哲学の話と聞けば、その場から離れようとする人は多いだろう。特に最近の傾向は何でも答えや結果を
聞きたがる人がとても多い。自ら考え、自分の意見を述べようとする人はどれだけ居るだろうか?著者
の提唱は「人と自由に問い、語り合うことで、広く深く考えること」と言われても、忙しい毎日を生き
る人々に足を止めて聞く人が居るのか分からない。しかし著者は本書で「自由に問い、語り合うことで、
息苦しい世間の常識、思い込みや不安・恐怖からあなたを解放する」と述べている。
特に日本の学校においては「個々の場面で必要なルールを身につけ、その中で決められたことに適切な
答えを出すことを」教わる。生徒の自由よりも適切な解が重要なのだ。これは社会に出てより重みを持
つことになる。会社では「上司の意に沿う事」が求められる。日本の産業構造が変わらない原因の一つ
だ。
「哲学対話」を初めて知った。10~15人程度のグループでいろんな立場の人と、大人から子供も含めて、
さらに普段参加しにくい「子育て中の人」にも入ってもらうという斬新な企画だ。そこでは「問い、考
え、語り、聞くこと」をする。自由に話し、批判をしないという設定は目からうろこで経験がないので
想像するしかないが、とても面白そうだ。私たちがこれから必要としていることだと思われる。
考えるとはどういうことか 梶谷真司 幻冬舎新書
聞きたがる人がとても多い。自ら考え、自分の意見を述べようとする人はどれだけ居るだろうか?著者
の提唱は「人と自由に問い、語り合うことで、広く深く考えること」と言われても、忙しい毎日を生き
る人々に足を止めて聞く人が居るのか分からない。しかし著者は本書で「自由に問い、語り合うことで、
息苦しい世間の常識、思い込みや不安・恐怖からあなたを解放する」と述べている。
特に日本の学校においては「個々の場面で必要なルールを身につけ、その中で決められたことに適切な
答えを出すことを」教わる。生徒の自由よりも適切な解が重要なのだ。これは社会に出てより重みを持
つことになる。会社では「上司の意に沿う事」が求められる。日本の産業構造が変わらない原因の一つ
だ。
「哲学対話」を初めて知った。10~15人程度のグループでいろんな立場の人と、大人から子供も含めて、
さらに普段参加しにくい「子育て中の人」にも入ってもらうという斬新な企画だ。そこでは「問い、考
え、語り、聞くこと」をする。自由に話し、批判をしないという設定は目からうろこで経験がないので
想像するしかないが、とても面白そうだ。私たちがこれから必要としていることだと思われる。
考えるとはどういうことか 梶谷真司 幻冬舎新書