日本の「和歌」という文化は、じつはこんなにスゴかった…ほかの国の「詩」と違っているところ
現代ビジネス より 241030 安田 登(能楽師)
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。
しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。
安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第八回)。
⚫︎伝統化した漢詩
能の物語は,シテとワキと呼ばれるふたりの登場人物の会話から始まります。ふたりの会話は,最初は「詞」といわれる散文のセリフのやりとりで行われます。
しかし,やがてその「詞」の中に「あら」とか「あふ(おお)」などの「嗟嘆」の辞が含まれ,同時に「詞」も韻文化します。さらに会話が進むと、ふたりの会話には節が付き、謡われます。「永歌」です。
そして、謡に合わせてシテは舞い始める。「知らず手の舞ひ、足の踏む」となるのです。
歌われ、舞われる和歌は、礼と同じく目に見えぬ神霊とのコミュニケーションツールだった。だからこそ『歌経標式』の「鬼神の幽情を感ぜしめ、天人の恋心を慰む」となるのです。
しかし、中国では詩や、詩を身体化したものとしての「礼」はやがて徳の一種となり、道徳化されます。中国の史書の初期のものである『春秋』は、礼や徳という視点で歴史を書いたものでした。詩や礼は史書の中に取り込まれていき、正史の伝統が生まれます。詩も礼も原初の身体性を失っていきます。
さらに『周礼』という経典において、礼の一形態として官僚組織をも作ることにより、さらに身体性から離れていきます。
⚫︎身体性を失わなかった和歌
それに対して日本では「歌」はいつまでも身体性を失うことなく歌であり続けました。
そして、謡に合わせてシテは舞い始める。「知らず手の舞ひ、足の踏む」となるのです。
歌われ、舞われる和歌は、礼と同じく目に見えぬ神霊とのコミュニケーションツールだった。だからこそ『歌経標式』の「鬼神の幽情を感ぜしめ、天人の恋心を慰む」となるのです。
しかし、中国では詩や、詩を身体化したものとしての「礼」はやがて徳の一種となり、道徳化されます。中国の史書の初期のものである『春秋』は、礼や徳という視点で歴史を書いたものでした。詩や礼は史書の中に取り込まれていき、正史の伝統が生まれます。詩も礼も原初の身体性を失っていきます。
さらに『周礼』という経典において、礼の一形態として官僚組織をも作ることにより、さらに身体性から離れていきます。
⚫︎身体性を失わなかった和歌
それに対して日本では「歌」はいつまでも身体性を失うことなく歌であり続けました。
天地を動かし、鬼神をあわれと思わせるツールとしての和歌は、やがて男女の仲を和らげ、猛き武士の心をも慰める力を持ち、いよいよ強力な装置になったのです。
さて、そんな歌を集めた勅撰集ですが、その最初は漢詩文を集めたものでした。しかし、勅撰の漢詩文集は平安時代の『経国集』で終わり、それ以降は和歌を集めた歌集に取って代わられることになります。
漢詩文集の時代にも女性詩人はいました。しかし、漢字・漢文は男のものだといわれていた時代、女性詩人の作品は多くはありませんでした。
それが勅撰「和歌集」になったことで、女性歌人が一挙に増えたのです。
さて、そんな歌を集めた勅撰集ですが、その最初は漢詩文を集めたものでした。しかし、勅撰の漢詩文集は平安時代の『経国集』で終わり、それ以降は和歌を集めた歌集に取って代わられることになります。
漢詩文集の時代にも女性詩人はいました。しかし、漢字・漢文は男のものだといわれていた時代、女性詩人の作品は多くはありませんでした。
それが勅撰「和歌集」になったことで、女性歌人が一挙に増えたのです。
天皇・上皇が命じた「勅撰」に、皇族でもない、また高級貴族でもない女性の作品が選ばれるのって、この時代にすごいことです。
勅撰が和歌集になることによって実現した女性歌人の活躍は、いまにつながる日本の文化を作ったといっても過言ではないし、このことは日本文化の特質を考える上でもとても重要なことだと思うのです。それはまたの機会に。
『「神」や「幽霊」をこの世に呼び出す…日本の「古典の登場人物」たちが「各地を放浪する」理由』(10月29日)へ続く
勅撰が和歌集になることによって実現した女性歌人の活躍は、いまにつながる日本の文化を作ったといっても過言ではないし、このことは日本文化の特質を考える上でもとても重要なことだと思うのです。それはまたの機会に。
『「神」や「幽霊」をこの世に呼び出す…日本の「古典の登場人物」たちが「各地を放浪する」理由』(10月29日)へ続く
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「日本の古典」と「西洋の古典」の大きなちがい…じつは「地名」の扱い方に、こんなに差があった
1102 安田 登(能楽師)
【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」
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「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。
しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。
安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第11回)。
この記事は、『さまざまな技術を駆使した「超絶技巧」、日本の古典に登場する「道行」のスゴさを堪能してみる』より続きます。
前の記事では、能において、現実と夢幻のあいだにあって「神」や「幽霊」を呼び出す者として「ワキ」という役割があること、ワキはさまざまな場所を漂泊するが、その道中は「道行」という謡で表現されること、そして、そんな「道行」は、能が成立する以前、神話や軍記物語などでも描かれていることを解説しました。
以下では、西洋の古典における「道行」がどのようなものだったか、それは日本の古典での「道行」とどう違ったのかを解説します。
⚫︎西洋の道行の歴史
日本では神話時代からあった道行ですが、西洋の古典に目を向けてみると、『イーリアス』や『オデュッセイア』などの神話叙事詩やギリシャ悲劇などの中にはなかなか見あたりません。
『オデュッセイア』は、ギリシャの英雄オデュッセウスの漂泊の旅を歌った叙事詩で、それ自体が道行的な作品なのですが、地名を読み込んで旅するといういわゆる道行形式のものは作品中に見つけることはできません。ただ、求婚者たちの霊魂が神に従って歩く、霊魂の道行があります。
霊魂の群はちち、ちちと啼きつつ神に随い、助けの神ヘルメイアスはその先頭に立って、陰湿の道を導いて行った。オケアノスの流れを過ぎてレウカスの岩も過ぎ、陽の神の門を過ぎ、夢の住む国も過ぎると程もなく、世を去った者たちの影──すなわち霊魂の住む、彼岸の花(アスポデロス)の咲く野辺に着いた。(『オデュッセイア(ホメーロス)』24歌 松平千秋訳)
⚫︎十字架の修行とは
ギリシャ悲劇では、アイスキュロスによる『アガメムノーン』の中に狼煙の道行、聖火(松明)の道行があります。
そして合図のかがり火は、火をかざして駆ける早馬のように、かがりの報せをこの館まで送りとどけた。まずはイーダーの頂きからヘルメースの岩があるレームノス島へ、そして島から3番目の炎を高々とうけついだのは、ゼウスのましますアトースの断崖絶壁、こうして海原の背をかすめるように飛びこえていく松明のいきおいは、好きほうだいに光を散らし、(中略)……燃える火は、サローンの入江を眼下にのぞむ岬の大岩を跳びこえ、そして落ちてきました。届いたのです、荒蜘蛛山の尾根にまで、都のうらの見張りの塔に。そしてそこからアトレウス御殿に降りてきました。『アガメムノーン(アイスキュロス)』久保正彰訳
西洋で道行といえば十字架の道行(Stations of the Cross)も有名です。イエス・キリストの死刑宣告から、ゴルゴタの丘への道を歩み、十字架にかけられ、埋葬され、そして復活するまで15の場面(留:stations)をたどる道行です。聖堂の壁にはおのおのの場面の聖画が掲げられ、聖堂内を歩きながら祈りを捧げます(復活は「留」には含めないことが多く、祈りも祭壇側に向かって行われる)。
あるいは実際にキリスト受難の場を歩いたり、それぞれの場面を観想しながら祈りを捧げたりもします。バッハの『マタイ受難曲』では十字架を象った音型が使われます。
日本の道行を知るものには、『オデュッセイア』の霊魂の道行も『アガメムノーン』の狼煙の道行も「道行」と呼ぶにはちょっと抵抗があります。地名は確かに読み込まれてはいるけれども、地名に重層的な意味はありません。
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『日本の「土地」には「神や霊や念」がやどっている…「日本の古典」を読むと、強くそう思える理由』(11月2日公開)へ続きます。