紀州攻め3-1のつづき
伊賀上野城を目指す。
三重県名張市内の比奈知バイパスから見える赤岩大橋
12;10 付近到着
ナビ案内のとおりにメイン道路から路地に入ったら
高石垣撮影の絶景ポイントだった。
この路地は、堀の道と言われているらしい。
でも入口なし。引き返して近隣の駐車場を探す。
城の北西まで来たところで
駐車場を発見
12:30 城北駐車場到着
攻城(暑さ対策)準備をして出陣
反対車線側も看板があった。
南側に大手門含む入口があるようなので
とりあえず向かってみる。
近道だ
公園(城の東寄り)に出た。
売店やトイレがある。帰りに立ち寄ってみよう。
城代役所跡
裏門(台所門)跡
天守(復興模擬)
伊賀上野城
伊賀上野城は筒井定次によって築かれた城で、1611年にに築城の名手と謳われる藤堂高虎が
家康の命により、豊臣氏を包囲する城として大改修を行った。本丸を西に拡張し、高さ約30mの
高石垣をめぐらして南を大手とした。五層の天守は築城中の1612年9月2日、この地を襲った
大暴風で倒壊。大坂の役によって豊臣氏が滅んだため工事は中止された。
現在は当時の内堀と石垣、昭和10年に建てられた天守閣が残る。約30mと日本有数の高さを
誇る内堀の石垣は見どころ。三層からなる城内には武具・甲冑や藤堂家の遺品、横山大観をはじめ
名士の色紙46点の天井絵がある。白く三層の美しい天守から、別名『白鳳城』とも呼ばれている。
天守台石垣 算木積、打込接がみられる。
2層小天守
さっそく城内へ
大天守と小天守間の門を潜ると登閣チケット売り場がある。
兜 面具
唐冠形兜(とうかんなりかぶと)
高虎が豊臣秀吉から拝領した。高虎から藤堂玄蕃良重に与えられた。
藤堂玄蕃家に代々伝わり、子孫から伊賀市に寄贈。三重県指定文化財
甲冑
天守鬼瓦
城下
外へ
大天守入口に伊賀上野城グッズが各種販売されていたが
名城スタンプをまだ押印してなかったのでチケット売り場へ
押印後、チケット売り場にも御城印を販売していたから、こちらで購入。
入口係員のお姉さん、ごめんなさい。
入城前にも思ったのだが、大天守石垣が少し膨らんで歪になっている
高石垣へ向かう。案内板の曖昧な表現に笑ってしまった
伊賀上野城の石垣高さは、正確には29.7mで、大阪城は高さ32mらしい。
1でも2でも現在まで大切に管理、保存されていることが素晴らしい。
向かう途中、天守を南西方向から
高石垣から内堀
打込接
表面に出る石の角や面を叩いて平らにし、石と石の接合部の隙間を
加工して減らして積み上げる工法。残った隙間には石を詰め補強する。
延長368m
綺麗に整形された石。江戸期以降の物だろうか?最近??
石の大きさが分かるようGショックの腕時計を置いて撮影。大きい
天守南西側の石垣から北側の石垣へ移動
その途中で西側から天守を
北側高石垣は、安全の為、進入禁止のパイロン(セーフティコーン)配置あり。
城代役所跡方面に向かう。
行きに通った裏門から行こうかと
思ったが、南方面に回ってみる
表門跡
城代役所の解説板
幕末頃の役所建物位置と発掘調査をもとに配置を
再現したものらしい。
公園東の土産店『伊賀上野 地場産買物処』に
手裏剣型の堅焼きを購入
のちに職場へ持って行き同僚たちと食べたが、
半端なく固いながらも、味は美味しかった。
駐車場へ戻り、昨日途中まで攻城し撤退した
大和郡山城へ
14:20 伊賀市立城北駐車場出発
15:30 大和郡山城駐車場到着
追手向櫓
追手向櫓と追手門の間に架かる多門櫓
追手門 門外から
追手門(梅林門)
追手門は豊臣秀長が入城した際に築かれたと考えられる。関ケ原の戦いの後、伏見城に移築されるが、1618年
松平忠明が城主となった際、郡山城へ戻された。当時、一庵丸門(いちあんまるもん)と呼ばれ豊臣秀長と秀保に
仕えた家老の横浜一庵(桑山一庵)の名前に由来する。1724年、柳澤吉里が甲府城から郡山に移封となって、
梅林門と呼ばれるようになった。
1873年廃城令により取り壊されたが、1983年(昭和58年)に復元された。
追手門 門内から
毘沙門曲輪内の番屋カフェ?から天守跡
城址会館(旧奈良県立図書館)
法印曲輪に位置する。法印曲輪は、一庵丸、常盤曲輪(常盤郭)とも呼ばれている。
城址会館の右奥裏手(東側)へ
追手東隅櫓(法印曲輪)
久護門跡
多門櫓
駐車場に到着した時に追手門外から撮影した櫓
追手向櫓
最後に柳澤文庫に行ってみた
やはり休館日であった。
今回の城巡り
最長4日間を計画し、当初3・4日目は和歌山の
城を巡ろうと思っていた。和歌山の城も残り1日で
回ることは難しそうだ。これから明日の移動を考え、
和歌山の予定地入りもこの場から遠く到着は、4~
5時間が掛かる見込み。
悩む
歳のせいか、それとも山城が結構多かったせいか
暑さのせいなのか、なぜか心が折れた。
体力的には、もう少し行けそうな気もするが・・・
松永久秀公の信貴山城、多聞山城も行きたいし、
大和郡山城リベンジという奈良に来る理由が
出来た。紀州(和歌山)攻略も・・・
また機を見て再来する事にして、今回は余力を
残し、完全撤退に決めた。
16:00 大和郡山城駐車場出発
すぐに高速に入らず、少し一般道で帰る。
17:40 伊勢自動車道
東名阪自動車道
18:00 亀山ハイウエイオアシス
土産購入と夕飯
すき家の牛丼と迷ったが亀山亭のノボリに釣られ
鈴鹿甘だれ唐揚げ定食
ダシ塩と同じくダシを使った甘ダレの2色唐揚げ
見た目よりボリュームがあって満足。美味かった
21:00 浜松SAで休憩
28日
0:20 無事に帰宅
走行距離 1328km
今回の旅行
数日でブログにUPするつもりが、
撮影した画像が700枚を超え
途中で萎えてしまい1カ月以上も
かかってしまった。 反省
伊賀上野城
住所 三重県伊賀市上野丸之内106
入館時間 9:00〜17:00(入館16:45まで)
登閣料 大人600円、子ども300円
休館日 12月29日~12月31日
駐車場 伊賀市営城北駐車場
平日は無料、土・日・祝日・年末年始は有料らしい
伊賀上野城を目指す。
三重県名張市内の比奈知バイパスから見える赤岩大橋
12;10 付近到着
ナビ案内のとおりにメイン道路から路地に入ったら
高石垣撮影の絶景ポイントだった。
この路地は、堀の道と言われているらしい。
でも入口なし。引き返して近隣の駐車場を探す。
城の北西まで来たところで
駐車場を発見
12:30 城北駐車場到着
攻城(暑さ対策)準備をして出陣
反対車線側も看板があった。
南側に大手門含む入口があるようなので
とりあえず向かってみる。
近道だ
公園(城の東寄り)に出た。
売店やトイレがある。帰りに立ち寄ってみよう。
城代役所跡
裏門(台所門)跡
天守(復興模擬)
伊賀上野城
伊賀上野城は筒井定次によって築かれた城で、1611年にに築城の名手と謳われる藤堂高虎が
家康の命により、豊臣氏を包囲する城として大改修を行った。本丸を西に拡張し、高さ約30mの
高石垣をめぐらして南を大手とした。五層の天守は築城中の1612年9月2日、この地を襲った
大暴風で倒壊。大坂の役によって豊臣氏が滅んだため工事は中止された。
現在は当時の内堀と石垣、昭和10年に建てられた天守閣が残る。約30mと日本有数の高さを
誇る内堀の石垣は見どころ。三層からなる城内には武具・甲冑や藤堂家の遺品、横山大観をはじめ
名士の色紙46点の天井絵がある。白く三層の美しい天守から、別名『白鳳城』とも呼ばれている。
天守台石垣 算木積、打込接がみられる。
2層小天守
さっそく城内へ
大天守と小天守間の門を潜ると登閣チケット売り場がある。
兜 面具
唐冠形兜(とうかんなりかぶと)
高虎が豊臣秀吉から拝領した。高虎から藤堂玄蕃良重に与えられた。
藤堂玄蕃家に代々伝わり、子孫から伊賀市に寄贈。三重県指定文化財
甲冑
天守鬼瓦
城下
外へ
大天守入口に伊賀上野城グッズが各種販売されていたが
名城スタンプをまだ押印してなかったのでチケット売り場へ
押印後、チケット売り場にも御城印を販売していたから、こちらで購入。
入口係員のお姉さん、ごめんなさい。
入城前にも思ったのだが、大天守石垣が少し膨らんで歪になっている
高石垣へ向かう。案内板の曖昧な表現に笑ってしまった
伊賀上野城の石垣高さは、正確には29.7mで、大阪城は高さ32mらしい。
1でも2でも現在まで大切に管理、保存されていることが素晴らしい。
向かう途中、天守を南西方向から
高石垣から内堀
打込接
表面に出る石の角や面を叩いて平らにし、石と石の接合部の隙間を
加工して減らして積み上げる工法。残った隙間には石を詰め補強する。
延長368m
綺麗に整形された石。江戸期以降の物だろうか?最近??
石の大きさが分かるようGショックの腕時計を置いて撮影。大きい
天守南西側の石垣から北側の石垣へ移動
その途中で西側から天守を
北側高石垣は、安全の為、進入禁止のパイロン(セーフティコーン)配置あり。
城代役所跡方面に向かう。
行きに通った裏門から行こうかと
思ったが、南方面に回ってみる
表門跡
城代役所の解説板
幕末頃の役所建物位置と発掘調査をもとに配置を
再現したものらしい。
公園東の土産店『伊賀上野 地場産買物処』に
手裏剣型の堅焼きを購入
のちに職場へ持って行き同僚たちと食べたが、
半端なく固いながらも、味は美味しかった。
駐車場へ戻り、昨日途中まで攻城し撤退した
大和郡山城へ
14:20 伊賀市立城北駐車場出発
15:30 大和郡山城駐車場到着
追手向櫓
追手向櫓と追手門の間に架かる多門櫓
追手門 門外から
追手門(梅林門)
追手門は豊臣秀長が入城した際に築かれたと考えられる。関ケ原の戦いの後、伏見城に移築されるが、1618年
松平忠明が城主となった際、郡山城へ戻された。当時、一庵丸門(いちあんまるもん)と呼ばれ豊臣秀長と秀保に
仕えた家老の横浜一庵(桑山一庵)の名前に由来する。1724年、柳澤吉里が甲府城から郡山に移封となって、
梅林門と呼ばれるようになった。
1873年廃城令により取り壊されたが、1983年(昭和58年)に復元された。
追手門 門内から
毘沙門曲輪内の番屋カフェ?から天守跡
城址会館(旧奈良県立図書館)
法印曲輪に位置する。法印曲輪は、一庵丸、常盤曲輪(常盤郭)とも呼ばれている。
城址会館の右奥裏手(東側)へ
追手東隅櫓(法印曲輪)
久護門跡
多門櫓
駐車場に到着した時に追手門外から撮影した櫓
追手向櫓
最後に柳澤文庫に行ってみた
やはり休館日であった。
今回の城巡り
最長4日間を計画し、当初3・4日目は和歌山の
城を巡ろうと思っていた。和歌山の城も残り1日で
回ることは難しそうだ。これから明日の移動を考え、
和歌山の予定地入りもこの場から遠く到着は、4~
5時間が掛かる見込み。
悩む
歳のせいか、それとも山城が結構多かったせいか
暑さのせいなのか、なぜか心が折れた。
体力的には、もう少し行けそうな気もするが・・・
松永久秀公の信貴山城、多聞山城も行きたいし、
大和郡山城リベンジという奈良に来る理由が
出来た。紀州(和歌山)攻略も・・・
また機を見て再来する事にして、今回は余力を
残し、完全撤退に決めた。
16:00 大和郡山城駐車場出発
すぐに高速に入らず、少し一般道で帰る。
17:40 伊勢自動車道
東名阪自動車道
18:00 亀山ハイウエイオアシス
土産購入と夕飯
すき家の牛丼と迷ったが亀山亭のノボリに釣られ
鈴鹿甘だれ唐揚げ定食
ダシ塩と同じくダシを使った甘ダレの2色唐揚げ
見た目よりボリュームがあって満足。美味かった
21:00 浜松SAで休憩
28日
0:20 無事に帰宅
走行距離 1328km
今回の旅行
数日でブログにUPするつもりが、
撮影した画像が700枚を超え
途中で萎えてしまい1カ月以上も
かかってしまった。 反省
伊賀上野城
住所 三重県伊賀市上野丸之内106
入館時間 9:00〜17:00(入館16:45まで)
登閣料 大人600円、子ども300円
休館日 12月29日~12月31日
駐車場 伊賀市営城北駐車場
平日は無料、土・日・祝日・年末年始は有料らしい
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