アンコールワット旅行記③です
アンコール・トムの観光を終え、お昼休みをとってからアンコール・ワットの見学です。
アンコール・ワットは大きなお堀に囲まれていま。当時、隣国との争いも多かったので巨大な堀を作って戦に備えたのでした。
ちなみに、お堀にはワニを放っていそうですが、今は、鞄になって一匹もいませんとは、ガイドのソーさん談。
代わりに、雷魚が泳いでいました。子供たちも楽しそうに泳いでいました。
アンコールワットのお堀 近づくとこんな感じ
橋のたもとのナーガ 入り口をくぐると・・・
遺跡を囲む城壁の入り口をくぐると、遙か向こうにアンコールワットの3つの塔が見えました。本当は5本あるのですが、正面から見ると3本。(写真右)
このポイントは、朝日鑑賞の場所にもなりましたが、朝日は雨期のため雲が出てみられませんでした(残念)。かわいい鳥さんが、朝が近づくと遺跡のお屋根にやってきて軽やかに尾羽をふるわせて鳴いていました。
本当の入り口からは、やはり回廊が延びていて、左右には経文を収めるための建物がいくつかありました。たぶん、文書を収めた建物もあったようです。
橋のたもとやいろんなところでみる「七つ頭のナーガ」の頭は、それぞれが一週間の曜日を表しているのだそうです。
アンコールワットの塔 お池に写った逆さアンコール
アンコールワットの中は、さすがに広くて壮麗でした。
アンコールワットは、長い間森の奥に隠されていました。なぜこの都が放棄されたかというと、敵国からの攻撃が激しくなって今のプノンペン近くに都を移して逃げたからだそうです。
それから長い間、森の中にひっそりと忘れられていた都は、いろんな歴史をみてきたのでしょう。
塔の上には蓮の花。仏教のお花が美しく残っていました。
修復をあちこちで行っていることもあり、入れないところもありましたが、塔の上に上るに当たっても、階段には「自己責任」の文字が・・・。
実際、階段の途中から観光客が落ちる事故もあり上れない場所がありました。
階段は、どの遺跡でもせまくて、急です。(ううう・・・)
プノン・パケンの丘 遺跡の上 遺跡の上からのアンコールワット
アンコールワットの遺跡をみてから、プノン・パケンの丘へ。
夕日に照らされるアンコールワットをみようというのが、趣旨です。
小一時間ほどかけて丘の上への小道を登り、最後にすごい急な階段の遺跡が・・・必死で階段に捕まって上りました。
ここまできて遺跡の上からアンコールワットを見ずには帰れないという一心でしたが、上っている最中に降りるときのことを考えてちょっとブルー(**;)
honyaは、ちょっとだけ高所恐怖症です。(足が短いから、普通の人が届くところに足が届かないのが難点で)
それでもがんばって上った頂上は、夕日観光をたくさんの人がいました。
森の向こうにアンコールワットも見えるのですが、反対側にはトンレサップ湖が見えました。アジア一広い湖なのだそうです。
夕日の雲の下でスコールの雲と雨がみえました。お日様は雲に隠れて見えませんでしたが、夕陽の光がアンコール・ワットを照らしている様子はわかりました。
この遺跡からは、遙か彼方まで続くカンボジアの森が見え、地平線の彼方に山が見え、ほぼ40分ほど遺跡の上で待ち時間があったのですが、ず~~っといつまでも続く森と青いお空を見ていました。
なんと、これが結構退屈しないんです。
遺跡観光だけでなく、こういう時間もアンコールワット観光のおすすめ。
「なんて広いんだろう」その一言ですが、日頃のぐるぐるした考えも忘れてゆっくりしたひとときを与えていただきました。
ソーさんによると、カンボジアは、台風もないし地震もないそうです。
だから、遺跡も残っている。
いにしえの遺産を大切にして、これから内線であれた国を立て直していかないといけません。
先ほどのトンレサップ湖も10年前に世界遺産に申請しようとしてみんなでお掃除をしていましたが、5年前に湖の中から石油がとれることがわかって、申請をやめたそうです。
ただし、国に技術がないので外国資本がきて荒らされることをソーさんは恐れていました。もっともなことだと思います。
シェムリアップも観光地としていろいろな建物を建造中です。
マンションとかショッピングモールとか・・・しかし、これをカンボジアの資本でカンボジアの人たちができたらこれほど素晴らしいことはありません。
外国に支援を頼まないといけない状況ですが、一日も早くカンボジアの人々が自分たちの手で自分たちの国や世界遺産を守れるように支援することが、各国のつとめだと思います。
まだまだ、生活水準は低いです。その中から、カンボジアを支える人材を育てるためにも日本のODAが使われていうることは、意義のあることだと思います。
そういう使い方なら、税金も喜んで払います。