タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

建部大社、下鴨神社・・・

2021-12-30 23:14:21 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

20社寺目、建部大社。

画像はウィキより、

Takebe-shrine.jpg

21社寺目、賀茂御祖神社 (下鴨神社) かもみおやじんじゃ。

平成6年8月16日御朱印。

画像はウィキより、Kamomioya-jinja romon.jpg

糺(ただす)の森橋殿

スピリチュアル系の人に人気の神社です。

現在、ニギハヤヒノミコトと瀬織津姫が人気ですが、

「文献系」の人と、「スピリチュアル系」の人、真っ二つに分かれている印象です。

どちらもたまに参考にするために読んだりしますが、途中までは、意見が合っていても、ある部分から、全く合わなくなる感じです。

ちなみに私は、「文献系」の人の方を、どちらかと参考にします。

原田 常治氏「古代日本正史」、木村博昭氏「古代ヤマト王権の縁起と伝承ー「記・紀」に消されたニギハヤヒ命の実像」など。

全てに賛成はしませんが、木村氏など、すごく調べられていると思いました。

あとは、私の「直感」です。

また面白いことに、かつての私もそうでしたが、「ニギハヤヒノミコト」ファンの人は、ニギハヤヒノミコトばかり、瀬織津姫ファンのかたは、瀬織津姫ばかりと言う印象が強いです。

さて下鴨神社ですが、河合神社が好きですね。「神武天皇の母、玉依姫命」をお祀り・・とありますが、「私は」、ニギハヤヒノミコトの妃神ではないかと、思います。「河」「合」と言う名と、「直感」です。 違ってたらスミマセン。

まあ、大物主大神がニギハヤヒノミコトであるなら、妃神の三炊屋媛さまは、カムヤマトイワレビコノミコト (神武天皇) の「義母」にはなるわけですが。それが理由ではありません。あくまで、「直感」と、「河」「合」です。また、「玉のように美しい」神と言うのも、理由の一つではあります。

さて、話変わって、昨今の自然災害・・・ほとんどが、われわれ現代「人類」が原因ですが・・・有名無名の「神社」でさえ、その被害は免れることはできない状況です。下鴨さんも、ちょっと前被災しました。社殿は無事だったようですが。

今の所、温暖化を食い止めるには、CO2削減だけじゃなく、「植林」や「ブルーカーボン」(海草の植林) 二枚看板をやればいいのですが、各国の政治家は相も変わらず、目標達成もできやしないのに、CO2削減「目標」ばかり。

つい先年、科学者が「1兆本の植樹で温暖化は食い止められる」と警鐘を鳴らしたのですが、政治は全然取り上げない。

中には「植林は無駄だ。木は、寿命を終えるとき、ため込んだCO2をすべて大気中に吐き出すから」と言う人もいるが、そうではない。1本の木が1本だけで終わるような街路樹ならそうかも知れないが、科学者が言うのは、「世界中の空き地と言う空き地に植樹すると」と言う「条件」である。その場合、

1本の木は、常に子孫を増やし、10本100本と増えていく」無駄どころか、これ以上ない温暖化防止の切り札である。ただ、木の成長は遅く即効性は全くない。

ただ、昨今は、「超・山火事」が頻発し、植林ボランティアが地道に植えている傍らで、それらを「あざけわらう」が如く、火災が頻発している。

もう「地球環境は待ったなし」である。

脱線しました・・・最近は、下鴨神社の御守りに、「ヤタガラス」に加え、「金鵄お守り」もできたような・・・。

ではまた。

・・・・・

 

 

 


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東寺・・・

2021-12-30 17:17:58 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

19社寺目。

東寺 (教王護国寺) 、平成6年に御朱印いただいております。

高野山と並ぶ、真言宗の二大総本山。

いままで、どれだけ訪れたことか。トイレ拝借だけでも訪れています。

最近は御無沙汰です。

画像はウィキより、

Toji 2015.JPG金堂本尊・薬師如来坐像

御影堂 (みえどう) は、弘法大師をお祀りする御堂です。

野良猫がよくいて、地元の人たちが撫でたりしてかわいがっていました。

金堂 (本堂のこと) も良いですが、講堂は「圧巻」です。

立体曼荼羅・・・弘法大師がディレクターとなって仏師たちに製作させた仏像も現存しています。見るものを圧倒する迫力です。

観智院も確か、拝観料要ったはずですが、一度だけ拝観しました。

係りの人が一人ついてくれて案内されます。

お守り売り場に行くと、4~5人の若い僧侶が、「むっつり」して座っていました。

(なんで、客もほとんどいないのに4、5人も・・・)と、思いました。

お守りを見ているさなかも、一言も発さず「むっつり」。

三鈷杵を手に取り、「これは、魂入ってます?」と聞くと、「・・入ってます・・・」とだけ答えました。

三鈷杵を買い、茶室に案内されるも・・・入口が「狭い」。その「狭さ」の理由も説明されましたが・・・「忘れました」。

コロナで、今は東寺だけの御祈祷になったけど、

コロナ以前は、毎年、鎮守「八幡宮」にて、石清水八幡宮と東寺による、「神仏合同法要」が執り行われ、楽しみにしていたのですが・・・。

ただ、コロナよりだいぶ前から、この「神仏合同法要」では、「人類安泰・地球安泰」祈願祭と言う名目だったので、その頃は「ずいぶん大げさな表現だな」と思ってましたが、コロナ下の今、「さすが八幡さま」と感服いたしております。

(東寺は、友の会もありますよ)

御朱印してくれたのは、中年の女の人で、「むっつり」してましたが、字は達筆です。(その頃は、いつ行っても、その人が全ての御朱印していた)

・・・・・

ではまた。


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石山寺・上賀茂神社・・・

2021-12-30 14:51:03 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

17、18社寺目です。

平成6年8月6日に御朱印いただいております。

画像はウィキより

○石山寺・・・西国観音霊場第13番札所。

Tahōtō - Ishiyamadera - Otsu, Shiga - DSC07540.JPG御影堂(開山堂)毘沙門堂三十八所権現社本殿大黒天堂

滋賀県大津市。東寺真言宗大本山です。本尊・如意輪観音像は、33年に一度公開される秘仏です。それ以外にも、公開されることがあります。

私は偶然、秘仏を拝んだことがあります。

○上賀茂神社 (かみがもじんじゃ)・・・賀茂別雷神社。上賀茂神社は、通称です。

京都市。

Kamo-wakeikazuchi-jinja18n4272.jpg庁屋(北神饌所)立砂(たてずな境内 楽舎(手前)、細殿・橋殿・土舎(奥、左から)細殿(拝殿)橋殿(舞殿)

御祭神は、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)・・・ニギハヤヒノミコトと同一神と言われます。

前述したように、ニギハヤヒノミコトが祀られている神社では「不思議な気」を感じたと述べましたが、上賀茂神社は、感じませんでした。むしろ、下鴨神社の方が少し感じた気がします。なぜでしょう。

不思議な気・・・前述のとおり、「龍がわだかまっている」ような、「異次元の、神々の世界の入口があるような」「気」です。

 


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近畿36不動尊霊場会・・・

2021-12-30 11:18:00 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

前述した、「近畿36不動尊霊場会」、

30年位前に、京都の真言宗18総本山の一つ、大覚寺で「出開帳」が行われ、参詣してきました。

今と違ってナビなどなく、地図片手に近道通ったつもりで行ったのですが、結構遅れてしまい、到着したときは、「柴燈護摩」が修されている最中だったと記憶しています。

明治の「修験廃止」から時は経ち、修験道も復興したとは言え、往時には程遠く、初老の修験者たちが護摩木を投げているのを見て、この国の行く末を案じた次第です。

かつての霊山は、すべて国立国定公園になり、行場として残っている霊場は数えるくらいでしょう。明治以前は、霊山の寺社で祀られる仏と神、また、〇〇権現と言う日本独自の神仏も、その出自は、日本の神々です。

明治以前は、神と仏が一体となり、自然と共に生きていた日本人も、今はその面影もありません。日本の神の神使の代表である、ニホンオオカミも「駆除」と言う名目で絶滅され、今はもういません。

文明と言う便利さと引き換えに、本来の日本人の精神性を失った今の日本人を、日本の神々はどう見ているのでしょう。

さて、出開帳・・・レプリカとは言え、36もの札所寺院の「お不動さん」が集まり、香煙たなびく中、御朱印をお願いしました。

が、時間切れで全部の御朱印がいただけず、「後日郵送していただく」ことになりました。

後日、届いた宝印軸を成田山大阪別院にて開眼供養していただきました。

受付に持って行ったとき、「ありゃ、これは、表装しとらんな」と言われ、「表装って何ですか」と聞くと、「これは、仮軸やから、仏具屋さんとかで表装してもらわな完成じゃないんですよ」と。持って帰ろうとしたら、「いや、これは、このままでええんやないか。表装したら、こことここの所の朱印が見えんようになるから、このまま開眼したらええと思いますよ」と言うことになり、申し込みしました。

お護摩が修され、お護摩が終わり、私だけ「まだ待っててください」と係りの方に言われ、導師の後ろで開眼されるのを見つめていました。結構、丁寧に開眼されていました。

あれから30年、近畿36不動尊宝印軸は、うちの家の守護仏です。仏壇の後ろにお祀りしています。

画像は、宝印軸のパンフレットです。本物は、開眼済みですので「撮影不可」です。

ではまた。

・・・・・


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