TBSの『私の家政夫ナギサさん』
3話まで観てなんだかもったいなくて
その後4、5、6話と録りためていましたが、
昨晩通しで観ちゃいました。
最近(数年)めっきりドラマは観なくなって
いましたけど、このドラマは悪い人が
出てこないしハートフルで
観ていてとてもあたたかい気持ちになります。
クライマックスでのあいみょん『裸の心』が
また実にタイミング良く、
『こんなオッサンの心』も盛り上げますw
今晩、第8話放送で、また新たな展開がありそう。
昨夜からのたった1日が長~く待ち遠しい
毎週火曜日22時放送
おはようございます。
関東は、幾分涼しい朝です。
一昨日、昨日と日中の酷暑から午後局地的ゲリラ豪雨
滝のような雨と雷、凄かった
昔は夕立でしたが、近年外気温が上がるのが早く
昼立?傾向。
タランドゥスホワイトアイの幼虫たちの菌糸瓶が
劣化してきたので、昨夜、慌てて次の菌糸瓶の準備を
しました。
前回より気持ち堅く詰めたので、持ちが良くなるかしら
第3セットから卵を2個回収して保管していましたが
黒くゴマのように。やはり採卵は苦手
関東は、幾分涼しい朝です。
一昨日、昨日と日中の酷暑から午後局地的ゲリラ豪雨
滝のような雨と雷、凄かった
昔は夕立でしたが、近年外気温が上がるのが早く
昼立?傾向。
タランドゥスホワイトアイの幼虫たちの菌糸瓶が
劣化してきたので、昨夜、慌てて次の菌糸瓶の準備を
しました。
前回より気持ち堅く詰めたので、持ちが良くなるかしら
第3セットから卵を2個回収して保管していましたが
黒くゴマのように。やはり採卵は苦手
今年夏の城めぐりは終わっちゃった。
過去のブログやスマホ等の画像を見ていたら、
昨年に投稿し忘れた画像を発見。
今日は、思い出しながら、後出しでUPします。
忘れちゃってる事も多いと思いますが。
昨年(2019)夏のこと。
山梨・静岡県の城巡りから帰り
しばらくして、自宅で余韻に浸っていたら
100名城スタンプの神奈川県の小田原城が
まだスタンプを押せていない事に気付き
そんなに遠くないし、日帰りで行くことにした。
何気なく家族を誘ったら妻と息子が行くと
言うので3人で出発。
えーと
画像データ観ると8月23日(金)の事ですね。
たしか出発予定時刻より30分遅れで自宅を出たら
都内に入ってすぐ通勤ラッシュの大渋滞にドはまり。
このままでは到着が午後になりそうなので
乗ってる2人と相談、好きにして良いと言うので
まだ行ったことのない埼玉の川越城址に進路変更。
午前10時30分頃に到着したが、駐車場が閉まってる。
ネットで川越本丸御殿の休館日を調べると、
毎週月曜日(休日の場合、翌日)
え?? 館内整理日 第4金曜日(休日は除く)
あちゃーーー😵
やっちゃいました。1か月に1回の館内整理日だって
そこからどこへ行くか…暗中模索。
なかなか決まらない。
苦肉の策で、お城とは全然関係ないが
数年前まで家族で行っていたマス釣りと
豚丼を食べに行くことに。
秩父郡横瀬町芦ヶ久保にある鱒釣り場で
1時間鱒釣りして、秩父の豚丼屋野さかへ
いつ来ても混んでるけど
いつ来ても美味しい。ネギだく
食べ終わって
満腹だけど
何だか自分は消化不良。
私「もう1か所行っても良い。ちょっと遠いけど」
妻と息子「どうぞ!」
時間は午後2時30すぎ
県内寄居の鉢形城へ向かいます。
到着。初登城でーす。
以下画像のみで
1時間ほどいたかな?
夕方4時30分、今日行かなかった娘が
外出先から帰ってくるので、帰路に。
午後7時前に帰宅。
妻は移動中のほとんど、鉢形城到着後も車内で寝てましたw。
息子も鉢形城の歴史館は一緒に見学しましたが他、上に同じw
付き合ってもらって何なんだけど、
また今度1人で来ようと思いました。←たしかな記憶有り
過去のブログやスマホ等の画像を見ていたら、
昨年に投稿し忘れた画像を発見。
今日は、思い出しながら、後出しでUPします。
忘れちゃってる事も多いと思いますが。
昨年(2019)夏のこと。
山梨・静岡県の城巡りから帰り
しばらくして、自宅で余韻に浸っていたら
100名城スタンプの神奈川県の小田原城が
まだスタンプを押せていない事に気付き
そんなに遠くないし、日帰りで行くことにした。
何気なく家族を誘ったら妻と息子が行くと
言うので3人で出発。
えーと
画像データ観ると8月23日(金)の事ですね。
たしか出発予定時刻より30分遅れで自宅を出たら
都内に入ってすぐ通勤ラッシュの大渋滞にドはまり。
このままでは到着が午後になりそうなので
乗ってる2人と相談、好きにして良いと言うので
まだ行ったことのない埼玉の川越城址に進路変更。
午前10時30分頃に到着したが、駐車場が閉まってる。
ネットで川越本丸御殿の休館日を調べると、
毎週月曜日(休日の場合、翌日)
え?? 館内整理日 第4金曜日(休日は除く)
あちゃーーー😵
やっちゃいました。1か月に1回の館内整理日だって
そこからどこへ行くか…暗中模索。
なかなか決まらない。
苦肉の策で、お城とは全然関係ないが
数年前まで家族で行っていたマス釣りと
豚丼を食べに行くことに。
秩父郡横瀬町芦ヶ久保にある鱒釣り場で
1時間鱒釣りして、秩父の豚丼屋野さかへ
いつ来ても混んでるけど
いつ来ても美味しい。ネギだく
食べ終わって
満腹だけど
何だか自分は消化不良。
私「もう1か所行っても良い。ちょっと遠いけど」
妻と息子「どうぞ!」
時間は午後2時30すぎ
県内寄居の鉢形城へ向かいます。
到着。初登城でーす。
以下画像のみで
1時間ほどいたかな?
夕方4時30分、今日行かなかった娘が
外出先から帰ってくるので、帰路に。
午後7時前に帰宅。
妻は移動中のほとんど、鉢形城到着後も車内で寝てましたw。
息子も鉢形城の歴史館は一緒に見学しましたが他、上に同じw
付き合ってもらって何なんだけど、
また今度1人で来ようと思いました。←たしかな記憶有り
7日(金)、2回目の埼玉城巡りに行ってきた。
5:40 早起きをして早めの出発。
今日最初に巡る予定の城は大築城(おおづくじょう)という現ときがわ町の
山城なのだが、今まで自分が攻城した山城とはちょっと違う・・・らしい。
訪れた方々のネット情報を見ると「登りがキツイ」「2時間歩いた」「敗走」の
文字が。
また「今日はとても暑くなる」というニュースを見たので
午前中の早いうちにクリアしてしまおうと。
行く前から少々不安
8:00 途中コンビニに寄ったり、道を間違えたりで計画より若干遅れて
予定ポイントに着いたが、なんと 通行禁止の看板。
昨年の台風19号被害の為と書いてある。
仕方なく他のルートを探し車で彷徨う。
8:50 ようやく車を降り、登城(登山)開始。5分程歩くと息が上がってきて
たしかにキツイ。また時折、蜘蛛の巣があり、枝を拾い巣を払いながら
登る。途中、道を間違えて引き返したり
看板発見 ↑
ここからの登りが更にキツイ
9:50 出発から休憩数回、ようやく大築城の本郭?に到着
でも山の頂上ってだけで周りは杉・杉・杉
「えー、本当にココなの??」
周りを探索。朽ちて倒れた看板を見つけるが
何も書いてない。(風雨で消えたのか)
歩き回ること約10分
案内板をやっと見つけた。
案内板を頼りに辺りを歩き回ったが、
杉、草が生い茂り、倒木や落ち葉の堆積物等で距離感が掴めず、
↑ 堀切?
スタートの躓き、疲労、思っている方角に遺構がなく軽い遭難感
結局、遺構は「ここなのかな?」程度しか分からず。
せめてモロドノクルワなる郭を見つけようとしたが
何処がそうなのか確信できないまま時間が経過し下山。
何とか無事戻ることは出来た。ホッ
とりあえず到達することは出来たし、安全第一
リベンジする事は多分ないでしょう。花粉シーズンは最強の脅威w
滝汗で濡れた洋服を着替え後、気を取り直して出発
11:20 ときがわ建具会館着
こちらで大築城とこれから向かう小倉城の御城印を入手。
おそばのお土産も購入。工芸品等も販売していた。
11:40 建具会館発
12:00 小倉城跡入口の駐車場に到着。
駐車場の入り口 ↑
こちらは大福寺というお寺の駐車場を提供して頂いてるみたい。
帰りに予定
12:20 車内で昼食を摂り、虫よけ対策して出発。(食事中、車の窓にアブ)
大福寺の境内に入ると案内用のパンフレットと登城時用の杖(枝)があった。
↑ こちらが入口。
道は整備されていて登りやすいが、そこそこ傾斜はある。山だからねw
ヒグラシの大合唱の中、杖を着き突き登っていく。
平坦なスペースに案内板が
上を見上げると
↑ 郭3の石垣 右側は土嚢で補強してある。
今いる平坦スペースは腰郭みたい。上の郭3へ移動
↑ 郭3
腰郭に入る前、登ってきた道へ戻り反対方向へ
ここにも案内板有り。本郭(郭1)の石垣があるらしいのだが
↑ 段差を登った左斜面(草が生い茂っている)を探すが分からず。
そのまま北側へ回ると
↑ 本郭の入り口である北虎口に石垣発見。一部崩れているが。
そのまま本郭に入らず北側の桝形虎口へ
本郭へ
小倉城は鉢形城と八王子城の中間に位置し水路・陸路とも、要所を押さえ築かれている。
戦国時代の関東(後北条氏)の城にはめずらしい石垣を用いた連郭式山城である。後北条氏の
重臣であった遠山光影城主とする説と松山城主上田氏とする説がある。
本郭を出て
↑ 本郭(左)と郭2(右)を分かつ堀切
↑ (左)郭2北から南へ 攻城時は休みだったが現在、郭2内の伐採作業中の模様。 (右)郭2南から腰郭を向いて
郭2を出て南側の大堀切へ
白線→尾根 赤丸→大堀切
こちらの堀切はクランク状に形成され、両端が堅堀と連なる。
※ 堀切は尾根伝いに侵攻する敵軍を遅らせるため尾根を分断、つくられた掘。
郭1と2の間も同じ(上記参照)。
↑ 堅堀(上が郭2南・下が郭2西)
↓ 郭4
郭5もあるらしいのだが、行き方が良く分からない。行けるのかどうかも??
撤退・下山
↑ 麓の大福寺
14:00 駐車場に戻り、水分補給と軽食、着替え
14:15 今回、登城というより山登り2本。正直疲れた。
駐車場を引き揚げ、このまま帰路へ。
帰りに撮影。駐車場に続く道はかなり狭い。普通車がやっと通れる程度の幅員。
帰り道、一昨日(5日)に立ち寄ろうとして閉まっていた
農産物直売所が営業してた。駐車場に車が停まっていて
何だか勝手に安心。
17:40 ゆっくり運転で無事帰宅。
走行距離135km
地元で漉(す)いた和紙で出来ています。
そばは秩父産でした(笑) 昨日8日美味しく頂きました。
夏の城巡りはこれでおしまい。残った城はまた
今まで攻城した各地城の中でも今回行った城はタフでした。
(昨年の台風の影響?)
埼玉(武蔵国)おそるべし
5:40 早起きをして早めの出発。
今日最初に巡る予定の城は大築城(おおづくじょう)という現ときがわ町の
山城なのだが、今まで自分が攻城した山城とはちょっと違う・・・らしい。
訪れた方々のネット情報を見ると「登りがキツイ」「2時間歩いた」「敗走」の
文字が。
また「今日はとても暑くなる」というニュースを見たので
午前中の早いうちにクリアしてしまおうと。
行く前から少々不安
8:00 途中コンビニに寄ったり、道を間違えたりで計画より若干遅れて
予定ポイントに着いたが、なんと 通行禁止の看板。
昨年の台風19号被害の為と書いてある。
仕方なく他のルートを探し車で彷徨う。
8:50 ようやく車を降り、登城(登山)開始。5分程歩くと息が上がってきて
たしかにキツイ。また時折、蜘蛛の巣があり、枝を拾い巣を払いながら
登る。途中、道を間違えて引き返したり
看板発見 ↑
ここからの登りが更にキツイ
9:50 出発から休憩数回、ようやく大築城の本郭?に到着
でも山の頂上ってだけで周りは杉・杉・杉
「えー、本当にココなの??」
周りを探索。朽ちて倒れた看板を見つけるが
何も書いてない。(風雨で消えたのか)
歩き回ること約10分
案内板をやっと見つけた。
案内板を頼りに辺りを歩き回ったが、
杉、草が生い茂り、倒木や落ち葉の堆積物等で距離感が掴めず、
↑ 堀切?
スタートの躓き、疲労、思っている方角に遺構がなく軽い遭難感
結局、遺構は「ここなのかな?」程度しか分からず。
せめてモロドノクルワなる郭を見つけようとしたが
何処がそうなのか確信できないまま時間が経過し下山。
何とか無事戻ることは出来た。ホッ
とりあえず到達することは出来たし、安全第一
リベンジする事は多分ないでしょう。花粉シーズンは最強の脅威w
滝汗で濡れた洋服を着替え後、気を取り直して出発
11:20 ときがわ建具会館着
こちらで大築城とこれから向かう小倉城の御城印を入手。
おそばのお土産も購入。工芸品等も販売していた。
11:40 建具会館発
12:00 小倉城跡入口の駐車場に到着。
駐車場の入り口 ↑
こちらは大福寺というお寺の駐車場を提供して頂いてるみたい。
帰りに予定
12:20 車内で昼食を摂り、虫よけ対策して出発。(食事中、車の窓にアブ)
大福寺の境内に入ると案内用のパンフレットと登城時用の杖(枝)があった。
↑ こちらが入口。
道は整備されていて登りやすいが、そこそこ傾斜はある。山だからねw
ヒグラシの大合唱の中、杖を着き突き登っていく。
平坦なスペースに案内板が
上を見上げると
↑ 郭3の石垣 右側は土嚢で補強してある。
今いる平坦スペースは腰郭みたい。上の郭3へ移動
↑ 郭3
腰郭に入る前、登ってきた道へ戻り反対方向へ
ここにも案内板有り。本郭(郭1)の石垣があるらしいのだが
↑ 段差を登った左斜面(草が生い茂っている)を探すが分からず。
そのまま北側へ回ると
↑ 本郭の入り口である北虎口に石垣発見。一部崩れているが。
そのまま本郭に入らず北側の桝形虎口へ
本郭へ
小倉城は鉢形城と八王子城の中間に位置し水路・陸路とも、要所を押さえ築かれている。
戦国時代の関東(後北条氏)の城にはめずらしい石垣を用いた連郭式山城である。後北条氏の
重臣であった遠山光影城主とする説と松山城主上田氏とする説がある。
本郭を出て
↑ 本郭(左)と郭2(右)を分かつ堀切
↑ (左)郭2北から南へ 攻城時は休みだったが現在、郭2内の伐採作業中の模様。 (右)郭2南から腰郭を向いて
郭2を出て南側の大堀切へ
白線→尾根 赤丸→大堀切
こちらの堀切はクランク状に形成され、両端が堅堀と連なる。
※ 堀切は尾根伝いに侵攻する敵軍を遅らせるため尾根を分断、つくられた掘。
郭1と2の間も同じ(上記参照)。
↑ 堅堀(上が郭2南・下が郭2西)
↓ 郭4
郭5もあるらしいのだが、行き方が良く分からない。行けるのかどうかも??
撤退・下山
↑ 麓の大福寺
14:00 駐車場に戻り、水分補給と軽食、着替え
14:15 今回、登城というより山登り2本。正直疲れた。
駐車場を引き揚げ、このまま帰路へ。
帰りに撮影。駐車場に続く道はかなり狭い。普通車がやっと通れる程度の幅員。
帰り道、一昨日(5日)に立ち寄ろうとして閉まっていた
農産物直売所が営業してた。駐車場に車が停まっていて
何だか勝手に安心。
17:40 ゆっくり運転で無事帰宅。
走行距離135km
地元で漉(す)いた和紙で出来ています。
そばは秩父産でした(笑) 昨日8日美味しく頂きました。
夏の城巡りはこれでおしまい。残った城はまた
今まで攻城した各地城の中でも今回行った城はタフでした。
(昨年の台風の影響?)
埼玉(武蔵国)おそるべし
前回の続きです。
13:30 嵐山町役場発、嵐山史跡の博物館へ。
途中、農産物直売所を見つけ立ち寄ろうとしましたが
駐車場入り口に車止めがあり、お休みのようでした。
コロナの影響じゃなければいいんだけど…。
13:50 埼玉県立嵐山史跡の博物館に到着。
入館はコロナ対策の為、正面入り口ではなく
職員入り口から入り、まず消毒です。
職員事務室で連絡先の記入と検温をしました。
受付へ進み入館券と御城印を購入し、館内を見学します。
御城印は映りが良いのを受付員さんが選んでくれました。
入館する際、若いカップルさんと入れ替わりでしたが
館内のお客さんは誰もいない模様。
ここ菅谷館は、鎌倉時代に源頼朝に仕える畠山重忠公が築き、
15世紀末、扇谷上杉氏と山内上杉氏が争った際、山内上杉方の太田資康が旧城を再興、
後に後北条氏が統治していたそうです。
小田原征伐後に廃城か?後北条氏進出前廃城説もあるようです。
『菅谷館』は、『スガヤヤカタ』と読みます。
14:25 博物館から出て菅谷館跡を回ります。
菅谷館跡案内図 ↑
もう一度よーく観て出発! 案内図は下が北ですな
まずは博物館のある三の郭から回ります。
三の郭 ↑
西へ進むと
蔀土塁 西の郭から三の郭の様子を見せないための土塁 右の小山がそうです。 ↑
正坫門跡 この奥が西の廓 ↑
木橋を渡ります。 ↑
木橋は三の郭側が高く攻めづらくなっていたそうです。
西の郭 ↑
奥に進んで見ます。
何もありませんでしたw
戻ります。
木橋でトンボを捕まえました。撮影後、飛んでいきました。
三の郭へ戻って、次は二の郭へ行ってみます。
三の郭と二の郭間の堀 ↑
二の郭 ↑
畠山重忠公像 二の郭内土塁上にありました。 ↑
二の郭西側
南郭も何もなさそうなので、行きません。
本郭 ↑ ↓
東側から西側に向いて撮影
そうだった、忘れていました。見どころを
二の郭に戻って
東から ↑
西(北西から) ↑
北から ↑
出桝形土塁といって普通の土塁より凸上に張り出させて敵の侵入時に
有効な攻撃ができるように作られたそうです。
二の郭から本郭へ入ろうとする敵兵に横矢掛けも出来ますね。
土塁上に櫓もあったのかも??
とりあえず見たいところは、押サエマシタ
まだ午後4時前だから、あと1ヵ所くらいは行けるんだけど。
暑さによる体力消耗と帰りの渋滞も考慮して撤退とします。
(車中泊で遠出だったら、間違いなくGOだろう)
15:40 博物館を出発
18:30 途中、車のガソリンを入れに遠回りしたので遅くなって
しまいましたが、無事自宅へ到着。
走行距離 126km
13:30 嵐山町役場発、嵐山史跡の博物館へ。
途中、農産物直売所を見つけ立ち寄ろうとしましたが
駐車場入り口に車止めがあり、お休みのようでした。
コロナの影響じゃなければいいんだけど…。
13:50 埼玉県立嵐山史跡の博物館に到着。
入館はコロナ対策の為、正面入り口ではなく
職員入り口から入り、まず消毒です。
職員事務室で連絡先の記入と検温をしました。
受付へ進み入館券と御城印を購入し、館内を見学します。
御城印は映りが良いのを受付員さんが選んでくれました。
入館する際、若いカップルさんと入れ替わりでしたが
館内のお客さんは誰もいない模様。
ここ菅谷館は、鎌倉時代に源頼朝に仕える畠山重忠公が築き、
15世紀末、扇谷上杉氏と山内上杉氏が争った際、山内上杉方の太田資康が旧城を再興、
後に後北条氏が統治していたそうです。
小田原征伐後に廃城か?後北条氏進出前廃城説もあるようです。
『菅谷館』は、『スガヤヤカタ』と読みます。
14:25 博物館から出て菅谷館跡を回ります。
菅谷館跡案内図 ↑
もう一度よーく観て出発! 案内図は下が北ですな
まずは博物館のある三の郭から回ります。
三の郭 ↑
西へ進むと
蔀土塁 西の郭から三の郭の様子を見せないための土塁 右の小山がそうです。 ↑
正坫門跡 この奥が西の廓 ↑
木橋を渡ります。 ↑
木橋は三の郭側が高く攻めづらくなっていたそうです。
西の郭 ↑
奥に進んで見ます。
何もありませんでしたw
戻ります。
木橋でトンボを捕まえました。撮影後、飛んでいきました。
三の郭へ戻って、次は二の郭へ行ってみます。
三の郭と二の郭間の堀 ↑
二の郭 ↑
畠山重忠公像 二の郭内土塁上にありました。 ↑
二の郭西側
南郭も何もなさそうなので、行きません。
本郭 ↑ ↓
東側から西側に向いて撮影
そうだった、忘れていました。見どころを
二の郭に戻って
東から ↑
西(北西から) ↑
北から ↑
出桝形土塁といって普通の土塁より凸上に張り出させて敵の侵入時に
有効な攻撃ができるように作られたそうです。
二の郭から本郭へ入ろうとする敵兵に横矢掛けも出来ますね。
土塁上に櫓もあったのかも??
とりあえず見たいところは、押サエマシタ
まだ午後4時前だから、あと1ヵ所くらいは行けるんだけど。
暑さによる体力消耗と帰りの渋滞も考慮して撤退とします。
(車中泊で遠出だったら、間違いなくGOだろう)
15:40 博物館を出発
18:30 途中、車のガソリンを入れに遠回りしたので遅くなって
しまいましたが、無事自宅へ到着。
走行距離 126km
本日6日は『広島原爆の日』、投下から75年だそうです。
中学の修学旅行で広島へ行き、学んだ記憶があります。
9日と共に年最低2回、二度と同じ過ちを繰り返さないように
しっかりと考え、心に留める大切な日だと思います。
さて
昨日5日、埼玉県内の城めぐりに行ってきました。
画像整理などでずいぶんとUPが遅くなってしまいました。
城跡は写真を撮りすぎると、どれも似たような画像なので
後で確認が大変w、苦労しました・・・
6:40すぎ 自宅出発。まずは2016年に行った忍城へ。不落城←良かったら読んでみてください
御城印入手と100名城スタンプ押印目的です。
8:50 行田市郷土博物館駐車場到着
前回来ていますし、博物館のHPにも見学は30分程度で・・とあったので
今回は見学のための入館はしませんでした。
それなのにスタンプ帳探し、次の目的地検索等で長居しちゃいました。
10:00 行田市郷土博物館出発
11:20 杉山城駐車場到着。事前情報で中学校手前の駐車場とあったので、こちらで間違いないでしょう
車から降りると暑い
駐車場の裏手が杉山城跡のようです。
山城なので、冷感装備も忘れずに出陣 ______
中学校の敷地内を抜けて行きます。
敷地内には案内板が多数あります。登城者用のトイレも(後ろに写るのがそうです。)
中学校敷地から城跡へ
出郭 ↑
出郭を進むと大手口 ↑
大手脇の横堀 ↑
外郭 ↑
まずは西側へ攻めます。
が、この辺からちょくちょく携帯電話が高温でカメラ起動を停止。
馬出郭 ↑
南三の郭 ↑
井戸郭 ↑
井戸跡の石は見落としましたw
南三の郭・南二の郭間の虎口は、喰い違い虎口になっており ↑
直線的な敵の侵入を防ぐ仕組み。南二郭の様子を見せない働きもあるとか?!
南二の郭 ↑
えーと、本郭への行き方が分からないぞ。
ちょっと迷って
発見!
本郭到着
杉山城は中世の丘陵地形を巧みに利用した山城。その歴史についてはまだ明らかになっていないことが多く、
平成14年の発掘調査によれば、関東管領山内上杉氏と同族扇谷上杉氏による「長享の乱」の後、
山内上杉氏側によって築かれ、その後、松山城と同時期に北条氏の属城となり、1590年(天正18年)の
「小田原の役」で廃城になったと考えらている。
およそ10の郭を配置した縄張りは、本郭より3方向に郭を広げる。塁線には折歪(おりひずみ)とよばれる
敵方に対して見通しを悪くするための屈曲を多用し、虎口(郭の出入口)には、ほぼ例外なく横矢掛けのできる
配置を有し、高度な築城技術が用いられている。城趾には郭(曲輪)や堀、土塁、虎口等が良好な状態で現存する。
横矢掛け:虎口に近づく敵に進入方向の側面から矢を射掛けること。横矢掛かりとも。
北郭から本郭を向いて ↑ 北郭 ↓
北郭のセミの抜け殻 ↑
本郭に戻り、東郭へ
本郭に戻り、下山します。
出郭でも
駐車場へ戻って、軽く昼食
汗で濡れた服を着替えていたら、
1台の車が来て男性が中学校へ。…そういえば
登城して帰って来る間、他に誰とも会いませんでしたw
杉山城を後に
13:00 杉山城駐車場発
次に向かうのは嵐山町立役場へ
13:10 役場到着。
名城スタンプを押しに来ました。
役場のお姉さんが元気に挨拶してくれました
押印完了。周りのお城も御城印つくってるので
あったらいいのになぁ
13:30 嵐山町役場発
この後、嵐山史跡の博物館へ向かいます。
長くなったので続きはまた次回にします。
※ 後日、加筆すると思います。
(8月13日 杉山城 解説文を加筆)
明日7日、再び再登城(城めぐり)の予定、
朝早いのでそろそろお休みです。
中学の修学旅行で広島へ行き、学んだ記憶があります。
9日と共に年最低2回、二度と同じ過ちを繰り返さないように
しっかりと考え、心に留める大切な日だと思います。
さて
昨日5日、埼玉県内の城めぐりに行ってきました。
画像整理などでずいぶんとUPが遅くなってしまいました。
城跡は写真を撮りすぎると、どれも似たような画像なので
後で確認が大変w、苦労しました・・・
6:40すぎ 自宅出発。まずは2016年に行った忍城へ。不落城←良かったら読んでみてください
御城印入手と100名城スタンプ押印目的です。
8:50 行田市郷土博物館駐車場到着
前回来ていますし、博物館のHPにも見学は30分程度で・・とあったので
今回は見学のための入館はしませんでした。
それなのにスタンプ帳探し、次の目的地検索等で長居しちゃいました。
10:00 行田市郷土博物館出発
11:20 杉山城駐車場到着。事前情報で中学校手前の駐車場とあったので、こちらで間違いないでしょう
車から降りると暑い
駐車場の裏手が杉山城跡のようです。
山城なので、冷感装備も忘れずに出陣 ______
中学校の敷地内を抜けて行きます。
敷地内には案内板が多数あります。登城者用のトイレも(後ろに写るのがそうです。)
中学校敷地から城跡へ
出郭 ↑
出郭を進むと大手口 ↑
大手脇の横堀 ↑
外郭 ↑
まずは西側へ攻めます。
が、この辺からちょくちょく携帯電話が高温でカメラ起動を停止。
馬出郭 ↑
南三の郭 ↑
井戸郭 ↑
井戸跡の石は見落としましたw
南三の郭・南二の郭間の虎口は、喰い違い虎口になっており ↑
直線的な敵の侵入を防ぐ仕組み。南二郭の様子を見せない働きもあるとか?!
南二の郭 ↑
えーと、本郭への行き方が分からないぞ。
ちょっと迷って
発見!
本郭到着
杉山城は中世の丘陵地形を巧みに利用した山城。その歴史についてはまだ明らかになっていないことが多く、
平成14年の発掘調査によれば、関東管領山内上杉氏と同族扇谷上杉氏による「長享の乱」の後、
山内上杉氏側によって築かれ、その後、松山城と同時期に北条氏の属城となり、1590年(天正18年)の
「小田原の役」で廃城になったと考えらている。
およそ10の郭を配置した縄張りは、本郭より3方向に郭を広げる。塁線には折歪(おりひずみ)とよばれる
敵方に対して見通しを悪くするための屈曲を多用し、虎口(郭の出入口)には、ほぼ例外なく横矢掛けのできる
配置を有し、高度な築城技術が用いられている。城趾には郭(曲輪)や堀、土塁、虎口等が良好な状態で現存する。
横矢掛け:虎口に近づく敵に進入方向の側面から矢を射掛けること。横矢掛かりとも。
北郭から本郭を向いて ↑ 北郭 ↓
北郭のセミの抜け殻 ↑
本郭に戻り、東郭へ
本郭に戻り、下山します。
出郭でも
駐車場へ戻って、軽く昼食
汗で濡れた服を着替えていたら、
1台の車が来て男性が中学校へ。…そういえば
登城して帰って来る間、他に誰とも会いませんでしたw
杉山城を後に
13:00 杉山城駐車場発
次に向かうのは嵐山町立役場へ
13:10 役場到着。
名城スタンプを押しに来ました。
役場のお姉さんが元気に挨拶してくれました
押印完了。周りのお城も御城印つくってるので
あったらいいのになぁ
13:30 嵐山町役場発
この後、嵐山史跡の博物館へ向かいます。
長くなったので続きはまた次回にします。
※ 後日、加筆すると思います。
(8月13日 杉山城 解説文を加筆)
明日7日、再び再登城(城めぐり)の予定、
朝早いのでそろそろお休みです。