
日本各地で地域の皆さんが最寄りの幼小中学校に行って支援活動をする機会が多くなってきました。ご覧の皆さんのところはいかがですか。
学ぶ場を学校の中だけではなく地域に広げたり他の人とのつながりの中で学習を進めることで"よりよい学校づくりを通して、よりよい社会をつくろう!"の目標を実現しようとしています。具体的には"社会に開かれた教育課程"を各学校の特色や地域性を活かして編成して実施されます。その手段は、その目標を学校だけではなく地域の皆さんにも共有してもらって、子どもたちの学習を地域の皆さんも一緒に連携・協働して実施するということです。そのようにして、子どもは自身の資質を高めるだけではなくよりよい社会人(持続可能な社会の創り手)として育っていきます。
『「ありがとう」を伝えよう』
私のように学校への支援活動をされている方は、次のようなお礼集をいただいたりお礼の会を開いてもらって嬉しい思いをされた方もおられると思います。

何とも言えず嬉しいものです。またガンバローという強く思う機会となっています。 でもよく考えると、活動中は色々なことが起こります。「ぼくはしない。」とすねてみたり「面白くない。」と途中でやめたりと意欲的なときばかりではありません。
『「ありがとう」を伝えよう』
私のように学校への支援活動をされている方は、次のようなお礼集をいただいたりお礼の会を開いてもらって嬉しい思いをされた方もおられると思います。

何とも言えず嬉しいものです。またガンバローという強く思う機会となっています。 でもよく考えると、活動中は色々なことが起こります。「ぼくはしない。」とすねてみたり「面白くない。」と途中でやめたりと意欲的なときばかりではありません。
活動の後に担当の先生から「お礼の手紙を書きましょう。」と紙を配って書くことになります。お礼を言いたい子はよいのですが、そうでない子もいるはずです。その子からすると強制的に書かされるということになります。
こういうことから「"お礼集"はいりませんよ。」と先生に言いたいです。お礼は子ども一人ひとりの自発的な思いですから、そう思ったとき表現することができるような力を持たせてほしいのです。このことは将来の社会人としての大切な力でもあります。
何と言っても日々嬉しいのは、
「私はおもちゃづくりが好きです。」
「今日は何を作るんですか。
こういうことから「"お礼集"はいりませんよ。」と先生に言いたいです。お礼は子ども一人ひとりの自発的な思いですから、そう思ったとき表現することができるような力を持たせてほしいのです。このことは将来の社会人としての大切な力でもあります。
また、連携・協働する機会が増えてくるとお礼を書く時間もありませんし、それが当たり前になるはずです。
実は本題に掲げた『「ありがとう」を伝えよう』は教科書小学校3年国語上〔光村図書〕の教材です。その授業を受けて、先生が「だれにどんなありがとうをつたえますか。」と問いかけたとき、放課後子ども教室で教わったことから私を思い出してくれました。それが次の手紙です。

〈タップで拡大図〉
嬉しかったですね~。しばらくジーンと心に響きました。喜びが湧き出してくる感じでした。お世話になった人はたくさんいるはずですからその子は私を思ってくれたと思うとそれで十分でした。
教科書はこれです。

〈タップで拡大図〉
教材の内容をわかってもらうために内容をタイプしました。

〈タップで拡大図〉

〈タップで拡大図〉

〈タップで拡大図〉
このような授業が行われています。箱で囲んだところが1時間の授業だと思います。時間をかけて手紙を書く方法を学習しています。
最寄りの小学校でも2人の四年生から手紙をもらいました。

〈タップで拡大図〉
これも嬉しかったですね。2月1年間のクラブ活動が終わるときに「先生、これ!」と手渡してくれました。後日、こちらからもお礼にと〔KPAひな人形材料のセット〕を持っていきました。
実は本題に掲げた『「ありがとう」を伝えよう』は教科書小学校3年国語上〔光村図書〕の教材です。その授業を受けて、先生が「だれにどんなありがとうをつたえますか。」と問いかけたとき、放課後子ども教室で教わったことから私を思い出してくれました。それが次の手紙です。


嬉しかったですね~。しばらくジーンと心に響きました。喜びが湧き出してくる感じでした。お世話になった人はたくさんいるはずですからその子は私を思ってくれたと思うとそれで十分でした。
教科書はこれです。


教材の内容をわかってもらうために内容をタイプしました。






このような授業が行われています。箱で囲んだところが1時間の授業だと思います。時間をかけて手紙を書く方法を学習しています。
最寄りの小学校でも2人の四年生から手紙をもらいました。


これも嬉しかったですね。2月1年間のクラブ活動が終わるときに「先生、これ!」と手渡してくれました。後日、こちらからもお礼にと〔KPAひな人形材料のセット〕を持っていきました。
(3月23日(水)朝7:50追伸)
この手紙上の方の児童とすれ違いました。「おう、おじちゃん」と声をかけてくれました。登校途中の⚪⚪君です。手紙をもらったのは1年ほどの前ですから今でも覚えていてくれました。
何と言っても日々嬉しいのは、
「私はおもちゃづくりが好きです。」
「今日は何を作るんですか。
・・・・早く作りたいな。」
お母さん
「活動の日は朝から、今日は何かな~と言っているんですよ。」
お父さんへ
「今日のむかえは遅くていいからね!」
このように直接素直な気持ちで話してくれたときですね。
私の方も、怖(こわ)い先生にはならないこと。
気づいたときには子どもに声をかけることを躊躇(ちゅうちょ)しないこと。
指導は周到に計画して準備していくこと。
指導中は視線を配ったり机間巡視をして触れ合いを持つこと。
などを工夫しています。
このように直接素直な気持ちで話してくれたときですね。
私の方も、怖(こわ)い先生にはならないこと。
気づいたときには子どもに声をかけることを躊躇(ちゅうちょ)しないこと。
指導は周到に計画して準備していくこと。
指導中は視線を配ったり机間巡視をして触れ合いを持つこと。
などを工夫しています。
理不尽な人はいましたが、やっぱり「ふん!」という思いで過ごしてきたように思います。
自分の信じた道を貫き通してきた人生だったと思います。あなたの文章からも同じような臭いを感じます。
人は所詮一人ぼっちですから、自分の好きなように生きるのが一番とも思っています。
そこに一緒に歩く人もいるでしょうし、すれ違う人もいます。上からものが落ちてくることもあります。雨ぐらいだったらいいですけど。
私の子どもは40才ですが、7年前に肺がんステージい4になりました。辛い人生の出来事を迎えましたが、幾度の危機を乗り越えて元気に楽しく生活をしています。仕事が難しいので障害年金受給者となっています。私も息子と一緒に隣を歩く一人です。病気を通して幾人もの人が一緒に歩いてくれます。
コメント返信のほうをありがとうございました。
同感です。
自分は自立支援センターの入所利用者として35年活しております。
苦情&トラブル等を経験しているため、最初から良い友達がいないわりには、これ、初めてだろうか、20代前半の時に一番嫌いな当時の元センター児童入所利用者さんに「気短い奴には良い友達など作れる権利などないわ」と嫌味を言われたという辛い/腹立たしい思い出が心の中に残っています。当時のことを知らずに、また一緒にいていないのにそういうことを言われた元センター児童入所利用者さんにはかなり憎悪感を感じます。
思い出したくない苦情&トラブル等なので、それ以上は差し控えます。
最近が「友だちなんかいなくってもいいよ」を話題にして「人それぞれでいいんだ」と思い始めました。
服装についても「色が黒くて田舎のじいさんみたい」とけなされていましたが、「どうせ田舎のじいさん、これが自分です。」といなおっています。
昔は仕事のつながりがありましたが、今はつながりがありませんから、草むしりと余生20年と決めての活動のための勉強をしています。勉強が成就したら(1年後)スタートです。友だちのことなんて関係ありません。考える暇もありません。
いいえ、とんでもございません。
自分は自立支援センターで入所利用者として35年いますから、苦情&トラブル等の経験もいうまでもありません。
最初から仲の良い友達が本格的にいません。
また最初のコメントを読み返してみました。明らかに私のお返しのコメントは的を射ていませんね。ブログの中の教室の様子を詳しく説明しているだけでした。申し訳なく思っています。
「ありがと」がそれだけの意味ではなく感じておられるということですね。
私も人生を永くやっているので、思い当たることはいっぱいありました。そのうち40年近く教師をしていたのでどんな先生だったのか反省するばかりです。
また、同じ思いもありました。心の中では「ふん!」という思いでいました。「ふん!」
床屋に行っても買い物に行っても声をかけてくれる皆さんがいるので、胸を撫で下ろして楽しく生きています。
遅くなりましたが、コメント返信のほうをありがとうございました。
自分が思う意見などに食い違いもありましたが、全般的にはそう感じておりません。
またゆっくりと話したいです。
本当にありがとうございました。
ブログへの訪問&コメント&リアクション等お待ちしております。
ありがとうについてのお尋ねかなぁ、よく状況がわかりませんが、私なりのありがとうについて紹介します。
いつも子供たちを前にして身近な材料でおもちゃを作っています。ほぼ喜んで作ってくれますが、そうでない児童もいます。ぼくはやらない。面白くない。というわけです。担任の先生は「やりなさい。」と叱りますが、
子どもの方が正直だと思っています。放課後まで「やりなさい。」と縛られるのは間違いだと思います。「先生、いいですよ。」と言って気にしないように伝えます。楽しく作っていく中で「僕も作る。」ということがほとんどです。
人間関係としては、作り方を教える人、教わる人の関係しかありません。ただし、一生懸命に教える、ぜひ完成させたいというおもいでつながっています。
ですから、いつの日か「おもちゃづくりは楽しいよ!」「おじちゃんが来るのを待っています。」なんて嬉しい言葉をかけてくれます。これって「ありがとう」ということですよね。
時々お年寄りの所へも行きます。おばあちゃんたちがほとんどです。そこでの作って遊ぼう教室は子供たちの場合とはチョッと違います。「やらない!」という人はであったことはありません。興味はなくてもすることはされます。でも進んでいくうちに脱線してきます。おしゃべりが始まるとチッとも進まなくなります。最後は必ず<下ネタ>が満開になってしまいます。そうなると製作は私一人で作ることが多いです。それでも丁重な「ありがとうございました。」という代表者のことばをもらいます。
「ありがとう」には色々な意味が含まれていますが、あまり気にしていません。shinogoo-bloggerさんのように受け止めることはありません。深く考えないということにです。子どもたちの言葉のように嬉しいこともありますがそれも〔一時の喜び〕です。淡々とした人生を過ごしていこうと思っています。私の活動でチョッとでも喜んでもらえたらいいです。
shinogoo-bloggerさんのブログは[知識が増えるようで楽しいです。]これからも投稿よろしくお願いします。投稿のカテゴリーが違いますからなかなか出会えないかと思いますが、いつかで会えたら嬉しいな~!
ついついコメントのリクエストに対してこんなにいっぱい書いてしまいました。ありがとうございました。
初コメント投稿いたします。
自分自体にありがとうについて、記事ネタとは少し無関係なんですが、ここ最近になり、苦手になってしまうほどの苦情&トラブル等に遭いました。
それは、自立支援センターにて成人男子支援員さんと夜勤者さんがバイタルを測りに来て下さる時、測った後の「ハイ!!!ありがと!!!」ときつくも嫌らしく、厳しくお礼を逆に返す行動面などに嫌悪感を増してしまい、気分も悪くなってしまうほどの落ち込みとともに気になります。
「ありがとう」は別に悪いことではないのに、何故、自分だけこんなことになってしまうのかとも疑問に思いつつ、だれとも談話を受けても話がかみ合わなかったり、意見が食い違ったり、それに上司施設長さんとの談話で「嫌いではないですよ」と言われるくらい、自分を敵視されているように見えてしまいます。
先ほどはブログにリアクションのほうをありがとうございました。
コメントもよかったらくださいね。
よろしくお願いいたします。
最近コロナで活動がすっかりお休みになっていたので、ブログ投稿や閲覧に走っているところです。そんな中あなた様のブログに立ち寄ったというわけです。
私の投稿は発想して投稿するまで時間がかかりますので、次回の投稿はもうちょっとのところです。見ていただけたら幸いです。
コメントありがとうございました。
今後もよろしくお願いします。
こんなにも長い閉館状態なので 忘れ去られても仕方ないや!って思っていたのですが、
思いがけないお声掛けに接し 驚きと同時に
嬉しさを実感いたしました。
それでこのブログに初めて出会いました。
あなた様の誠実で真面目、丁寧な内容と文章に「お前も頑張らんかい!」ってガツンといわれた気がしました。
それでもすっかり腰の重くなってしまった私ですが チョビチョビ 立ちあがろうかな?
こちらこそコメントいただきありがとうございます。
作って遊ぼう教室の子どもたちは自分にもできそうだと思うと〔はまってしまう。〕という感じになって取り組んでいます。
牛乳パックボールは小学校高学年や中学校でも作るのが難しいです。15年ほど前にPPバンドテープ(荷造りテープ)で作り方を教わったのですが、よくわからなかったところが始まりです。自分なりに仮止めの方法を考えて作り方を確立しました。数年前にもっと身近な牛乳パックで作る方法を考案しました。仮止めは画鋲にしました。
幅1cmのものは遊びには難しいです。幅2cm程度のものは作りやすいです。遊びにも手ごろです。帯の接合にはホッチキスが使えます。チョッと外れやすくなりますがセロテープでも接合できます。
難しいときにはまたコメントください。
拙ブログへのご訪問ありがとうございました。
ゲームの中で育った子供たちにとって身体を使い手を使い想像たくましく遊ぶ姿は
本来子供たちが通らねばならない道なのではと思います。
懐かしい遊びの数々 子供たちは新鮮に感じるのではないでしょうか。
小2と小4の孫に牛乳パックボールを教えてあげようとコピーさせていただきました。作るのが楽しみです。
フォローさせて頂きたく宜しくお願いいたします。
コメントありがとうございます。
現役のときはそんないい先生ではなかったことを反省してるんですよ。勉強に厳しいとき、石頭だったときもあり、決して優しいだけの先生ではありませんでした。悩むことも多かったように思います。子どもたちにはどう見えてたのかな~。と今でも気が重くなります。考えて改善することはしょっちゅうでしたからそこだけは認めてもらっていたかと感じていました。中学校でしたから生徒によく相談していました。
今は達観した心経で小学生低学年と一緒に遊んでいる感覚です。放課後子ども教室では3時に学校について宿題を手伝って4時から一時間作って遊ぼう教室をやっています。
宿題の手伝いのときには60才の年の差を乗り越えて話ができるのが最高に楽しいです。
誉めていただいたのでチョッと紹介しました。
ps・
私はお礼は書きたい子供が書けばいいと思うタイプです。親や先生に言われずとも、親や周りの大人がお礼や感謝の気持ちを言っている姿を見ればそれぞれの形でいつか自然と出てくるものと思います。
丁重なごあいさつありがとうございます。小説をチョッと読ませていただきました。まったく私には素養がないので敬服するばかりです。また出会ったときまとめて読ませてください。
子ども相手の仕事は共通していますね。
子どもが愛しいのものですから、学習塾を山あいの町で四十数年つづけてきました。
人のこころは時代に応じて変わってきましたが、子どもは子ども。
ひとりひとり大切に、秀でた点をのばしてやりたいと思っています。
コメントとありがとうございます。
お礼の文集については難しいですね。私は10年前までは学校の教師をしていて、実際お礼を書かせていたんですが、もう20年も前から日本の公教育の考え方が代わっていたんです。学校の先生が学校に居るように地域の皆さんが学校に居るようにするのがこれからの学校の目指すところです。〔地域と共にある学校〕〔社会に開かれた学校〕というキャッチフレーズのもとに、〔社会に開かれた教育課程〕という各学校の教育計画です。これは''地域に根ざした学校の教育計画''というものです。
そうは言っても急には学校も地域の皆さんも考え方を変えることはできませんよね。地域の皆さんが学校に居るのが当たり前とは考えられないのが普通です。学校の先生の一部の先生しかご存じないのが今の状況です。私もその一部の一人だったしお礼の文集をもらうのを嬉しいと思ってしまいます。
お礼の文集をもらったときは嬉しいですから今も10年前と変わっていないのが私です。決して「要りません。」「必要無いですよ!」とは言いません。最高の表現でお礼を言いたい気分です。私が意見を言ったところで「せっかく書いてもらったのに」「昔先生だったから、、」としか言われると思います。ブログには先の目標として「お礼の文集は要りません。」と書きました。
今の子どもたちは素晴らしいですよ!どんどん声を掛けてくれますから。買い物をしていると「作って遊ぼうの先生ですね。」と中学生や小学生が声を掛けてくれます。これが何といっても一番嬉しいです。素直な気持ちですから。
このブログに紹介しましたが''ありがとう''を素直に表現する方法が学校の授業にあります。そういうところをいかして指導してほしいです。このブログを書いた後も書写の授業で『感謝』と手本が書いてあるのを見つけました。このときただ感謝と書くのでなく「これを誰にあげたい?」「感謝は大切だよ!誰に感謝してる。」と指導してもらえると感謝の字に心が隠るかもしれません。心の隠ったありがとうのスキルを身について来るように思います。ありがとうは個人的な感情ですからこれが理想とするところです。
私も貴方の意見とまったく同じですから心配しないでください。理想的な社会としての学校を目標にかかげて、現実的に活動しています。
目標は30年後です。今10年が経過したところです。90才まで生きて理想的な学校や子どもたちを見たいと個人的な人生の目標です。
ブログをしっかり読んで受け止めていただいて嬉しかったです。ありがとうございました。今後もブログを頑張りましょうね。
当方ブログにいいねをありがとうございました。
たくさんのお礼集、心温まりますね。
こんなにたくさんの活動をされていて、素晴らしいです。
すこし思ったことなのですが、
お礼集は要らないよ、と言ってあげたいというお気持ち、分かります。
無理やり書かされたお礼、なんて、申し訳ないですよね。
でも、お礼を言う訓練や、やってもらったことに感謝するという教育の一環とも言えないでしょうか。
私は教員ではないので、教育の現場と関係ないただの素人の考えですが・・
まだ幼い子供は、言われなくても感謝する、という頭はないのではないでしょうか。
幼い子供がありがとうと言うとしたら、それは親御さんが家庭で、「ほら、ありがとうは?」とか教えているからではないでしょうか。
おそらくですが、感謝しなくていいよ、と最初から何もさせていなかったら、どんな人間も、感謝など知らない人間に育ってしまうのではないかと思います。
貴方や他の方が日々、いろんなことに感謝やお礼ができているのは、自然なことではなくて、
親や社会から、こういう時にはお礼を言うものだよ、
こんなことしてもらえるのは「当たり前ではない」んだよ、
と教えられてきたからではないかと思います。
なので・・、個人的な意見ですが、
一律にお礼を書かせる、というのも、まだ幼い年齢の学童たちには、教育の一環ではないかと思うのです。
大人の目から見たら、ちょっと嫌なことに映って、むずむずすることではありますが、
ここは腹をすえて、黙って見守って良いのではないかと思うのです。
「ほら、お礼は?」なんて、もうこの時期を過ぎたら、誰も教えてはくれないですから。
すみません、素人の意見です。
hiraku2014さんの優しい活動がたくさん、実を結んでいきますように😊🌸
こちらこそ、ブログを楽しみに拝見しています。ありがとうございます。
すばらしい活動ですね。
元気もらいました。
これからもよろしく
3月4日にコメントありがとうございました。
日々を活発に過ごされていること、羨ましい限りです。
これからもお身体に気を付けて、頑張ってくださいね。
脳トレされてますか?
こちらこそ、丁重なご挨拶はありがとうございます。よかったら当方のブログも活用してください。
ご訪問ご投票ありがとうございました。我流で拙作ですがよろしくお願いいたします。
簡単ですが、先ずはお礼まで・・・