「クリタマ」の名前の由来は、但東町栗尾の卵だからクリタマです。
1970年につけました。それまでは福知山の卵問屋さんのレッテルで、丸の中
に福が書いてあるものでしたが、それでは美味しい卵でも何処の誰かが判らない。
そこで、「クリタマ」と命名し生産者名も記入するようにしました。
当時、小さな産地でそんな事をした所はありませんでした。
京都の問屋さんに出荷してました。京都の卵関係者の中では結構有名でした。
その頃から、いかにして美味しい卵を作るか?一所懸命でした。
グループには、17名位の生産者が居て、100羽からせいぜい2.000羽
位で、全体で20.000羽位いたんでしょう。
その頃は、全国至る所に農家養鶏のグループがありました。
研修会や研究会も盛んに行われました。
利益を上げるために、皆色々考えますが、グループの特色が出ます。
1.いかにして、コストを下げるか・餌代を安くするかに懸命なグループ
2.鶏の管理技術を高めて、どれだけ高産卵を続けるかに懸命なグループ
3.特異性のある美味しい卵で、高卵価をねらうグループ
どれも達成するのが好いのは、皆判っているんですが地域性やお国柄なんでしょうね。色々ありました。
栗尾のグループは当然3.のグループでした。
だから、「クリタマ」の美味しさのこだわりには、長い歴史があります。
それがなければ、たかだか1万羽余りの養鶏場が存続出来なかったと思います。
第一話は「クリタマ」の歴史を簡単に書きました。
1970年につけました。それまでは福知山の卵問屋さんのレッテルで、丸の中
に福が書いてあるものでしたが、それでは美味しい卵でも何処の誰かが判らない。
そこで、「クリタマ」と命名し生産者名も記入するようにしました。
当時、小さな産地でそんな事をした所はありませんでした。
京都の問屋さんに出荷してました。京都の卵関係者の中では結構有名でした。
その頃から、いかにして美味しい卵を作るか?一所懸命でした。
グループには、17名位の生産者が居て、100羽からせいぜい2.000羽
位で、全体で20.000羽位いたんでしょう。
その頃は、全国至る所に農家養鶏のグループがありました。
研修会や研究会も盛んに行われました。
利益を上げるために、皆色々考えますが、グループの特色が出ます。
1.いかにして、コストを下げるか・餌代を安くするかに懸命なグループ
2.鶏の管理技術を高めて、どれだけ高産卵を続けるかに懸命なグループ
3.特異性のある美味しい卵で、高卵価をねらうグループ
どれも達成するのが好いのは、皆判っているんですが地域性やお国柄なんでしょうね。色々ありました。
栗尾のグループは当然3.のグループでした。
だから、「クリタマ」の美味しさのこだわりには、長い歴史があります。
それがなければ、たかだか1万羽余りの養鶏場が存続出来なかったと思います。
第一話は「クリタマ」の歴史を簡単に書きました。