説教「恵みとしての試練」
<先にガリラヤへ>
先週共にお読みしました最後の晩餐の後、主イエスはこうおっしゃいます。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」。
「つまずく」という言葉は今日においては、教会用語的に使われることが多い言葉です。牧師の言葉につまずいて教会を離れてしまった、とか、教会の人間関係でつまずいて教会に行くのがいやになってしまった、そういうように使われます。聖書の原語では、つまずくとは、端的に言って「信仰から離れる」という意味です。
弟子たちがつまずくこと、つまり信仰から離反することを主イエスは知っておられました。そしてそれが、神のご計画の中で、すでに決められていることを、ゼカリア書13章7節を引用して語られました。「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう。」
主イエスが逮捕され、十字架刑におかかりになるとき、主イエスに養われていた羊の群れである弟子たちは散ってしまうのです。
今日においても、最初に申しましたように、あの牧師につまずいて、とか、あの人につまずかされて、ということは良く言うことです。つまずいたり、つまずかせたり、それはたしかに悲しく残念なことです。一方で、つまずくとかつまずかせられるということをあまりに意識すると、だんだんと何も言えなくなるところもあります。こういうことをいうとあの人はつまずいてしまうんではないか?先回りしていろいろ考えて、結局、何も言えなくなってしまう、そういうこともあります。
聖書を読みますと、主イエスに対しても人々はつまずいたのです。今日の聖書箇所では他ならぬ弟子たちがつまずくと預言され、じっさい、そうなります。他の聖書箇所でも、多くの人々が主イエスにつまずきました。たとえばマタイによる福音書13章57節には主イエスの故郷であるナザレで多くの人が主イエスにつまずいたことが記されています。
ところで、一年ほど前にお話したことがあるお話です。私たちの大阪東教会の元長老-若くして長老になられた方でしたが、その方がその原因が何であったのかは今となってはわかりませんが、かつて、つまずかれました。信仰から完全に離れられました。洗礼を受けたことは自分にとって生涯の悔いだとまでご家族におっしゃっていたそうです。奥さんも娘さんもクリスチャンでした。ですから教会に戻る機会はいくらでもありました。しかし、頑なに信仰を拒否されていました。その方が、最晩年、信仰を取り戻されました。実に50年ぶりのことです。わが生涯において洗礼を受けたことが最大の悔いとまでおっしゃっていた方が、80歳を過ぎて生死の境をさまよう体験をされ、そののち、信仰を取り戻されました。その体験の詳細は分りません。しかしそれは、単に自分の死が現実的に迫ってきて、なんとなく恐くなって、神様に頼りたくなったというようなことではなかったでしょう。明確に神の救いと恵みを、聖霊によって知らされた、神の招きがあったということでしょう。羊飼いの元から迷い出た羊をどこまでもどこまでも探しつづける羊飼いである神のなせる業であったと思います。
主イエスの弟子たちもつまずきました。しかし、主イエスはこうおっしゃっています。「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
あなたがたより先に、ということは、あとから弟子たちもガリラヤにやってくるということです。つまずいた弟子たちがふたたび主イエスのもとに戻ってくるということです。弟子たちの新しい歩みに先立ってすでに主イエスが先にガリラヤにおられる、つまり備えていてくださる、ということです。
さきほどの元長老だけではありません。つまずく、信仰から離れてしまう、それは本来わたしたちひとりひとりの切実な問題としてあります。しかしなお、主イエスは先にガリラヤに行って、つまずいた者をむかえてくださいます。
<死ではなく命へ>
そうおっしゃる主イエスに対して、ペトロはこう言います。「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません。」こういったペトロは結局、主イエスのおっしゃったとおりつまずくのですが、けっしてこの時点で心にもないことを言ったわけではないでしょう。このときのペトロの言葉には嘘偽りはなかったでしょう。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うだろう。」この主イエスの言葉はとても悲しい言葉です。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」なおもペトロは言います。実際、彼は、鶏が鳴く前に三度、自分は主イエスなど知らないというのです。だからといって、ペトロが愚かな言葉を言っているとは言えません。むしろこれは人間に言える精一杯の誠意ある言葉です。他の福音書ではエルサレムに向かう前にトマスという弟子が「一緒に死のうではないか」と言っています。弟子たちは皆心からそう思っていたのです。すべてを捨てて主イエスについてきた。多くの人々がつまずいても自分たちはつまずかなかった。主イエスがもしお亡くなりになることがあったら我々も死のう、本気でそう考えていたでしょう。しかし、現実に弟子たちはつまずきました。その弟子たちの弱さやいくじのなさを主イエスはお責めにはなりません。ただ、「わたしはあなたがたより先にガリラヤへ行く。」そうおっしゃいます。
そもそも弟子たちが勇敢で、最後の最後まで主イエスを守るため戦って討ち死にすることを主イエスは願っておられません。人間の歴史においては、そのような勇敢な悲劇のヒーローやヒロインは語り継がれ、称賛されます。しかし、主イエスは、人間に称賛されるような自己犠牲的な最期であったとしても、そのような死で終わる物語を望んではおられません。キリストは命を与えに来られたお方です。御一緒に死なねばならなくなっても、とペトロは言いました。しかし、違うのです、先にガリラヤに向かわれる方は、一緒に死ぬのではなく、一緒に、新しく生きようと招いてくださる方です。私たちの信仰は華々しいかっこいい劇的な死ではなく、とこしえの命へ向かうものなのです。
弟子たちはつまずいてよいのです。つまずいて、しかしなお生き延びれば良いのです。そしてガリラヤで復活の主イエスと出会い、新しくされるのです。命へと向かうのです。イスカリオテのユダは主イエスにつまずき、裏切り、自殺しました。ある意味、自分で自分の罪の責任を取って死んだのです。裏切りは称賛されることではありませんが、命をもって償った、そのことにおいて、人間的には理解できる態度です。
一方で、他の弟子は、主イエスを捨てたその責任を自分たちではとっていません。人間的な考え方をすると、弟子たちは女々しくて、情けない存在です。でも、この世界で、本当に責任を取ってくださるのは神なのです。神ご自身が十字架にかかり、華々しい劇的な死ではなく、とてもみじめな形で死んでくださいました。キリストは悲劇のヒーローとして死んだのではありません。人々からさげずまれ、罵られて死なれました。死を、つまり人間の罪の裁きのしての死を、ご自身で引き受けてくださいました。死を引き受け、そのかわり、新しい命へと人間を導いてくださいました。
<最初の教会>
今日は大阪東教会の創立135周年の記念日です。この教会に長く集っておられる方はご存じでしょう。この教会は、アメリカのカンバーランド長老教会から派遣されたA.D.ヘール宣教師の宣教によって立てられました。ヘール宣教師、ヘールご兄弟で宣教されていたわけですが、ヘール兄弟は、大阪のみならず、この関西地区全体、和歌山などにも宣教されました。教会だけでなく、大阪女学院などの教育施設も立てられました。ちなみに2月19日の牧師就任式で司式いただく清藤牧師が仕えておられる和歌山教会もヘール宣教師の宣教によってこの大阪東教会とほぼ同時期に創立された教会です。ヘール宣教師兄弟の宣教はたいへん広範囲にわたっています。もちろんいまのように交通の便利な時代ではありません。当時の先進国アメリカからやってきたアメリカ人の宣教師はわらじをはいて、大阪や和歌山を歩き廻り宣教をされたと記録に残っています。住宅の環境も今とは違います。古い日本家屋で、たくさんの虫が出て困って蚊帳をつって寝た、というような記録も残っています。全く未知の環境で、慣れない文化の中でずいぶんと苦労されたことだと思います。
ヘール兄弟ののちも、100周年の記念誌などを読みますと、それぞれの時代に教会を支えられた人々のご苦労が良くわかります。その長い歴史の中で、大阪東教会には明るい時代も暗い時代もあったことがわかります。100年から後のその時代についてはここにおられる皆様の方が私より良くご存知かと思います。良くご存じの、多くの苦労があったかと思います。ご苦労なさった方々の中には、すでにこの場におられない方もおられます。
5世紀の神学者アウグスティヌスは「すべての地上の教会にはしみもしわもある」そう語っていました。アウグスティヌスは今から1500年も前の人ですから、その当時からそれぞれの教会は問題を孕んでいたということでしょう。教会が傾いたり、もめたり、分裂したり、そういうことは多くあったのでしょう。でも別にこれは驚くことでもありません。
なぜなら、今日の聖書箇所について、ある方はこうおっしゃっています。「これは最初の教会が崩壊した場面だ」と。主イエスのもとに立った、最初の教会の教会員が全員つまずいて、その最初の教会が崩れ去ったのだとおっしゃるのです。主イエスがお建てになった最初の教会が崩壊するのですから、そののちに人間が立てた教会が様々な問題で揺れ動くのは、ある意味、当然のことです。
しかし、このいったんは崩れ去ったかに見えたこの教会は、ふたたび立ち上がるのです。主イエスがガリラヤに先にいって、既に備えておられたからです。弟子たちが反省して奮起して教会を再建したわけではありません。もちろん、ペンテコステののち、弟子たちは奮起して宣教に励みました。しかし、その働きは、先にガリラヤに向かわれた主イエスの備えのうちにありました。
<さあガリラヤに行こう>
教会は、しみもしわもあり、時に崩れ落ちそうになる時もあります。しかしなお、その教会を支えてくださる方があります。先にガリラヤに向かわれる方が支えられるのです。この大阪東教会もそうでした。これからもそうです。
そして、本当の勇気は、裏切らない人間になることではありません。逃げない人間になることではありません。自分の弱さも欠点もすべて抱えて、ガリラヤへ、キリストの元へいって、弱さや欠点を差し出すこと、それが勇気です。そして教会は、悲壮な覚悟をして死ぬまで頑張って守るものではありません。人間の弱さも欠点もすべて引き受けてくださる方が守ってくださるのです。教会はキリストの体であると言います。教会が傷つくとき、もっとも痛みを覚えられるのはどなたでしょうか。その体の主であるキリストです。キリストはご自身の体を痛めながら、しかしなお、そこにつながる者へ命への道をさし示されます。
わたしたちは悲壮な覚悟をして死ぬまで頑張るのではありません。すべてのことを担ってくださる神に信頼して神から新しいとこしえの命をいただいて歩みます。教会もまたキリストの命をいただき、希望に向かって歩んでいきます。