ゼスチャーで話が具体的になり、
聞き手の想像性を強める
無限にある事実やことがらを、有限の言葉で表し、
間違いなく表現し、相手に正確に受けとめてもらうことは、たいへん難しいことである。
日頃、私たちは言葉を線状に連なる鎖のようにっなぎ合わせて、立体的な事実を表しているわけである。
限られた言葉で、無限の事実や事象を間違いなく表そうというのは、どだい無理な相談である。
ましてや、さまざまな 観客に対して話そうとすれば、言葉で表現できない。
あるいは、ゼスチャーを加えたほうが効果的に説明できる。
たとえば、「箱」を説明する場合、
言葉だけで「大きさが一辺50センチの正方形の箱で、色は・・・・」と説明するだけでなく、
両手で宙に四角形を描きながら「一辺が50センチの大きさの箱で・・・・・・」と説明するとわかりやすい。
人は動きのあるものを目で追うものである。
マジックショウなどは、この人間の本能を応用して見ているものに錯覚を起こさせる。
動いているほうの手を見ているうちに、他方の手でトリックを仕込むわけである。
話の上手い人の多くは、両手を自在に使いながら語っている。
身振り手振りを上手く使うと、自分への関心をそらさずにすむ。
語る時は身振り手振りを上手く使うと、聞いているものにはわかりやすいものである。
このように、いわゆる、言葉だけで表現できないものを補うのがゼスチュアである。
また、言葉で話し続けているなかで、言葉と違った視覚的表現が加味されることによって、
音声言語としての単調さが破れ、話を立体的にする働きをするメリットがある。
〔視覚に訴える〕
ものごとは、視覚的に訴えればより具体的になり、聞き手の想像性を強めることになる。
話の内容を正しく理解させ、聞き手の心をゆさぶる迫力ある話をするためには、
ゼスチュアを含めて、体全体を道具にして話すことが欠かせない。
中間のお供の様子
中間(ちゅうげん)とは武士のお供などをする奉公人のことで、
武士と小人(雑用をこなす)の間に位置することから中間という説がある。
武士は外出するときには地位に応じて、連れて歩く供の人数が決め
られていた。
中間は、このときに挟み箱(着替、ぞうりなどをいれた箱)持ちや
草履取りなどの役目を果たす。
武士が外出する際にお供する中間たちはどこまでもついていった。
主人が厠(かわや)に入ればその側で出てくるのを待った。
竹内誠監修「図説江戸7 江戸の仕事づくし」株式会社 学習研究社
ゼスチュアと“くせ”とは違う
手をやたらに動かせば、それだけでゼスチュアになるというわけではない。
話すときの身振りが機械的で、無意味なものであれば、それはゼスチュアではない。
むしろ“くせ”というべきものである。
ゼスチュアは、補助的言語として意識的に使うべきものである。
ゼスチュアは言葉の補足
ゼスチュアは、私たちが話すときの手段として使っている本来の意味の言葉を補うもの、つまり、補足の言葉といえる。
「言葉」で表せない微妙な内容を、できるだけ分かりやすく、具体的に表現しようという狙いがある。
また、無限にある事柄を、限られた言葉で表そうとすれば、たいへん大ざっぱな表現になってしまう。
このため詳細な面を補うという点からも、ゼスチュアを上手く使う必要がある。
「言葉」で表せない微妙な内容を表現する
動きや動作には節度が必要
言葉と合わないチグハグな動き、けじめのつかないゼスチュアや過剰な動作などは、
かえって聞き手にわずらわしい印象を与えたり、耳から入る言葉への注意力を鈍らせたりする。
さらに、聞き手が話し手の動きの中に軽薄さを感じることさえある。
そのため、話し手の信頼感は失われてしまう。
このため、次のことに気を配る必要がある。
・動作と話す内容が時間的に一致していること。ズレがないこと
・動きが相手から見て自然であること
・動きが明確で、あいまいさがないこと
ゼスチュアの種類
ゼスチュアには、次のような種類がある。
・指示的ゼスチュア、目標や方向、最終到着地など示す
・数量的ゼスチュア、話のポイントなどあげるとき、
指をたてたり、まげたりして数量を示すしぐさがあるが、それである。
いろいろな意味での数量を示す
・形態的ゼスチュア、大きさや形を示すなど、イメージを描かせるもの
・動作的ゼスチュア、動きをそのまま、具体的に視覚化するも
・抽象的ゼスチュア、Vサイン、ガツツポーズ、「私にまかせろ」と胸をたたくなど、何かを象徴してみせるもの
大げさなゼスチェアーは、日本人の感覚にあわないので避けたほうがいいようだ。
いかにもやっているという感じを抱かせたり、キザだと思わせるのも避けたほうがいい。
ゼスチェアーは、あまり不自然な感じを与えないように注意しなければならない。
聞く人に「推して知るべし」と突き放すのではなく、具体的なイメージがわくように語り掛ける。
これによって観客は、口上を語る自分と同じ視点に立つことができる。
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