最近、思うところがあって郷土史の本を買い揃えるようにしている。
理由は2つある。昔ながらの建物がどんどん取り壊されていること。もう一つは、古書価格が上昇傾向にあり、これと思った本は見つけた時に買っておかないと二度と出会えない可能性があることである。
さて、私の郷里では、特定の大学卒であるよりは、郷土の高校卒であることが信用される。別に、東大卒である必要はないのである。
野口英世のような有名人はいないが、何代も続く町医者の家庭はたくさんあるようだ。
そんな中、ある郷土史の本にて、明治時代に故郷の発展に寄与した方々がたくさんいることを知った。自分の財産を、それも多額の金額を図書館設置や奨学金用にと寄付するのである。特段、教科書に載るほどの方ではないが、そういう方々の存在があって、郷里の発展があったことを知った。
一事が万事金で決まる世知辛い世の中だと思ってきたが、我々の先輩たちは必ずしもそういう方々でなかったことに私は、心洗われる思いをした。
そして、それらの郷土史の編纂に、我が母校の名物教師、その教師が退職後、目の病気をおして、郷土史の編纂に係わり、失明するまでに至った経緯などから、私は、郷土史という世界も郷土の発展を願う人々の心によって支えられ維持されてきたことを知った。
その教師が手がけられた、郷土の偉人伝を、先日、数千円で手に入れた。流通しているものではただ一冊のもので、安くはないのだが、書店側で少し値引きしてくれた関係で少し気を良くして購入させていただいた。
表紙をめくって、私は驚いた。それは著者の謹呈本だったのだ。母校の先輩であり母校の教師だった著者の署名を拝見し、やっとこの方に出会えた気がした。
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