仏教宗派では、「開眼作法 (かいげんさほう) 」と言う、「魂入れ」の作法があります。
華厳・法相・北法相・聖徳宗などの古い宗派や、真言・天台など平安仏教寺院の仏像は、「オーラ」が出ている仏像が多いです。鎌倉仏教の禅宗などは、「禅気」が境内に、ほとばしっていて、仏像そのものの「気」は、真言や天台の方が強く感じます。
仏師が、精魂込めて作った仏像も、お坊さんの「開眼作法」を経なければ、ただの「像」です。開眼供養されて初めて「仏像」となるわけです。
反対に、「魂抜き」の作法は、真言宗では「はっけん」と言います。
明治の神仏分離で、社寺が別々に別れましたが、
歴史が古いお寺の、「歴史が古い仏像」を、「しげしげ」と眺めていると、
強いオーラが出ている仏像は、単なる「仏教の仏像」ではなく、
「神さん (日本の古代の神々) が入っておられる気がする」仏像も多いです。
そういう仏像は、「カミとホトケ」「仏と神」が一体になっている感じがして、半端なく強いオーラが出ています。
石清水八幡宮の宮司だったか誰だったか、
「神は仏を助け、仏は神を守る」と仰っておられました。
今年の東大寺のお水取り、NHKの長時間による生中継、お堂の中での儀式を初めて見て感動したのですが、「あれこそが、神仏習合の出発点だ」と思いました。
明治で強制的に別れさせられた神仏、しかし、今でも由緒ある寺院の仏像には、「日本の古代の神々」が宿っておられると、私は信じています。
ではまた。
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