残念ながら、ユウチューブを観ることができなくなりました。多分upされた元が削除されたものと思います。しかし、文章部分の写真では見られますので、どうかご理解のほどお願いします。
他力本願の投稿ですので仕方ありません。
今回の通潤橋(つうじゅんきょう)は庄屋の布田保之助(ぬたやすのすけ)という人が何とか水の無い白糸台地に水を引きたいと願って造ったものということです。
熊本県では道徳教育用郷土資料[熊本の心]を作っています。その中に通潤橋の資料があります。それを受けて熊本放送では広報番組を制作して放映してくれました。それがYouTubeにアップされていますので、この機会に読者の皆さんに紹介します。まず紹介用にスクリーンショットを掲載しています。最後にはYouTubeを添付していますので、ぜひご覧ください。
まず、こころちゃんの事前説明です。
通潤橋の長さは77.5m、幅6.65m、高さ21.59m!日本最大の水路橋です。
江戸時代の終わり、熊本県山都町が矢部郷と言われていた頃
村のまとめ役である惣庄屋(そうしょうや)の布田保之助は、道路や用水路などを次々に造り村人の暮らしを良くしていった。その一つが通潤橋でした。
布田保之助の通潤橋を造るまでのお話です。
「深い谷に囲まれた白糸台地に水を送るには、はて、どうしたらいいんだろう?」
保之助は、いろんな場所に出かけて行って、水を送る方法を調べました。
水路のある石橋をかけることを思いつき、研究を始めます。
実際に造って試してみますが、なかなか思うようにいかず、失敗が続きます。
「庄屋様は何を考えているんだか。こんな深い谷に橋をかけて水を通すなんて、できるわけがないじゃないか。」
そんなことを言う村人もいましたが・・・・
保之助はくじけませんでした。
更に工夫を続けて、とうとう川の水を水路で送る仕組みを作り上げました。
さっそく・・・
八代の石橋づくりの名人集団、種山石工に相談に行ったのです。(矢部郷と種山郷はひとつ山を隔てたところです。)
「簡単じゃないが・・やりましょう。」
「一緒に石橋を造りましょう。」
熊本藩のお許しも出て、石工と村人総出で石橋づくりが始まりました。
朝早くから夜遅くまで働いて、1年8か月かけて水路のある石橋が完成しました。
「みんなよくがんばってくれた。ありがとう。それじゃ。水を通すぞ。」
「さ~こい、水こい!」
「でた、でた、水が出た!」
水しぶきを両手ですくって飲む保之助の頬(ほほ)は涙にぬれて光っていました。
ここで話は終わって、こころちゃんのまとめです。
のちに通潤橋と名付られました。白糸台地は豊かな台地になりました。
現在も台地を潤しています。
布田保之助は近くの・・・
布田神社に祭られています。
通潤橋は
山都町に住む人々は通潤橋とともに用水路や水を大切に守り続けてきたのです。
上益城郡山都町にある通潤橋は日本最大級の石造りアーチ水路橋です。
1年8か月の短時間に造られたということですが、
何と用水路の工事に21,000人、橋の工事に6,000人もの人がかかわったのだそうです。
通潤橋の前には・・・
道の駅「通潤橋」や「通潤橋史料館」もあります。
保之助や石工たちが・・・
通潤橋架橋にかけた夢を知ることができます。
・・・・・終・・・・・
いかがでしたか。
実際のYouTubeは下のリンクからご覧ください。
20151121 02布田保之助の心
熊本県道徳教育用郷土資料「熊本の心」の啓発番組YouTubeはここをクリックするとすべて視聴することができます。
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