大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録第19章21~40節

2021-02-14 15:43:47 | 使徒言行録

2021年2月7¥14日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子

【聖書】

このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。

そして、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。

そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」

これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。

そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。

他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。

さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。

そのとき、ユダヤ人が前へ押し出したアレクサンドロという男に、群衆の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かって弁明しようとした。

しかし、彼がユダヤ人であると知った群衆は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けた。

そこで、町の書記官が群衆をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。

これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。

諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒瀆したのでもない。

デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。

それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。

本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。【説教】

<あなたのローマはどこか>

 使徒言行録の16章から18章に書かれています二回目の宣教旅行において、その旅の初めのころ、パウロはヨーロッパ伝道は考えていませんでした。しかし、神がパウロを導かれました。パウロの宣教計画がことごとく頓挫する中、思いがけない形で、パウロはヨーロッパへと足を踏み入れました。しかし、その宣教の旅も投獄されたり、反対者による騒動が起こったりと大変なものでした。その二回目の旅行を終えた後、パウロは三度目の宣教の旅にました。いま、いっしょに読んでいます箇所はこの三回目の宣教旅行の場面となります。ここでも、パウロの行く所行く所、さまざまなことが起こります。その旅の中で、パウロに「ローマも見なくては」という思いが起こって来たことが記されています。当時、世界を制していたのはローマ帝国であり、その中心であるローマを見なくては、というのは、世の果てまで福音を宣べ伝えよとおっしゃった主イエスのご命令に従うことでありました。当時の世界の中心、政治と権力の中心でキリストを証ししたいと願ったのです。もともとパウロたちの宣教はそれぞれの地方の中核の都市でまず宣教をしていくやり方でした。その考えで行くと、世界に宣教するためにはその中心であるローマに行きたいという思いは当然出てくるでしょう。

 しかし、一方でパウロの旅は困難を極めました。それは迫害だけでなく、教会内部の問題もありました。コリントで、テサロニケで、コロサイで、教会内で、福音ならざるもの律法的なことを語る人々がいました。あるいは福音が正しく理解されていない場合もありました。パウロにはさまざまな戦いがありました。しかしなお、パウロはローマへの思いを与えられます。

 そもそもローマへの道も普通に考えれば、希望に満ちたものではありませんでした。パウロの生涯の同労者となったアキラとプリスキラ夫妻は、おそらくローマでのクリスチャン迫害のためにローマを退去させられコリントに来ていたのです。この夫婦などからパウロはローマの状況を聞いていたでしょう。ローマはキリストを信じる者にとってむしろ危険な場所でした。パウロは敢えてその場所に行こうとしたのです。それは、パウロにとってキリストの十字架の御跡を追うことでした。

 パウロにとってローマに行くことはなにか英雄主義的な野望を満たすことではありませんでした。かつてキリストがゲツセマネで祈られゴルゴタの丘へ向かって歩まれた。その道のりをパウロなりに追いかけることでありました。もともとクリスチャンを迫害していたパウロを愛し、赦し、新たな使命を与え、歩ませてくださった神への感謝のゆえに、危険なローマへ向かうことをパウロは願っていました。

 今週の水曜日はキリスト教の暦でいえば「灰の水曜日」です。この「灰の水曜日」から受難節が始まります。キリストのご受難を覚える季節です。教派によっては、断食をしたり、さまざまに身を慎みます。私たちは特にそのような習慣を持っていませんが、それぞれに十字架を思い巡らす季節であることに変わりはありません。アドベントやクリスマスというと楽しみに備えますが、受難節、レントにおける私たちの備えはどうでしょうか?

 しかしまた、私たちは、受難節だから特別に十字架を覚え、備えるというのではないのです。私たちの人生全体が、キリストの十字架へと向かっている歩みであると言えます。神によって救われ、愛され、喜びの日々を歩みます。神との豊かな交わりの内に、私たちはキリストに似た者に変えられていきます。キリストに似た者に変えられていく私たちはおのずと十字架を目指すのです。おのずと十字架を担う者とされるのです。一人一人の十字架は異なります。ひとりひとりのローマは異なります。いま、共に暮らしている家族との生活があなたにとっての十字架かもしれませんし、新しい使命を感じて働く職場がローマであるかもしれません。十字架を担うこと、ローマを目指すことは、苦行をするとかことさらに奉仕をするということではありません。日々祈り、御言葉に聞きながら歩む時、立ち上がってくるのが十字架です。もちろんそこに試練はありますが、キリストの光が豊かに注がれてくるのです。まことの光が十字架から注がれるのです。

<エフェソ人のアルテミスは偉い方?>

 ところで、パウロが第二回目の宣教旅行中、幻によってヨーロッパへ渡ることを示された時、彼はすぐに行動を起こしました。しかし、ローマへ向かうことにおいては、彼は神の時を待ったのです。私たちも、今が進むべき時なのか、とどまるべき時なのか、判断に悩む時があります。原則的には、悩む時は、とどまった方が良く、行くべき時には否が応でも行かざるを得ないように神はなさいます。とはいえ、判断に迷うときはあるのです。迷いの時もまた、それは神の御心を問うために神から与えられた恵みの時です。

 その恵みの中で、日々には様々なことが起こります。今日の聖書箇所では、アルテミス神殿の模型を造って利益を得ていた人々がパウロの伝える福音によって経済的な打撃を受けることを恐れ、騒動を起こします。アルテミスというのはたくさんの乳房をもった豊穣の女神でした。また金融、商業の神でもあったようです。各地でアルテミスは祀られたようですが、エフェソには壮大な神殿があったようです。この神殿は巨大なもので、世界の七不思議にも数えられるもののようです。

 言ってみればエフェソにとって神殿が観光の中心であり財源でした。神殿の模型を造っていたというのは、これはおそらくお土産品か何かであったと考えられます。銀細工師たちは、パウロたちが偶像崇拝を批判していることを知り、危機感を覚えます。デメトリオという銀細工師は、自分たちの経済的利益が損なわれる危機感と共に、「アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえ失われてしまうだろう」と語ります。現実的な不利益への危機感を、世界的に有名でエフェソの誇りである女神をあがめるという宗教的観念を交えて、同業の人々の宗教心にうまく訴えて煽ったのです。

 デメトリオの意図したとおり、聞いた人々は腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び出したとあります。この言葉は、当時、エフェソの人々によく知られていた女神への賛美の言葉であったでしょう。そして町中を混乱させてしまったのです。そしてパウロの同労者が捕らえられ、野外劇場へとなだれこんでいきました。この劇場は町の中心にあって、2万人くらいが収容できる大きなものであったようです。町は暴動のような状況になったのです。ここでパウロはこの騒ぎをおさめようと群衆の中へ入っていこうとしたのですが、弟子たちはそうはさせじととどめていたようです。パウロが飛び出していこうとするのを弟子たちが押さえつけている様子が目に浮かびます。一方、パウロの友人のアジア州の高官もまたパウロをとどめようとします。この騒乱の状態では、先に捕らえられたマケドニア人以上にパウロの命は危ういと判断されたからです。弟子たちや友人にとって指導者であるパウロの身に何かあったら共同体全体が損なわれますから、彼らは何としてもパウロを守ったのです。神、弟子たちやを友人を通してパウロを守られたのです。

 それにしてもこの騒ぎは不思議な様相を呈しています。「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び出した人々は、二時間も叫び続けたというのです。何かに憑かれたかのように人々が熱狂し叫び続けたのです。これは実体のない偶像を拝む時、悪しきものの力が入り込んできて、異様な熱狂に人々が包まれている状態だと感じます。「大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった」とあります。滑稽にすら感じますが、何だか分からずに集まる人々によって無秩序な暴動は膨れ上がっていくことがわかります。実際のところ、状況は危険だったようで、この時のことをパウロはコリントの信徒への手紙で「野獣と戦った」と書いています。

 私たちは<アルテミスは偉い方>と叫ぶことはないかもしれませんが、時代の波の中で、あるいは圧倒的な同調圧力の中で、気がつかないうちに、とんでもないことを叫ぶようになる可能性がないとはいえません。歴史的に見て、そのような熱狂や暗黙の圧力の内に世の中が危険な状態になることは繰り返されてきました。ことに、この、先の見えないパンデミックの中、社会全体の閉塞した鬱屈した雰囲気から、スケープゴートのように誰かを貶めるようなことがあるかもしれません。実際、コロナに感染した人の情報が晒されて、その家族がバッシングを受け、その町で生活ができなくなるということがあります。生徒が感染した学校が批判にさらされるということもあります。自粛警察と言われる目の光る息苦しい日々です。何かのはずみでバッシングの嵐が自分に向くかもしれない時代です。「アルテミスは偉い方」と叫び続けるような大きな声で、自分の小さな声などかき消されてしまう、人ひとりの生活や命などつぶされてしまう、そのようなことが容易に起こる社会です。そしてまた、逆に気がついたら自分がバッシングする群衆の中で叫んでいるかもしれませんし、なにがなんだかわからないままに野外劇場のなかにいるかもしれません。

 だからこそ、私たちは本当に正しいお方、ただお一人の神に依り頼まなければなりません。そうでなければ、大きな時代の嵐のようなもの、あるいは個人を押し流す大水のような試練のなかで、私たちは自分を見失ってしまいます。

<謙遜に生きる>

 幸い、この騒動は、冷静にその場を治める官吏によって解散されました。この人物は、アルテミスを否定したわけではなく、むしろ言葉巧みに人々の女神を思う気持ちを持ち上げながら、あくまでも法的秩序を守ることを訴えました。パウロたちが直接に神殿を荒らしたり、女神を冒涜したわけではないこと、訴えたいことがあるなら法的にプロセスにのっとることを語りました。そしてこの騒動を無秩序な集会として断罪し、警告を与えています。

 使徒言行録の中で、このようにクリスチャンでない人々、それも別段、クリスチャンや聖書に好感を持っているわけではない人々によって、使徒たちが助けられる場面がこれまでもありました。これもまた象徴的なことです。神はご自身の弟子たちを守られる時、さまざまな方法を用いられます。私たちのさまざまな隣人をも用いられるのです。逆に言いますと、私たちはこの社会の中で生きています。ことに日本においてはクリスチャンはマイノリティーです。私たちが一般的に日々出会うのはクリスチャンではない人々です。その人々に対しても、私たちは当然ながら敬意を払って共に生きていきます。隣人愛に生きていきます。そしてまた社会秩序に従って生きていきます。クリスチャンであることをことさらに誇ったり、神を知らない人々と周囲の人を見下ろしてはならないのです。

 私たちはこの日本の社会の中で、むしろ謙遜に慎ましく生きていきます。それは何かのとき助けてもらうためではありません。しかし、私たちの日々のあり方は、自然に慎ましく生きていくとき、おのずとキリストを証しする生き方になるのです。隣人を愛する生き方になっていくのです。エフェソでのパウロのように助けてもらえるかはわかりません。そうではない逆の場合もあるでしょう。しかしなお、私たちは世にある限り、この社会で生きていきます。不公平で矛盾に満ちた世界です。そのなかで、なお私たちは誠実に生きていきます。それはクリスチャンらしく立派に生きましょうということではありません。立派などではなくてもいいのです。しかしただ謙遜に生きていくのです。神を見上げながら。キリストが「人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」とフィリピの信徒への手紙で言われるように、私たちも神に従順に歩みます。その歩みこそがキリストの十字架を担う歩みです。