だいぶ間が開いてしまいました。後編です。前編はこちら。
(将棋の歴史)
古代インドが発祥と言われる。戦争の好きな王様に家臣が困り、ボードゲームを作ったといわれている。
西洋はチェス1つだが、アジアは1国に1つずつ違う種類の将棋があるのが特徴。
1000年から1500年前に日本に将棋が伝わったと考えられる。奈良の興福寺駒が最古。将棋が渡ってきたルートは、間違いなく貿易とともであったと考えられる。駒を見ればわかる。金銀財宝、桂馬香車は香辛料 玉将は昔は双玉であった。すべて貿易の主要品目、莫大な利益をもたらした物たちである。
(将棋のルールの変遷)
400年前に現在のルールに。遊びや娯楽というのは長い年月をかけて、どうしたら面白くなるか工夫した結果残るものである。
(日本将棋の特徴)
持ち駒再利用(リサイクル)と、自分の駒と相手の駒が違う(向きがわかる)のが一般的に言われるところ。
そのほかに、ダウンサイジング、小さくコンパクトにしていったことも特徴。囲碁は升目を広くし、19×19によって面白さや可能性を広げた。将棋は全く逆の道。盤の広さ、駒の数は小さく、少なくなっていって現在に至る。
「トリビアの泉」の企画で大昔の将棋(中将棋?)を指してみよう、というものがあった。1日たっても2日たっても終わらない。ある程度の時間が必要。
小さくなっていったのはガラパゴス的特徴。短歌、俳句もそう。能は表情を見せないことに収斂していった。それにより情感をむしろ増幅する。茶道もそう。ツイッターは日本発ではないが、字数が制限され。日常の言葉遣いを使えることで、日本で爆発的人気を得た。
また、日本人は言葉を短縮することがよくある。例)イミフ、ファミマ、セブン、ナカメ(中目黒)。核をなしている考え方、好みは変わっていないのではないか。
(情報、データ)
棋士になって30年。情報分野が最も変わった。30年前は分析して考えることはほとんどなかった。むしろ軽蔑された。形勢不明の場面になった時に弱いだろうと思われていた。当時は作戦を決めるときもお昼のメニューを考えるのと同じ感覚。午前中は対局室で雑談。私は若手だったので大先輩の話を聞いているだけだったが。当時は午前中で勝負か決まるわけでないという考え方が主流だった。
現在は朝の開始時から雑談している余裕がない。10手で主導権を握られて、作戦負けになることもある。きめ細かく分析、分類、消化して準備してから対局に臨まなければならない。
そのため、一生懸命やっている人たちの中では差がつかなくなった。情報より創造性、スタイルが大事になってきた。とは言ってもやらないと同じ土俵に立てないという前提がある。情報収集、分析に時間をかけすぎると、アイデアが思い浮かばなくなってくる。クリエイティブなことをするための時間が少なくなっている。
(スタイル)
どういうスタイルで臨むべきか、見解が分かれている。
going my wayで 流行を無視、という人もいる。ただしその方法はちょっとずつ苦しくなっていく。なぜなら選択肢が狭まるから。相手の研究にはまらないように選択していくことは少しずつ選択肢が狭まることにつながる。
インターネット将棋の普及で、以前あった地方格差が今はない。あとは一生懸命やるかどうかの勝負。私もネット将棋をやっていたことがあるが、相手が誰だか明らかにわかるときもあった。なにはともあれ、切磋琢磨する場所ができたことが進歩を驚異的に早めた。
若い人は抵抗なくネット将棋を楽しんでいる。
先ほどの話と重なるが、全員が同じレベルになっていくと、最終的に問われるのは個性、独創性、今までにない組み合わせなど。このものと、このものの組み合わせとどうなるか、と考えることが新しいアイデアにつながっていく。
(伝統や習慣)
伝統、格式、習慣が重要視される世界なので、将棋界は革新的なことは出にくい社会だが、ごくまれに根本的に変わってしまうこともある。例えば高飛車。こういうことをやっちゃいけないだろう、ということがなくなってきた。
(ミスについて)
1年に60局ほど対局しているが、ノーミスなことはめったにない。常に改善修正の余地あり。大事なのはミスをした後にミスを重ねないこと。でも、重ねてしまうことが多い。理由は気持ちの動揺が生まれるから。客観的、冷静さを失ってしまう。
私がした最大のミスは1手詰めを見逃したこと。40秒くらい全く気づかなかった。エアポケットの状態だったのだろう。気づいた瞬間に血の気が引き、その時ばかりは非常に動揺した。対局相手(木村先生でしょう)も同様。ふつう棋士は表情に出さないが、その時ばかりは あわわわわwwとなってしまった。
ミスを重ねるもう1つの理由は、ミスをする前より難易度が上がっているため。ミスをする前は方針が明瞭で明快で間違いにくい、ミスをすると築き上げてきたものが不透明になる。何をやるべきかわからなくなるということ。
気持ちが動揺+難易度が上がるという2つの要素でミスを重ねやすくなる。
(ミスを重ねないために)
一服するのは効果的。30秒でも外の景色を眺める。冷静になりクールダウンする。
ミスをする前…一貫性、整合性のある選択肢を探す。
ミスをした後…全部捨てる、忘れる。なかったことにする。
そして、その時には反省と検証をしない!!人情としてふつうは反省と検証をその場でしてしまうが。
ミスをしても、結果的に意表を突きor相手が楽観するため勝ってしまうこともある。結果に直接的に反映されるわけではない。物事の機微ですね。
ミスをした時の棋譜は見たくない。過去の棋譜を見ると欠点だらけ、ミスだらけ。15年、20年たってから見てみると、その時は気づかなかったがミスだったということがある。ミスをミスと認識できれば改善できる。
(3手の読み)
尊敬する原田泰夫先生は「3手の読み」を提唱した。将棋の基本中の基本であるが、実は2手目(相手の手を読むの)が難しい。相手が何をしてくるか?相手の立場に立って。そこを間違えれば3手目はいくら読んでも無駄になる。2手目が読みの一番大事なところ。もちろん100%わかるわけではない。主観に伴ってやっているので考え違いもある。それでも相手が何を指してくるか予測することは非常に重要だ。
(セオリーと感覚)
ヨットで世界一周を2回した白石康次郎さんと対談したことがある。私のイメージは加山雄三。「冒険心とロマン」と思っていたが、今は世界中のどこの海にいてもGPSで位置がわかる。天気、風向きなど情報は常に送られている。ヨットの進路を決めている。
朝起きたら甲板に出る。新鮮な空気を吸う。「今日はいける」と確信を持った日には自分の感覚を信じるそう。そうでないときはGPSのデータを分析するようにしているとのこと。
セオリーや経験と、感覚は、クルマの両輪。
(後悔しやすいとき)
もし立ち寄った定食屋さんに3つしかメニューがなければ。後悔することはない。
定食屋さんに30個の選択肢があると、隣のほうがおいしいのでは?と疑心暗鬼になる。情報が増える=選択が増える=後悔しやすい。でも、最終的に選べるのは1つだけ。
過去の自分が選ばなかったことは、中立化するという視点で選ぶ
(リスク)
リスクは、時系列で異なってくる。
自分の一番得意な形、慣れている=リスクが低いやり方
しかし、10年変わらない=リスクになる。
明日すぐに方向転換する=無謀。
小さな変化をし続けていく。1日、1週間、1年→結果的に変化していた。というのが良い。
(人工知能について)
人工知能や機械学習を用いると、より正確な判断、決断をすることにつながるか?仮にそれがより正しい判断だったとしても社会が受け入れるかは別な話。
コンピューター将棋が流行っているが、AIが出している判断をたくさん見ていくことによって判断の精度が上がっていく。盲点、死角、美意識。今まで捨てていた9割の選択肢の中に良い選択肢があるかもしれない。自分自身で考える。セカンドオピニオンとしてAIに訊いてみる。最終的に何が良いか判断する。どんなに進んで行っても万能にはならない。リスク、問題のある時に、どちらが間違いを犯すのは多いか?→答えは人間であるが ダメージはAI側の方が大きい。倫理的な問題が出てくる。
(モチベーションについて)
あきらめることも寛容。マラソンランナーが先頭集団につかず減速して粘ることもあるが、あの決断は尊いと思う。
(最新形について)
青と思ったことが青でないことがある。それは仕方ないと思う。
実は最後の2つは最前列に陣取ったひげめがねが質問したことに対する回答。
「30年来の将棋ファンです。病院に勤務して初めて良かったと思いましたwww。」と前置きしたうえで、
「常に最新形を指す方法やモチベーションを教えてください」と聞いたのです。
まさかそこで「あきらめる」という回答が出てくるとは思わなんだ。ほかの話は何らかの形で聞いたことがあったので、この日一番驚いた発言でした。質問してよかった~。
あともう1つ。羽生先生はやっぱりネット将棋指してたんだね。やっぱりデクシはこのお方だったのでしょうかねえ。。。
(将棋の歴史)
古代インドが発祥と言われる。戦争の好きな王様に家臣が困り、ボードゲームを作ったといわれている。
西洋はチェス1つだが、アジアは1国に1つずつ違う種類の将棋があるのが特徴。
1000年から1500年前に日本に将棋が伝わったと考えられる。奈良の興福寺駒が最古。将棋が渡ってきたルートは、間違いなく貿易とともであったと考えられる。駒を見ればわかる。金銀財宝、桂馬香車は香辛料 玉将は昔は双玉であった。すべて貿易の主要品目、莫大な利益をもたらした物たちである。
(将棋のルールの変遷)
400年前に現在のルールに。遊びや娯楽というのは長い年月をかけて、どうしたら面白くなるか工夫した結果残るものである。
(日本将棋の特徴)
持ち駒再利用(リサイクル)と、自分の駒と相手の駒が違う(向きがわかる)のが一般的に言われるところ。
そのほかに、ダウンサイジング、小さくコンパクトにしていったことも特徴。囲碁は升目を広くし、19×19によって面白さや可能性を広げた。将棋は全く逆の道。盤の広さ、駒の数は小さく、少なくなっていって現在に至る。
「トリビアの泉」の企画で大昔の将棋(中将棋?)を指してみよう、というものがあった。1日たっても2日たっても終わらない。ある程度の時間が必要。
小さくなっていったのはガラパゴス的特徴。短歌、俳句もそう。能は表情を見せないことに収斂していった。それにより情感をむしろ増幅する。茶道もそう。ツイッターは日本発ではないが、字数が制限され。日常の言葉遣いを使えることで、日本で爆発的人気を得た。
また、日本人は言葉を短縮することがよくある。例)イミフ、ファミマ、セブン、ナカメ(中目黒)。核をなしている考え方、好みは変わっていないのではないか。
(情報、データ)
棋士になって30年。情報分野が最も変わった。30年前は分析して考えることはほとんどなかった。むしろ軽蔑された。形勢不明の場面になった時に弱いだろうと思われていた。当時は作戦を決めるときもお昼のメニューを考えるのと同じ感覚。午前中は対局室で雑談。私は若手だったので大先輩の話を聞いているだけだったが。当時は午前中で勝負か決まるわけでないという考え方が主流だった。
現在は朝の開始時から雑談している余裕がない。10手で主導権を握られて、作戦負けになることもある。きめ細かく分析、分類、消化して準備してから対局に臨まなければならない。
そのため、一生懸命やっている人たちの中では差がつかなくなった。情報より創造性、スタイルが大事になってきた。とは言ってもやらないと同じ土俵に立てないという前提がある。情報収集、分析に時間をかけすぎると、アイデアが思い浮かばなくなってくる。クリエイティブなことをするための時間が少なくなっている。
(スタイル)
どういうスタイルで臨むべきか、見解が分かれている。
going my wayで 流行を無視、という人もいる。ただしその方法はちょっとずつ苦しくなっていく。なぜなら選択肢が狭まるから。相手の研究にはまらないように選択していくことは少しずつ選択肢が狭まることにつながる。
インターネット将棋の普及で、以前あった地方格差が今はない。あとは一生懸命やるかどうかの勝負。私もネット将棋をやっていたことがあるが、相手が誰だか明らかにわかるときもあった。なにはともあれ、切磋琢磨する場所ができたことが進歩を驚異的に早めた。
若い人は抵抗なくネット将棋を楽しんでいる。
先ほどの話と重なるが、全員が同じレベルになっていくと、最終的に問われるのは個性、独創性、今までにない組み合わせなど。このものと、このものの組み合わせとどうなるか、と考えることが新しいアイデアにつながっていく。
(伝統や習慣)
伝統、格式、習慣が重要視される世界なので、将棋界は革新的なことは出にくい社会だが、ごくまれに根本的に変わってしまうこともある。例えば高飛車。こういうことをやっちゃいけないだろう、ということがなくなってきた。
(ミスについて)
1年に60局ほど対局しているが、ノーミスなことはめったにない。常に改善修正の余地あり。大事なのはミスをした後にミスを重ねないこと。でも、重ねてしまうことが多い。理由は気持ちの動揺が生まれるから。客観的、冷静さを失ってしまう。
私がした最大のミスは1手詰めを見逃したこと。40秒くらい全く気づかなかった。エアポケットの状態だったのだろう。気づいた瞬間に血の気が引き、その時ばかりは非常に動揺した。対局相手(木村先生でしょう)も同様。ふつう棋士は表情に出さないが、その時ばかりは あわわわわwwとなってしまった。
ミスを重ねるもう1つの理由は、ミスをする前より難易度が上がっているため。ミスをする前は方針が明瞭で明快で間違いにくい、ミスをすると築き上げてきたものが不透明になる。何をやるべきかわからなくなるということ。
気持ちが動揺+難易度が上がるという2つの要素でミスを重ねやすくなる。
(ミスを重ねないために)
一服するのは効果的。30秒でも外の景色を眺める。冷静になりクールダウンする。
ミスをする前…一貫性、整合性のある選択肢を探す。
ミスをした後…全部捨てる、忘れる。なかったことにする。
そして、その時には反省と検証をしない!!人情としてふつうは反省と検証をその場でしてしまうが。
ミスをしても、結果的に意表を突きor相手が楽観するため勝ってしまうこともある。結果に直接的に反映されるわけではない。物事の機微ですね。
ミスをした時の棋譜は見たくない。過去の棋譜を見ると欠点だらけ、ミスだらけ。15年、20年たってから見てみると、その時は気づかなかったがミスだったということがある。ミスをミスと認識できれば改善できる。
(3手の読み)
尊敬する原田泰夫先生は「3手の読み」を提唱した。将棋の基本中の基本であるが、実は2手目(相手の手を読むの)が難しい。相手が何をしてくるか?相手の立場に立って。そこを間違えれば3手目はいくら読んでも無駄になる。2手目が読みの一番大事なところ。もちろん100%わかるわけではない。主観に伴ってやっているので考え違いもある。それでも相手が何を指してくるか予測することは非常に重要だ。
(セオリーと感覚)
ヨットで世界一周を2回した白石康次郎さんと対談したことがある。私のイメージは加山雄三。「冒険心とロマン」と思っていたが、今は世界中のどこの海にいてもGPSで位置がわかる。天気、風向きなど情報は常に送られている。ヨットの進路を決めている。
朝起きたら甲板に出る。新鮮な空気を吸う。「今日はいける」と確信を持った日には自分の感覚を信じるそう。そうでないときはGPSのデータを分析するようにしているとのこと。
セオリーや経験と、感覚は、クルマの両輪。
(後悔しやすいとき)
もし立ち寄った定食屋さんに3つしかメニューがなければ。後悔することはない。
定食屋さんに30個の選択肢があると、隣のほうがおいしいのでは?と疑心暗鬼になる。情報が増える=選択が増える=後悔しやすい。でも、最終的に選べるのは1つだけ。
過去の自分が選ばなかったことは、中立化するという視点で選ぶ
(リスク)
リスクは、時系列で異なってくる。
自分の一番得意な形、慣れている=リスクが低いやり方
しかし、10年変わらない=リスクになる。
明日すぐに方向転換する=無謀。
小さな変化をし続けていく。1日、1週間、1年→結果的に変化していた。というのが良い。
(人工知能について)
人工知能や機械学習を用いると、より正確な判断、決断をすることにつながるか?仮にそれがより正しい判断だったとしても社会が受け入れるかは別な話。
コンピューター将棋が流行っているが、AIが出している判断をたくさん見ていくことによって判断の精度が上がっていく。盲点、死角、美意識。今まで捨てていた9割の選択肢の中に良い選択肢があるかもしれない。自分自身で考える。セカンドオピニオンとしてAIに訊いてみる。最終的に何が良いか判断する。どんなに進んで行っても万能にはならない。リスク、問題のある時に、どちらが間違いを犯すのは多いか?→答えは人間であるが ダメージはAI側の方が大きい。倫理的な問題が出てくる。
(モチベーションについて)
あきらめることも寛容。マラソンランナーが先頭集団につかず減速して粘ることもあるが、あの決断は尊いと思う。
(最新形について)
青と思ったことが青でないことがある。それは仕方ないと思う。
実は最後の2つは最前列に陣取ったひげめがねが質問したことに対する回答。
「30年来の将棋ファンです。病院に勤務して初めて良かったと思いましたwww。」と前置きしたうえで、
「常に最新形を指す方法やモチベーションを教えてください」と聞いたのです。
まさかそこで「あきらめる」という回答が出てくるとは思わなんだ。ほかの話は何らかの形で聞いたことがあったので、この日一番驚いた発言でした。質問してよかった~。
あともう1つ。羽生先生はやっぱりネット将棋指してたんだね。やっぱりデクシはこのお方だったのでしょうかねえ。。。
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