草がともだち(まんがのえんがわ)

草むしりの仕事さえなければ、
と思いつつ、草むしりが嫌いではない。
でも草むしりから開放されて漫画を描きたい。

フリーズするおばさん脳

2019-09-03 01:58:04 | お知らせ


   用事が重なり忙しくなればなるほど、何もできない。
   年取るにつれてそんなことないですか?

   長年の主婦業(めちゃ手抜き)とご飯のメニューだけでも齢とともにアプアプになってくるのに、別の用件が

   シングルなら何とか。
   ダブルになり
   トリプルになり
   クワドともなるともうお手上げ(笑)

   頭がフリーズ!

   とりあえず手元の雑誌をパラパラ。
   

   さぼっているわけじゃなく、何から手を付ければいいのか、
   整理するゆとりが脳に残ってなくて、動きが取れないのです。

   いったんこの状態にハマるとドジ踏んで、ますますよけいな用が増えていく。


   9月1日 スーパーへB4原稿のコピーをとりに行き、別の原稿のスキャンもしました。
       どうにかスキャンできた、USBメモリーも忘れず持った、と思ったら、
       先に撮ったたコピーを忘れて帰りました。
       頼まれたポカリとポストイットはちゃんと買ったんですが。
   
   2日、 スキャンの保存形式が作業に向いてないことが分かり、も一度スーパーに出掛けました。
       道で遊んでいた子供たちに声をかけ、いいおばちゃんだなー♪と思ったところで
       USBを忘れたことに気がついて・・・💦
       どうすんだどうすんだ、保存できないじゃないか、
       でも今声かけた子供たちに引き返すとこ見られるのもカッコ悪い・・・。
       別の道を引き返しました。

   3日  お昼の食材が何もないのでちょっとコンビニに行ってきます、と連れ合いに声をかけて出かけ、
       コンビニに入ったとたんに思い出しました。
       こんなことだろうと思って、きのうスキャンしに行った時スーパーで買って帰った食材が
       冷蔵庫に入っているということを・・・。何も買わずに回れ右。

       黙って料理して出したので、つれあいは今コンビニで買ってきたと思ったことでしょう。


   齢とともに脳力も体力も落ちるんですから、主婦にも定年が欲しいです。


   日付を間違えました(笑)上の9月1,2,3は8月31、9月1,2ですね。もう、これですから (^◇^)

「おいしい」となぐさめられても

2019-08-31 00:21:22 | お知らせ


    世の中には、妻の手料理においしいとは絶対言わないと、決めてるような夫も多いですよね。
   うちのつれあいはおいしかったー!と言ってくれます。
   その点だけ見るとなかなかできた夫でしょ?

   ホットケーキを作りました。
   食糧庫の奥から賞味期限を一年以上も過ぎたホットケーキミックスが出てきたので。
   実はちょっと前にも一度これで焼いたのですが、極めつけにマズかった!
   全然膨らまなくて。

   その時は私の意識がアッチに行っていて(よくあることです)上の空だったので、何かドジを踏んだ可能性がある。
   で、もう一度試してやっぱりだめだったら捨てようと。

   慎重に分量を量って今回は間違いなく・・・ってそんな大層なものでもないですが、
   意識をコッチに、ちゃんと作って、先に食べ始めたつれあいに「どぉ?」と聞くと

   「ピザやと思えば食べられる」

   確かに・・・具のないピザだと思えば・・・。

   これはもう、未練なく捨てよう・・・。とモソモソ食べていると先に完食したつれあいが

   「ごちそうさま、おいしかった」 えっ?

   「いや・・・これでおいしいと言われても困るんだけど・・・」と言うと

   「おれはあんまり味わからんから」

   いやいやいや・・・じゃあ いつもの「おいしかったー!」は何なのよ。
   びみょーです。




   

   

雨音も葉っぱにつれて

2019-08-24 01:18:20 | お知らせ


    帰るまでくらい持つだろう、と、自転車で買い物に出かけたのが失敗。
   帰り道はすごい雨。カッパは持っていたものの、足元はずぶぬれになりました。

   田舎道に入ると、周りの葉っぱの形で雨の音が変わります。
   一番うるさかったのがハス畑。
   今は花盛りですが、大きな葉っぱに土砂降りの雨が当たってものすごい音。
   反対側の青々とイネの育った田圃はウソみたいに静かでした。

   

   描き直しの絵コンテ、暑さでヘロヘロになりながら、どうにか最後まで行きました。
   191ページ?ん?忘れたぞ・・・10ページ以上減。
   8月にボケた頭で描いたコマ割りはいつも9月に描きなおすことになるので適当にして、
   とにかく割り付けただけですが、描き直し前よりはテンポが出たかな?
   でも今、目がとにかく痛いので・・・。
   描けるのかなぁ・・・これ・・・。






夏の思い出・犬の仰向け寝

2019-08-09 23:56:26 | お知らせ


   夏が来れば思い出す♪

   実家の土間にいつも2~3頭の犬が放し飼いになっていました。
   秋田犬、コリー、シェルティ、がいましたが、
   仰向け寝したのはコリーだけ。
   コリーはかなり神経質な性格の子もいたのに、どのコリーもやりました。

   京町屋には庭が複数あって、日陰になった庭から日の当たっている庭に向かって
   家の中を風が吹き抜けるようになっています。

   その風の通り道のところで
   ひっくり返って寝てるコリーを初めて見た時は、犬だとすぐには分かりませんでした

   急に起こしてやると、右左、どっちに寝返りを打とうとしても起きられなくて、焦りまくる。
   家族の誰かが通りかかってはこれをやってました。

   シェルティは似たような犬ですが
   警戒心が強いのか仰向け寝はしませんでした。

   
  






  

トユ掃除の苦労が水の泡

2019-07-26 01:33:39 | お知らせ


   梅雨が上がったはずなのに夕方からものすごい雨。
   ふと見るとひと月ほど前に掃除したはずのトユから勢いよく水が噴き出して
   雨戸の戸袋にザブザブと。
  
   トユ詰まりにはふた月ほど前に気がついて
   息子が帰ってきたら掃除させるつもりだったのですが、雨戸の戸袋の板は雨風にさらされてやせ細ってパリパリ。
   うかつに梯子をかけられない。

   生垣にもたせるしかないけれど、息子や息子より重そうな嫁ちゃんでは向こう側に抜けてしまうかも。
   で、結局自分でやりました。

   知らなかったんですが、トユの上側にゴミ掃除のためなのか、蓋つきの穴があるんですね。
   ほおお、よく考えてあるな、と一杯に詰まってた落ち葉くずやなんかきれいに掃除して、
   よし、一仕事した、と思ってたんですが。

   もっと下で詰まってるんでしょうね。
   穴のあたりがきれいになった分、ためらいなく、その穴からきれいに水が噴き上げてます(笑)

   右ひじで必死に体を持ち上げて掃除して、以来、右手のしびれがまだ治ってないのにね。


   北側では柿の木の葉っぱで下のひさしのトユが埋まって腐葉土になったところにフサフサと草が生えています。

   二階の窓から出て掃除するしかないけど怖いね、と言っていたら夫がぱあっと明るい顔で
   「よし、おまえにロープを買ってやる!」
   「は?」
   「お前の体にロープを巻いて、俺が部屋の中でちゃんと持っててやるさかい❤」
   ・・・ありがと。

   齢とってきたら大家族時代の家は、もてあまします。




   何だかだ言いながらたたき台になる描き直しのシナリオ第一稿が書けました。
   描き上げてあった原稿の大半がボツに。
   これが正しいとしたらあの7年間は何だったんだ??

   第2稿にかかるので一度に一つのことしかできないのでブログは抜け抜けになるかも。








カズオ・イシグロ「日の名残り」の手強さ

2019-07-25 02:15:57 | お知らせ
   いい作品です。
   翻訳もいいのでしょうね、
   文体が執事という生き方そのもので。

   一つ一つ紙の箱に入れてふたを閉めていくような、いかにも執事らしい語り口は、
   ハリウッド映画的なダイナミズムやスピード感、ある種の流麗さとは対照的な・・・
   と思っていたら、映画になってるんですね(笑)

   知らなかった。しかもかなり評価高いようですが、面白いんでしょうかねその映画は?
   
   というのも、最初読んだ時とあちこち再読、再々読する時と、どんどん印象が変わっていくんですよ。

   一読した時は、
   執事という職業の理想に徹しすぎた初老の男が、
   自分の本音はわきに隠しながら、その本当の目的もわきに隠した旅をして、
   しかししだいに思い出したくないことを思い出し、認めたくないことを認めていく、
   きわめて穏やかにその過程を描いた小説だと思ったんです。

   しかし・・・読み返すにつれていやいやそれほど心地よいだけの話ではないぞと。

   人物にモデルがあるとか全体が強烈なパロディであるとか、そのへんは知識がなくてわかりません。
   私にできるのはこの作品をただ読むことだけです。

   でもたとえばミス・ケントンとの間のことが、語り手の語るままでは不自然だということはすぐ気がつきます。
   もっといろいろあっただろうなんてことは憶測にすぎないけれど、
   本人が語るほど冷静につくろえたわけでないことは周囲の反応で分かる。
   まぁ、だからミス・ケントンが、この木で鼻をくくったような人を好きになる余地もあったのでしょうし。

   と、分かりやすいところから取り掛かって、
   執事さん、あなたはあなたの思っているあなた自身ではありませんよ、と気がつく。

   一度ラストまで読んで読み直すと最初より語り手の行動全体が滑稽味を帯びて見えもします。
   その忠節の行きつくところを知っているし、理想化し、尽くし抜いた彼の主の限界も知っているので。

   といってあながち皮肉だよ、諧謔だよと見てしまうこともできない。
   お父さんのエピソードがあるので。
   
   自分がもう長くないと思ったお父さんが
   「わしは良い父親だったろうか?そうだったらいいが・・・・・・」と聞く。語り手は
   「父さんの気分がよくなって、何よりです」と執事の鎧の中から答える。父親は
   「(略)・・・お前にとっても、わしがよい父親だったならいいが・・・・・・。そうではなかったようだ」と言い、
   息子はあくまで鎧の中から答える。

   お父さんの言う通りなのでしょうね。語り手は一切ふれませんが。
   このエピソードは小説全体が諧謔側にひっくり返らないための、
   いわばページが裏返らないための一点ののり付けみたいに私には思えたのですが。

   古き良き時代のイギリスを懐かしむような雰囲気で始まって、しかしちらちらと
   語り手がかばっていながらその弱点が見えてくる。
   といってそれを倒して次に何が来るのか?という疑問もわく。

   語り手が善意の人物であることは間違いなく、
   しかしいったん読み終えてから何重にも重なって見えてくるウソやら皮肉やらなにやかや。
   積み重なった落ち葉がカサコソと移動して違う模様が見えてくるような・・・。

   こういうのは一人称で語られているから可能なので、
   映画になって当人が語る以上に観客の前に目に見える事実が描写されてしまったらどうなんだ??という疑問が。
   見てみりゃいいんですけどね(笑)なかなか好評な映画だったようですし。

   でも映画で見るより、この手強い小説をもうしばらく読み返していたいです。


   


   あまりにもブサイクにしか描けないのでいっそトレースしてみた。 
   改めて、顔と頭のバランスの良さにみとれ、これが描けないデッサン力のなさに落ち込む。


『スケオタデイズ・海外遠征編』で三方向にハマる

2019-07-23 01:32:52 | お知らせ
   

   グレゴリ青山の『戦慄のフィギュア底なし沼』に続いて『それいけ海外遠征編』を読んだら
   三方向にハマっちゃいました。

     ☆ もともとハマってたフィギュアにさらに深入り!(スケオタではありません)
     ☆ 他の人のスケオタ漫画(そんなジャンルあるのか?)も読みたい!
     ☆ グレゴリ青山をもっと読みたい!

   ゆづ❤がゆづ❤に見えないとかなんとか文句言ってましたが
   41ページラストの一コマで 許す!

   浅田真央選手も衣装以外あまり特徴なくて、
   ゆづ❤同様、これといった欠点なく整った和顔は描きにくいのだろうなと推測してましたが
   26ページ真ん中の二コマはまぎれもない浅田真央❤!

   ああ、こんな表情よく描けたな、と
   真央ちゃんに感動したのかグさんの力に感動したのかウルウルになってしまいました( ;∀;)

   おかげでア○ゾン・本をポチポチポチポチ。

   財布のひもは・・・まだなくしてはおりません。
   幸か不幸かものすごい出不精なので。


   “kenjiの部屋”のゆづ❤との対談で、二人の顔がどっちもイケメンなのにあまりに対照的で
   あれも顔これも顔かぁ・・・!と妙な感慨にふけってしまった。

  
   

もらい捨ては失礼ですか?

2019-07-20 22:52:56 | お知らせ

   今年もヒオウギの花が咲いてます。毎年祇園祭の時期にきっちり咲きます。
   うちの庭では勝手に種が落ちて咲くので強い植物というイメージですが、
   自然のものは少なくなっていると聞きます。
   葉っぱがヒノキで作った扇のような形。
   四方に広がったものに比べてバランスが悪いので、風が吹くとよく倒れます。
 




   ご近所から畑で作った野菜をいただく季節になりました。
   最初の方が「よそからもろたはらへん?迷惑やない?」
   と言いつつくださった時は本当にこの季節初めてだったのですが、
   それから立て続けにいただいて、うちの冷蔵庫もそろそろいっぱいです。

   せっかくの野菜を無駄にするより誰かにあげたい。
   おいしいんですよやっぱり、採りたてだから。

  
   以前は住宅地に住むママ友何人かに回していたのですが、  
   “お返し”が来るようになって、持って行きにくくなりました。

   もともとタダでもらったもの。
   私自身がお返しなしの“もらい捨て”にしているので、
   回したものも“もらい捨て”にしてもらうのが一番ありがたいのに。

   夫の親戚から作物をもらった時も、私は地域の習慣でたくさんたまる洗剤を
   「洗剤、買っておられますか?買っておられるのだったら、うちは使い切れないのでどうぞ」
   とお渡ししていました。

   夫はそれでは失礼だと、前もってお土産の菓子折りを買いに行きます。
   反対してもダメ。
   (先日、予告なしに来られたのはお返しをさけるためじゃないかな?)
     
   有り余る野菜は、食べきれずに傷んでしまったりします。
   粉の洗剤は、湿気ると固まってしまってバザーにも出せず、捨てるしかありません。
   ああもったいない、しんきくさい。
   
   
   適当なものがあれば物々交換。
   なければ感謝がお礼。

   そういう単純なことにならないものでしょうか。


   


不機嫌はすでに一つの罪悪である

2019-07-19 02:21:38 | お知らせ


   不機嫌はすでに一つの罪悪である。
   『若きウェルテルの悩み』の中の言葉だったと思います。
   記憶はあてにならないもので、このとおりの言葉があるかどうか、保証はしません(笑)

   ウェルテルが愛するロッテの新居を訪ねた時、ロッテの夫がとにかく不機嫌な人であるのを見て
   何かこんなことを心の中でつぶやくのです。
  
   私の父はこのロッテの夫そのとおりの人物でした。

   がみがみうるさく言うのではなく、ただいつも不機嫌で、
   「ちっ!」とか「けっ!」とか「はん!!」しか言わない。
   (たまに口を開けばもちろん毒々しくきついのですが)

   親が説明なく不機嫌だと、
   子供は原因を探して自分のすべてを否定し始めるものです。

   私がこんな不出来でなかったらお父さんはもっと楽しくできたんじゃないかと。

   その思いから解放されたのはずっと後。
   もうおばさんになってからです。

   私があの人みたいだったらお父さんはきっと納得してくれただろうと思える、
   美人で優秀ないとこがいたのですが、
   その人が母に言ったのです。

   「おじさんがまだ結婚前で実家にいた頃よく遊びに行ったけど、
   私がこんにちはと言っても、おじさんはこんにちはでもなければ、よく来たなでもなく、
   怖い怖い顔でギロォ・・・っとにらむだけで・・・!
   あんな怖い人はなかったわ!」

   それを聞いてやっと、あの人でダメなら誰でもダメだ。私のせいじゃない、と納得。
   でもあの不機嫌の理由はいまだに分かりません。

   ミスなく完璧だけどいつも不機嫌な人より
   なにやかや失敗だらけで問題多いけどいつも機嫌よく前向きな人の方が
   一緒にいるにはありがたい。 
   
   できるだけ機嫌よく前向きでいたいなと思います。が。
   私の性格は父親似なんですよね~! (^▽^;)
   


   
   うーわっ!!似てない!!おまけにデッサン狂ってる。ごめんなさい!

   
   プロの絵に文句つけてしまったので自分でも描いてみました。
   ゆづ❤は描けない、美しすぎて怖ろしすぎる、絶対難しい、と思ってましたがやっぱりです。


   でもゆづ❤を描いてると目力がつく気がする。

   どっちもボールペンぶっつけ






祇園祭の裏通り

2019-07-18 02:01:53 | お知らせ
  
    記憶はあいまい


   17日、雨も降らず、祇園祭の山鉾巡行はつつがなく運んだようですね。

   実家は一応京都市内ですが、祇園祭には縁がありませんでした。
   父が、およそ遊ぶということが許せない人だったので、
   地元のお祭りも連れて行ってもらったことがありません。
   昔の父親はそんなものだったのかもしれません。

   しかしですよ、学生時代、地元っ子だと思われているのに
   「祇園祭?知らない」と言うのも具合が悪いんですよ(笑)

   それである年恐る恐る、宵山を見に行きたいんですが、と言ってみました。
   「ばぁかも~ん!!」でしたよ (^^;)

   いわく、
   「祇園祭は八坂神社の祭りである。氏子でない我が家にはなんの関係もない。興味を持つ必要もない。
   近頃有象無象が宵山だ何だと騒いでおるがまことに情けない。
   マスコミに乗せられてそんなものに行く奴はバカだ!!」 

   さんざんののしられて口には出さねど
   「じゃあ私はバカだから、バカがバカなことするんだから釣り合ってるじゃない!!」
   と飛び出して一人宵山に行きました。  

   表通りで人波にもまれていても気分は独りぼっち。
   たまりかねて一筋入ると観光客もまばらで、地元の人の下駄の音が響き、
   子供たちが歌うようにお札やちまきを売っていました。
   ああいい風情・・・。

   祇園祭は屏風祭りと言われて、明治の頃、上村松園さんなどはこの時とばかり
   普段見られない屏風をスケッチして回ったそうですが、
   その頃は屏風を飾っている家は少なく、入れてくださるところは押すな押すなの賑わいでした。
   長澤芦雪(・・・だったかな?)の“群盲象をなでるの図”を見せていただきました。

   でも最後まで、することなすことの裏に涙が張り付いているような気分でしたね。
   京都に住んでて、有名なお祭りがどんなものか一度見ておこうというだけなのに・・・。
   

   
   それから十何年後、家を出て一人で働いているときに、たまたま四条河原町を通りかかったのが7月17日。
   ものすごい人だかりにああ、今日は山鉾巡行か、と気がついて、生まれて初めて祭り本番を見ました。
   鉾回しも迫力だったけれど、見るからに体格のいい若い機動隊員さんたちが
   「ゆうべから一睡もしてない・・・」
   「この暑さは何や・・・。見物守るより俺らの方が倒れそうや・・・。」
   とぼやきながら警備についておられたのが印象に残っています。
   今でもそんなにハードなんでしょうか。