フランシスコ・ザビエルの名は教科書にも登場し、よく知られています。ザビエルはアジアで
布教中にマラッカで最近発見された幾つかの島の話を聞き、その中でも日本人がどの国民より
も知識に飢えていると知り、興味を抱きます。そして1549年に来日し、旺盛な行動力で鹿児島、
平戸、山口、京都を訪れ布教に邁進しました。
ザビエルは手紙の中で、日本人は控えめな、度量の大きい国民で、徳と文学を愛好し、学者た
ちすべてに対して敬意を示すと書いています。日本の気候は温暖ながら、ハリケーンや地震の
自然災害が度々起こり、質素な食事、冬の厳しい寒さには悩まされたようです。さらに、しつ
こく質問しに来る者たちが昼も夜も跡を絶たず、解放されることがほとんどありません、と嘆
いてもいます。
話の中に、日本人を悩ますことの一つは、地獄という獄舎は二度と開かれない場所で、そこを
逃れる道はないという教えで、彼らは亡くなった子どもや両親、親類の悲しい運命を救う道も
希望もないことに絶望します。ザビエルにすれば神は唯一で、それ以前の歴史は否定されるの
です。
日本の僧との討論ではとても効果的にやったので、自分たちが批判し、反駁すると、彼らはぐ
うの音も出ませんでした、と自らの優越性を誇っています。やはり絶対的な善と悪の価値観は
常に敵を造り、白黒はっきりさせるので、多様な価値観を認めることは出来ないでしょう。
ザビエルの見た日本 ピーター・ミルワード/松本たま訳 講談社学術文庫