ひげめがねは病院に勤務しているのだが、「病院の経営を考える会」になぜか羽生善治四冠が降臨!!!
病院に勤務して、初めて良かったと思いました(笑)。
以下、神の言葉(講演)の要旨を。本来であれば本を購入して数百円かかるところをひげめがねが要約して差し上げます(←なんでそんなに偉そうなの???)
あまりに長くなりすぎるので、とりあえず前編として掲載します。口述筆記なので、誤字脱字等ありましたらご指摘ください。
(決断とは)
日々の生活が決断の連続。日常的に私たちがしていることである。
(何手読めるか?)
木村十四世名人は「2,000手」といったと言うが、さすがにそれは…(笑)。
私たちは直観を使っており、80パターンくらいある指し手の中で2~3手に絞り、 残りは捨てている。これは、カメラでピントを合わせる作業に似ている。今までの経験則と照らし合わせているということ。
(棋士がしていること)
将棋を指すときに使っているのは、直観と、読みと、大局観の3つである。
(直観とは)
直観と言っても闇雲ではなく、経験により瞬間的に現れるもの。
(読みとは)
読みは1つ1つシミュレーションしていくこと。ただ、闇雲に行うと数の爆発が生じる。足し算で増えるのではなく掛け算で増えるから。10手先というと、3手ずつ選択肢があるとして3の10乗=6万弱の可能性が生じてしまう。
(対局観とは)
「木を見て森を見ず」という言葉がある。視野が狭い状況。対局観とはその対極にあるもの。
具体的ではなく、また、今まであったこと過去ではなく、今後の方針、方向性である。対局観とは抽象的なものである。
対局観のメリットはショートカットすることができること。ある1点に集中できる。
(3要素のバランス)
現在棋士は10代~70代までいるが、その年代によって3要素の比重が変わる
(若いうち)読み 瞬発力→ 直観 → 対局観(年配になるにつれ)
(長考)
2日制の将棋を指すこともあり、1つの局面で長い時間をかける。ただし長考すると良い手が指せるわけではない。「長考に好手無し」という言葉が将棋界にはある。30分経つと、Aを選ぶかBを選ぶか2択に収斂する。その際は読み以上に、決断力が必要。それが調子のバロメータになっている。私は最大4時間弱考えた。だからと言ってすごい1手が指せたわけではない。逆に相手が4時間考えた時は、おやつのこと、昼食のこと、4時間あれば全国どこでも行けるな、相手がこのまま指さなかったらどうしよう…。などなど、いろいろな将棋に関係ないことを考えてしまう(笑)。
(調子のバロメータ)
運やツキやバイオリズム…科学的に証明されていないが、ずっと勝負の世界に身を置いてくると、そういうことがあると思う。調子は変化し続けている。
運やツキは人を魅惑するもの。ギャンブル、占いなど。
今ついているのか?これから先どうなるのか?ということはいつまでも考えていたいのが人情。しかし、拘りすぎると大事なことがおざなりになる。だから気にしないようにしている。
(結果が出ないとき)
不調なのか、実力なのかを見極める。「不調も3年続けば実力」という言葉が将棋界にはある。現実を真摯に受け止める。次の機会、チャンスをうかがう。
1か月、3か月、半年経って初めて身を結ぶことがほとんど。不調の時はやっていることは変えないが、気分は落ち込みやすい。そういう時は生活の中に小さなアクセントをつけるようにしている。髪型を変える、部屋の模様替え、生活習慣を変えるなど。
(モチベーション、プレッシャー)
アスリートのインタビューで「楽しんでやりたい」という言葉がよく出てくる。トレーニングを受けているのか、本当に自分で思っているのかは不明。しかし、その言葉は正しい。リラックスして楽しんでいるときに、普段自分が持っている実力を最大限発揮できる。どんな状況でもリラックスできるわけではない。どう対処していくか?最悪な状況はやる気がないときである。プレッシャーがかかっているときははやる気があるときと言える。つまり、いいところまで来ているときである。
例えば高跳びの選手を考えてみる。1m50跳べる選手は1mや2mのときはプレッシャーかからない。1m55の時にプレッシャーがかかる。もう少しで目標達成できるときにプレッシャーがかかるということ。山登りでも8合目が一番きつい。それは手ごたえがあるから。その時に能力や才能が開花する。
例えば作家。締め切りの直前でないと書かない作家が多いと聞く。〆切という避けることのできないプレッシャーに身を置くことで深く集中しているのではないか。
将棋でも日常の研究は当然しているが、一番深く考えられるのは公式戦の場。時間に追われているとき、プラスに作用することが多い。
(良い緊張と悪い緊張)
身がこわばる、体が固まる(悪い緊張)⇔身が引き締まる、程よい、ちょうどよい(良い緊張)。
(記憶)
NHK将棋トーナメントをご覧になっている方からよく言われるのは、「感想戦で100手以上もよく覚えていらっしゃいますね」ということ。
しかし、実はこれは想像以上に簡単なことである。一般の方でいうと、歌を覚えるのと一緒。皆さんの歌と同じように記譜を覚えている。
あるとき、幼稚園に呼ばれ、園児同士の対局の講評をと言われたが、この記譜を覚えるのは大変。自由奔放すぎるため。ある種のセオリーがあれば覚えられる。
また、あるテレビ番組で「盤面を記憶する」という企画があった。棋士は3秒から5秒で40枚の駒の配置を記憶できる。方法は「10枚の塊を覚える」こと。同じ番組で「将棋の駒の代わりに寿司で覚えられるか?」という企画もあった。でも、寿司の塊は寿司の塊。向きもわからないので、覚えられなかった。
(短期記憶と長期記憶)
短期記憶と長期記憶は違う。よく言われるのは「マジックナンバー7」 7±2の数字は覚えられるということ。一番良い例は電話番号。それは1時間たつと忘れる。24時間以内の復習が長期記憶に有用。
現在は記譜データベースが発達しており。早送りの機能を使えば1分間で見られ、短い時間で大量のデータ見ることができる。でも簡単に忘れる。棋士は5年後10年後も正確に覚えていなくてはならない。五感を使うこと。目から口から耳から…すべての感覚を使うと記憶が定着しやすい。
過去のデータ、記譜も5年前、10年前のものとなるとなかなか思い出せない。しかし、思い出さなければならないときがある。そこで思い出せるかどうかは記憶力では決してない。いかに深く考えたかにかかっている。記憶の糸、思考の糸からプロセスを復元する。全体像を理解していれば思い出せる。
(つづく)
病院に勤務して、初めて良かったと思いました(笑)。
以下、神の言葉(講演)の要旨を。本来であれば本を購入して数百円かかるところをひげめがねが要約して差し上げます(←なんでそんなに偉そうなの???)
あまりに長くなりすぎるので、とりあえず前編として掲載します。口述筆記なので、誤字脱字等ありましたらご指摘ください。
(決断とは)
日々の生活が決断の連続。日常的に私たちがしていることである。
(何手読めるか?)
木村十四世名人は「2,000手」といったと言うが、さすがにそれは…(笑)。
私たちは直観を使っており、80パターンくらいある指し手の中で2~3手に絞り、 残りは捨てている。これは、カメラでピントを合わせる作業に似ている。今までの経験則と照らし合わせているということ。
(棋士がしていること)
将棋を指すときに使っているのは、直観と、読みと、大局観の3つである。
(直観とは)
直観と言っても闇雲ではなく、経験により瞬間的に現れるもの。
(読みとは)
読みは1つ1つシミュレーションしていくこと。ただ、闇雲に行うと数の爆発が生じる。足し算で増えるのではなく掛け算で増えるから。10手先というと、3手ずつ選択肢があるとして3の10乗=6万弱の可能性が生じてしまう。
(対局観とは)
「木を見て森を見ず」という言葉がある。視野が狭い状況。対局観とはその対極にあるもの。
具体的ではなく、また、今まであったこと過去ではなく、今後の方針、方向性である。対局観とは抽象的なものである。
対局観のメリットはショートカットすることができること。ある1点に集中できる。
(3要素のバランス)
現在棋士は10代~70代までいるが、その年代によって3要素の比重が変わる
(若いうち)読み 瞬発力→ 直観 → 対局観(年配になるにつれ)
(長考)
2日制の将棋を指すこともあり、1つの局面で長い時間をかける。ただし長考すると良い手が指せるわけではない。「長考に好手無し」という言葉が将棋界にはある。30分経つと、Aを選ぶかBを選ぶか2択に収斂する。その際は読み以上に、決断力が必要。それが調子のバロメータになっている。私は最大4時間弱考えた。だからと言ってすごい1手が指せたわけではない。逆に相手が4時間考えた時は、おやつのこと、昼食のこと、4時間あれば全国どこでも行けるな、相手がこのまま指さなかったらどうしよう…。などなど、いろいろな将棋に関係ないことを考えてしまう(笑)。
(調子のバロメータ)
運やツキやバイオリズム…科学的に証明されていないが、ずっと勝負の世界に身を置いてくると、そういうことがあると思う。調子は変化し続けている。
運やツキは人を魅惑するもの。ギャンブル、占いなど。
今ついているのか?これから先どうなるのか?ということはいつまでも考えていたいのが人情。しかし、拘りすぎると大事なことがおざなりになる。だから気にしないようにしている。
(結果が出ないとき)
不調なのか、実力なのかを見極める。「不調も3年続けば実力」という言葉が将棋界にはある。現実を真摯に受け止める。次の機会、チャンスをうかがう。
1か月、3か月、半年経って初めて身を結ぶことがほとんど。不調の時はやっていることは変えないが、気分は落ち込みやすい。そういう時は生活の中に小さなアクセントをつけるようにしている。髪型を変える、部屋の模様替え、生活習慣を変えるなど。
(モチベーション、プレッシャー)
アスリートのインタビューで「楽しんでやりたい」という言葉がよく出てくる。トレーニングを受けているのか、本当に自分で思っているのかは不明。しかし、その言葉は正しい。リラックスして楽しんでいるときに、普段自分が持っている実力を最大限発揮できる。どんな状況でもリラックスできるわけではない。どう対処していくか?最悪な状況はやる気がないときである。プレッシャーがかかっているときははやる気があるときと言える。つまり、いいところまで来ているときである。
例えば高跳びの選手を考えてみる。1m50跳べる選手は1mや2mのときはプレッシャーかからない。1m55の時にプレッシャーがかかる。もう少しで目標達成できるときにプレッシャーがかかるということ。山登りでも8合目が一番きつい。それは手ごたえがあるから。その時に能力や才能が開花する。
例えば作家。締め切りの直前でないと書かない作家が多いと聞く。〆切という避けることのできないプレッシャーに身を置くことで深く集中しているのではないか。
将棋でも日常の研究は当然しているが、一番深く考えられるのは公式戦の場。時間に追われているとき、プラスに作用することが多い。
(良い緊張と悪い緊張)
身がこわばる、体が固まる(悪い緊張)⇔身が引き締まる、程よい、ちょうどよい(良い緊張)。
(記憶)
NHK将棋トーナメントをご覧になっている方からよく言われるのは、「感想戦で100手以上もよく覚えていらっしゃいますね」ということ。
しかし、実はこれは想像以上に簡単なことである。一般の方でいうと、歌を覚えるのと一緒。皆さんの歌と同じように記譜を覚えている。
あるとき、幼稚園に呼ばれ、園児同士の対局の講評をと言われたが、この記譜を覚えるのは大変。自由奔放すぎるため。ある種のセオリーがあれば覚えられる。
また、あるテレビ番組で「盤面を記憶する」という企画があった。棋士は3秒から5秒で40枚の駒の配置を記憶できる。方法は「10枚の塊を覚える」こと。同じ番組で「将棋の駒の代わりに寿司で覚えられるか?」という企画もあった。でも、寿司の塊は寿司の塊。向きもわからないので、覚えられなかった。
(短期記憶と長期記憶)
短期記憶と長期記憶は違う。よく言われるのは「マジックナンバー7」 7±2の数字は覚えられるということ。一番良い例は電話番号。それは1時間たつと忘れる。24時間以内の復習が長期記憶に有用。
現在は記譜データベースが発達しており。早送りの機能を使えば1分間で見られ、短い時間で大量のデータ見ることができる。でも簡単に忘れる。棋士は5年後10年後も正確に覚えていなくてはならない。五感を使うこと。目から口から耳から…すべての感覚を使うと記憶が定着しやすい。
過去のデータ、記譜も5年前、10年前のものとなるとなかなか思い出せない。しかし、思い出さなければならないときがある。そこで思い出せるかどうかは記憶力では決してない。いかに深く考えたかにかかっている。記憶の糸、思考の糸からプロセスを復元する。全体像を理解していれば思い出せる。
(つづく)
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