的に近づいていくわけではありません。計画的にやるのならそれは詐欺行為であり、裏切りではありません。でも結果的に裏切ってしまう、そんなことはあります。だいそれた裏切りでなくても、小さな裏切りを人間は重ねてしまいます。人間は、誰に対しても私はいっさい裏切ったことはありませんと言い切ることはできません。人間は皆、罪人だからです。私たちは人を裏切り、また自分自身をも裏切ります。その裏切りは、私たちの罪、つまり神への裏切りに起因します。人間のなす大きな裏切りも小さな裏切りも、その根本のところに神への裏切りがあります。

「主よ、まさかわたしのことでは?」わたしたちもまた、自分たちの心の中を主イエスの言葉によって照らされるとき、私たちの裏切りの心を明らかにされるのです。キリストを十字架へと引き渡す罪、神への反逆が私たちの心にあります。私たち自身がキリストを裏切り、十字架へと引き渡す罪を犯したのです。

<新しい契約>

しかし、この晩餐はそんな人間の愚かな悲しい罪をうかびあがらせて、やりきれない話だけで終わるものではありません。主イエスの心はすでに自分の十字架と復活ののちの弟子たちへと向けられていました。今日お読みする後半のところに、「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』」これは、教会に長く来られている方はご存じでしょう、聖餐式の時、読まれる言葉です。来週、私たちは聖餐式にあずかりますが、キリストはご自身の死の前に、聖餐を制定してくださいました。「取って食べなさい」「これはわたしの体である」あなたたちは、私を裏切ることになる、私を捨てるだろう。そんなあなたたちのために私は自分を捧げよう、あなたたちは私を食べるのだ、どうか食べなさい、そう主イエスは語られています。ヨハネによる福音書には「わたしは命のパン」であるという主イエスの言葉が記されています。私たちはまさに命のパンとして主イエスを食べるのです。こういうとなにか猟奇的な印象を持たれるかもしれません。実際、当時も、またその後のキリスト教の歴史においてもそのようにとられたことはあります。しかし、命のパンは、御言葉ということでもあります。私たちは御言葉を食べるのです。命の糧として食べるのです。しかし、その命の糧は主イエスご自身の肉体が現実にささげられたということと切り離して考えることはできません。ただの知識としての言葉ではありません、キリストの体である言葉です。切り裂かれた体である言葉です。

「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」

さきほど、過ぎ越しの祭りは出エジプトにおいてイスラエルが解放されることを祝うものだと申し上げました。そのために神の災いがイスラエルの家々を過ぎ越していくために小羊の血が必要でした。小羊の血が塗られている戸のある家を災いは通り過ぎて行ったのです。しかし、いまここで主イエスが「私の血を記念して杯から飲みなさい」とおっしゃっています。これは新しい契約の血である、と。それはまさに主イエスが新しい過越しの祭りを制定されているといえることです。あなたたちが罪から解放されるように、罪の縄目から脱出できるように、私はこれから十字架にかかる、それは新しい出エジプトである、あなたたちの罪による災いは通り過ぎていく。それは私の血によって、過越していくのだ。そのことを弟子たちに知らせるために主イエスは弟子たちと過ぎ越しの食事をなさり、聖餐の制定をしてくださったのです。

<準備されていた食事>

ところで、聖書箇所を少し遡ってお話ししますが、19節に「弟子たちは、イエスに命じられるとおりにして、過ぎ越しの食事を準備した。」とあります。そのまえには主イエスが「都のあの人のところに行ってこう言いなさい」とおっしゃっています。つまりここでわかるのはこの過越しの食事の準備は、たしかに最終的には弟子たちがしたのですが、その根本となる準備、段取りは主イエスご自身が備えておられたということです。マルコによる福音書では弟子たちが主イエスに指定されたところに行ってみると、すでに食事が整えられていたと記されています。マタイによる福音書では短く記されているだけで、詳細はわかりませんが、この食事を備えられたのは主イエスご自身であるということは同様です。主イエスは、食事の準備をされていました。備えておられました。『わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする』と言いなさいと主イエスは命じておられます。「わたしの時が近づいた」そう主イエスはおっしゃっています。そうです、まさにこの時こそが主イエスの時なのです。十字架の時なのです。

ユダヤでは一日は日没と共に始まります。過越しの食事は主イエスの十字架の前日と私たちは考えますが、聖書の感覚で言うならば、すでにこれは、十字架の日の始まりの出来事です。主イエスの最後の晩餐は、十字架の日に行われました。そしてそれこそが主イエスの時だったのです。イエス様はクリスマスに降誕されました、そのときから、ただこの時のためにこの日のために歩んでこられました。弟子たちと過ぎ越しの食事をする、まさにこのときのために、あたらしい出エジプトを宣言する、このときのために主イエスの30年余りの地上での日々があったのです。そのためにすべてのことを備えておられた。この日の食事も備えておられた。ある方は、30年ではなく、旧約聖書の時代から、神はこの時を備えていたともおっしゃっています。

主イエスの十字架はたしかに人間の裏切りによって実現しました。ファリサイ人、律法学者たちの妬み憎しみによって、民衆の愚かな熱狂によって起こりました。しかし、それはすべて神のご計画によるものでした。神は人間を救うために、ただこの日へ向けて、すべてのことを備えておられたのです。

<共に食事をする>

もう一度、聖餐の制定の場面を読みます。主イエスは杯から飲みなさいとおっしゃったあと、29節でこう言われています。「言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」これは、この食事が、主イエスにとって十字架におかかりになる前の最後の食事であることを示されるとともに、<父の国であなたがたと共に新たに飲む日が来る>ことをおっしゃっています。ですから、この食事は最後であるが、実は最後ではない、そうおっしゃっています。「最後の晩餐」と私たちは呼んでいますが、これは新しい過越しの食事であり、さらにいえば、父の国での食事のさきがけ、始まりへ向かう食事であるということです。父の国で、共に飲むのだと主イエスはおっしゃっています。弟子たちは、そして私たちは「共に新たに」主イエスといっしょに飲むのです。父なる神の国で。旧約聖書にも新約聖書にも、天の国、神の国での、喜びの宴の場面が多く記されています。終わりの日に、私たちは神と共に、喜びの食事をするのです。

かつてローマの迫害時代、多くのキリスト教徒が殉教しました。その殉教者の棺の上で聖餐式が持たれたと聞いたことがあります。ですから今日でも、当時の棺の形をした聖餐卓があると聞きます。殉教者の棺の上での聖餐式というのは重苦しい悲しみの儀式のようにも思えますが、そうではありません。やがて天の国で「共に」食事をする、その先駆け、喜びの確認のための聖餐でした。

次週、大阪東教会は創立135周年を迎えます。教会の教会員原簿を見ますと、初期の教会員の生年月日は明治ではありません、幕末になっています。文久とか慶応なのです。原簿に名前のある多くの方がすでにこの地上での生涯を終えられています。しかしまた私たちはその先人たちと共に出会います。そして共に食事をするのです。喜びの食事をします。いま地上には悲しみがあり苦しみがあります。しかしその涙がぬぐわれ、共に喜びの食事をする日がきます。最後の晩餐、それはまるでこの世の苦しみ、罪を象徴するかのような弟子たちにとって重苦しい食事でした。しかしその食事は喜びへのさきがけでした。すでに主はその喜びを備えておられました。わたしたちもまた、次週、主の備えてくださった聖餐にあずかります。やがて出会う多くの先人たちを覚えながらよろこびのさきがけの聖餐にあずかります。新しい出エジプトを覚えます。共にあずかります。さらのその共なる食事に多くの人が増し加えられることを願いつつ、喜びにあずかります。