今日は蝉の鳴き声が夏の暑さを一段と強める朝に、多摩川の緑の土手を
歩いてきた。昨日は、広島に原爆が降下されて74年が経った記念日で
朝から、テレビで放送さけいた。74年前には、私は、まだ4歳で満州
に住んでいたので、原爆が投下されたことは、終戦になり日本へ引き
上げてきてから物心ついた頃であった。(ピカどんでハングリ、ハングリ)
と言って街頭で不良孤児が叫んでいることから、理解したのである。このころ
の生活は、生きることに、皆必死であったと思う。10数年後後にオリンピックを開催
するまでに、復興すると誰が思っていただろう。しかし、現在考えてみるに、日本
の国民は、アメリカが投下した原子爆弾に対して、アメリカを敵視していないのは、日本
国民が、統治後の民主主義に適したアメリカの人に、昔に教育された恐ろしい異人
ではないことを知ったからであろう。これも、戦後の民主化の教育と日本国民性
があると思えるが。これに比べて、今の韓国の在り方は、どうであろうか。74年
経っても、昔の日本統治時代を取り上げて、反日運動を盛んに行っている。戦後
日本が韓国の産業革命に資金を出して、協力してあげた恩など、どこ吹く風かと
言わんばかりの行為である。これも、国民性のせいか、いつまでも恨んでいる
のであろうか。
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