数年後に古典コンピュータを超える量子コンピュータ、IBMは事業化に舵を切る
朴尚洙 20200706 Monoist より
日本IBMは2020年7月3日、オンラインで会見を開き、量子コンピュータに関する取り組みの最新状況について説明した。IBMが1970年代から研究を続けてきた量子コンピュータの現在の開発状況や、日本での事業展開、今後の実用化に向けた取り組みなどについて紹介するとともに、「量子コンピュータのビジネス化が既に始まっている」ことなどを訴えた。
IBMは1970年代に量子コンピュータの研究を開始した。そのころはまだ理論研究にすぎなかったが、2000年代に入って量子効果を制御する技術が実現されたことにより、量子コンピュータの開発に向けた取り組みを加速。2016年にはゲート型量子コンピュータの開発にこぎつけ、クラウドを通して世界中の研究者に向けて公開した。以降、毎年量子コンピュータの性能向上を実現しており、2020年1月には量子コンピュータの性能指標である量子ボリューム(Quantum Volume)で32を達成したシステムを発表している。
日本IBM 執行役員 研究開発担当の森本典繁氏は「量子コンピュータの本格的な応用、利用の時代に向けてIBMも準備を進めている。基礎研究とともに、基礎研究によって得た技術を組み合わせたハードウェアやソフトウェア、システム、コンパイラ、プログラミング環境などの開発にも注力している。また、量子コンピュータという今まで人類が持っていなかった新しい道具を使いこなすための実用化に向けた取り組みも進めている。さらには、“量子ネイティブ”とも呼ぶべき若い技術者世代も育成している」と語る。
◉IBMの量子コンピューティングの事業体制
現代の膨大なデータ処理とムーアの法則にギャップ
近年注目を集めている量子コンピュータだが「IBMにとっては必然的に出てきたものだ」(森本氏)という。その背景にあるのがコンピュータの計算処理能力に対するニーズの高まりだ。もともと、トランジスタベースの古典コンピュータは、ムーアの法則に従って18カ月で2倍の性能向上を実現していた。しかし、AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)をはじめ膨大なデータの処理が求められる現代は、12カ月で2倍の性能向上が必要になっている。森本氏は「IBMは10年前からこのギャップを懸念しており、その解決の最も有力な手段が量子コンピュータと考えていた」と説明する。
古典コンピュータの18カ月で2倍の性能向上では、12カ月で2倍の性能向上が求められる現代の膨大なデータの処理に対応できない。
古典コンピュータと量子コンピュータは、計算処理の基本単位が大きく異なっている。古典コンピュータで用いられる古典ビットは同時に1つの状態を記述するが、量子コンピュータで用いられる量子ビットは同時に複数の状態を表現できる。
古典ビットが「0 or 1」なのに対し、量子ビットは「0 and 1」なのだ。
ただし、コンピュータの構造については、古典コンピュータと量子コンピュータはそれほど大きな差異はない。論理演算子、論理回路、アルゴリズム、オープンソースライブラリを活用することに変わりはなく、使用するプログラミング言語は同じだ。「もちろん、量子コンピュータの論理演算子の種類が古典コンピュータの約3倍あるなど中身は異なるが、構造と構成は同じだ」(森本氏)。
◉古典コンピュータと量子コンピュータの比較。
大きく異なるのは計算処理の基本単位である古典ビットと量子ビットだが、コンピュータの構造は大きくは変わらない
量子コンピュータのハードウェアは、希釈冷凍機の中で15mKまで冷やされて超電導状態になっている量子ビットチップに対して、マイクロ波を使って量子ビットの状態を制御することで計算処理を行う。
この量子コンピュータの性能指標としては、量子ビットの数であるqubitが用いられることが多い。森本氏は「確かに量子ビットは多いほどよいが、計算処理を妨げるエラー率は少ない必要がある。また、量子ビットをつなげてより複雑な計算処理を行うための連結量も重要だ。そこでIBMが用いているのが、これらを3つの要素を総合した量子ボリュームである」と述べる
◉量子コンピュータの性能指標となる量子ボリューム
IBMはこの量子ボリュームに基づき、2017年から過去4年間、毎年性能を2倍向上している。2017年の「Tenerife」は量子ボリュームが4だったが、2018年の「Tokyo」は8、2019年の「Johannesburg」は16、そして2020年1月に発表した「Paris」は32を達成しているのだ。
森本氏は「ここで重要なのは、今後も量子ボリュームを毎年倍増させていくという計画をIBMが外部に向けて発表したことだろう。現在のIBMの量子コンピュータを使って研究している人々にとって、何年後に現在のスーパーコンピュータに対してブレークスルーを起こし得るかが見えてくるからだ」と強調する。
実際に、量子コンピュータが古典コンピュータを超えるブレークスルーは、一部の応用事例であれば数年後には起こり得るという。「数年後ということはそのときの量子ボリュームは512もしくは1024になっている。現時点で得られている成果から、毎年2倍の性能が向上するという前提で見積もれば、そのような見通しが得られるというわけだ」(森本氏)。
◉日本は最もアクティブで最もリソースが投入されている研究開発拠点
現在,IBMは米国内に18台の量子コンピュータを保有しており,これらの量子コンピュータをクラウドを介して無償で利用できる「IBM Q Experience」の登録ユーザー数は24万人まで増えている。
IBMの量子コンピュータ上で実行された演算回数は1980億回を超え、その演算結果を用いた論文は235本発表されている。そして、IBMの量子コンピュータを商用利用するパートナープログラム「IBM Q Network」のメンバー数も年々倍増しており、現時点で106となった。
IBM Q Networkにおける活発な領域は「化学」「最適化」「人工知能」「シミュレーション」の4つに分かれる。「現時点ではスーパーコンピュータでも計算できるが、将来的に量子コンピュータでより早く行えるようにするのが狙いだ」(森本氏)という。
◉IBMの量子コンピュータの活用で世界に先駆けてきた地域が日本だ。
2018年5月に慶應義塾大学に開設した産学連携研究センター「IBM Q Hub@Keio」は、量子コンピュータの産学連携拠点としては世界初の事例となった。また、2019年12月には東京大学とのパートナーシップを発表し、量子コンピュータの実機「IBM Q System One」を設置することを決めた。これまでIBMの量子コンピュータは全て米国内で展開していたが、米国外に展開するのは日本とドイツが初となる。また、東京大学では、量子コンピュータのハードウェア開発センターも開設されるという。
◉日本では量子コンピュータの研究パートナーシップを強化している
森本氏は「IBMの量子コンピュータの研究開発拠点の中でも、日本は最もアクティブで最もリソースが投入されている拠点の1つだ。日本の量子コンピュータ研究に大きく貢献していきたい」と述べる。
◉量子コンピュータの世界も“Winner takes all”
IBM東京基礎研究所の部長でIBM Q Hub at Keio University - IBM Leadを務める渡辺日出雄氏からは、IBM Q Hub@Keioを中心とする日本での量子コンピュータの開発事例が報告された。
製造業関連では、IBMが行ったVQE(Variational Quantum Eigensolver:変分量子固有値法)を用いた分子シミュレーションやタンパク質折り畳み計算の他、IBM Q Hub@Keioで三菱ケミカルホールディングスなどが実施したリチウム空気電池素材開発の量子シミュレーションなどがある。
◉リチウム空気電池素材開発の量子シミュレーションの研究成果
また、GBS 戦略コンサルティング・アソシエイト・パートナー/IBM Quantum Senior Ambassadorの西林泰如氏は、IBMの先進的な量子コンピュータの研究開発成果を事業につなげるための取り組みについて説明した。
冒頭に森本氏が述べた通り、IBMの事業体制は、量子技術の基礎研究だけでなく、ハードウェアやソフトウェアの開発、実用化に向けた市場と事業の開発という3つの要素を三位一体で展開していることが特徴である。そして、量子コンピュータを実用応用していく上でユーザー各社が注力しているのが、強力なユースケースを開発し、それらをいち早く自社のビジネスに取り込んでいくための取り組みだ。
西林氏は「量子コンピュータの世界でも“Winner takes all”といわれている。革新的な技術の取り込みで先んじて、ノウハウや知的財産権などでケイパビリティを囲い込んで後発の追随を許さないということだが、そのことに気付いて量子コンピュータに取り組む企業も増えている」と語る。
そこでIBMは、製造・化学、金融、流通・物流といった量子コンピュータの業界別アプリケーションの事業開発をけん引するコンサルタントを組織しており、西林氏はその中で日本の責任者を務めている。同氏が活動する中で「量子コンピュータの事業化は既に始まっている」というのが実感のようだ。
💋科学全般、技術全般、一位でないと滅…。