ねこなんて大っ嫌い

ってずっと思ってたのに。
死にそうな子ねことの出会いが生きる力を与えてくれました。
バツ2でも結構幸せにやってます!

「息子へ」第4話 (目から鱗)

2018-12-28 05:55:55 | 「息子へ」
今年も残すところ、あと4日。
ハンドメイドの記事も、投稿していないのが沢山あるのですが、それはひとまず置いておいて、年末にこういうのはどうなのかな~と思いつつ、やはり書かせて頂くことにいたしました。

息子が結婚して家を出る時に、私から息子へのはなむけの言葉として持たせた「息子へ」という一冊の小冊子。そこから抜粋した、今回は第4話(目から鱗)をご覧ください。

もう30年近い昔の、息子がまだ小学生の頃の話。

少々長うございますが、お時間のある方、宜しかったら最後までお付き合いください。




おまえが小学一年生の時、
私はパパと正式に別れて一家の大黒柱になった。
長年の精神的な苦しみから開放され、
心は穏やかになりつつあったけど、
貧乏だったね。



「さて、今日の夕飯どうしよう・・・」
お給料日まで何とか凌いでいくために
よく「ラーメン大会」を開催しました。



今思えば、
「ラーメン大会」ってなんだよ!だよね。



「うちにはお金がないから今夜はインスタントラーメンで我慢してね」っていうのは嫌だったんだ。



「よぉ~し!!ヽ(^。^)丿今日はラーメン大会~!!イェーイ!!
炒め野菜たっぷりー!卵も入れちゃうよー!!」



食べる物は一緒なんだけど、
気分が違うんだよねー。



おまえなんか飛び上がっちゃって
バンザイしながら「やったー!やったー!」って
喜んでたもんね。
(これこそ「思う壺」っていうんだけどね)
数年前、誰かがうちに来て話をしていた時に
「え?ラーメン大会ってうちだけだったの?
全国共通じゃなかったのかよー。オレ、どこんちでも使ってる言葉だと思ってたよー。だまされた。」
って、いくら何でも遅いよ。





一を聞いて十を知るタイプのおねえとは対照的だったおまえ。




小学2年生の時だったと思う。
その日は終業式。
成績表を渡される日だよね。



仕事から帰った私は、
ニコニコ笑うおまえから
(たぶんいつもおねえが「成績表」をもらってくると
「えらかったねー。がんばったねー。」と褒められていたのを覚えていて、今度は自分もそうなると信じていたのだと推察する)
成績表を恭しく受け取ったものの
開いてびっくり。



そこには未だかつて見たことのない数字が・・・。
さんすう 1
ひゃぁ~。
「1」 ですか。
しかもさんすう・・・。



不謹慎な話だけど、
私、思わず笑っちゃったんだよね。
意味もわからず
つられて笑ったおまえがちょっと悲しかったけど。



うわぁ~、まいったなぁ。
でも、「1」なんてそうそうつくもんじゃない。
苦渋の思いで「1」をつけられたであろう先生のこと、
何だか気の毒になっちゃった。
私の教育不行届きで
申し訳ないって感じ。



それまでも気にはなっていたけど、
仕事にかまけて
ほったらかしにしていたおまえの勉強のこと、
本気で考えなくちゃって思ったよ。



だから、
それから殆ど毎日、
時間が許す限り
夕飯の後、一緒に勉強したよね。
分数を教えた時のことは
今も衝撃として
記憶に残っている。




実を言うと
小・中といつも優等生だった私は、
(といっても実際大したことはないんだけどね)
成績が悪い子は、
勉強をしないだけで、
まじめにやれば
みんなある程度できるものだと思っていた。


今思うと
嫌味度・勘違い度レベル、相当ハイクラスなヤツだよね、それって。お勉強はできるかもしれないけど、あったまワル~い?


そんな私の勘違いを正してくれたのは
おまえだったんだよ。


遊び疲れて眠い日もあっただろう。
だけどおまえは、
私の「さ、やろうか!」の声を聞くと
「うん!」
いそいそと、まるで楽しみにしていたかのように準備を始めた。


そしておまえはいつも
真剣で懸命だった。
本当に必死なんだよ。
でも、
やっと理解して
ついさっき解けていた問題が、
5分後、違う問題をやった後には
全くできなくなっちゃうんだ。


何度も、何度もね。



これには参った。



だっておまえ
本当に一生懸命なんだもん。



おまえが手を抜いてできなかったのだとしたら、
私はきつく叱っただろうと思う。
でも、断じてそうではなかったから。



あぁ、そうなのか。
これは「持って生まれた能力」なのか・・・と。



おまえとの「母子塾」?によって
そのことを私は
生まれて初めて知った。
そうとわかった時、
これまでの自分への評価って、
その大半が「棚ボタ」的なことだったのかと
目から鱗が落ちたようだったよ。




「私はみんなより成績がよかった」
「私はまじめに勉強したから」なんて
ちょっとでも自慢げに思っていた自分が、
とてもとても恥ずかしいと思った。



そして、
勿論どうすることもできないことではあったけど、
その「持って生まれた能力」を
自分は親から授けてもらったくせに
おまえには親として授けてやれなかったことが
申し訳なくてたまらなかった。





だからあの時、
これからのおまえのことを、
おまえがちゃんと生きていける道を、
もしもおまえに求められる時が来たら、
親として導いてやれるような努力をしなければと
決意したのを覚えている。






いや~、なんか、久し振りに読んだら、泣いちゃった。笑

現在息子は二児の父となりました。
小学2年生の頃、さんすう1だった息子も、専門学校を卒業した後、会計事務所で10年間勤め、その後一般企業に転職し、財務・経理の仕事を今も続けています。

もし私が、娘しか授かっていなかったら、こんな気付きは一生なかった。

色んな思いもありましたが、思えば、息子は私を一人前の人間にしてくれるために、私の元に遣わされたのではないかと思います。


また、その内に「息子へ」の抜粋記事を掲載させて頂きますね。その時はまた、よろしければお付き合いください。

記事投稿も、次回30日を最後に、今年は終わろうと思います。


さぁて、明日から9連休だぞーー!
大掃除はこれからだ!!これからかーーーい!爆
2つのボタンをぽちっとして頂けると、と~っても嬉しゅうございます


  
ポチ、ありがとうございました~

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