5社寺目です。
神魂神社 (かもすじんじゃ)。
画像はウィキより、
〒690-0033 島根県松江市大庭町563。
現在は、伊弉冊大神(いざなみのおおかみ)を主祭神とし、伊弉諾大神(いざなきのおおかみ)を合祀しています。
ものすごい「気」が出ている神社です。
出雲方面の神社は、昔はこういう風だったのですかね?
・・・間違えて、御朱印の画像2枚同じの掲載してしまいました。
平成6年4月29日参拝しております。
ではまた。
・・・・・
5社寺目です。
神魂神社 (かもすじんじゃ)。
画像はウィキより、
〒690-0033 島根県松江市大庭町563。
現在は、伊弉冊大神(いざなみのおおかみ)を主祭神とし、伊弉諾大神(いざなきのおおかみ)を合祀しています。
ものすごい「気」が出ている神社です。
出雲方面の神社は、昔はこういう風だったのですかね?
・・・間違えて、御朱印の画像2枚同じの掲載してしまいました。
平成6年4月29日参拝しております。
ではまた。
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昨日のついでに・・・
日本の神々の神使 (しんし) には、様々な鳥獣や昆虫がいますが・・・(最近は、お猫も)。
彼らの能力のすごさは、今まで無数に体験して知っています。
ハシボソガラスとトンビは呼ばなくても来る感じと書きましたが、
本当に、精神的にまいっていた時は、ハシブトガラスよりも、トンビの方が先に来てくれたことがあります。
(トンビ来てくれ今すぐ)・・・10秒以内に、私と仲の良いトンビの「ニュー (オス) 」が家の仏間の横にある電柱に来てくれて、「ぴるるるるる~」と鳴きました。
ニューは、おっとりしたトンビで、ハシボソガラスのコテツが後ろから頭突きをしても、何事もなかったように、「す~っ」と飛んで行ったりする子です。
ニューと、もう一羽私と仲が良いトンビに「金若」がいます。この子は、相方の姫と同じく、陽に当たると全身の羽が「見事な金色」になります。
神武天皇を助けた「金鵄 (きんし) 」は、こういう金色に見えるトンビではないかと思います。いつか書きますが、同一説があるけど、「ヤタガラス」と「金鵄」は別だと思います。
金鵄は、神使と言うよりも、トンビだけど、「神」に名を連ねています。日本は元々、「八百万 (やおよろず) の神々」の国ですから、「人」以外の神がいても普通です。クマタカも、「熊鷹大神」として祀られている所もあるみたいです。
私は、うちの周りのトンビは、だいたい名前つけています。
「始まりのお嬢 (一番大きい。翼開長170センチ以上ありそう) 」「大殿 (お嬢より小さいけど大きい) 」・・この二羽が電柱に止まると、ハシブトガラスのリキたちも「し~ん」となります。 「二代目お嬢」「殿」「金若と、姫」「ニュー」「ニュニュ」「海老尾」「小海老」「九頭竜」「小トンビ」ほか。私は彼らの鳴きまねが、カケス並みにうまいので、よく彼らと鳴き合いをしています。
「ぴるるる~♪」「ぴるるる~♪」「ぴぃ~るるる♪」「ぴぃ~るるる♪」「ぴい~~~るる♪」「ぴい~~~るる♪」
ハシボソガラスは人懐っこく、メスの「あー太郎」と、オスの「テツ」、「コテツ」がうちの勝手口のドアノブに止まって、クッキーを催促します。ドアを「コツコツコツ」とつつくと、私がクッキーを置く。彼らは、「いただきます」と言う意味で、またドアを「コツコツコツ」とつついて、食べます。食べ終えたら、「ごちそうさま」の意味で、再度ドアを「コツコツコツ」と、つつき、飛んでいきます。
ハシブトガラスは、メスの「カー太郎」と、オスの「リキ」ともに、人間に対しては、少し奥ゆかしいところがあります。が・・・こっちが何かピンチになった時は、馳せ参じてくれるところもあります。知能は、ハシボソガラスと同じくらい高いです。でもどちらかと言えば、直感型です。2、3年前の夏、庭の敷石の上に小さな子カラスが羽を広げて「ぺにゃあ~」となっていました。「うわっ、子カラスがケガでもしたか? 保護しなければ」と思った瞬間・・・気絶していたように見えた子カラスは、「むくっ」と立ち上がり、「すたすたすた」と歩き・・「ふわっ」と少し飛びました。
(親の所まで飛んで帰れるだろうか?) と心配した瞬間、「ふっ」と飛びあがり、電柱に止まりました。私は以後、そのカラス「コリキ」と呼んでいます。
親カラスには容赦なく攻撃する、ハシボソガラスの「あー太郎 (メス) 」も、子供のハシブトガラスには・・・別種とは言え、何か守っているようなところがあったのを見たことがあります。
自然界と言うものは、よくできたもので、何一つ無駄が無い世界だなと感じます。
半面、我々現代人類は、戦争はするわ、乱開発や無駄な経済活動やらで自然は破壊しまくるわ、他の生物は「駆除」と言う名の殺生を繰り返すわで、
「天上の神々から見れば、我々人間は、どのように見えるだろう」とよく考えてしまいます。私の経験から言えば、「天上の神々」の前では、我々人間の「頭の中」など、「すべてお見通し」だと思います。
神仏は、人の「正直」「まじめ」「純粋」な心が好きなようで、
「うそ」「詐欺」「強欲」「我執」「傲慢 (ごうまん) 」な心が嫌いなようです・・・。
ではまた。
・・