秋の花の咲き始めたコスモス
台風12号は、日本列島から東にそれて、風雨の被害は、ほとんど影響しない
ようだ。今朝は、雨であったが、昨日は散歩できなかったので体調がいまいち
であったので、傘をさしていつもの半分の距離を歩いてきた。きょうは、ブログ
で何を書こうかとおもっていたが、菅総理大臣が昔、秋田から上京し、アルバイト
をしながら法政大学を卒業したとの報道を思い出し、私が菅さんが上京した頃より
約10年前の昭和37年の頃を書くことにした。熊本の高校を卒業して、上京したので
あるが最終的に選んだのは東京の工学系の私立大学であった。入学の前に、生活の
場所を選ぶ必要があったが、私の兄が丁度この同じ大学をこの3月まで住んでいた寮
に応募し、抽選で入寮が決定したので幸運であった。上京するまえには、布団や
必要品を熊本から送るのであるがこの当は、柳梱りと布団袋をタクシーの後ろの荷物
入れから飛び出しながら駅まで運び、東京に送ったことを思い出す。その後、熊本駅
で、上京する私を両親が見送ってくれたのであるが、このときの列車がブルートレーン
の寝台列車のはやぶさであった。三鷹駅から歩いて、10分ほどの武蔵野市の所に大学
の寮があった。2階建てのL字型の木造の建物で、中庭は、テニスコートが1面あり、
食堂はあったが、風呂はなく、部屋が40室ほどあり、ベットと机があり、6畳ほど
の2人部屋であった。私の入った部屋は、1階の北側に面していたが、最初に同居
したのは、長崎の佐世保市から来た男であった。既に、前に送っていた布団などが
荷物置き室に届いていて、それを、自分の部屋まで運んだのが、大学時代の最初の
行動であった。この数日後に食堂で、先輩たちが、新入寮生の約20人を迎える
歓迎会を行てくれたのであるが、この時、最初に飲んだ酒が思い出される。どんぶり
に並々と注がれた酒を一気に飲めと言うのだ。何とか飲んだが、その晩は、トイレ
に駆け込んだことは言うまでもない。よい思い出であった。
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