紀州攻め1-3から
昨日は日曜日で到着が夕方だったので、
温泉施設は、とても賑わっていたが
夜になると、とても静かだった。
【 城巡り2日目 】6月26日(月)
5:15 起床
つばめが低空で飛んでいる。 雨降るの
6:35 飯高駅出発
今日はもう1か所利用してみたい道の駅に行くつもり。
飯高駅も旅行中、またチャンスがあれば利用したい
2日目は大和(奈良県)方面を攻城。
第1攻略は宇陀松山城
麓のまちづくりセンター千軒舎に名城スタンプと
駐車場があり、城巡りの足掛かりにできるらしい。
7:50 道の駅 宇陀路大宇陀到着。千軒舎最寄の道の駅。
予定より早く着いたのでトイレへ行ったり
土産を購入したりして、時間を調整。
その後ちょくちょく千軒舎へ行ってみるが
始業は、どうも9時かららしい。
8:55 千軒舎へ
まだ開く気配はない。
9:00 まもなくして車で係の人らしきおばちゃん?おねえさん?到着。
係の人?に声を掛けると、準備中なので待ってくださいと
素っ気ない回答。
車でしばらく待機。
9:10 千軒舎へ行くと施設内に別の旅行客が1名。係員さんの姿は
見えないが、準備は終わっている模様…
名城スタンプを勝手に押して、宇陀松山散策まっぷ等の資料をとって
城へ向かう。
前川と呼ばれる水路
散策まっぷによると、この辺りの城下集落は戦国期から江戸期に繁栄。
現在その町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」「重伝建地区」に
選定されている。
城巡りと関係ないが、マキタの電動工具は、私も愛用で 裏道具店とは??
薬屋らしい
こちらも薬屋だが、営業中
散策まっぷ 宇陀松山城見学路Bコース
春日門跡 現春日神社の入り口
参道を進む
↑ 春日神社 ↗ 松山城
この先拝殿にて参拝
先程の分かれ道まで戻る
徐々に獣道にw
山道になったと思ったら
早くも倒木
秋山城? そういえば松山城の初代築城者が秋山氏だった
松山城の別名だろうと安直な考察で進む
山道脇に無数の倒木
?
切断した後が見られる。間引き伐採しているんだろうか?
登山道をふさぐ倒木を整理したのか?
尾根に出て左へ折れると
立て看板を発見
切株で作った休憩用の椅子
もう少し
雀門跡
↑ ↓ 石垣が残る
本丸に到着 奥が天守跡
宇陀松山城
南北朝時代に宇陀の有力国人の1人、秋山氏が古城山に居城(秋山城)を築く。
豊臣政権において、豊臣秀長の大和郡山入部に伴い、伊藤義之、加藤光泰、羽田
正親、多賀秀種らの居城となり、大規模な改修により近世城郭へと移行、城下町
も整備された。豊臣秀長の大和郡山城、脇坂安治の高取城と共に大和国支配の要
として認識されていた事がうかがえる。1600年の関ケ原の戦いにおいて多賀
秀種は西軍に属したため改易され、代わって福島正則の弟福島高晴が入城したが
1615年大坂夏の陣で豊臣方に内通したとして、高晴も改易。城も小堀遠州ら
により破却、廃城となった。
天守跡
天守上へ
天守から北方向(城下)
天守から南東方向(二の丸)
天守から南報告(帯曲輪)
天守から西方向(本丸)
本丸北側にブルーシートが
崩落があったらしい
下城
立て看板まで戻り、帰りは、宇陀松山城見学路Aコースで。
Aコースは舗装路で途中、駐車場らしき空地もあった。
千軒舎、まちかどラボ観光案内所の裏手に下りてきた。
御城印はたしか千軒舎南側3件隣のまちかどラボで販売している。
御城印購入 違う種類を2枚
御城印帳の表紙が素敵だったので、
見せてもらったが、蛇腹、貼付タイプ
だったので購入は見合わせた。
ポケットタイプなら即購入だった。おしい
最近、線状降水帯が発生し、城址で崩落があり
重機を入れた復旧を開始しているそうだ。
次は、高取城に向かう。
紀州攻め2-2へ
昨日は日曜日で到着が夕方だったので、
温泉施設は、とても賑わっていたが
夜になると、とても静かだった。
【 城巡り2日目 】6月26日(月)
5:15 起床
つばめが低空で飛んでいる。 雨降るの
6:35 飯高駅出発
今日はもう1か所利用してみたい道の駅に行くつもり。
飯高駅も旅行中、またチャンスがあれば利用したい
2日目は大和(奈良県)方面を攻城。
第1攻略は宇陀松山城
麓のまちづくりセンター千軒舎に名城スタンプと
駐車場があり、城巡りの足掛かりにできるらしい。
7:50 道の駅 宇陀路大宇陀到着。千軒舎最寄の道の駅。
予定より早く着いたのでトイレへ行ったり
土産を購入したりして、時間を調整。
その後ちょくちょく千軒舎へ行ってみるが
始業は、どうも9時かららしい。
8:55 千軒舎へ
まだ開く気配はない。
9:00 まもなくして車で係の人らしきおばちゃん?おねえさん?到着。
係の人?に声を掛けると、準備中なので待ってくださいと
素っ気ない回答。
車でしばらく待機。
9:10 千軒舎へ行くと施設内に別の旅行客が1名。係員さんの姿は
見えないが、準備は終わっている模様…
名城スタンプを勝手に押して、宇陀松山散策まっぷ等の資料をとって
城へ向かう。
前川と呼ばれる水路
散策まっぷによると、この辺りの城下集落は戦国期から江戸期に繁栄。
現在その町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」「重伝建地区」に
選定されている。
城巡りと関係ないが、マキタの電動工具は、私も愛用で 裏道具店とは??
薬屋らしい
こちらも薬屋だが、営業中
散策まっぷ 宇陀松山城見学路Bコース
春日門跡 現春日神社の入り口
参道を進む
↑ 春日神社 ↗ 松山城
この先拝殿にて参拝
先程の分かれ道まで戻る
徐々に獣道にw
山道になったと思ったら
早くも倒木
秋山城? そういえば松山城の初代築城者が秋山氏だった
松山城の別名だろうと安直な考察で進む
山道脇に無数の倒木
?
切断した後が見られる。間引き伐採しているんだろうか?
登山道をふさぐ倒木を整理したのか?
尾根に出て左へ折れると
立て看板を発見
切株で作った休憩用の椅子
もう少し
雀門跡
↑ ↓ 石垣が残る
本丸に到着 奥が天守跡
宇陀松山城
南北朝時代に宇陀の有力国人の1人、秋山氏が古城山に居城(秋山城)を築く。
豊臣政権において、豊臣秀長の大和郡山入部に伴い、伊藤義之、加藤光泰、羽田
正親、多賀秀種らの居城となり、大規模な改修により近世城郭へと移行、城下町
も整備された。豊臣秀長の大和郡山城、脇坂安治の高取城と共に大和国支配の要
として認識されていた事がうかがえる。1600年の関ケ原の戦いにおいて多賀
秀種は西軍に属したため改易され、代わって福島正則の弟福島高晴が入城したが
1615年大坂夏の陣で豊臣方に内通したとして、高晴も改易。城も小堀遠州ら
により破却、廃城となった。
天守跡
天守上へ
天守から北方向(城下)
天守から南東方向(二の丸)
天守から南報告(帯曲輪)
天守から西方向(本丸)
本丸北側にブルーシートが
崩落があったらしい
下城
立て看板まで戻り、帰りは、宇陀松山城見学路Aコースで。
Aコースは舗装路で途中、駐車場らしき空地もあった。
千軒舎、まちかどラボ観光案内所の裏手に下りてきた。
御城印はたしか千軒舎南側3件隣のまちかどラボで販売している。
御城印購入 違う種類を2枚
御城印帳の表紙が素敵だったので、
見せてもらったが、蛇腹、貼付タイプ
だったので購入は見合わせた。
ポケットタイプなら即購入だった。おしい
最近、線状降水帯が発生し、城址で崩落があり
重機を入れた復旧を開始しているそうだ。
次は、高取城に向かう。
紀州攻め2-2へ