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テレビ業界「視聴率低下」よりも深刻な問題…じつは「CMの劣化」が危機を加速している 202206

2022-06-02 19:07:19 | 気になる モノ・コト

テレビ業界「視聴率低下」よりも深刻な問題…じつは「CMの劣化」が危機を加速している
 現代ビジネス より 220602   結城 豊弘


・Tverの「生配信」でテレビの終わりが始まるのか?…業界が迎える「厳しい現実」

⚫︎CMはテレビ局にとって「死活問題」
「民放のテレビ番組が、テレビコマーシャルで成り立っていることを知らない人はいないはず」。そう思っているのは、業界人だけかもしれない。

 CMも番組の一部と思っている人もなかにはいるし、そんなことすらも考えずに、テレビを見ている人が大半の様に思う。テレビにとってCMは無くてはならない存在である。
 その形の変化が、実はテレビ番組そのものに大きな影を落としていることを、是非とも理解して欲しい。

 日テレが失速したのは、「あの番組の打ち切り」が原因かもしれない

 テレビを見ていると、地上波放送であれ、衛星放送であれ、あるいはスマホで見るYouTube動画であれ、見逃し配信のTVerであれ、全ての番組において、商品や企業を宣伝するなんらかのテレビコマーシャル、いわゆるCMが流れる。

「なんで番組の途中のこんな良いところで、CMを流すんだ。気持ちが切れる」「やたらと同じCMが流れすぎだ」と不快に思う方や、一方で「なかなか良く出来たCMだね」と心を奪われる方、「番組のトイレタイムと割り切っている」という方もいる。

 受信料を徴収しているNHKや動画配信サービスVOD(ビデオ・オン・デマンド)を除き、ほとんどのテレビ番組が、CMをベースに制作されている。
 なぜならテレビ番組は、CMを提供するスポンサーからの広告費を収入源として成立しているからだ。

 日本のテレビCMの元祖は、1953年(昭和28年)8月28日の日本テレビの放送開始とともに流れた。
 精工舎(現在のセイコーホールディングス株式会社)のもので、ニワトリが時計のゼンマイを巻き、同時に時報が告げられた。
 参考にしたアメリカのテレビの放送が始まったのは、1941年(昭和 16年)日本に先駆けること12年も前の話だ。アメリカのテレビでも盛んにCMが流されていたのだった。

 その後、日本では、テレビの普及と高度経済成長とともに、CMは大きく膨れていき、そこから多くの流行語も生まれていった。

⚫︎業界に激震が走った報告
 社会現象や流行までをもテレビCMが牽引したのだった。「スカッとさわやかコカコーラ」「おーモーレツ」「あたり前田のクラッカー」など、当時のCMのキャッチコピーは、今でも”オヤジギャグ”のベースとして記憶に残るセリフだ。

 当時はテレビCMは単なる商品の宣伝では無く、社会に対して大きなメッセージを発信する媒体として認知され、様々な企業が広告を発信していくようになり、巨大成長していった。それはテレビ番組の隆盛と一致していた。

 テレビCMの歴史を少し解説したが、現在に目を転じてみるとどうだろう。

 2020年、電通の発表した「2019年 日本の広告費」は業界に衝撃的ニュースとして伝わった。インターネット広告費が初の2兆円超えをマークし(2兆1千億円)、遂にテレビメディアへの広告出稿費(1兆8千600億円)を上回ったというものだった。

 テレビ局にいて僕の周囲では「遅かれ早かれ、こんな時が来るとは思っていたが、とうとうネットに抜かれたか」「もう少し、テレビが踏ん張るとおもっていたのに」「ネットとテレビでは、広告の訴求力が違う。
 まだまだテレビの方が優位だ」など、このニュースをテレビ関係者は、諦めを持ってとらえる者や強がる者、なんとかしないといけないと危機感を持つ者など様々な捉え方をした。

 そろそろ抜かれるかもしれないという既定路線の報告ではあったが、しかし、業界に激震が走ったのは間違いない。

 一部のメディアはテレビ業界の凋落を指摘したが、ネット広告とテレビ広告の逆転は、テレビの持つマスに訴求する力と、ネットの個人に訴求する力のすみ分けが進んだのではないかと僕は分析した。
 合わせて、番組制作の現場で「まだまだテレビには、広くあまねく訴求する力と影響力があるのに、自虐的に反省する時期ではないのでは」とテレビ自体の対応にもどかしく感じていた。

 そんな時期に追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスの感染拡大だった。テレビの現場も感染を止めるべく厳しい対応を迫られた。

⚫︎コロナ禍での「必死の策」
 2020年4月7日に東京、神奈川、大阪、兵庫など7都道府県に緊急事態宣言が出され、4月16日には対象が全国に拡大していった。

 この事態を受けて、コロナ感染の拡大を恐れ、テレビ制作の現場やスタジオからも人が消えた。テレビ局に出社する人が限られ、企画会議もリモート会議になり番組の収録スタジオは、数人で運用された。

 カメラマンも音声も最小人数に絞られ、スタジオでは、数分おきに換気のために重いドアが開閉され、その度に番組収録が止まった。スタッフも全員マスクをして消毒や手洗いが徹底され、収録や生放送などテレビ制作の現場は、大きな変化と対応を強いられた。

 報道番組の現場でも同様に、街でのインタビュー取材を出来るだけ行わない様に自粛。
 もしインタビュー取材を行うなら、棒の様な長いブームにマイクをつけ、2メートルくらい取材者と距離を取り、マスクをしてインタビューした。

 テレビ番組の出演者は、東京と大阪の移動が断たれ、自宅からリモート通話で出演してもらうという形に変更された。
 各スタジオには、透明なアクリル板の遮蔽をつくり、出演者どおしの間隔は、2メートル以上の距離を保たねばならなかった。

 当初は「これでは番組は作れない」「番組の総集編でしか対応は無理ではないか」との声も上がったが、知恵を出し合って各社とも番組制作を行った。テレビ局の制作現場も必死だった。

 一番苦労したのがドラマ制作。そもそも役者通しが密着して演技をしなければ、どうにもならない。テレビ画面に役者同士を隔てるためにたてられた、アクリル板を映さない様に撮影のアングルを工夫したり、ストーリの中にスマホの画面を投入して、メッセージでドラマの展開を補完した。

 それでも撮影しなければならない役者同士の密着シーンは、たった一度の演技収録で撮影した。涙ぐましい努力でドラマ撮影は続けられた。

 テレビ制作の現場は、制約だらけで苦しかったが、この時「番組を作り続けるんだ」というテレビマンの熱気が感じられたのも事実だ。令和のテレビ屋も捨てたものではないと昭和入社でオールドテレビ屋の僕は、そんな姿を見て嬉しくなった。

 同時にテレビ業界各社の中で、CMの制作や出稿も火の車状態だった。

⚫︎テレビ各社が自分の首を絞め始めた
 ドラマ同様に、タレントの感染対策で新しいCMが制作されず、流すものがどんどん減っていく。緊急事態宣言の出る前から、旅行関係のCMは、完全にテレビから消えた。
 活況を呈していたインバウンドも街から消失、ホテルや航空会社、鉄道の広告も無くなった。そのほかにも、飲食店関係や遊園地、映画、コンサートなどのイベントのコマーシャルが全てなくなっていった。

 一番大きかったのは消費そのものが冷え込んだことで、テレビのCM出稿の枠の大きなゾーンを占める自動車や電化製品などのCMも極端に減少したことだ。
 その代わりに政府や自治体の外出自粛と感染対策へのアピールを促すCMや医療関係のコマーシャルは増えたが、それはテレビ局の営業全体の売り上げにとっては、焼け石に水の状況だった。

 1年延期された東京オリンピックが2021年の7月23日から行われたが、予定していたコマーシャルも、自粛ムードとスポンサーの売り上げ減速の影響が大きく響き、いつもの活況を呈するという状況には程遠かった。

 スティホームの中、番組やテレビコマーシャルをウオッチしていた僕はその異常さに気がついた。
 東京キー局の深夜枠に見たことも無いスポンサーのコマーシャルが流れ始めた。その中には、聞いたことも無いレンタカーショップやカラオケ店、建築会社のCMも含まれた。
 15秒や30秒が一般的なCMの中に2分枠のテレビ通販や60秒のコマーシャルが流れる。リモート系のコンピューター会社、地方の物産、ゲーム、ネット漫画、中には怪しい金融系や暗号資産のコマーシャルも流れている。

 テレビ局のCMはなんでも放送できる訳では無い。実は厳密な考査基準が存在する。テレビ局が放送しても良いと判断したCMしか放送できない。

 テレビのCMの考査でまずやるのが、業態考査だ。広告を出す企業、広告主の企業や団体の考査である。企業が健全であるか、公序良俗に反する企業では無いか、警察や消費者庁に注意や逮捕などのトラブルが過去に無いか…。その他にも各局で信用を担保するための考査がある。

 そして次に実際に放送する素材考査が行われる。

 CMの内容や映像が放送倫理に違反していないか。虚偽、誇大表現が無いか。
 根拠がしっかりしていて効果や商品に危険が無いか。
 薬事法や健康増進法に抵触しないか。
 差別表無限や不快にする映像表現が無いか。
 サブリミナル、光感受性発作を起こす可能性を含む強い光の点滅の使用は無いかなど、法令遵守と放送基準や放送法などの法律とも照らし合わす。

 視聴者にはこの厳しい基準を通ったCMだけが放送出来るということになっている。

 ただこの基準は、あくまでも各社の個別の基準であり「あるテレビ局では、拒絶されたが、少しナレーションとか映像を改定して別の社では放送可となった」という事例も出てくる。また、昔は放送できたが今は難しいというケースもよくある。

 分かりやすい例を挙げてみよう。射幸心を煽る恐れがあるという理由から、実は、パチンコのCMは各社で判断が異なる。

 パチンコ台やパチンコの玉や店名を出さず、あくまで企業名だけが放送出来る局。パチンコの新機種まではOKの局。パチンコ企業だと全く分からない、レジャー産業として放送する局などだ。

 また放送時間帯も、午後10時以降で放送が解禁される局や深夜0時をまわり放送が可能な局などその対応が分かれている。

 新型コロナウイルス感染拡大でスポンサーが減り、なりふり構わず営業が獲得したスポンサーのCMを甘い考査で放送したのではと疑うコマーシャルが深夜帯に目についた局もあったし、苦しい中、歯を食いしばってしっかりしたコマーシャルしか流していない局もあった。

 番組のプロの目から見れば、なんとしてでも埋めようというテレビ局側の苦しみも理解できたが、甘い考査体制は自分の首を絞めかねないと僕は危うさと矜持が気になった。

⚫︎すでに手遅れなのか
 もう一つ、テレビCMで大変気になっている状況がある。

 それはテレビ局にとって一番のライバルである映像コンテンツのCMをあろうことか、自らの画面で宣伝していることである。

 いまやスマホに奪われ、テレビ離れを叫ばれ窮地に追い込まれつつある状況だ。
 それなのにNetflixのサブスクやAmazonプライムの新作・話題作のCMが、これでもかと放送される。ディズニーチャンネル、U-NEXTとその数は多い。

 しかし、それだけでは無い。ネット漫画やゲームなど新しい娯楽やエンタティンメントのコマーシャルがゴールデンタイムの主流コマーシャルになっていく。

「テレビを見てくれなくても、他の楽しみが沢山あるよ」とテレビが宣伝している様なものだ。この自虐的なCMの放送状況に僕は我慢が出来ない。

 なぜコンテンツ的にライバルになる彼らのCMをテレビで放送するのか。テレビで放送するから、彼らはあまねく世代の認知度と市民権を得てメジャーになり、それが将来的にテレビ番組を侵食してしまう。
 そのことに危機感は無いのか。

 これまでは自動車、家電、エネルギー、建築、飲食、レジャー、トイレタリー、医薬がテレビコマーシャルの主流だった。

 冒頭に書いた様に沢山の流行語やタレントも生み出した。それがゲーム、スマホ、ネットセキュリティー、人材派遣、サブスク、スタートアップ企業に主流を取って代わられようとしている。

 テレビ局がこれらのサービスのCMを流すことは大きく捉えれば「テレビ以外」のコンテンツへの誘導を視聴者に促し、テレビ離れを加速させている。

 日本のテレビ局の隆盛は、スポットと呼ばれる15秒のCMを月に何本番組の中に入れられるかという事やCMの高価な値段で築かれてきた。
 その物差しには視聴率があった。視聴率至上主義とも呼ばれた。しかし、視聴率も変化し、広告や宣伝効果の物差しとしては、もう古いとされている。

 個人視聴率や広告効果、そしてネットの様に個人にしっかりと訴求する媒体が今求められている。もう巨額の広告費を投下してマスを獲得する時代では無いという。

 一人一人個別の、個人にそのパーソナリティが興味を持つ広告を届けるという方向転換はもはや難しい。それは先に述べた出稿費が物語っている。

 しかし、昭和のテレビ屋としては、テレビCMがその輝きと力を全て失ったとは思っていない。テレビ局が努力し、その力にしっかりと気づき、考査をしっかりと行い良質のコマーシャルを流す努力をすれば自ずと信頼を取り戻せる。

 また、15秒CMやスポットコマーシャルの成功を捨て、早く1分や2分のストリー性あるコマーシャルに切り替える事ができたなら、まだまだ生き残る道があると思う。

 ドラマ性を持たせ、連呼型ではない、上質のコマーシャルを作る。
 今や企業のCMもBtoCからBtoBの企業を知ってもらうという形のものも増えている。
 社会と共生できる企業だから売る商品も信頼できる。あるいは企業の理念に共感できる。そんな出稿も増えている。

 テレビ局の営業も目先の目標到達を日々の糧とせず、スポンサーを育てる目線を養ってほしい。

 日本のコマーシャルを作る製作者達は世界一のクリエィターだし、発想もユニーク。それは、世界のCM映画祭の結果や評価を見れば明らかだ。テレビ局の蓄積や考査に対する考えも諸外国に比較すれば、とても健全だ。

 ネットに負けていいなんて、心から思っているテレビ局員はいないと信じている。
 テレビCMを見ると時代が見えると言われたのは今は昔なのか。CMを変えなければテレビそのものが、変われない。新型コロナウイルスが収まりを見せている今こそ、テレビのCMも試されている。

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