つい数日前、どうしているかなぁ、と考えていた。
8月21日に見舞った、静岡がんセンターホスピス病棟で療養する
ひさのぶん のこと。
お見舞い後は、「食事が摂れるようになった」「3部がゆから5部がゆに昇進」などと近況報告をくれていたが、連絡が来なくなってしばらく経っているから思い出したのかもしれない。
昨日の昼過ぎ、見覚えのない携帯電話番号からの着信。
ひさのぶさんの奥様からだった。
片言の日本語で 「悲しいお知らせがあります」
奥様はイギリス人で、来日したのはひさのぶさんがリタイアし伊豆に住居を構えてからなので、日本語があまり話せない。
そういう環境での1年半に及ぶ看病は大変な苦労があったと思うが、気丈に報告してくれた。
先週月曜日に帰らぬ人となり、すでに荼毘に付されたという。
膵臓ガンであることを告示され、余命1年と宣告されたのが昨年の6月。
この間、淡々と人生を閉じる準備をし、それを済ませると、うたかたの命を楽しんでいたように見えたひさのぶさん。
ある意味、幸せな幕引きだったようにも思う。
ひさのぶさんから最後のお便りは9月29日。
暫くご無沙汰しました。と言うのも、感染症で肺炎を起こしてここ3週間ほど不安定な体調になっていたためです。非常に快調で元気だと思っていると、急に悪寒、震えがはじまり、これが高熱の前兆で20分、30分で体温が38度を優に超え、39度くらいに上昇することもありました。それからぐっしょり寝汗をかいて、体温が37度を割り込むには2時間ほど掛かります。こうした発熱をスパイク・フィーバーと言うそうです。1週間ほど前も、見舞いに来た友人達と近所の「非常においしい」ピザ、パスタのイタリアン・レストランに行って会食を楽しんだのに、翌日はどうも調子が優れずせっかく見舞いに来てくれた古い友人とあまりゆっくりお話を楽しめないと思ったら、案の定友人が帰るとスパイク・フィーバーでした。
しかし、肺炎に対する抗生物質治療も終わり、試しの外泊として今日29日土曜にほぼ2ヶ月ぶりに自宅に2泊3日の予定で戻って来ました。これがうまく行けば、時々自宅に戻ったり、10月半ばに東北の八幡平あたりに紅葉を見に行こうかと夢想しています。
問題はこんな調子がいつまで続くのか、肺炎中に足がかなり萎えてしまったこと、それに腹が異常に膨らむので看護婦さんに胃から空気を抜いてもらわなければならないことが課題です。味覚障害も引き続き回復しつつあり、きのうは病院のボランティアの方々がテラスで焼き芋を焼いたので、これをしっかり楽しみました。寿司も試しましたが、4週間前より味がしっかり確認できるのですが、100%回復にはまだ時間がかかるでしょう。
27日木曜はマーガレットの誕生日と結婚35周年ということで、近くの高級イタリアン・レストランでアリサを加えておいしい昼食をいただきました(ただし食べ切れませんでしたが)。その後、病院に戻ると担当医二人と病棟の看護婦さん達が頭に飾り物を付けて押し寄せてきました。誕生日のサプライズ・パーティーをすっかり楽しみました。こんなことをしてくれる病院は他にあるのでしょうかね???
こんなところが近況です。不安定な中でもこれまでのところは生きていることを十二分に満喫しています。
では、またお元気で。
1月にお別れ会があるそうですね。
八幡平の紅葉は終わってしまったでしょうが、日本列島まだまだ紅葉狩りはできます。
また、初冬は全国で素晴らしい風景が現出します。
ゆっくりと楽しんでください。
1月にお会いしましょう。
合掌