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神社の起源には温泉アリ?『ブラタモリ』でも注目、火山と断層と神社の知られざる関係性 202408

2024-08-31 00:29:00 | なるほど  ふぅ〜ん

神社の起源には温泉アリ?『ブラタモリ』でも注目、火山と断層と神社の知られざる関係性
 RealSound より 240830  山内貴範


■神社と大地の歴史の奥深い関係
 近年、何かと話題に上ることが多いのが、パワースポットや御朱印ブームでにぎわう神社、そして惜しまれつつ放送終了となった『ブラタモリ』の人気などに起因する地学ではないだろうか。
 その両方の魅力を一度に楽しめるうえに、日本列島の成り立ちから文化の形成まで俯瞰的に見ることができる本が出版された。『火山と断層から見えた神社のはじまり』(蒲池明弘/著、双葉文庫)である。

 日本には出雲大社を筆頭に、古代に創建された神社がいくつもある。
しかし、そうした由緒よりも、真の神社の起源はさらに遡ることができるのではないだろうか――本書を著した蒲池明弘氏はこうした疑問を抱き、各地の神社を探訪し、それぞれの地域の大地の歴史を調べ、思索を深めてきた。
 今回は蒲池氏にインタビュー。本を著したきっかけから、知っているだけで神社巡りが面白くなる知識まで存分に語っていただいた。(メイン写真:高千穂峰の神社)

■火山や地学に抱く好奇心

――蒲池さんは、最初の赴任地である読売新聞社のさいたま支局で記者を務めていた頃から、神社巡りを始められたそうですね。私も神社巡りが好きですが、大きな寺院は都があった場所に建立されているのに対し、歴史的にも重要な神社は、蒲池さんが指摘するように地方に点在しているのが興味深いです。

蒲池:神道は江戸時代の国学者がクローズアップしたことで、明治時代には国家神道になりました。その後、日本は戦争に負けましたが、神社本庁ができて、一部の人たちの間では依然として「天皇を中心とした神の国」のように思われています。
 ところが、神社巡りが好きな方々にはご存知のとおり、島根の出雲大社、三重の伊勢神宮、大分の宇佐神宮など、全国的な信仰圏を持つ大きな神社は軒並み地方にあるんですよ。こうした事実を目の当たりにすると、実際の神社の歴史と天皇中心主義的な考え方に大きな差異があると感じたのです。

――この本には地学・地質学の話題がずいぶん盛り込まれていますが、もともとこうした分野はお好きだったのでしょうか。

蒲池:国立大学の受験のために理科2科目を選ぶとき、数学が苦手だったので、生物と地学を選びました。計算問題がほとんどありませんからね、そして勉強してみると地学は面白い。もともと歴史が好きでしたが、地学・地質学はいわば太古から現在に至る地球の歴史を繙くものであり、確実に人間の歴史と接続しているのです。

――そういえば、蒲池さんは火山がたくさんある九州の長崎で育ったそうですね。

蒲池:九州にいると、子どもの頃から阿蘇山や桜島、雲仙などに家族旅行や修学旅行で出かける機会があります。父親の実家のある福岡県八女市は阿蘇山から50キロ以上も離れていますが、約10万年前に起きたカルデラ巨大噴火、いわゆるaso4のときの火砕流が大量に押し寄せ、固まり、巨大な岩山となってその痕跡を残しています。火山が作り出した風景が身近にあったのです。
 なお、この本は神社というよりは、『古事記』の神話の中に火山の記憶があるのではという点に興味を持ち、資料を集め出したことがベースになっています。

――好奇心で調べたことが、本の出版へと結びついたわけですか。

蒲池:私は新聞記者を辞めた後、いわゆる“ひとり出版社”を起ち上げて2016年に『火山と日本の神話』(桃山堂)という本を出しました。本の宣伝をすべくブログでいろいろなことを書いていたら、文藝春秋の編集さんから「ブログを手直しすれば新書になりますよ」と連絡があって、『火山で読み解く古事記の謎』の出版に繋がりました。これを出したら、双葉社の編集さんからも声をかけていただき、神社に焦点を当てた今回の本が出たという流れです。

■火山と日本人の結びつき

――火山の活動は人々に恩恵をもたらす一方で、災害とも切っても切れない関係にあります。古来より、日本人にとって火山はどのような存在だったのでしょうか。

蒲池:九州では約3万年前の旧石器時代、約7000年前の縄文時代にも九州の半分近くが火砕流と火山灰で埋めつくされる規模のすさまじいカルデラ巨大噴火が起きています。1万年以上前から繁栄していた「南の縄文文化」は、巨大噴火とともにいったん滅びてしまいます。
 こうした大惨事を経験した縄文人は火山を恐るべき力をもった神として崇め、その鎮静であることを祈り、語りついだのではないかということは、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』にまとめました。

――古代ローマの都市・ポンペイも火山の噴火で滅んでいますが、火山はひとたび噴火すると街を壊滅させるほどの力を持っていますよね。

蒲池:しかし、日本人と火山の関係は恐れ、崇めるだけではないと思います。出雲、諏訪、熊野など古い神社の前史を考えると、「火山の恵み」としてくくられる共通点があるのではと思うようになりました。
 火山は災いをもたらす恐ろしい存在であると同時に、日本列島の風土と文化を生み出した「母」なる存在でもあります。このほど双葉文庫として刊行された『火山と断層から見えた神社のはじまり』はそうした視点で書いたものです。

――火山がもたらす恵みの代表格として、挙げられるものといえばなんでしょうか。

蒲池:温泉が挙げられます。温泉地に行けば火山が創り出した風土が感じられますよね。火山は普通の山と違い、独特な造形を生み出す力があります。
 特に日本の火山の多くは、ハワイのようにさらさらと流れる溶岩とは正反対の、凝結度や粘着度の強い溶岩を放出するため、不思議な形状をした巨岩や山を形成するのです。

――日本には彫刻のような姿をした山が多いですよね。そして、そうした山は当然のように、昔から地域の信仰のシンボルになっています。

蒲池:自然が創り出した巨岩、奇岩は少なからぬ神社で、神の宿るイワクラあるいはご神体としてたいせつにされています。小型バスほどの岩が空中に浮かんだように見える神倉神社のイワクラをはじめとして熊野には面白い地形がありますが、その多くは1500万年前の太古に起きた、日本列島では空前絶後の超巨大噴火によってつくられたものです。その噴火の痕跡である「熊野カルデラ」は熊野信仰の霊場とほぼ重なっています
 出雲も一般的にはあまり知られていませんが、巨石が点在している信仰地です。こちらも火山の活動が創り出したものです。

――そう考えると、日本の聖地には火山活動の痕跡がある場所が少なくないわけですね。しかもそれに、温泉などの観光まで結びついているのは日本特有の現象に思えます。

蒲池:火山が創り出した造形の不思議さは、現代人の私たちが見ても感じるじゃないですか。巨石や柱状節理、不思議な形の岩からは、人間離れした力を見出せます。そういった風景から何がしらの印象をもつことは、神社が創建される遥か前からあったと思います。

■線状に分布している火山

――日本列島を見渡すと、至るところに火山があり、極めて身近な存在であることに驚かされます。

蒲池:火山は日本列島に広く分布していますが、どこにでもあるというわけではありません。2つの線状に分布しています。
1つは、伊豆から関東を経て北海道へいくライン。
もう1つは九州の火山列島から鹿児島に上陸し、阿蘇山を経て、島根県の三瓶山、鳥取県の大山まで至るものです。
 したがって、出雲は九州の火山文化の延長にあるといえるため、縄文文化的な要素が色濃いのです。
 九州と出雲周辺を除けば、西日本には活火山がないので、水田稲作を柱とする弥生文化が栄え、ヤマト王権の最初の勢力圏となります。火山と稲作文化の相性は良くないのです。

――線状に日本の文化圏が分かれていると。

蒲池:火山が特に多いのは九州の中でも鹿児島、宮崎、熊本ですが、いずれも縄文文化的な様相が強い地域です。馬や牛の飼育に適した火山性草原はあるのですが、土壌はひと昔前まで農業関係者に悪土として嫌われていた黒ボク土が主体で、耕作に苦労したといわれます。
 出雲も黒ボク土が少なくない地域です。黒ボク土は火山地帯に広がっている土壌ですから、ここからも出雲の火山的風土が読みとれます。

――そして、それらの縄文文化が色濃い地域には有名な神社が多いですね。

蒲池:水田稲作の先進地だった弥生文化的な西日本よりも、狩猟採集の縄文文化が花開いた地域に、より深くより豊かな神社の歴史が見えるような気がします。
 出雲は大森林地帯が広がる山岳地帯ですし、熊野もほとんど平地がありません。環境が縄文的で似ているんですよ。諏訪大社の鎮座する長野県が縄文的風土であることは言うまでもないことです

――私が住んでいる埼玉県には、出雲大社系の神社が多いです。

蒲池:関東地方や東北地方にオオクニヌシを祀る出雲系の神社が意外なほど多いということは、しばしば話題になります。これもまた不思議なことですが、日本列島のふたつの火山のラインの中に出雲系神社の分布を重ねてみると、神社の世界には「縄文つながり」が秘められているのでは、という妄想をついしてしまいます。

■中央構造線の上に歴史的な神社あり

――また、蒲池さんはこの本の中で断層と神社の関係にも注目されています。昨今、巨大地震が相次いでおり、断層に注目が集まっていますが……

蒲池:断層は地震の原因として恐れられ、忌み嫌われていますが、神社の前史を考えるときに避けては通れないテーマです。日本列島で最大の断層である中央構造線のほぼ真上に、諏訪大社、伊勢神宮をはじめいくつかの有名な神社、寺院があるからです。
 日本列島を東西に分けているのが糸魚川・静岡構造線ですが、このふたつの巨大断層が諏訪盆地で交差しているのです。

――地図で見るとよくわかりますね。それらの神社・寺院がきれいに中央構造線に乗っています。

蒲池:しかも、その交点は4か所に分かれている諏訪大社のうち、諏訪信仰発祥の地と伝わる上社前宮とほとんど同じ場所です。簡単には答えが見いだせない不思議な話ですが、諏訪信仰のはじまりを考えるうえで看過できない事実です。

――これは偶然なのでしょうか。それとも、古代の人々の何らかの意図があったとみるべきなのでしょうか。

蒲池:大地の断裂である断層は直線的な地形を作り出しますから、そこは石器時代から広域移動のための「道」として利用されていました。
 諏訪の黒曜石、糸魚川の翡翠、伊勢の辰砂(朱色の鉱石、水銀の原料になるので水銀朱とも)など各地の希少鉱物が、中央構造線、糸静構造線の道によって列島規模で流通しています。地震をもたらす断層にはこのような恵みの側面もあることを、神社のはじまりとして考えてみました。

■黒曜石を求めて日本列島に人が移り住む

――蒲池さんはこの本で、日本で多く産出される黒曜石に注目されています。

蒲池:縄文時代をふくめて石器時代は、鉄も金・銀も石炭・石油も知られていない時代ですから、人類の資源的な関心は良い石を手に入れることにあったはずです。
 実は日本列島は石器素材になる石にものすごく恵まれています。もしかすると世界一かもしれません。その代表格が黒曜石ですが、この石は世界史のうえでも、もっとも優良とされる石器素材です。

――当時の人々にとって、最重要な石なのですね。

蒲池:日本列島に人が多く住み始めたのは、約3~4万年くらい前といわれています。アフリカから出た私たちの遠い祖先は、東アジアを経て日本列島にやってきました。その人たちの目的は、黒曜石だったのではないか。そう仮定してみるとさまざまなデータが矛盾なく整合するように見えます。
 イギリス人の考古学者が言っていましたが、日本にある旧石器時代の遺跡の数は世界でも突出して多いそうです。考古学的調査の行き届いたヨーロッパと比較しても、日本列島の遺跡数はきわだっているというのです。

――それほど旧石器時代の日本列島には人が多かったのですか。

蒲池:縄文時代の中心といわれるのが諏訪地方で、「縄文の首都」と呼ばれているほどです。人口が多く、縄文のヴィーナスのような優れた土偶を作り出すような高度な技術や文化もありました。これは、諏訪が黒曜石の1、2を争う産地だったからでしょう。
 黒曜石は溶岩が急冷することで形成されるガラス質の石ですから、火山列島の恵みの典型です。世界全体で見ても、諏訪をはじめ、伊豆、九州など、黒曜石の産地が日本には突出して多く、質のいい石器を作れる素材が得られたといえます。

――黒曜石が手に入り、いい石器が作れたらそれだけ狩猟がはかどるし、調理も容易くできる。これほどの好条件なら人々が移り住むに決まっていますね。

蒲池:旧石器時代は氷河期ですから海面は現在よりずっと低く、大陸と日本は10数キロほどの海峡をはさんでほとんど繋がっていた時期がありました。これは長江、黄河の下流域よりもずっと短い距離です。日本にいい石器の素材があるという話が東アジア世界に拡散して、人が移り住むことになった、これが人口急増の一因ではないかと、半ば空想ながらもそう考えています。
 火山の産物である黒曜石は、日本という国の成り立ちを考えるうえでとても重要な資源です。その国内最大級の産地が諏訪大社のすぐ近くにあるというのは、けして偶然ではないと思うのです。

――縄文時代は1万年以上続いたと言われますが、それを生み出したのは日本の豊かな黒曜石と考えると、凄いですね。

蒲池:ただ、その頃、大陸の文明の先進地では農業が始まっています。金属の使用も始まり、文字が使われ始めています。ところが、日本では黒曜石の矢や槍で狩猟をして、黒曜石を刃物にして料理をしていました。
「石器時代」から「鉄器時代」へという世界史上の大変革に乗り遅れてしまった要因のひとつは、石器の素材に恵まれすぎていたからだと思います。

――日本でキャッシュレスが進まないのは、お札の完成度が高すぎて、偽札が少ないからといわれます。現状で満足していると新しい技術を取り入れるのが遅れがちで、一長一短な部分はありますね。

蒲池:弥生時代、日本列島でも輸入された鉄が使われるようになりますが、製鉄技術の定着はずっと遅く、鉄を自給自足できるようになったのは古墳時代の6世紀頃です。世界の潮流から2000~3000年ほど遅れたわけです。
 旧石器時代、縄文時代の暮らしの物質的な水準はきわめて貧しいものですが、その生活様式は日本の気候や風土に合っていて、争いごとやストレスの少ない、ある意味では恵まれた時代だったのかもしれません。

■温泉があったから信仰が生まれた?

――日本は地球の活動によって生み出された恵みによって、文化が形成されているといえますね。

蒲池:日本の経済や信仰は火山や断層など大地の歴史抜きには語れません。出雲の玉造温泉のそばにある山は勾玉の材料となる美しい石の産地であり、生産拠点でもありました。勾玉になる美しい石も、太古の火山活動にともない形成されたものです。特に赤瑪瑙(アカメノウ)は出雲にしかない石で物凄い希少価値があった。
 民俗学的な研究では、出雲大社の主祭神であるオオクニヌシは、もともとは美しい玉をシンボライズした神だったという説があります。

――そんな説があるんですね。

蒲池:また、多くの温泉地に温泉神社があり、オオクニヌシとスクナヒコナの二神が温泉を与えてくれたと伝わっていますが、出雲大社が発信する物語では、オオクニヌシと温泉を結び付けて語ることが意外に少ないという印象もあります。

――それも不思議な話です。

蒲池:温泉は日本だと俗っぽくなりすぎて、今の世の中では信仰と結びつきにくくなっているのかもしれません。『出雲国風土記』にも川辺に自然湧出する温泉があり、美容と健康の効果が著しいので「神の湯」と呼ばれていると書かれています。
 現在の玉造温泉のことです。そこは出雲大社の宮司が代替わりのたびに、潔斎のために籠もる神聖な温泉でもありました。

――温泉があったからこそ、出雲、諏訪、熊野が聖地になった可能性がありますね。

蒲池:神社よりも温泉が先だと思いますね。諏訪大社のある諏訪地方はものすごい湯量を誇る温泉地帯でもあります。熊野本宮大社はかなり山の上にありますが、近くの温泉街では90度以上の温泉が湧き出ている。
 考古学的には確かめがたいことですが、出雲、熊野、諏訪の自然湧出する温泉は、旧石器、縄文時代から人びとの暮らしに定着していたのではないでしょうか。地中から熱いお湯が湧き出て、それが疲ればかりか病気や傷を癒す効果をもっている。
 考えてみるとこれは何とも神秘的な現象です。そこに素朴な信仰が生まれ、神社が創建され、のちにいろいろな由緒が語られ、聖地化していったと考えたいのです。

■神社のルーツを縄文時代に探る

――神道は国土の7割が森林であり、火山大国である日本だからこそ生まれた信仰といえそうです。

蒲池:縄文時代からのそれぞれの土地の歴史や文化は、神社の歴史とつながる可能性があると思います。火山も自然湧出する温泉も人間の歴史よりはるかに古い歴史があるのだし、地域の風土と豊かさの象徴。それと神社が結びつくのはきわめて自然なことだと思います。

――そこが仏教とは異なる部分ですし、神道が他の宗教と違う要素だと思います。

蒲池:神道はそれだけ土着の文化や歴史を背負っているといえ、そこに大きな価値があると思いますし、どんな小さな神社でも人々が長い間守ってきたものです。
 それぞれの神社の歴史を注意深く調べてみると、創建された年代をはるかにさかのぼる、悠久の地質学的時間が見えてくるかもしれません。熊野信仰において、もっともクリアーに言えることですが、人智を超えた驚異の風景を目にした古代の人々は、そこに「神」としか呼びようのない何かを感じたのだと思います。
 歴史の事実を調べつつ、空想と妄想をフル稼働すれば、より神社巡りが楽しめるはずですし、地域の再発見にも繋がります。神社をめぐる歴史と地学のそうした魅力を今回の本の中にまとめたつもりです。

(山内貴範)

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