うちの孫2号、昨年末からこないだまで、大阪の家に帰ってきてたけど、残念ながら先週に沖縄に戻ってしまった。
このまま、沖縄におる旦那から引きはがして、実家の居心地の良さで次女と孫共々絡め取ってしまおうという作戦は失敗(笑)
妻は、娘が沖縄に移住するときに空港に見送りに行ったときの悲しさを再び味わいたくないので、今回は空港まで行かずに、娘と孫を玄関先で送り出した。
たぶん、寂しさは一緒だったと思うが…。
次女、日々、孫2号の成長状況を送ってくれる…、会いたさが募のだけど…。
と嘆きつつ、今日送ってきてくれた写真は、イナバウワー♪
もうすぐ寝返り打てるかな~、孫1号は4ヶ月くらいやったけど、同じくらいかな~、頑張れっo(^-^)o
ところで、その写真と共に送られてきたこの写真、向日葵っ!!!!!!
さて、本題、養浜(ようひん)は、露岩もしくは侵食傾向にある海岸線に砂を寄せて砂浜を造成することで、防災や観光地の維持保全の目的で行われる。
古くは1950年代に、アメリカ合衆国のワイキキ・ビーチで、観光に適した海岸を造成するために、カルフォルニア州から白色の高い砂を移送し造成する工事が行われている。
日本では、1960年代から活発になったダム開発、河川改修などで、海洋へ流出する砂が偏在または減少するようになり侵食傾向が顕在化、1990年代以降は、各地の海水浴場を中心に養浜が行われるようになった。
侵食傾向にない近隣の砂浜から移送するのが最も原始的かつ確実であるが、根本的な解決は潮の移動による侵食を押さえることが必要。
日本では海岸線から直角方向の沖合に向かって消波ブロックを並べる突堤、または海岸線と並行に消波ブロックを並べる離岸堤が設置されることが多い。
近年では天橋立や遠州灘において、海水と一緒に砂を吸い上げてパイプで移動させるサンドバイパスという手法も開発されている。
相模川河口から虹ヶ浜当たりまでの航空写真、これは1960年代初め。
これは1970年代中頃。
で、これが現在、相模川河口から沖に出た州がほとんどなくなっているし、生コンから西(もちろん茅ヶ崎方面も)の海岸はずいぶん小さくなっている。
今は防砂林のギリギリのところで砂浜の砂がなくなっていて、崖のように落ち込んでいてその落ち込んだ所から波打ち際まで傾斜のあるビーチになっている。
茅ヶ崎の方では、防砂林が狭いこともあって、海岸線を走る国道134号線の陥没の危険性も問題になっている。
平塚ローカルのお話を聞くと、昔は、防砂林の所からなだらかな広いビーチが拡がっていて、今のようにいきなり陥没なんてしていなかったとのこと。
相模川は多くのダム、堰を持ち、神奈川県民6割の水をおぎなう「利水」の川になっていて、この多くのダムや堰で砂が堰き止められていて河川流出土砂量が激減、その結果、砂浜が痩せていくのだ。
さらに平塚の場合は、相模川河口の航路確保のための砂の除去行為などにより、海岸へ供給される砂が減少したことに加え、平塚新港の建設により砂の移動バランスが崩れたということも原因だそうだ。
お隣の茅ヶ崎市(中海岸は1960年からの50年間で50mの汀線が後退)では相模貯水池や茅ヶ崎漁港西側の堆積土砂等を運搬し海辺で敷き均す「養浜事業」が行われている。
平塚の場合はビーチパークの所にある、離岸提の整備で、もともとはこれもヘッドランドにする予定だったが、一定の成果が出たので縦堤の整備は行わないものとし、平成22年度を以て概成となったそうだ。
それと、サンドリサイクル(大磯港に向かう西向きの漂砂により大磯港東側に堆積している砂等を平塚海岸に運搬しての養浜)もやっているらしいが、これっていつやっているのか不明。
あとは生コンの所やビーチパークのあたりの、遊歩道まで波や風で上げられた砂をブルドーザーで海側に押し戻すことも養浜の一種なのか。
でも、これらは、対症療法でしかなくて、根本解決にはならないからな。
自分が平塚に来ての5年間だけでも、かなりビーチの感じは変化しているし、いつまでここの浜はあるのだろう、って不安に思う今日この頃。
ただ、これ以上のテトラポットの投入だけは絶対にやらないで!!