30年前から、むさぼるように神社仏閣、霊場を巡っているうちに、
神仏への「感性」が磨かれていき、
いつの間にか、「いいところ」「悪いところ」「普通のところ」、すぐわかるようになりました。
元々が、霊感・直感がある方なので、さらに磨きがかかった感じです。
「いいところ」・・・神社で言えば、「古代の神々をお祀りする神社」は、大小の差があれ、どこも「神気」を感じます。感じにくいのは、「無住 (宮司不在) 」のところ。
それでも、近隣の氏子がちゃんと守っている神社は、たとえ「無住」であっても、感じます。悪いところは・・・ここでは今は記しません。上に書いた「古代の神々をお祀りする神社はいい神社」がヒントです。(古代じゃなくても、徳川家康公をお祀りする東照宮は、普通にいい感じです。)
お寺・・・「いいところ」・・・由緒ある、古刹は、たいてい良いところです。真言・天台の密教寺院で由緒あるお寺は、「神仏の気」が満ち、禅宗の古刹は、「禅気」がほとばしっている感じです。華厳・法相や聖徳宗・・・東大寺や薬師寺、法隆寺なども、密教が伝わっているし、歴史の重みを感じます。
「悪いところ」・・・たまに、有名な観光地には、「ヤバいところ」もあります。
「なんか変だな」と感じたら、地元の人に聞いてみると、「あれは新興宗教や」「新興宗教じゃないが、わしら、地元の寺々でも、≪あそこはヤバいぞ≫ と言う寺はある」とか色々出てきます。
また、歴史ある寺でも、大げさに宣伝しているところや、ド派手なところは避けるのが無難です。
さて、神仏は、下界の我々のことはすべてお見通しのようで、「悪い心」も全てバレているし、また、「清らかな心」も、ちゃんと見ておられます。
10数年前、とある滝の撮影に、何度も足しげく通っていたのですが、
無住の神社が近くにあり、いつも参拝して、「これから滝の撮影をさせていただきます。」と、ご挨拶してから滝に行ってました。帰るときは、「ありがとうございました。」と、御礼を述べて帰っていました。
無住ですが、心地よい「神気」がいつも感じられ、安心感をいつもいただいていたのですが、ある時、氏子さん数名と、管轄の宮司で祭礼を行っておられました。
私は、祭礼の邪魔にならないよう、控えめに参拝して滝に行ました。
と、撮影の帰りに、車で帰る氏子さんが私を追い抜いていきます。
「今、そこの神社で例祭があったのよ。神様の御下がりだけどどうぞ」と言って、ビニールに包んだ紅白のお餅をくださります。
お礼を言うと、「もっと持っていきなさい。」と、両手いっぱいに紅白のお餅をくださります。
その時、(滝の撮影のときだけの御縁だし、普段からロクな信心もしてない私でも、ちゃんとお参りしていたのを、神々は見ておられたんだなぁ)と、しみじみ思いました。
紅白のお餅は、ほのかに甘い味がして、遠く離れた駐車場に着くまでに、全部平らげた私でした。
ではまた。
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