無色透明の石というのは、多いような多くないような。
水晶。
ダイヤモンド。
まあこの2つで石市場の大半を占めるのではないかという疑いもある。
いくつかの鉱物は、純粋な結晶になると無色透明になるけれど、不純物によって着色していて、それが石の売りになっていたりもする。ゾイサイトなんかは青いとひっぱりだこなのに、無色透明だと見向きもされない。(されないことはないだろうよ)
無色透明を売りにしている石は、水晶とダイヤモンドを除けば、
フェナカイト(フェナス石 Be2SiO4)
ダンビュライト(ダンブリー石 CaB2(SiO4)2)
ペタライト(葉長石 LiAlSi4O10、準長石)
ゴシェナイト(無色の緑柱石[ベリル] Be3Al2Si6O18)
アデュラリア、サニディンなどの長石
アイスランドスパー(カルサイト)
セレナイト(石膏)
まあトパーズやフローライトなんかも色付きが好まれる一方、無色透明もそれなりに珍重されるようですけど。
クリソベリルやスフェーンは、金色や薄緑が微妙に入ったりして、無色透明が売りかどうかはちょっと微妙。
フェナカイトとダンビュライトは、ダイヤモンドの代用品みたいな位置づけがあるらしい。ちょっと石に対して失礼だけど、似ているんだからしょうがないわねえ。
もうひとつダイヤモンドの代用品で、ダイヤモンドより高い屈折率や光分散度を持つモアッサナイトというのがあるけど、今はほとんど人工だそうで。
宝石分野では無色透明の石はダイヤモンド以外は人気があまりない、という話を聞いたことがある。まあダイヤモンドがすご過ぎるのでしょう。
あちきは水晶やダイヤモンドはほぼ無縁なので、無色透明な石というのはよくわからない。フェナカイトやダンビュライトの原石を石屋さんで見たことがあるけれど、「よくわからない」で終わった。
ところが先日、新宿紀伊国屋内東京サイエンスさんに寄ってみたら、無色透明で気になる石があった。
ゴシェナイト。無色のベリル。
すごくきらきらして美しいし、お手頃価格だったし、ベリルという石は好きなので、買った。
小さな結晶の集合体、だと思ったけど、どうもそんな単純な形ではない。あちこち欠落というか空洞というか欠損というか、要するに小さな穴がある。
これ……いわゆる「スケルタル」ではないだろうか。「骸晶」。
最初に核となる部分が結晶していくのだけれど、その後、熱水中の成分濃度が外側部分が濃くなり、核部分から遠いあちゃこちゃに急激に結晶が発達する。で、がたがたになって、空洞の部分も生まれたりする。で、中ががらんどうの骸骨のようだと形容される。
と書いたけど、理屈をしっかり把握しているわけではない。
「骸晶」はいろいろな石にあって、水晶だと「エレスチャル」と呼ばれるらしい。「骸骨水晶」だと気持ち悪くて値段が下がるからかもしれない。時々見るけど、だいたい高い。けど、水晶のスケルタルは、ごつごつしているけど、空洞ができていたりはしないように見える。
ともあれ、そういうがたがたですかすかな形状のおかげで、輝きが増している。それがとてもいい。
初めての無色透明の石。といっても、無色透明を愛しているのではなく、骸晶のきらきらを愛しているということになるのかもしれない。
* * *
石が無色透明というのはよくよく考えればおかしくないか。いやそもそも透明ということ自体が、変。(勝手に変がるな)
「透明」の説明はどうもすっきりしない。「ガラスが透明なのは、非晶質で結晶の境目=粒界がないから」という説明があるけど、それはおかしい。結晶体だって透明なものはいくらもある。非晶質体だって不透明なものはいくらもある。
「二酸化ケイ素は光を吸収しない」という説明もあるけれど、オパールもカルセドニーも不透明はいくらでもある。
「結晶体である鉱物が透明になるのは、粒界の大きさが光の波長より小さい場合である」ということらしいけれど、これはあちきにはよくわからない。理系頭でないからか、ちんぷんかんぷん。
ともかくまとめると、
①ガラスが透明なのは結晶の境目がなく、かつ二酸化ケイ素が光を吸収しないから。つまり非晶質体は構成する物質が光を吸収しないものである時に透明になる。
②鉱物が透明になるのは、粒界の大きさが光の波長より小さい場合。
ということらしい。
しかしだね、本当に無色透明だったら、見えない。
透明人間の論理的矛盾というのがあって、人体が本当に透明になったら、目が光を捉えることができないので、透明人間自身が何も見えないはずだ、というのがある。
こういうことを言い立てる人は、「どうだ、科学的知見を駆使した見事な反駁だろう」と悦に入って言っているのだろうけど、その反論には穴がある。例えば、その目が特定の波長の光だけ捉える=吸収するのなら、捉えられずに透過してくる光は、たとえその波長が欠けていても、複合波長になってほぼ通常の白光と変わらなくなる。だから、不可能だという結論は成立しない。(君も悦に入っていないか?)
って、何の話だ?
石がそこにあるのが見えるということは、無色透明に見えるけれど、微妙な光の散乱とか、表面の反射とかがあるということ。(うるさいねえw)
で、その微細な散乱とか表面の「照り」とかを、石好きは愛でる。そこに「どこどこ産の水晶」とか別の石とかの独自の美が現われる。まあ人間の認知能力や審美眼というのは大したものです。
* * *
近代の科学技術の発展はすごいもので、ガラスにしろプラスチックやアクリルにしろ、えらく透明なものが作れるようになった。しかも安価で。
昔は透明なものなんかあまりなかったのだよ。西洋中世では雲母や蛍石をガラスのように使っていたらしい。近代だって昭和ガラスは泡が入っていたり歪んでいたりしていた。
最近のガラスは透明すぎて、この前なんかある石屋さんで自動ドアに頭をぶつけた。ドアノブの所を押さないと開かないやつだったのに気づかず、そのまま突進したせい。
しかしこう透明なものが氾濫すると、水晶やダイヤの地位も若干低下するのではないか。
ともあれ、コレクションケースに「無色透明」の石が加わった。
なかなかいい。
これを機に、無色透明の味を吟味するためにも、水晶に手を出そうかな、などと一瞬思ったけれど、やはり気が進まない。フェナカイトやダンビュライトをネットで見ても、ぽちっとする気にはならない。
まあ、まだ未熟なのでしょう。あるいは強欲で色がないと欲求不満になるのか。
「石好きの行き着く先」とも言われる水晶に辿り着く前に、寿命が尽きるでしょうね。