ついに全国でのコロナの感染者が450人に達してしまった。第2波の状況と言って
いいか。しかし、救われているのは死者が非常に少ないことだ。そのため、政府は
緊急事態宣言を発していなく、経済の拡大を図っている。これに東京都の小池知事
が反論した。東京の町で感染が拡大しないように対策を打っているが相手がウィルス
と言う目に見えない敵であり苦戦している。この東京の町の前進である江戸の町は、
徳川家康が築いたと誰もが知っている。しかし、現在の東京の町を築いたのは、
4代目将軍の徳川家継であることは、余り知られていない。最近読んだ中村彰彦
の(名君の碑)で、その主人公の保科正之に感銘を受けた。現在の東京の町は、家綱
が築いたのではなく、会津の保科正之が老中として行った政策によってであった。
正之は、徳川秀忠の妾の子であり、長野の高遠の保科家で幼少のころから育てられ、
そのため、農民の暮らし接して、人の暮らしの大切さをよく判っていたのである。
一般的には1代目に築いた社長が3代目でまでしか続かないように、徳川3代目
家光の時に、早めに家光が亡くなったので若くして継いだ家継はどうしてよいか
判らなかった。この時、江戸の町を襲った大火災は、全てと言っていいほど町を
焼き尽くしてしまったのだ。約10万人の人が焼け死に、江戸城の天守閣も焼け
てしまった。この状況で采配をふるったのが正之であった。彼がやった政策の
一つが、大火の途中で蔵前の倉庫の米を誰でも自由持ち出して良いとのお札を
出し、無駄をなくすことや、焼けた後の町の再建では、隅田川に橋を架け、東岸
の商人や農民が自由に渡れるようにして、商業を発展させただけでなく、参勤
交代を一時中止して、江戸の町に構えていた藩邸の人達を国へ返し、浪費を少
なくしている。この後、江戸の町を再築するのであるが、火災が起こっても、
類焼を避けるため、広い道を造り、藩邸を西に移し現在の東京の町の原型を
なすよう造り替えて居る。このように、思い切った政策を取ったことて゛250
年間続く江戸時代が続くのであるが。このように、国も東京も旗振りの人に
よる政策によって難局は乗り越えてきている。現在のこのコロナの難局も是非
乗り越えてほしいものだ。