政治分野における企画提言力を想定し、述べさせていただく。
オピニオンリーダーと言われる人たちは、自ら国家ビジョンなるものを掲げ、その目標を示しつつ、どういうプロセスで実現するのか、文章化、賛同者を増やしつつ言論活動するものだとばかり思っていたが、日本の言論界の実情はいささか変だ。
概観的にみて批判や荒探ししかしない。特に、新聞やテレビの政治報道は切り貼り報道で溢れている。朝日、毎日は、記事の作成段階から政権批判ありきの前提で記者が作文していると思うほどだ。
テレビ出演するコメンテーターたちもひどい。
これら偏った、新聞記事、記事コメンテーターの反政府発言に、腹を立てる言論人、一般の読者・視聴者が増えてはいるが、彼らも、新聞記事、コメンテーターの発言のみを個別に捉え、左翼的ものの考え方に基づく一連のものの見方・シナリオを批判するだけで、国家としての在り方までは言及しない。
国益的に重要なことなら、まず、当該分野につういて国家ビジョンを示すべきだが、保守、左翼とも示すことはない。唯一示そうとしたのは、安倍政権時代においては、首相と官邸スタッフくらい。菅政権は、国家ビジョンを意識しているとは思えず、人気取り目的の個別改善事項で注目を集めようとしているようだ。
安倍首相退陣の記者会見にて、「記者会見場にて、質問した記者の中で『お疲れさまでした』と述べた記者が一人だけだった」ことを問題視する言論人もいる。
作法、マナー、心構え程度の次元で言論活動したと錯覚している方もおられる。言論活動とマナー講座は別次元のものであるはずである。
一方で、悪質なパクリ行為が横行、出典を掲載しない歴史書等が書店では溢れている。
本来、読者、視聴者に正確な情報を提供しつつ、国の在り方を語るのならわかるが、現実には、次元の低い言論活動だらけであることは残念なことと言わなくてはならない。
ここでは、個々の言論人のスキルについて論評するつもりはないが、言論界がかように劣化しているように見えるのは、言論人各人の知的生産技術の劣化と無縁ではないと私は思う。
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