3年前、3月28日から31日まで、長野県の医療チームとして石巻を訪れました。
当時の日記をここに再掲いたします。
今読み直してみると、当時のひげめがねの予測は外れています。それも含めてここに記しておく必要があると思いました。
発災から5年というとあと2年。石巻はどうなっているのか?ぜひ訪問したいと思っております。
石巻まとめ
2011年04月10日08:31
忙しさにかまけるとともに書くべきかどうかも悩み、さらに、正直なところ思い出すだけで胸が締め付けられるため保留にしておきましたが、そうは言っても石巻のまとめを書かねばならないと思い、10日たってようやく書きます。
高台に日和山公園があり、そこから石巻の街を一望できます。
向かって左側は防波堤が生きており、被害は比較的少なく、
右側が防波堤なし、ほぼ壊滅状況でした。
「何もない」ということに茫然とします。
カメラクルーもたくさん来ていました。
そこから下に降りていきます。道は細く、救急車が何とか通れるくらいの幅ですが、坂になっているところはずっと住宅街であり、人が歩いていたり、子供たちが遊んでいたりして、ちょっとほっとさせられました。
しかし……。何の前触れもなく、道はがれきで閉ざされていました。通行止めの標識も何もなく…。
私が行ったのは発災から2週間以上たってから。がれきの上ではほぼ普通の生活がなされています。しかし、細い道は開いていない。これはいろいろな意味でショックでした。そして、残っている家のすぐ下はすべてがれきと自動車という光景…。
がれきのすぐ上にあった工場の駐車場から撮った写真ですが、がれきには何かを探している人の姿がいくつも見えます。
私は比較的厚顔無恥ですが、さすがに車から降りてその光景を直視できませんでした。
言葉がないというのはこういうことです。
しかし、このがれきの2件上の床屋は「カット1000円」という大きな手書きの張り紙をして営業しており、3人くらいの人がカットしてもらっていました。感動しました。人間というのはどんなところでも生きていかねばならないのです。
ここからは個人的意見ですが、正直なところ復興できるイメージがありません。この光景が500キロ近く海岸沿いに続いていることは想像を絶します。
しかし、先述の床屋さんのように、人間というのは強い存在なので、ひょっとするかもしれません。うちの親父には「5年後に石巻に行ってみろ」と言われました。その頃には見違えているからと。私もそれは期待はしています。
ただ、避難所を回って思ったことは「短い時間になるか、長くなるかはわからないが、離れられる人は避難所を少しでも離れるべきだ」ということです。復興には元気な心と体が欠かせません。でも、今の避難所ではそれは望めません。特に、感染症の爆発的流行は容易に想像できます。
もし仮に、受入先はあるけれども、故郷を、自分の家を、あるいは近所の人の近くを離れられないという人がいるならば、今は避難所を離れるべきだと思いますし、そこをコントロールするのが現在の政府、公共団体の最大の仕事のような気がします。福島ばかりが注目されますが、仮設住宅の建設が間に合わない限り、ほかの地域も住民の「ここにいたい」という思いを尊重する時期はもう過ぎていると思います。
当時の日記をここに再掲いたします。
今読み直してみると、当時のひげめがねの予測は外れています。それも含めてここに記しておく必要があると思いました。
発災から5年というとあと2年。石巻はどうなっているのか?ぜひ訪問したいと思っております。
石巻まとめ
2011年04月10日08:31
忙しさにかまけるとともに書くべきかどうかも悩み、さらに、正直なところ思い出すだけで胸が締め付けられるため保留にしておきましたが、そうは言っても石巻のまとめを書かねばならないと思い、10日たってようやく書きます。
高台に日和山公園があり、そこから石巻の街を一望できます。
向かって左側は防波堤が生きており、被害は比較的少なく、
右側が防波堤なし、ほぼ壊滅状況でした。
「何もない」ということに茫然とします。
カメラクルーもたくさん来ていました。
そこから下に降りていきます。道は細く、救急車が何とか通れるくらいの幅ですが、坂になっているところはずっと住宅街であり、人が歩いていたり、子供たちが遊んでいたりして、ちょっとほっとさせられました。
しかし……。何の前触れもなく、道はがれきで閉ざされていました。通行止めの標識も何もなく…。
私が行ったのは発災から2週間以上たってから。がれきの上ではほぼ普通の生活がなされています。しかし、細い道は開いていない。これはいろいろな意味でショックでした。そして、残っている家のすぐ下はすべてがれきと自動車という光景…。
がれきのすぐ上にあった工場の駐車場から撮った写真ですが、がれきには何かを探している人の姿がいくつも見えます。
私は比較的厚顔無恥ですが、さすがに車から降りてその光景を直視できませんでした。
言葉がないというのはこういうことです。
しかし、このがれきの2件上の床屋は「カット1000円」という大きな手書きの張り紙をして営業しており、3人くらいの人がカットしてもらっていました。感動しました。人間というのはどんなところでも生きていかねばならないのです。
ここからは個人的意見ですが、正直なところ復興できるイメージがありません。この光景が500キロ近く海岸沿いに続いていることは想像を絶します。
しかし、先述の床屋さんのように、人間というのは強い存在なので、ひょっとするかもしれません。うちの親父には「5年後に石巻に行ってみろ」と言われました。その頃には見違えているからと。私もそれは期待はしています。
ただ、避難所を回って思ったことは「短い時間になるか、長くなるかはわからないが、離れられる人は避難所を少しでも離れるべきだ」ということです。復興には元気な心と体が欠かせません。でも、今の避難所ではそれは望めません。特に、感染症の爆発的流行は容易に想像できます。
もし仮に、受入先はあるけれども、故郷を、自分の家を、あるいは近所の人の近くを離れられないという人がいるならば、今は避難所を離れるべきだと思いますし、そこをコントロールするのが現在の政府、公共団体の最大の仕事のような気がします。福島ばかりが注目されますが、仮設住宅の建設が間に合わない限り、ほかの地域も住民の「ここにいたい」という思いを尊重する時期はもう過ぎていると思います。