大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ヨハネによる福音書 4章43~54節

2018-06-28 18:09:31 | ヨハネによる福音書

2018年6月24日大阪東教会主日礼拝説教 「偶然ではない」吉浦玲子

<主イエスのしるし>

 ヨハネによる福音書では主イエスの行われた奇跡は「しるし」と書かれています。「しるし」というのは本来、何かの区別をつけるときにつけるものです。ある幼稚園では子供たちが、クラスごとに違う動物の形をした名札をつけています。クラスの違いを現わす「しるし」です。むかし、仕事でお付き合いのあったある製鉄会社は、役職によって帽子や腕章にひかれた線の数がちがっていて、その線の数を見て、新入社員はお辞儀の角度を変えるように指導されていました。私が働いていた職場でもある一定の役職以上になると、座る椅子の肘かけが変わりました。

 他と違うことを端的にあらわすのが「しるし」です。主イエスは、奇跡を「しるし」として行われました。そこに神の栄光が現わされていることを示す「しるし」です。ヨハネによる福音書での主イエスの最初の「しるし」はカナの婚礼の席での、水をぶどう酒にお変えになったことでした。その箇所を見ますと、「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた」とあります。栄光というのは、ヘブライ語のカーボードという言葉が元になりますが、これには輝きという意味と、重たいというニュアンスがあります。もちろん栄光と言うと輝かしいのですが、それはなにより重たいものなのだといえます。神の出来事を現わすのですから、当然、それは軽いものではなく、重たいのです。その重たい神の出来事のしるしとして主イエスは奇跡を行われました。

<ピンチはチャンス>

 しかし、人間にはその「しるし」の重さはなかなかわからないのです。神の栄光の輝きはなかなか見えないのです。ただ起こされた奇跡の出来事に驚嘆し、あるいは逆に偶然ではないか、トリックではないかと疑ったりするのです。

 そしてまた心からこれはすごいと驚嘆していても、その出来事に現わされた「しるし」を感じ取ることができません。そこに神の栄光を見ようとしません。神の栄光を見ない時、その出来事のすごさのみに注目します。そしてすごさを自分のために利用しようとします。利用というとなにか非常に悪いことのようですが、私たちは往々にしてそうなりがちなのです。

 主イエスはサマリアで二日間お過ごしになって、ガリラヤに戻られました。<「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」とはっきりおっしゃったことがある。>そう書いてあります。他の預言書には故郷の人々から明確に排斥される記事などもあります。しかし、今日の聖書箇所では、<ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した>とあります。ガリラヤの人々はこの場面では排斥したわけではないのです。むしろ、主イエスのなさった素晴らしい出来事を聞いて、自分たちの故郷のヒーローのような歓迎をしたのです。そこに悪意はなかったでしょう。しかしその歓迎は、神の出来事の重さを感じたものではなかったのです。主イエスを神の預言者として敬うものではなかったのです。今で言うならば、地元出身のオリンピックのメダリストや芸能人を歓迎するようなものです。そこに悪意や明確な計算はなく素直に地元出身者の活躍が嬉しいということはあるかもしれません。しかしその根底には地元になんらかの利益をもたらしてくれたという喜びや同郷の人の活躍に自分自身を重ねた自己肯定感による快さがあります。明確な悪意はなくとも、その根底に自分にとっての利益不利益、快や不快といったものが尺度となります。

 それに対して、王の役人は切羽詰まっていました。今日の聖書箇所に出てくる王の役人は息子が病気でした。それも重篤な病気でした。カファルナウムからガリラヤまで30キロぐらいありますが、その道のりを主イエスのところまでやってきたのです。王の役人ですから、それなりに権威のある人です。当然、子供を医者にも見せたでしょう。お金のかかる薬やさまざまな治療法も試みたかもしれません。結局、王の役人という権威は、息子の病気の前では何の役にも立ちませんでした。病と死の現実の前ではこの世の権力は無力であることをいやというほど知らされました。そして万策尽きてしまったのです。そこに主イエスの奇跡の噂を聞きました。もうこの方にお願いするしかない、そう思いつめて役人は来たのです。

 軽い言い方になってしまいますが、信仰において「ピンチはチャンス」であるといえます。キリスト教に限らずなにか信仰を持っている人、ことに生まれ育った家の宗教とはことなる宗教に入った人には、信仰を持っていない方から「よほどたいへんなことがあったのですね」と思われる節があります。病気であるとか、特別な悩みがあって宗教に入ったのだろうと思われる、人生のピンチにおいて宗教にすがる、そのように世間の人からは見られているところがあります。20代の頃、たまたま通勤電車の中で「仏教入門」のような本を読んでいました。当時はいろんな本を濫読していただけで、特に悩み事があったとかいうわけでもなく、仏像とかきれいだなあというくらいの興味で読んでいたのです。ところが数日後、職場の友人から言われました。その友人の友人が、私が電車の中で仏教の本を読んでいたを見ていたそうなのです。で、友人の友人は、私の友人に声をひそめて「あの人、なにか悩みでもあるのでは?」と伝えたというのです。その友人は私のことをよく知っていましたから、笑って伝えてくれましたが、世間一般では、よほどのことがあって宗教に入ると思われているようです。

 教会に来られている人が教会に来られるようになった理由は実際のところさまざまです。別にピンチだったからではないという人もありますし、実際、なにか人生に行き詰まって救いを求めて来られた人もいます。しかし、どちらであるにせよ、人生に行き詰まってしまった、そんなピンチは、神から与えられたピンチであり、同時に神を知るためのチャンスでもあります。すでに信仰を持っている人々も同様です。その信仰が深められ、信仰が実りを豊かにされるために試練と言うピンチが与えられます。

 この王の役人もそうでした。子供の病気という、自分の権威や財産ではどうしようもない現実の前に、主イエスのところへ向かったのです。それはその時は役人には分からなくても、神との必然の出会いのために神によって供えられたものでした。サマリアの女が暑い正午ごろ、ヤコブの井戸の前で主イエスと出会ったことも必然であったように、この王の役人にとっても、主イエスと出会う必然のために、息子の病という試練は与えられました。

<神のやり方>

 どうにかこの試練の中で、問題を解決してほしい、人間は願います。そこで神が解決をしてくださったら人間は満足をするでしょうか?そのときは満足し感謝をすると思います。そのことを通じて信仰を持つこともあるかもしれません。でもそれは神が自分の願いを聞いてくれたから信じるという信仰です。次の試練の時、神が解決してくださらなかったら、なんだこんな神様なんていらないというような信仰です。そういう信仰ではない、まことに神の「しるし」を「しるし」として見ることのできる、神の栄光の重さを感じ取ることのできる信仰が必要なのだと福音書は語ります。「しるし」を「しるし」として感じ取るには、神が自分の思い通りになされるのではなく、神が神ご自身のやり方で業をなさるのだということを知る必要があるのです。王の役人もそうでした。

 王の役人は「カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。」とあります。しかし主イエスは「ではすぐに行きましょう」とはおっしゃいませんでした。主イエスは「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない。」と、意外にも冷たくおっしゃるのです。王の役人は、当然、主イエスはカファルナウムの自分の家までやってきて息子に手を置いて癒してくださると思ったのです。30キロの道のりを歩いてきた父親です。主イエスへの信仰がなかったわけではないのです。しかしその信仰の質が問われたのです。

 似たような場面が旧約聖書にもあります。異邦人であるナアマン将軍というすぐれた将軍が重い皮膚病に罹りました。ナアマン将軍の上司である王がイスラエルの王に病気の癒しを依頼したという経緯もあり、ナアマン将軍は預言者エリシャに重い皮膚病を癒してもらうことになりました。そしてイスラエルにやってきました。ナアマンは数頭の馬と戦車に乗って部下と共にエリシャのところにやってきたのです。そこでエリシャは使いの者をナアマン将軍のところにやって「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい」と言わせました。これに対してナアマン将軍は怒りました。将軍と呼ばれ王からも目に掛けられている自分がわざわざイスラエルまでやって来たというのに、エリシャ本人は出てこず、使いをよこしてきただけで、ただヨルダン川で体を洗えとしか言われなかったのが不満だったのです。当然、預言者エリシャ自身がでてきて、体に手をおいて、癒してくれると思っていたからです。しかし、ナアマンは家来たちにいさめられ、結局、エリシャの使いが言ったとおりにヨルダン川で七度身を浸して癒されました。そしてナアマン将軍にはイスラエルの神への信仰を与えられました。ナアマン将軍は自分が期待したようなやり方ではなく癒されました。しかしその期待したようなやり方ではなかったというプロセスにおいて、自分が砕かれました。自分のやり方ではなく、神は神のやり方で良きことをなさることを知らされました。そこに本当の信仰が生まれました。

 今日の聖書箇所の役人もおそらく、主イエスにカファルナウムまで来ていただいて、手を置いていただき、病を癒していただきたかったのです。しかし、主イエスは自分が望んだようなやり方では願いを聞いてくださいませんでした。望んだようなやり方で願いが叶うのであれば、それは神はアラジンの魔法のランプの魔人のようなものになってしまいます。

 あることがらを熱心に願って祈っていてもなかなか聞かれない、そういうことが良くあります。状況はちっとも自分の願っている方向に向かわない、ところがある時、気がつくことがあります。自分の願ったようには状況は変わってはいないけど、もともと悩んでいたことは、気がつくと解消していた、ということに。たとえば、ある方は病気が癒されさえしたら、自分はもっとたくさんの人と知り合えて、またたくさんの人のために働くことができるのにと病の癒しを願っていました。でも病は癒されませんでした。しかし気がつくと、その人の書いたブログで多くの人が慰められていました。病気のために多くの人と知り合うことができない、人の役に立つことはできない、と思っていたら、実はブログを通して多くの人との交わりが与えられていました。その人の病の中にありながら明るく柔らかな文章に、しかし時には正直に辛さも打ち明けてあるブログに、とても多くの人が慰めや支えを与えられました。そしてなによりその本人が知り合った多くの人との豊かな交わりの内に喜びを与えられていました。

<神の言葉によって>

 王の役人は必死に主イエスに言いすがります。「主よ、子供が死なないうちに、おいでください。」さきほど、信仰の質が問われると申し上げました。子供が生きるか死ぬかの時にこれはとても厳しいことであると思います。信仰の質はもう少し落ち着いた時に問うてほしい、今はとにかく、子供の命がかかっているのだ、そっちのほうが大事だ、こう考えるのは人間として当たり前の感情です。しかし、実際のところ、信仰の質は、厳しい状況においてこそ問われるのです。ゆったりと余裕のある時、聖書もじっくりと読め、祈りの時間も取れる、そのような日々ではなく、むしろ、切羽詰まったぎりぎりの時に、あなたにとって信仰とは何か?と神は問われるのです。

 王の役人に主イエスはおっしゃいます。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」

 すると王の役人は「イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」とあります。これはとても不思議なことです。カファルナウムまで主イエスをお連れして癒してほしいと願っていた役人が、主イエスの言われた言葉を信じて帰って行ったのです。息子が死なないうちにと言いすがっていた49節とイエスの言葉を信じた50節にはおおきな信仰の飛躍があります。49節で息子が死なないうちにといいすがっていた必死だった役人は、50節で「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と主イエスに言われたとき、なんだ来てくれないのか、結局治せないんだな、何もしてくれないでいい加減なことを言いやがってと怒り狂うこともありえたはずです。しかし、驚くべきことに、この役人は<主イエスの言われた言葉を信じて帰って行った>のです。元気になった息子の姿をまだ役人は見ていないにもかかわらず、「信じて」役人は帰って行ったのです。主イエスの言葉によって信じさせていただいたのです。ヘブライ人への手紙11章の有名な言葉であります「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」があります。この役人にはまだ元気になった息子の姿は肉眼では見えていなかったのです。しかし、その癒しを確信させていただいたのです。主イエスの言葉によって、です。自分中心の信仰から、神のなさることをそのままに受け入れる信仰へと変えていただいたのです。自分の望みが自分のやり方で叶えられるのではなく、神の栄光の重みが現わされることを待ち望む信仰へと変えられたのです。それは主イエスの言葉によって起こることです。無理やりに役人はそう思いこんで帰って行ったわけではありません。主イエスの言葉によって確信を持って帰って行ったのです。そして実際に息子は癒されました。息子は生きたのです。しかし生きたのは、息子だけではありません。なにより王の役人自身が神の栄光の内に新しく生かされる者とされたのです。サマリアの女に与えられた永遠の生きた命の水が与えられたのです。肉体的には、癒された息子も父である王の役人もサマリアの女もやがて死んだでしょう。しかし彼ら彼女らは、主イエスの言葉によって「生きた」のです。それは単に心に平安が与えられたということではないのです。自分たちがまことに死を越える命に生かされているということを知ったのです。

 信仰はたいへんなときにこそ問われると申し上げました。先般、大阪に大きな地震がありました。私自身、震度5強の地域におりまして、人生で体験した最大の地震の揺れでした。本棚が倒れ、いくばくかのものが壊れました。私にとっては驚きでしたが、今回の地震の被害としてはごく小さなものです。亡くなった方もおられ家屋に大きな被害に遭われた方もおられます。しかし、そのような非常事態の中にこそ問われるのが私たちの信仰です。もちろん揺れている最中、あるいはさまざまな日常の復旧作業の中、祈りもままならないということはあります。目の前のことで精一杯ということは現実にあります。地震当日、二時間かけて淀川区の自宅から教会まで歩いてきました。祈っていたといえば祈っていました。しかし、正直、その日から数日はいろんな意味で自分の信仰が試されていると感じました。しかしなお、私たちの信仰は、その現実を越える命の信仰なのです。今は目の前の復旧活動に専念して、どうにか落ち着いてから信仰のことは思い出しましょうという信仰ではないのです。

 私たちは「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と叫んだ役人のように、目の前の現実に恐れ怯えます。死と崩壊の現実を恐れます。苛酷な現実に立ちつくします。しかしなお主イエスはおっしゃいます。「あなたの息子は生きる」。これは私たち自身にも<あなたは生きる>とおっしゃっているのです。<あなたは生きる>、どのような現実のなかでも私たちは生かされる、現実を越えて、永遠に生かされる、その命の言葉を聞くのです。単なる人生訓ではない、表面的な励ましではない。かつてがんばろー神戸という言葉がありました。がんばろー東北、がんばろー熊本、大分、もちろん傷ついた人々が立ちあがっていくとき、そのような合い言葉のようなフレーズは力になります。無駄ではありません。しかし根本的に人間をたちあがらせ、頑張る力を内側から与えるのは「あなたは生きる」という主イエスの言葉だけです。十字架の死から復活されたイエス・キリストの命の言葉だけが私たちをまことに生かすのです。人間は弱いので一度聞いても、また現実の中で怯えます。ですから繰り返し聞かせていただくのです。「あなたは生きる」という主イエスの言葉を。その命の言葉を繰り返し聞かせていただきながら私たちはどのような現実の中でも生き生きと歩みます。


ヨハネによる福音書 4章27~42節

2018-06-28 18:05:17 | ヨハネによる福音書

2018年6月17日大阪東教会主日礼拝 「信じる根拠」吉浦玲子

<主イエスと出会った者>

 主イエスは出会ってくださる神です。そして主イエスが出会ってくださったとき、そのとき、人間は、主イエスを伝えていく者とされます。まことに主イエスと出会った人は、出会ってくださった主イエスのことを語らざるを得なくなるのです。それは専門の牧師や伝道者になるということではなく、それぞれの場にあって、それぞれのあり方で出会ってくださった主イエスを語って行く者にされるのです。

 なぜなら、主イエスは私たちに尽きることのない泉をくださったからです。永遠の水をくださったからです。私たちは主イエスと出会う前、からからに渇いていました。渇いていることに気づかなかったかもしれませんが、実際、命の瀬戸際で私たちは渇いていました。その私たちを潤す永遠の水を主イエスはくださいました。からからに乾いていることすら気づいていなかった私たちを潤してくださいました。その水はとても豊かで、豊か過ぎて、自分の中でとどまるものではありません。あふれだしていくのです。主イエスの永遠の水があふれ出すので、私たちは主イエスを伝えます。もちろん福音書には主イエスの大宣教命令と呼ばれるものがあります。全世界へ出ていって、キリストの弟子にせよ、そう主イエスはおっしゃいました。しかし命令だから、しんどいけど、伝道をしないといけない、そういうことではないのです。キリストとまことに出会った者は、あふれ出す水の勢いによって、おのずと主イエスのことを語るのです。

 さて、少し前回の箇所の振り返りにもなりますが、サマリアの女と記されている女性と主イエスのやり取りを見てみたいと思います。サマリアの女性はスキャンダラスな女性でした。過去に5人の夫があり、現在は夫ではない男性と暮らしていました。言ってみれば、このサマリアの女は噂話のかっこうのタネになるような女性でした。普通に結婚をしている多くの人々が眉をひそめるような女性でした。女性はそのような世間の人々の自分に対する冷たい視線を痛いほど感じていました。ですから、なるべく人々と交際をしない生活をしていました。他の多くの女たちが水を汲みに来る朝ではなく、暑い正午にサマリアの女は水を汲みに来ていました。

 この女性は、心の奥底に満たされない思いがあったのでしょう。その満たされない思いを満たしてもらうことを人間に求めていたのでしょう。しかし、5人の夫を次々に持っても、サマリアの女の思いは満たされることはありませんでした。先週の聖書箇所では井戸の水について、女性と主イエスとの会話は始まりました。女性の心は、渇いていたのです。からからに渇いていたのです。井戸の水を汲んで飲めば肉体はうるおいます。しかし、それでも決して潤うことのできない心が女性にはありました。そしてその渇きは、そのサマリアの女性だけでなく、神を知らないすべての人間の渇きでもありました。私たちの渇きでした。罪による渇きでした。罪、すなわち父なる神と離れていることが渇きの根本的な原因でした。

 その渇いた人間が主イエスと出会いました。救い主である主イエスと出会ったのです。主イエスと出会った者は、父なる神との関係を回復させていただけます。主イエスの十字架と復活によって、私たちは父なる神と交わることができるようになったのです。ですから、深いところにある渇きを癒していただけるのです。聖霊をいただき、主イエスを通して父なる神との交わりを回復します。そして父なる神との関係が回復した者は、父なる神との関係を回復させてくださった主イエスを証せざるを得なくなります。最初にいいましたように、あふれるような思いに捉えられるのです。

<水がめを置いて>

 昼ごろ、人目を避けて水を汲みに来ていた女性は、28節を見ますと、「水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。」とあります。女性は水を汲みに来ていたのです。肉体を潤し、生活になくてはならない水を汲みに来ていた、そうしなければ彼女の生活は成り立たなかったのです。暑い昼に重労働でした。でもやらざるを得ない大事なことでした。その大事なことを放り出して女性は町に出て行ったのです。ヤコブの井戸から町までは距離としては1.5キロぐらいだそうです。むちゃくちゃ遠いわけではありませんが、歩くにはそれなりの距離があります。そこを暑い昼に20分ほどもかけて歩いたのです。いや、女性は水がめを置いて行ったくらいですから、矢も盾もたまらず小走りで町まで行ったかもしれません。人目を避けていた女性が、もともとの大事な用事を放り出して、人々のところへ出て行ったのです。それは単にすごい人と出会った、聖書で伝えられていたメシアかもしれない人と出会った、そのことを皆に伝えたいというだけではありません。いうなれば、さっき道で有名人と出会ったことを誰彼に吹聴したいというような、そのような思いではありません。その程度のことであるならば人の目を気にしていた彼女がわざわざ出ていくことはないでしょう。

 彼女が出て行ったのは、彼女が変えられたからです。深いところの飢え渇きが癒され、力が与えられたからです。もう人の目に怯える必要はなくなったからです。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて言いあてた人がいます。」と彼女は語りました。その姿は大胆でした。彼女は自分自身のこれまで日蔭の存在であったあり方をも臆することなく語っています。そして彼女は、なにか自分が立派な者として語っているのではないのです。この時点で彼女は自分の生活を変えたわけではありません。夫ではない男性との関係を解消したわけでもありません。まして過去を変えることはできません。ただただ、今のありのままの自分として語っているのです。

 主イエスの時代、ファリサイ派や律法学者たちは、人々の尊敬を受けていました。新約聖書の中では悪役的な存在ですが、実際には、人々から信仰深い人としてうやまわれていた人々でした。そしてファリサイ派や律法学者たちは基本的にはたしかにまじめで尊敬に値する生活をしていたのです。そしてその言葉は立派な人物が語る立派なこととして人々に聞かれました。しかし、サマリアの女は違います。もとより誇るような生活はしてこなかったのです。スキャンダラスな、人が眉をひそめるような生活をしていました。そんな自分のそのままで彼女は語りました。「さあ、見に来てください」と。

 世のなかには元やくざの牧師もいれば、元暴走族の頭の牧師もいます。元暴走族の頭の牧師は私自身、面識がある方です。有名な讃美歌AmazingGrace「いつくしみ深き」を作ったのは元奴隷商人でした。それらの人々は、すっかり自分が過去を清算して立派な人間になったから、主イエスのことを伝えているわけではありません。ただただ主イエスと出会っていただいた、そして変えられた、その喜びのゆえに主イエスのことを語っているのです。変えられた、というのは、まずその第一歩は、やくざから足を洗ったり、奴隷商人を辞めたということではなく、神の方向を向いて歩く歩みに変えられたということです。神に顔を向けて歩み出したということです。神の光の中を歩み出したということです。神の光の中を歩み出した時、それに続いて具体的な自分の生活も変わって行くのです。サマリアの女が、それまで人目を避けて生活をしていたのに、人々の前に出ていったように変えられます。光の中を歩んでいくとき、当然、やくざや暴走族の頭ではやっていけません。奴隷商人を続けることはできません。一人一人の生活は少しずつ、場合によっては劇的に変えられていきます。つまり、主イエスとの出会いと、主イエスについて語り出すことと、自分自身が変えられていくことは、同時進行的に起こることなのです。もっとも自分自身が変えられていく、それは一生かかって変えられていくということでもあります。変え続けられていくといっていいでしょう。どう変えられるのか?それはよく言われる言葉ですが「キリストに似た者」に変えられていくのです。一生かかって、少しずつ、私たちはキリストに似た者に変えていかれるのです。

<信じる根拠~ひとりひとりが出会う>

 主イエスとの出会いによって、新しく歩み始めたサマリアの女性は、「さあ、見に来てください」と語りました。繰り返しますが、世間的な評判の芳しくない女性の言葉です。通常なら、「ああ、あの女の言葉か」と聞いた人は聞き流すでしょう。ところが、驚くべきことに、39節を見ますと「さて、その町の多くのサマリア人は『この方が、わたしの行ったすべてのこととを言い当てました』と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。」とあります。つまり女性の言葉に力があったということです。女性自身に力があったわけではありません。主イエスと出会って変えられた女性に主イエスからの力が、そしてまた聖霊の力があったということです。律法学者やファリサイ派のように聖書に詳しいわけでもない一人の女性が、ただ主イエスとの出会いによって変えられた、その言葉に力があったのです。

 そして女性によって主イエスのことを知らされ、主イエスのもとに人々は行きました。「更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた」とあります。そしてまた今日の聖書箇所の最後のところに、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」と町の人々のサマリアの女への言葉が記されています。これはさらっと読むと、町の人々は、サマリアの女性へすこし意地悪なことを言っているようにも感じられます。しかし、そうではなく、人間はだれでも、一人一人が直接、主イエスと出会うのだということをここは語っているのです。最初に誰かから話を聞かされるかもしれません。主イエスを知るきっかけはさまざまあるのです。しかし、やがてひとりひとりが直接、主イエスと出会うことになるのです。主イエスを体験すると言ってもいいでしょう。今日においては、礼拝が主イエスとの出会いの場所となります。礼拝は、単に聖書の解釈を学ぶ場ではありません。聖霊が注がれ、ここで私たちは生ける主イエスと出会います。御言葉によって、聖餐によって、主イエスと出会います。永遠のいける水である聖霊が注がれ、私たちは主イエスを指し示されます。そして「わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かる」のです。そして信じるのです。礼拝ごとに新たに信じるのです。

<豊かな刈り取りへ向けて>

 さて、主イエスとサマリアの女性、そして町の人々とのやり取りに挟まれるように、主イエスと弟子たちのやりとりが31節から記されています。弟子たちは、主イエスがサマリアの女性とのやり取りをし、そしてまたサマリアの女性を通じてサマリアの人々がやってきて多くの人々が主イエスを信じる者とされるという出来事において、なんら、具体的な役割を担ってはいません。

 ただ、たとえば27節に「ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた」とあります。通常、「先生」と呼ばれる教師は、当時は女性とは話などはしなかったから弟子たちは驚いたのです。女性は数の内に入らなかったからです。話すに足りない者とされていたからです。しかし、弟子たちはサマリアの女性と話をされている主イエスのお姿に何かを感じたのでしょう。主イエスを止めたり、問いただす者はいなかったのです。そしてサマリアの女性が水がめを置いて町に行ったあと、弟子たちは主イエスに食事を進めますが、そこでの会話も主イエスと弟子たちの間はちぐはぐな感じです。主イエスは、サマリアの女性が御自身の言葉を信じて、人々に伝えにいったことを知っておられました。そして目の前にいる弟子たちもまた、やがて人々に自分のことを知らせに行く者となることを御存知でした。サマリアの女性は暑い中を町まで行きました。弟子たちもやがて迫害の中を伝道することになるのです。

 そのことを主イエスはよくよく御存知であって、御存知のゆえにおっしゃるのです。「あなたがたは『刈り入れまでまだ四カ月ある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。」あなたたちの目の前にはまだ実っていない畑が見えているだろう、刈り入れはまだまだ先だと思っているだろう、しかし、そうではない、もう色づいている、刈り入れを待っているではないか?この色づくというのは、黄金色とも訳せる言葉です。あるいは白いとも訳せ、白く輝いているとも言える言葉です。私たちの現実は、多くの場合、黄金色でもなく輝いてもいないように見えるでしょう。しかし、主イエスの目にはそうではないのです。神の目にはそうではなく、すでにたわわに実っている、輝いているのです。私たちの日々も、また教会の置かれている状況も、現実においては厳しく多くの課題があります。しかしなお、顔を上げて見よ、それは輝いている、既に実っているのだと主イエスはおっしゃいます。暑い中を小走りに町に向かう女性へ、やがて宣教へと乗り出す弟子たちへ、あなたたちの道には豊かな実りがある、それはすでにもうここにあるのだと主イエスはおっしゃるのです。

 荒れ野のように見える現実が、主イエスが共のおられる時、豊かに実った畑とされるのだとおっしゃいます。私たちは、荒れ野のように見える現実の中で、しかし、主イエスが共におられる時、たしかに豊かに収穫させていただくのです。中庭に鉢植えのぶどうがあります。昨年の秋、実ったぶどうを皆で食べましたが、冬には枯れたようになっていました。特にこの間の冬は寒い日が続き、本当に、ぶどうの木は枯れてしまったのではないかと思いました。実際、葉はすべて落ち、幹や枝もばさばさな感じになり、例年の冬より、ボロボロの状態になっていたのです。ところが春になり、また緑の葉が茂り、いますでに何房かぶどうが実りつつあります。植物の生きる力はすごいものだと感じます。私たちは、葉は落ちて枝もばさばさしてる、その状態を見て、もうだめだと現実に考えてしまいます。しかし、主イエスはおっしゃるのです。顔を上げて見なさい、そこには違う現実がみえるはずだ、神の現実が見えるはずだとおっしゃるのです。神の現実は豊かに実っているのです。すでに実っているのです。そして私たちはその刈り取りをさせていただきます。神が養い育ててくださったものを私たちが刈り取らせていただき、喜びの収穫を祝うのです。私たちの日々には労苦があります。多くの試練があります。しかし、主イエスと出会った者はすでに神の現実の中を生かされています。その神の現実のなかで、私たちは多くの実りを得ます。その実りは、わたしたちの労苦を越えて、神ご自身の労苦によって与えられるものです。それゆえに収穫の喜びは限りないのです。その喜びを私たちは味わいながら歩んでいきます。