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極東の島国と大国ロシアはなぜ開戦に至ってしまったのか? 202404

2024-04-09 22:54:00 | 📚 豆知識・雑学

【日露戦争から120年】極東の島国と大国ロシアはなぜ開戦に至ってしまったのか?
  歴史人 より 240409  副田護


 2024年は、日露戦争開戦から120年という節目にあたる。極東の島国が大国ロシアを撃破したというニュースは世界を駆け巡ったが、長引く戦(いくさ)は両国に甚大な被害をもたらした。
 では、なぜ日本とロシアは刃を交える事態に陥ったのだろうか。その理由を詳説する。

■日露戦争開戦の理由を3つのキーワードで解説
 日露戦争開戦理由のキーワードは「寒さ」「植民地」「飢え」の3つの単語に集約される。まず「寒さ」だが、ロシア帝国は2200万平方キロと、日本の60倍近い国土で、鉄、石炭をはじめとする豊かな地下資源、「世界の穀倉」といわれ小麦生産量は世界一だったウクライナの大平原などを含んでいた。しかし、年間5カ月以上にもなる港湾凍結により、大量輸出ができなかった

 18世紀当時、英、仏、オーストリアに並ぶ世界の4大強国だったロシア帝国にとって、不凍港領有は、国家最大の願望であったのだ。これを実現しようとしたのが「南下政策」で、欧州方面では、まず黒海では、セヴァストポリ、オデッサをトルコから奪い、北極海ではムルマンスク、バルト海ではバルチック艦隊の母港ともなったリバウを開港した。

 極東方面では、ロシア帝国は国力の落ちた清に圧力をかけて、1860年に中国北部の沿海州とよばれる日本海沿岸地域を奪い、太平洋方面におけるロシア最大の不凍港ウラジオストックを開港した。ウラジオストックがロシア太平洋艦隊海軍基地となると、軍機密を守るため、近くにナホトカを開港し、貿易港として急速に拡大した。

 これら不凍港を取得したロシア帝国は、強大なウラジオ艦隊を編成、中国北部から朝鮮半島、インドシナ半島まで勢力を伸ばそうとする。同時に、東進して樺太から千島列島の植民地化に成功した。英仏を中心とする欧州大国がアフリカからユーラシア大陸南部を植民地とした政策に、乗り遅れまいとしたからである。

 当然、その目は、日本にも注がれていた。まず、朝鮮半島北西部、黄海に突き出した中国本土再重要戦略拠点である遼東半島に対して、フランス、ドイツとともに、露骨なプレッシャーをかけてきた。日清戦争に勝ち、日本が清から割譲し遼東半島返却を求めたのである。
「日本による遼東半島所有は、清国の首都北京を脅かすだけでなく、朝鮮の独立を有名無実にし、極東の平和の妨げとなる。従って、半島領有の放棄を勧告し誠実な友好の意を表する」
 これを「三国干渉」というが、はね返すだけの国力は日本になかった。清に返却後の遼東半島には、ロシアが重要拠点を植民地化する。まず、真冬でも凍結しない半島先端の大連港に、巨額の資金を投入して東清鉄道を建設してシベリア鉄道と連絡させ、港の整備を開始した。またフランスのパリをモデルにした大連市都市計画を作成し、郊外の旅順には巨大な要塞と軍港を建設した。

 旅順港では、ロシア帝国海軍旅順艦隊の海上封鎖作戦が行われた。
 1896年の露清密約により満洲における権益を増大させたロシア帝国により、1898年、満洲を横断する東清鉄道建設が着手されると、ハルビンは交通の要衝として、極東ロシア植民地政策の中心都市となる。人口が急激に増加し経済の発展をみるようになった。ロシア風の建造物が次々と建設され、ハルビンの市街地が形成される。

 ロシアの進出は郊外の原野にも及んだ。1900年には人口1000人だった小さな漁村が1903年には30万人の都市になっていた。日露戦争開戦時、ハルビンはシベリア駐屯軍、ロシア本国からの増援軍基地として、兵力28個師団36万4000人を集結させていた。

 一方、海軍は、日露戦争開戦直前に、極東太平洋艦隊へと再編された。この時点で、太平洋戦隊の艦船(戦艦7、巡洋艦10、水雷艇15、砲艦7)は旅順に拠点を置き(通称:旅順艦隊)、残りの巡洋艦戦隊(巡洋艦4、水雷艇10)はウラジオストクに残った(ウラジオストク巡洋艦隊)。

 19世紀後半から20世紀にかけて、ロシア帝国は、国力の大半を軍事力増強にあて、不凍港取得や植民地拡大に投入してきた。その結果、1880年から1900年にかけて、陸海軍兵力は、倍増することになったが、同時に国民は軍事力増強のための重税に苦しむようになる。

 その結果、ロシア各地で小規模なデモ、ストライキが起き始めた。増強された軍隊は、国外遠征に向けられず、国内治安維持に使われた。広大なロシア帝国内各地で、軍隊と農民、工場労働者たちとのあいだに、デモ、ストライキから暴力的衝突にかわっていく。

 国内不安を対外戦争でガス抜きするという、古今東西の権力者鉄則にのっとり、皇帝ニコライ2世は、小規模な軍事行動に出ようとした。
 対象国は、トルコ、清、そして日本である。まず、トルコが外された。英国、オーストリア・ハンガリー帝国などが軍事協定を結んでいたからである。次いで清もはずされた。当時の清は列強の草刈り場となっていて、清との軍事衝突は、獲物を横取りされたくないとする列強との大規模な戦争へとつながりかねないからである。

 最後に残ったのが日本だった。日本は英国と軍事協定を結んでいるが、フランス、ドイツ、アメリカとは中立関係にある。
 当時の露日軍事力比較は、陸軍が8対1、海軍が6対1、そして総力戦の指針ともなるGNP比は14対1と、圧倒的にロシア有利だった。さらに、日本との戦争に勝てば、北海道を占領できる。中国東北部から日本海を隔てて北海道まで南進すれば、極東北方海域の制海権が握れ、朝鮮半島までがロシア帝国領となる。

 国内の不安を一掃し、極東方面の植民地化を進めるとの一石二鳥の思惑があり、ニコライ2世は中国東北部侵略をきっかけとする対日開戦へと踏み切ったのだ。

 日露戦争に関して、まだ語られることがほとんどないエピソードを2つつけくわえたい。ひとつは、日露開戦時、貧しかった日本は戦費不足にあえいでいた。このとき、日本に現在の価格で1兆5000億円の戦時国債を調達したのがロスチャイルド家を中心とするユダヤ資本だった。当時、ロシア絶対有利とする欧米列強に対し、ユダヤ資本は、ロマノフ朝の弱体化を鋭く見抜いて、日本へ莫大な投資をおこなったのだ。
 この戦時国債を日本が債務履行を終えたのは、第1次、第2次大戦をまたぎ、なんと1986年までかかった。元利あわせての返済総額は88倍になる132兆円となっていた。

 もう1つは、日本海海戦の新事実である。日露戦争のあらゆるデータを残すロシア陸軍幕僚大学戦史室には、日本海海戦での日露両海軍砲弾命中数比較が残されている。これによると、命中数はほとんど変わりない。
 変わりがあるのは、被害範囲だった。戦史室はこれに関して、ロシア海軍の砲弾火薬の劣化を最大の原因としている。乾燥した北海を基地としたバルチック艦隊には、防湿の概念が不十分で、アフリカ周りの熱帯航路での多湿による火薬類劣化まで注意されなかったのだろう。


💋司馬遼太郎「坂の上の雲」も参考になる
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「健康的な空気」は7ヶ国のみ 2023年世界大気汚染レポート 202404

2024-04-09 22:44:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

「健康的な空気」は7ヶ国のみ 2023年世界大気汚染レポート
 NewSphere より 240409

 世界保健機関(WHO)が設定した微小粒子状物質PM2.5の基準値をクリアした国は7ヶ国だけという驚くべき結果が公表された。
 2023年の空気の良質な国、劣悪な国ははたしてどこか?

◆10ヶ国・地域がWHO基準をクリア
 スイスの空気清浄システム関連企業IQエア社が公表した2023年度版「大気質報告書」によると、2023年に安全な大気汚染レベルを満たしたのは、

フィンランド、エストニア、プエルトリコ、オーストラリア、ニュージーランド、
英領バミューダ、グレナダ、アイスランド、モーリシャス、フランス領ポリネシア

の10ヶ国・地域のみだった。

 平均大気質を分析した134ヶ国・地域のうち、92.5%にあたる124ヶ国・地域がWHOのPM2.5の安全レベル(年間平均1立方メートル当たり5マイクログラム以下)を満たしていない。

 PM2.5は大気中に浮遊する極めて小さく危険な粒子で、吸い込むと肺の奥深くまで到達し、血液中に取り込まれる。発生源としては化石燃料の燃焼、砂嵐、森林火災などが挙げられ、ぜんそくや心臓病、呼吸器疾患、がんなどとの関連が指摘されている。

◆アジア、大気汚染深刻
 一方、基準値を大幅に超え大気汚染が深刻な国のうち、バングラデシュ、パキスタン、インドが最も空気が汚染されており、粒子汚染レベルはWHO基準の10倍以上だった。

 調査対象の世界7812都市のうち、WHOの基準を満たす大気の質を記録したのはわずか9%だった。
 世界で最も大気汚染がひどかった100都市のうち、アジアの都市が96都市を占め、インドが83都市を記録した。
 報告書によると、インド全土で13億人(人口の96%)がWHOのガイドラインの7倍以上の大気汚染の中で暮らしているという。

 中国の都市はかつて、世界最悪の大気汚染ランキングの上位を独占していたが、過去10年間の一連の大気浄化政策により、状況は好転した。
 昨年の調査では、この政策によって中国市民の平均寿命が2.2年延びたことがわかった。中国で最も汚染された都市、新疆ウイグル自治区ホータンは13位だった。

 インドネシア,ベトナム,タイはいずれも,WHOの基準を10倍以上上回る都市があった。

 日本は134ヶ国・地域中96位、都市では7812都市中、
東京が3702位、大阪が2950位、京都が3562位、札幌が5888位となった。

◆旅行者の呼吸器系に影響も
 気候危機が、世界中の何十億もの人々の健康を脅かしている大気環境の悪化に極めて大きく関連している。

 英医学専門誌BMJに昨年11月に掲載された研究によると、化石燃料による大気汚染で、毎年世界で510万人が死亡している。一方、WHOによれば、環境大気汚染と家庭大気汚染の複合的な影響により、年間670万人が死亡している。

 IQエア・グローバルのCEOフランク・ハメス氏は「PM2.5は皮膚の奥の細胞から肺や脳の細胞まで、私たちの体のあらゆる細胞に浸透しているのです」(NBCニュース)、その結果、「大気汚染が最も深刻な国の一部では、人々の寿命が3年から6年も縮んでしまったのです」(CNN)と述べる。

 大気汚染が旅行者に与える影響については調査されていない。
2021年の研究では、海外旅行者の大気汚染暴露が健康に悪影響を及ぼすことが判明したが、健康は帰国後に回復すると考えられている。
 2019年の別の研究では、健康な成人の旅行による大気汚染への暴露が、呼吸器系の健康状態に変化をもたらすという結果も出ている。

 海外旅行を計画するときに、どこがどれだけ大気汚染されているかを考えることはあまりないが、この結果によって、一般的に人気の海外旅行先を検討し直す必要があるかもしれない。



💋こういう結果が既に出ていて、さて本邦行政立法は?
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🚶…太閤堤跡公園…朝日山…仏徳山↩️…> 240409‘

2024-04-09 20:53:00 | 🚶 歩く
🚶…右岸堤防道🌸…太閤堤跡公園🌸…朝霧通り🌸…観流橋🌸…琴坂↗︎興聖寺沿↗︎仏徳山参道↗︎仏徳山朝日山渓谷前…朝日山山道↗︎同観音堂🙏…同展望所👀↗︎同山頂↘︎同裏山道🌸…仏徳山朝日山渓谷↗︎仏徳山山頂↘︎🌸同展望台↘︎同遊歩道🌸…さわらびの道🌸…宇治上神社🌸…朝霧通り🌸…太閤堤跡公園🌸…右岸堤防道…>
🚶10176歩2kg41F+82歩

☁️やや強冷風;仏徳山展望台12℃

宇治川周辺🌸見頃で人も少なくゆっくり👀
 仏徳山上🌸絨毯見事に。
  寒の戻り状態で🌸花見を楽しむ

夜)🚙⇆観月橋Std👭



















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レーザー核融合実用化へ、エクスフュージョンが世界初導入の設備で実験に乗り出す 202404

2024-04-09 02:06:00 | 気になる モノ・コト

レーザー核融合実用化へ、エクスフュージョンが世界初導入の設備で実験に乗り出す
ニュースイッチ by 日刊工業新聞 より 240409


 エクスフュージョン(大阪府吹田市、松尾一輝社長)は、今夏から浜松市の自社研究施設でレーザー核融合の実用化に向けた実験に乗り出す。
 時速180キロメートルで射出する模擬燃料ペレットに、10ヘルツのレーザーを2方向から当てる実験を行う予定。将来は時速360キロメートルのペレットに6方向以上からレーザーを当てることを目指す。
 同社によると、高速で移動するペレットに複数方向から高繰り返しのレーザーを当てる実験設備の導入は、世界初という。

 エクスフュージョンは中小企業基盤整備機構が運営する浜松イノベーションキューブ(浜松市中央区)に、延べ床面積約200平方メートルの自社研究施設をこのほど開いた。同施設に携わる従業員は約15人。

 光源から2メートル離れた場所を飛ぶ直径3ミリメートルの模擬ペレットにレーザーを当てるレーザー追尾照射システムを備え、夏頃の本格稼働を予定。
2027年度にも高出力レーザーを用いた実験を目指す。

 これまで同社は光産業創成大学院大学に拠点を構え、レーザーを対象に当てる制御技術やミラーなどの光学関連品を開発してきた。

 自社施設ではこれらの技術と高出力・高繰り返しのレーザーを照射するシステムを統合し、効率的に研究を進められるようになった。松尾社長は「浜松市は光関連産業が盛んでスタートアップにもフレンドリー。この地で研究を発展的に進める」と意気込む。

 核融合は重水素と三重水素を核融合反応させ、膨大なエネルギーを取り出す技術。二酸化炭素(CO2)を排出しない発電方法としても注目を浴びる。レーザー核融合は他の核融合の方式に比べ、需要変動に応えられる電力源として実用化に期待がかかる
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府民がよく降りる? 大阪モノレール“ナゾの終着駅”「門真市」には何がある? 2024/04

2024-04-09 01:38:02 | 🌇 街案内
府民がよく降りる? 大阪モノレール“ナゾの終着駅”「門真市」には何がある?
  文春 Online より 240409鼠入 昌史
〈御堂筋線“ナゾの終着駅”「箕面萱野」には何がある?〉から続く


 千里ニュータウンを中心とする、北摂地域。そこに通る鉄道路線は、だいたい大阪の中心部とを結ぶ南北の路線ばかりだ。新大阪・梅田と直結する地下鉄御堂筋線・北大阪急行しかり、阪急千里線しかり。


 そうした中で,唯一の千里丘陵東西路線として存在感を示しているのが,大阪モノレールだ。
 千里中央駅で、北大阪急行から大阪モノレールに乗り換える。
西に向かえば空の玄関口・大阪空港(伊丹空港)。
東に向かえば、太陽の塔がそびえ立つ万博記念公園、そして吹田ジャンクションをやり過ごせば南茨木駅で阪急京都線と交差。

 そのまま近畿自動車道の脇を走り続け、新幹線の車両基地を横目に淀川を渡ってほどなく東の終点を迎える。その駅は、門真市駅という。

 箕面萱野駅に行ってきます、という話を編集氏としていたら、「ついでに門真市にも」という。なんでも、「免許センターがあるからみんな門真って知ってますから」と。

 千里中央駅からモノレールに乗れば30分ほどで門真市駅に着く。それほど遠いわけでもないから、じゃあ行ってきます、というわけで門真市駅にやってきたのである。

⚫︎大阪府民がよく降りる? モノレール“ナゾの終着駅”「門真市」には何がある?
 そんな言い訳をしたところであまり意味はないが、門真市という駅はその名の通り門真市にある。モノレールに加えて京阪電車も乗り入れており、門真市の玄関口としての役割を持っている。モノレールが南北に、京阪電車が東西に走って交差する。駅前広場があるのは、南東の一角だ。

 駅前広場に出ると、ロータリーの脇にはスーパーマーケットのイズミヤとそれに直結する集合住宅。マンションというよりはどちらかというと団地に近い風貌だ。通りを挟んだ南側にはパチンコ店や飲食店が建ち並ぶ。この一帯の街路は、基本的には東西南北碁盤の目によく整えられている。

 ただ、駅前には古いバラックのような建物がひしめくゾーンがあって、そこは東西南北の街路を無視して斜めの路地。裏手の小さな公園には区画整理の記念碑が置かれていたから、もともとはもっとごちゃごちゃと込み入った駅前だったのだろうか。

 さらにその周辺は……というと、まあこれが特に何も言うべきこともないような郊外の住宅地である。イズミヤの集合住宅の他にはマンションやアパート、また少し駅前から離れればちょっと古めの戸建て住宅がひしめくエリアもある。このあたりもまた細い路地が入り組んだりしているので、小さな住宅が集まる一帯だったであろうことがうかがえる。

 駅前から東に向かって歩いて行っても、小学校の広大な敷地が目立つほかには取り立てて変わりのない町並みが続く。15分も歩けば京阪電車のお隣の駅、古川橋駅が見えてくる。関西の私鉄の駅は、駅間が短い。これは、もともと一般的な鉄道ではなく、軌道、つまり路面電車がルーツであることが多いからだろうか。

⚫︎駅前から西へ向かう。高架の先には…
 門真市駅前に戻って、今度は西に向かおう。駅前広場のすぐ西側には、まずモノレールの門真市駅の高架があって、さらに並んで近畿自動車道の高架が通る。それを潜れば、また小さな住宅や商店を中心とした町並みが続く。

 京阪電車が高架を駆ける線路沿いを少し歩くと、北に向けては住友通商店街、南に向けては門真銀座と呼ばれる商店街も伸びる。こちらもお隣の駅がすぐ近くで、西三荘という。西三荘駅までは高架下も商業施設になっているようで、昔ながらの私鉄沿線の駅前風景といったところだろうか。

⚫︎駅前にやたらと“ホテル”がたっている理由
 そしてもうひとつ、門真市駅の周辺でやたらと目に留まるのは、ビジネスホテルだ。アパホテルにスーパーホテル、そして東横イン。他にもいくつものホテルが建ち並んでいる。

 町中を歩いている限りでは、ただの大阪郊外の住宅地。そこになぜ、これだけのホテルが集まっているのだろうか。

 その答えは、駅の北側に出ればすぐにわかる。門真市駅の北側には、パナソニックの巨大な工場が広がっているのだ。さらに、お隣の西三荘駅の北側にもパナソニック。こちらには本社機能も置かれている。

 かの松下幸之助が大阪市内で創業し、1933年に郊外の当時は門真村に移転して以来の本拠地だ。そういえば、都市対抗野球にパナソニックが出場するときも、「門真市」の看板を背負っている。こうしたパナソニックの本社近くということから、門真市駅周辺にはビジネスホテルが建ち並ぶ。

⚫︎水害に悩まされ続けた門真にその日、松下電器がやってきた
 現在の門真市一帯は、淀川の南岸の氾濫原に位置している。そのため、大部分が低湿地で水害にも悩まされてきた歴史を持つ。明治時代には、低湿地という特徴を活かしてレンコン栽培が盛んになり、日本有数の産地になっていたという。

 都市化のきっかけは、1933年の松下電器(パナソニック)の移転だ。戦前・戦中期の航空写真で門真市周辺を見ると、田園地帯の中に黒く塗りつぶされた地点がいくつかある。それがまさに、現在にも通じるパナソニックの工場だ。軍事的な役割も担っていたから、航空写真では黒塗りされたのだろう。

 ただし、この当時は現在の門真市駅は開業していない。その代わり、現在の門真市駅と西三荘駅の中間くらいに「門真駅」を設けていた。戦後も長らくその状態が続いたが、近畿自動車道の地上部分、すなわち中央環状線が整備されると、その交差部に新門真駅として開業する。1971年のことだ。

⚫︎高度経済成長期、人口増加率が日本一だった門真の「ものすごい勢い」
 この頃の門真一帯は、めざましい発展を遂げていた。1960年代後半の人口増加率は日本一だったというから、ものすごい勢いでの都市化であった。その中核には松下電器の工場があったに違いない。他はほとんどが田園地帯で、宅地化の余地が存分に残されていたことも大いに関係しているだろう。

 大阪郊外で、ややもすれば純粋なベッドタウンにでもなりそうな地理的条件。にもかかわらず、松下電器、パナソニックの存在によって、門真は全国屈指の規模を誇る企業城下町になったのである。

 門真市駅周辺の町の中を歩いていると、碁盤の目に整備された街路とは別に細く入り組んだ路地に小さな住宅がひしめくエリアも目立つ。これは、昭和の昔に松下電器の工場で働く人たちが暮らす住宅ゾーンだった時代の名残なのだろう。

 それでいて、京阪電車に乗ったら30分ばかりで大阪の中心部まで出ることができるのだから、パナソニックとは別のベッドタウンとしても機能する。そういう意味で、なかなかよくできた町なのである。

 ちょうど門真の町が大発展中だった1971年に、新門真駅は開業した。わずか4年後の1975年には門真市駅に改称し、モノレールが乗り入れたのはずっと遅れて1997年になってからである。

 ちなみに、モノレールは現在延伸事業の真っ只中。さらに環状線・近畿自動車道に沿って南へ、2029年には近鉄奈良線との交差地点まで延伸する予定だという。そうなれば、門真市駅は終着駅から途中駅へ。そして、大阪東部における弱点だった南北の交通がますます充実することになる。

⚫︎駅で降りる人たちがなんだか南に向かっていく…?
 ともあれ、そんなパナソニックの城下町の門真市の玄関口・門真市駅。モノレールと京阪電車の改札口は互いに簡易的なペデストリアンデッキで結ばれている。この駅で降りるお客たちを見ていると、どうやらパナソニックの社員やこの周辺に住んでいる人ばかりでもないようだ。

 そんなお客はみな駅前広場は無視してモノレール・近畿自動車道に沿って南に向かう。

 その流れに乗って南に進んでゆくと、いくつかのホテルなどを通り過ぎたのちに地下道を潜り、10分ばかりで真新しい大型商業施設が見えてくる。ららぽーと門真・三井アウトレットパーク大阪門真である。

 ひっくるめてららぽーとと呼ばせていただくと、この門真のららぽーとがオープンしたのは2023年の4月だ。三井不動産にとっては、はじめてららぽーとと三井アウトレットパークというふたつの業態を一体化させた施設なのだという。

 なぜ門真という町にこの広大な商業施設が生まれたのか。それはもちろん、ここにはもともとパナソニックの工場があったからだ。その工場は2017年に移転して姿を消し、跡地の再開発で生まれたのがこのららぽーと。

 さらに敷地の南側にはコストコもできたし、隣接してマンションもできる予定だ。かつては莫大な雇用を生んだ工場が、移転したらしたでたくさんの人が集まる商業施設へ。平日の夕方、ららぽーとの中は溢れんばかりの人で活気に満ちていた。

⚫︎レンコン畑、パナソニックの城下町…モノレール延伸後の「門真市」には何がある?
 門真市駅に戻る。この駅は、門真市やパナソニック、またららぽーとの玄関口であるだけでなく、モノレールと京阪電車の乗り継ぎも担う。京阪電車沿線、たとえば枚方やら寝屋川やらに暮らしている人たちも、伊丹空港を使うときにはこの駅でモノレールに乗り換えるのだろう。

 京阪電車のホームに降りる。日中には各駅電車しか停まらないのが玉にキズだが、それでも守口市駅では準急に乗り継げるし、そうすれば10分ほどで京橋駅へ。そのまま終点の淀屋橋駅に向かえば、地下鉄御堂筋線に乗り換えることもできる。

 モノレールの延伸が実現すれば、ますます交通の便に恵まれることになるだろう。レンコン畑に始まった大阪郊外の低湿地は、パナソニックの城下町となって都市化した。そうした歴史の詰まった門真市駅。やはり、どの町にもドラマがあるものなのだ。

写真=鼠入昌史
(鼠入 昌史)
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